記憶の欠片 Abyss
「僕があいつに負けるのは絶対に嫌だ! エミリアは僕が……!」
魔法学校のトイレでアビスは叫ぶ。
「大体僕はオカマじゃない! シュンっていう人より弱いわけじゃない!」
注意して以来、アビスは三人組にオカマ呼ばわりされ続けていた。
学園最強の三人組は魔術を使わず、暴力を武器としていた。
主に魔術や弓を使って戦い、体術をほとんど使わないアビスが敵う相手ではなく、向かっていっても返り討ちにされるだけだった。
しかし、それは突如現れた新入生シュンの手によって終わった。
それから時が経つのは恐ろしく早かった。
もう一年も経とうとしている。
シュンは三人組を相手にして、脅える反応は何一つしなかった。
三人が殴って来ても恐れるどころか笑って、倒した。
そして、自分が戦った相手の中で一番弱いとまで言った。
確かに彼は強い。
アビスが思うに今まで見た生徒の中で一番強い。
だからエミリアは惚れたのだ。
だが、これにアビスは納得いかなかった。
「誰よりも彼女に愛情を注いでいたのは僕だ! それが負けるなんて! ありえない!」
アビスが鏡を見ると、涙目の自分が映っている。意気地無しの自分が、女にしか見えなくなった。
「もし僕が女装したらエミリアは振り向いてくれるかな?」
「あいつに惚れてんのか?」
後ろから声が聞こえた。
アビスがはっとしてトイレから出ると、シュンだった。
「聞いてたの!?」
「そりゃあんな大声で言ってたら聞こえるだろ」
アビスは恥ずかしくなって赤面する。
「もしかして俺が聞いちゃいけねえってやつだったか」
「う……だって僕、君のこと思い切り言っちゃったよ」
「別にいい」
てっきり殴られるかと思ったアビスは少し安心した。
「明日から、成績優秀者の講習に行くんでしょ? 場所は確かクレイアルウォッドだよね。あそこは特別な結界が張られていて、大魔法使いやクレイエル皇族がいないと入れない。まあ大魔法使いであるキリアル院長がいるから入れるけどさ。
最近は人型をした影が墓参りしにきた人を襲ってるとか。多分その影の討伐だと思うけど」
「ああ、面倒で仕方ねえ」
「君は凄いよ。だって、強いし格好いいし、頭もいい。僕なんて敵わない」
アビスはシュンを褒めるが、まだ彼に対する対抗心は消えない。
「ねえ、君が苦手なことってないの?」
「何でそんなこと聞くんだよ」
「いいから!」
彼の苦手な分野で、勝ちたい。
アビスはそう思っていた。
「苦手なこと?」
「例えば、料理とか!」
シュンは考えている。
料理はアビスの得意分野であり、料理の腕では誰にも負ける気がしない。
もし彼が料理をできないのなら、アビスの勝ちとなる。
だが、
「俺はガキの頃におふくろが死んで、親父は異界で行方不明になった。その後は弟が死んで、一人暮らししてたな。だから料理は一応できる」
さりげなく悲しい過去を話されて、アビスは何も言えなくなった。
家族をこんなに早く失うなんて、想像もできない。
アビスは、自分の家は恵まれていたのだと改めて思った。
両親は優しく、アビスが我が儘を言っても笑って接してくれた。
料理も教えてくれた。
その両親は、今も家で一緒に暮らしている。
それに比べてシュンはきっと、家族に甘えるという言葉を知らないのだ。
何もかも一人でやってきて、頼る人間は必要ないという感じだ。
これ以上料理のことを話すのはやめよう。
アビスはそう思った。
「じゃあ何が苦手なの?」
「そうだな……あんまり話したくなかったけどな、俺は水泳が苦手だ」
「水泳、僕も嫌いだよ」
彼が水泳を嫌うのは意外だったが、アビスも泳げないことには変わりない。
だから勝負はできない。
アビスが次の質問を考えていると、
「お前さ、俺と張り合ってんのか?」
シュンが笑って聞いてきた。
「えっ」
図星だった。
アビスはエミリアを奪われたくないという思いから、いつのまにかシュンと勝てることで勝負しようとしていたのだ。
「ったく、男なら武術や魔術で戦って勝とうと思わねえのか? そんなくだらねえことで勝負しても現状は何も変わらねえぜ」
「そうだよ。僕は一応男だけど中身は男じゃない」
「は?」
「戦闘では何もせず脅えて、誰かに守ってもらっているくせに、自分のできることだったら出しゃばって勝とうとする卑怯者。それが僕だ」
アビスの話を聞いたシュンは呆れている。
本当のことだから仕方ないとアビスは思う。
「じゃあお前は一生そのままでいいのか?」
シュンはアビスを睨みつける。
アビスはそれだけで恐怖感を覚えた。
それでも事実なのだから、と思うアビスは言い返す。
「嫌だよ! 僕だって君みたいに強くなりたいよ! でも無理なんだ!」
「何で諦めるんだよ」
「僕が誰よりも守りたいのはエミリアだよ! だけど、大切な人を失う悲しみを知らない僕には、戦う理由なんてなかった! だから強くなれないんだ!」
