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第二章  疑惑

第二章 ⑴

 聖アガタ修道院は、シチリアの東部カターニア地方にある。ここは、シチリアで王都パレルモに次ぐ大きな都市だ。北側に目を転ずれば、活火山のエトナ山が勇壮にそびえ立つ。

 この辺りは古来から水はけのよい土壌に恵まれており、こだかい丘の斜面には葡萄畑やレモンなどの果樹園がある。平地では穀物が育ち、小麦や野菜の畑がどこまでもモザイク状に広がっている。

 聖アガタ修道院は、コンスタンティアが院長職に就任して以来、暮らしに困窮した女性達が救いを求める『駆け込み尼寺』としても機能するようになっていた。コンスタンティアは夫の家庭内暴力に悩む女性や、望まぬ結婚を拒否して実家を飛び出した若い娘たちを拒むことなく常に受け入れ、積極的に支援してきた。

 単に保護するというだけではなく、彼女たちがいずれ自力で生活ができるように、様々な教育を施した。 

 文字や算術を教えて、色々な仕事を与えた。町の工房から職人を呼んで陶磁器の作り方を教えてもらい、絹織物や刺繍など、地元の伝統工芸を習わせた。手に職がつけば、夫や家族に頼らなくても自活できるようになる。

 一人で生活できるようになるまでは、女子修道院が面倒を見る。

 普通なら、家を失った女ができる仕事は、売春ぐらいしかない。

 身売りしなければ人並みに生活できない悲しい女がいることを、コンスタンティアは見過ごせなかった。そんな世界は、正さねばならない。

 修道院の敷地内には、絹糸を生み出す(かいこ)を育てる養蚕所や、餌となる桑の葉を育てる畑がある。保護された女たちは、修道女たちと一緒に蚕の世話をし、絹糸を(つむ)ぐ技術を学んだ。

 質の良いシチリアの絹は、東洋の絹にも負けない特産品として重要な貿易品となる。修道女や村の女たちが丁寧に施した豪華な刺繍が、さらに品物の価値を上げ、都市へと売り出されていく。

 コンスタンティアは自分を頼って修道院へ逃げ込んできた女たちが、いつか独り立ちできるようになるまで世話をし、修道院で織り上げた絹や陶磁器などの工芸品を売って上げた収益のほとんどを彼女らの自立支度金として渡すのだった。

 手に職をつけた後、修道院を出て生まれた町に戻る女もいれば、知り合った村の男と結婚して、そのまま領内に残る女もいる。

 いずれの女も最初に来た時とはまるで別人のように自信を持ち、希望に満ちた表情をして女子修道院の門を出て行くのだった。


 コンスタンティアが修道女になったのは、若くして死んだ婚約者フリードリヒを弔うためでもあった。

 私はもう一生誰とも結婚しない。死んだフリードリヒの御霊(みたま)に寄り添って生きよう、と彼女は誓った。彼の亡骸(なきがら)は、遠くドイツのシュヴァーベン公領に眠っているけれど、コンスタンティアは彼の名を刻んだ小さな墓を修道院の礼拝堂に作り、毎日花を捧げて祈りを唱える敬虔な日々を送っていた。

 この十三年間、所用で修道院を離れる時以外は一日だってこの日課を欠かしたことはない。

 遺骨の眠らぬ空っぽの墓。話しかけても、もちろん答えはない。

 彼と直接会い、互いの目を見て言葉を交わせたのは、ほんの数日だけだったけれど。それでも彼は私の夫になる人だった。それが、あんな無念な亡くなり方をした。運命は本当に残酷だ。

 今になって思う。修道女になるのは、自分の天命だったのだと。

 王宮を去りここに来て、修道院長になって、コンスタンティアは自分の成すべき道を見つけた。悲しい境遇にある女性達の力になること。与えられた修道院と領地で暮らす人々の穏やかな生活を守ること。

 これこそが、私の天命であり天職なのだ。

 むしろ今では、この仕事を続けることこそ、フリードリヒへの一番の供養になる気がする。

 そして今。

 また新たな使命を天が私に授けたのだと、コンスタンティアは考えていた。



「やはり、直接ウィルと会って話をしようと思います」

 日が暮れて空に月が登る頃。コンスタンティアは、聖ロザリア修道院を訪れていた。院長のサウロ司祭と今後について相談する。

 聖ロザリアは、聖アガタ修道院と同じ会派に属す男子修道院だ。コンスタンティアが指揮する修道騎士団が所属している男子修道院でもある。これら二つの修道院は徒歩で数分で往来できる近い場所に建っている。

「彼には幾度も手紙を送りましたが、まともな返事がありません。どうやら書面では、らちが開かぬようです」

 ふむ……とサウロ院長は呟き、白い(あご)(ひげ)を押さえて物思いに(ふけ)る表情になった。

 本来なら、聖アガタ修道院を含む教区領地を治めているのは、司祭である彼なのだ。

 同じく院長の地位とはいえ、女性であるコンスタンティアはあくまでも『修道女』であって、叙階を受けた高位聖職者ではない。

 だが、出家しても王女である以上、身分は彼よりも上だ。よってサウロ司祭は彼女に常に敬語を用い、いつでも控えめな態度をとる。

 コンスタンティアも領主とはいえ、自分の立場をよくわきまえており、彼には敬語で話しかける。

「本当にウィルのもとに私からの手紙が届いているのかどうか、今ではそれすら怪しくなってきました」

 ウィルというのはグリエルモ二世の愛称だ。『グリエルモ』は、ラテン語で表記すると『ウィレルムス』となる。その略称がウィルである。ちなみにこれがフランス語だと、ギョームになり、英語ではウィリアムだ。語源を同じくする名称が、国によって発音がまるきり違ってしまうのが、西洋人の名の面白いところである。

