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七つの海を知る男

第三章⑵

「俺はカルロス。こっちはフレデリックだ」


 無精髭の青年が自己紹介した。若いのに、もう自前の商船を持つ船長だと名乗る。

 行きつけの安くて旨い食堂があるからと言われ、コンスタンティアはカルロスに店の選択を任せた。


「その様子だと、パレルモには何度も来ているみたいね」

「ああ、お得意さんも増えてきた。シチリアっていいよな。食い物も酒も美味い。女はみんな美人だし!」

 にぎやかな食堂で、三人は、丸テーブルの一つを陣取った。護衛の修道騎士三人も、奥のテーブル席に落ち着く。

 コンスタンティアは昼向けの定食と、地元の名産白ワインを二人分注文した。自分は水と、あっさりした空豆とパンを煮た(かゆ)を頼む。修道騎士達には鶏肉を挟んだ麺麭(パーネ)と、滋養のある蜂蜜酒を頼んでやった。さすがに庶民向けの食堂でソルベは扱っていない。コンスタンティアも、あの雪のような食感の甘い氷菓を宮殿でゆっくりと味わうのを、内心ではとても楽しみにしていたのだが。


「カルロス、出身はどちら? カタルーニャではないでしょう」

 名前はいかにもイベリア半島の響きで、見た目も陽気なヒスパニア人(イスパーニャ)っぽいけれど、それにしてはなんとなく違和感がある。

「なんで? 訛りがあるかい?」

「ううん、きれいなイタリア語を話しているわ。でもどことなく、もっと北の生まれの人に思えて」

 カルロスは白い歯を見せて笑った。

「俺はアキテーヌの出身さ。その後ノルテ地方で育ったらしいが。ご先祖はどうだか。そういうあんただって、ノルマン人からラテンからゲルマンから、いろーんなところの血が混ざってるのと違うか」

「それもそうね。で、フレデリックは?」

「俺の生まれは、ヘルダーラントだ」

 低いがよく通る落ち着いた声で、長身の青年は穏やかに答えた。赤みの強い金髪は、量が多い上にくしゃっとしていて、毛先があちこちに()ねている。

 フレデリック。フリードリヒと同じ語源の名前だ。

「ドイツ人でしょ、あなた。船乗りになる前は、何をしていたの」

「船乗りっていうか、こいつは、うちの用心棒みたいなもんでね。前にヴェネツィアに寄港した時に知り合って拾ったんだが。まあまあ、腕が立つんだよ」

 カルロスがスプーンを剣に見立てて、打ち合うふりをした。

「まあまあかよ」

「まあまあだよ。俺がまあまあって言ったら、褒めてるんだぞ」

「そりゃどうも」

 フレデリックは苦笑しながら、コンスタンティアが(おご)ってくれたキリッと辛口の白い葡萄酒のカップを掲げた。くすんだ銅製の盃を、カルロスも同じく掲げてコツンと縁をぶつけあう。

「船長さんなら、何か知ってるかしら。最近、パレルモの商人界隈(かいわい)で、おかしなことはない?」

「例えば、宰相レッチェ伯爵の名をかさに着て偉そうに無法を働く、さっきのゴロつきみたいな奴らのことかい?」

 察しがいい。コンスタンティアは黙って頷く。

 カルロスは白ワインを一口飲み、スライスしたナスの揚げ物と、脂の乗った赤身魚に黒コショウをまぶしてソテーした料理の皿をスプーンで軽くつつきながら、ふっと息をついた。声を少し落とす。


「こいつは単なる噂話なんだけどな。レッチェ伯閣下はヴェネツィアの商人と組んで、パレルモの商業構造を大々的に変えるつもりらしい。特にアラブ系の商人を追い払い、北イタリアの有力な商人の店と、そっくり()げ替えようとしてるんだってさ」

「でもアラブ系シチリア人は、きちんと税を納めて何年も前からずっとここで商売してきたのよ」

「そう。だからあんな嫌がらせをして、彼らを無理やり立ち退かせようとしてるわけ。すでにパレルモには、ヴェネツィア系列の有力な廻船(かいせん)業者やら両替商やらが移転して、幅を利かせてるっていう話さ。パレルモ大司教も、イスラム教徒の住人が減るのは神の思し召しと喜んで、黙認してるらしいぜ」


 癒着か。有力な商人と高位聖職者と政治家が、共通の標的として異教徒を迫害して、王都から強引に排除する。その後、残った土地を奪って利権を貪ろうとしている。

 だが、宗派や民族の違いなどにはこだわらず、シチリアの民には平等に行政の恩恵を与えると約束し、改革してきたのは、先々代の王の遺業(レガシー)だ。

 父王ルジェーロ二世の遺志を、グリエルモ一世も決して歪めずに、存続させてきた。政治を(かえり)みず、放蕩に過ごした失格者『悪王(イル・マロ)』と呼ばれようとも、兄はそこだけは、敢然と守り通した。