と言ってアビスは泣きだした。今まで泣いたら許してくれる人がほとんどだった。
もう泣くのが癖になっている。
だが、シュンに慰める気はなさそうだ。
「戦う理由がねえと強くなれねえのか? じゃあもし俺が、エミリアやお前の身内を殺したらどうする?」
「えっ?」
アビスは目の前の男が何を言っているのか、と疑った。
だが、冗談に聞こえなかった。
「それでもお前は泣いて諦めんのか?」
「君がエミリアを殺したら、僕は君に立ち向かうよ! 負けるのは分かってるけど」
「エミリアか……俺はあいつ嫌いだけどな」
アビスは、抱きつかれたのに嫌いと言う神経が信じられない。
自分だったら絶対に喜ぶだろう。
「どうして?」
「エミリアの話を聞いたけどな、皇王の娘っていう権力に溺れているようにしか見えねえよ」
「エミリアを否定しないで!」
アビスが突然怒ったので、シュンは若干驚いている。
「否定するのだったら、僕と戦って!」
「さっき俺に負けるとか言ったお前が?」
「武術館に来て練習試合して! 君と戦ったらふっきれそうな気がする!」
「まあ……別にいいけど」
アビスはシュンの腕を引っ張って走る。
すると、
「あっいた!」
廊下を歩いていたエミリアが二人を呼び止める。
「どうしたの?」
「これ!」
そう言ってエミリアは手に持った新聞を二人に見せつける。
記事には大きな文字で『クレイエル帝国皇女帰還』と書いてある。
そして、写真には茶髪の女の子が写っている。
異界の新聞は、写真が動画になっていて、再生ボタンを押すことにより、動画が再生される。
今の異界では普通のことだが、シュンは初めて見るような目をしている。
「この動画を見てちょうだい!」
エミリアに言われてアビスが再生ボタンを押す。
写真の女の子が動き出す。インタビューを受けているようだ。
『つまり、クレイエル帝国の悪魔皇帝がエリア様を?』
『うん。でも姉さんは悪魔なんかじゃないよ!』
『では、皇帝陛下は何処へ?』
『姉さんはマリエの墓に行くって言ってたけど』
『マリエとは、二代皇帝陛下のことですか?』
『多分そうだと思う』
『困りましたね。マリエ様の墓は異界のクレイアルウォッドにあるので、私たちが皇帝陛下を探すことはできないですね』
『あたしも心配なんだけど……』
そこで動画は終わった。
「びっくりしたわ。まさかエリアが帰ってきたなんて」
「でもさ、クレイアルウォッドって今危ないんじゃない? 明日シュンが行くみたいだけど」
「わたしは悪魔皇帝がこんなところで死ぬとは思わないけど」
エミリアとアビスが話していると、階段を下りてきたキリアルが三人に気付く。
「シュン! 今からクレイアルウォッドに行くぞ!」
「えっ何でだよ」
「いくら悪魔でも、あそこで皇帝陛下を死なせるわけにはいかないのだ。クレイアルウォッドはわしの土地でもあるからな」
「分かった。アビス、試合できなくてごめんな」
「いいよ。僕は大丈夫だから、気をつけてね」
シュンは軽く手を振ってキリアルと共に階段を下りて行った。
「ねえ、彼が探している人って誰なのかしら?」
静まり返ってから、エミリアはアビスに尋ねる。
「まだ考えてたの?」
「だって気になるじゃない」
「これで悪魔皇帝だったらエミリアどうする?」
「ない! いくら彼でもそれはないと思うわ」
エミリアは悪魔皇帝を嫌っている。
具体的な理由はない。
ただ、気に食わないだけだろう。
「そういえばアビス、わたし魔界史のテストでいっつも忘れるんだけど、悪魔皇帝の名前ってなんだっけ? これシュンくんも分からなかった問題らしいわ」
「確かシャルル・ヴィスティア・クレイエルじゃなかった? 男みたいな名前だよね!」
「忘れるのよ! 皇族って名前が長すぎるのよ! 今すぐにでも忘れそうよ!」
「ははっ可愛いねエミリア。抱きしめたいぐらいだよ」
そう言ってアビスはエミリアを優しく抱きしめた。
「えっ!? ちょっと!」
「僕だって男なんだよ?」
「べ、別にいいけど! なんで廊下なのよ! もっといいところなかったの?」
「いいじゃん。僕、シュンに怒られて分かったんだよ。逃げてばかりの卑怯者じゃ、駄目だって。だから行動で示していこうかなって思ったんだよ」
「ふーん。まあ、シュンくんが言ってたのならそれでいいんじゃないの? それで、あなたは行動で示してどうするの?」
「決まってるよ。明日から僕、女装する!」
エミリアは最初黙っていたが、アビスの言った言葉の意味をやっと理解し、
「はあああっ!?」
と大声で叫んだ。
過去編二話はアビス視点で書きました。
ちょうど本編十章の前の話です。
次話は『記憶の欠片 Setsuna』です。
一度魔法学校から離れます。