 君主のことをウィルと愛称で呼べるのも、コンスタンティアが彼の唯一の叔母であるからだ。彼女はこの数ヶ月間というもの、何度も首都パレルモの王宮にいるグリエルモ二世に対し、海賊鎮圧を要望する手紙を送っていたが、明快な返答はなく、すべて梨のつぶてにされている。海賊行為はやむどころか、頻繁になる一方だ。

「これ以上、領民を略奪の被害にあわせるわけにはいきません」

 コンスタンティアが暮らす集落ですら、このありさまなのだから。他の沿岸地域への警備は大丈夫なのか。もしかしたら、もっと深刻な被害にあっている地区もあるのではないか……とすら心配になる。

 どうも宮廷の様子がおかしい。コンスタンティアはサウロ師に、近頃王府で変わったことは無いか、何か心当たりはないかと尋ねた。グリエルモ二世が、姉にも等しいコンスタンティアから送られた手紙を無視するなんて、今まで一度も無かったのだ。

 老司祭は、真っ白くなった頭部をゆっくりと左右に振った。

「わしも姫君同様に、俗世を捨てた身でありますからのう。王都の動静をこと細かには存じませぬ。しかしながら、近頃パレルモ大司教が交代なされたという話は存じております」

「大司教様が?」

「はい。それと宰相閣下も。大司教猊下(げいか)の交代と時を置かずして、辞任なされたとか」

 パレルモ大司教も宰相も、マルゲリータ王太后が摂政(せっしょう)時代に、親戚筋から呼び寄せて就任させた、身内も同然の側近衆だった。彼らは王府を支える行政機関の長官であり、シチリア全体の教会を治める聖職者だ。それが、王太后が病んで宮廷を留守にしている今になって、急に解任されたというのだ。

 ウィルが独断で決めたことだろうか。コンスタンティアは不審に思う。

「大司教の交代は教会の人事でありまするが、我がシチリア王国では、聖職者の叙任も罷免も、国王陛下が行われます。それが今回の異動、ローマ教皇庁からの強いお達しがあったらしく……」

「教皇聖下が、パレルモ大司教の人事に介入したというのですか?」

 あってはならぬことだ。

 シチリア王国では、かつてローマ教皇領で二人の教皇が乱立して正統性を争った際、対立教皇のアナクレトゥス二世を支持した。

 これによって、当時シチリア伯爵だったルジェーロ二世は、王号を名乗ることを対立教皇から許されたのである。

 その直後、アナクレトゥス二世が死去すると、前から神聖ローマ帝国が支持していたイノケンティウス二世が教皇の地位へと登った。彼に敵対する対立教皇を支持していたルジェーロ二世は、神聖ローマ帝国軍と教皇軍双方から、猛烈な攻撃を受ける。

 だが、無謀にも自ら遠征軍を率いてシチリアへの制裁を試みようとした教皇イノケンティウス二世は、逆にシチリア王国軍に捕らえられ、無様な捕虜となってしまう。

 釈放される条件として教皇はルジェーロ二世と和睦を結んだ。彼が王号を名乗るのを認めた上、シチリアが王国に昇格することを改めて全面的に許したのだ。

 その際にルジェーロ二世は抜かりなく、シチリアに属するすべての聖職者の叙任権は教会ではなく国王に帰属することを、教皇に固く約束させたのである。

 他のヨーロッパ諸国の君主が誰も持ちえない『代理教皇特使』という特別な権利を、彼だけが確立したのだ。

 高位聖職者の叙任権にかこつけ、教皇庁がたびたびシチリアへ内政干渉することは、断固として拒絶する。ルジェーロ二世の強い意志表明であった。

 それ以降、どんなに望んでもパレルモ大司教をローマ教皇が任命することは不可能なはずだった。

 この揺るぎない叙任権を、教皇庁が侵害したということは。初代国王が確立したシチリア王国の独自性を揺るがす一大事だった。

「それも、ウィルの意志なのでしょうか?」

「仔細は、わしにもよくわかりませんが。陛下のご意向でなければ、このような教会の人事はまかり通りますまい」

 確かにそうだ。いかにシチリアが政治顧問官や官僚を主体とする行政組織(システム)を採用しているといえども、君主の意見が絶対であることに変わりはない。ましてウィルはもう、飾り物の君主ではなく自らの手で執政を行っているのだから。

 ならばなぜ、私からの手紙に返事を送ってくれないの?

 ここであれこれ考えても仕方がない。答えは結局、一つだった。

「やはり、直接ウィルと会って話をしなければいけません」

 最初に司祭に伝えた言葉を、あえてもう一度繰り返す。

 それは心の底に潜む、コンスタンティアの王府に対する不信感の表れでもあった。


第二章 ⑵ につづきます

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