 ましてやその後継者で、『善王(イル・ブォーノ)』とも呼ばれているウィルが、今さらそんな政治の改悪を黙認したりするものか。

 夏の静養で狩りに出かけたなんて嘘だ。ウィルはそもそも狩猟を好まない。近衛兵を鍛錬する意味を兼ねた恒例の行事だとしても、秋ならともかく、大掛かりな巻き狩りを(もよお)すような時期ではない。ひょっとして、彼はわざと宮廷から遠ざけられているのではないか。

 それも、あのレッチェ伯タンクレーディの指図によって。

 ローマ教皇は、シチリアが異教徒を迫害もせず優遇するのを昔から白眼視していた。

 そんな教皇領から派遣されてきた新しいパレルモ大司教は、イスラム教徒を追い払う悪事に加担することをまったく躊躇しないだろう。

 タンクレーディはおそらくヴェネツィア商人からの(まいない)による資金援助で、他の宮廷貴族を横目に伸し上がって来た。

 ウィルを王宮外に追いやり、ジョーンは宮殿で軟禁状態にする。

 そんな横暴が通るほど、今のタンクレーディは力をつけているのだ。

 そこでふと、懸念を感じた。


「あなたたち大丈夫なの? さっきの大騒ぎのせいでこれから王府に目をつけられたりしない?」

「別に俺たちはパレルモに店を出してるわけじゃないし、しょせんは外国人だからな。客から配送を頼まれた荷物を船に積んで運んできて、空っぽになった船倉にまた新しい荷物を積んで帰る。日々その繰り返しさ。大丈夫。心配しなくてもあと数日で出航する予定だから。大して問題はないよ」

「ならいいけど。それまであんまり無茶をしないようにね」

「そういうあんたこそマズイだろ。護衛が三人ついてるからって、あんな乱暴な連中にガンガン突っかかって行っちゃ駄目だぜ。びっくりしたよ。なあフレッド」


 カルロスから逆に無謀だと心配され、注意されてしまった。相棒よりはずっと口数が少ないフレデリックも、生真面目な表情でそのとおりだと頷いている。

「何もなくて良かったが。もうあんな無茶はするな」

「そうだとも。こんなに若くて美人な修道女さんだったから、俺もつい加勢したけど。男の修道士だったら放置してるところだ」

 カルロスの女尊(じょそん)男卑(だんひ)な意見に、コンスタンティアは形の良い眉を片方だけ釣り上げ、(とが)めた。

「薄情ね。私が男だったら助けてくれなかったんだ」

「修道士を助けたところで、何にも旨みが無いだろ」

「修道女を助けたって、旨みなんかないわよ」

「いやいや、美人とこんなに旨い飯を一緒に食えるんだから、今回は十分に儲かった」

 カルロスは豪快に笑う。フレデリックの口角も上がっている。

「調子のいい人。―ねえカルロス。私、あなたと前にどこかで会ったことがある気がするのだけど」

「おいおいおいおい、もしかして俺、口説かれてる?」

「違うわよ、どうしてそうなるの」

「俺があんまりにも素敵でいい男だから、ほら」

 調子に乗ってはしゃぐカルロスを、フレデリックがたしなめた。

「ばーか。お前程度の顔した男、どこにでも転がってる。たぶん、他人の空似だろう。これといって特徴の無い、よくある顔だから、完全に人違いだ」

「お前なあ。天下の美男子、七つの海を股にかけるこのカルロス様に向かって、なんて失礼な言い草だ」

 ふざけて拳を振り上げるカルロスを、フレデリックは無視した。 

 コンスタンティアは頬杖をつき、無邪気に訊いた。

「七つの海を制覇したこと、あるの?」

「当然あるとも! ケルト海だろ、それに北海とアルボラン海に、バレアス海。ティレニア海に、地中海、イオニア海、アドリア海。それに忘れちゃいけない、エーゲ海だ! あれま、とっくに七つの海を越えてるぜ!」

 指折り数えて喜ぶカルロスの後頭部をフレデリックが軽く叩く。

「それは七つの海じゃないだろ。近場ばっかり回ってる」

「せめてアラビア海あたりまで行ってから自慢してちょうだい」

 二人に苦笑されても、カルロスはめげない。

「もちろん行くさ、そのうちにな。夢はでっかく大航海だ! 大西洋を一気に渡って、インドの果てまで踏破するぜ!」

「いいぞー、船長。その調子」

 フレデリックが気の抜けた声で適当に合いの手を打つ。

 カルロスはさらに調子に乗り、即興で歌い出した。

「世界の西から東の果てまで。夢はインドかジパングの都! 黒髪の美女を胸に抱き、黄金ごっそり手に入れる、俺たちゃ陽気な船乗りだー!」

「昼間っから酔っぱらうの、やめて」

 コンスタンティアが慌てて止めるが、カルロスの愉快な即興歌を聞いて、食堂にいた他の客は面白がり、やんやと喝采した。

「どーもどーも、みんな声援ありがとう!」

 (きょう)の乗ったカルロスは、ワインのボトルを持って他の客に酒を注いで回った。

 呆れながらも、変な人、とコンスタンティアは可笑(おか)しくなって笑うのだった。


第三章⑶に続きます

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