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仇を討つ

第九章⑶

 メッシーナの港には、教皇庁が所有する帆船が停泊している。

 パレルモ大司教は裏門から脱出し、港へ逃げ込むつもりだった。教皇のお膝元であるローマへ戻れさえすれば、いくらシチリア女王とて、自分に容易には手を出せない。

 だが、そうはさせまいとコンスタンティアが猛然と追ってきた。

「逃がさないわ、覚悟しなさい!」  

 自分を見据える女の眼光に憎悪を感じ、背筋に戦慄が走る。

「ええい、殺せ! あの女を殺せ!」

 護衛についてきた修道騎士に反撃を命じる。こうなったらもう、彼女がシチリア王女だろうが女王だろうが関係あるか。邪魔者は抹殺せよ。

 私を追いつめる者は教会の敵。つまり神の敵である。―あれは忌まわしき魔女だ。いや、悪魔(アンチ・クライスト)だ。

「いいから殺せ! 殺してしまえ!」

 錯乱し、血走った目でパレルモ大司教は叫んだ。

 コンスタンティアは馬に拍車をかけながら、ハインリヒの部下に借りた弓を構え矢をつがえた。手綱から手を離し、両足だけで馬を(ぎょ)しつつ行う騎射だ。弓弦を引き絞り、狙いを自分に向かってきた修道騎士に定める。

 放たれた矢は、標的の眉間に命中した。

 落馬していく敵を無視し、素早く別の矢をつがえる。

 パレルモ大司教の肩を狙って矢を放とうとするが、側面から長剣で斬りかかって来た修道騎士に阻まれて狙点を外し、矢は逸れていった。

 コンスタンティアも剣を抜いた。馬上槍試合さながらに、両者は馬を並走させながら激しい剣戟(けんげき)を繰り返した。これが試合ではない証拠に、修道騎士は殺意をもって猛烈な斬撃を繰り出してくる。

 相手の技量に攻めあぐねたか、刺客はコンスタンティアの馬の首を狙い切り裂いた。血の混じった泡を噴き、馬が横倒れになる。

 コンスタンティアは受け身を取って地上で一転した。反動で落下した弓を素早く拾い矢をつがえる。目の前に、馬を(あお)らせて前脚で踏み潰そうとする修道騎士が迫った。

 迫りくる(ひづめ)を避けて横へ転がりながら、コンスタンティアは狙いを定め、引き絞った弓弦を放した。喉を射抜かれ、修道騎士は目と口を大きく開けたままの形相で、鞍から落下していく。

 騎手を失った馬に駆け寄り、コンスタンティアは身軽に飛び乗った。

 パレルモ大司教が、ヘアピンのように急カーブする坂道を降りていく姿が一瞬見えて消えた。

 逃がしはしない。だがこのままでは距離が開く一方だ。

 コンスタンティアは手綱を強く握りしめた。先回りする方法は、一つしかない。



 闘牛のように暴れ、斧槍(ハルバード)を振るって幾人ものイングランド兵と帝国軍兵士を血祭りに上げ続けたタンクレーディだったが、戦闘はついに終盤を迎えていた。

 リチャードが放った投げ縄の輪がタンクレーディの首に見事にはまり、締めつけた。

 放牧中に興奮した牛を捕らえる手つきでリチャードはロープを絞った。同じくハインリヒもロープを投げてタンクレーディの胴体を両腕ごと縛りつけた。

 鞍の上で身を(よじ)り、なおも抗おうとするタンクレーディを二人がかりのローピングで馬から地面へ引きずり下ろす。

「どうする? このまま馬で別々の方向に引きずられて、胴からその首を引っこ抜かれたいか?」

 乗馬にその場で足踏み(ピアッフェ)をさせながら、リチャードが酷薄な表情で脅す。

「降伏しろ、タンクレーディ」

 負けを認めよと告げるハインリヒの言葉をさらに強調するかのように、リチャードが掴んだロープをぐいぐい引っ張ってタンクレーディの首を絞めた。

 馬で身体を二つ裂きにされて無様に殺されるなど、貴族たるものの死に方ではない。ましてや俺は、シチリア王を目指す武人だぞ。

「くそっ! ……クソガキどもがッ!」

 タンクレーディは敵将の二人を口汚く罵りながら地面に仰向けになり、何度も大地を蹴った。ひとしきり両足をバタつかせた後、ようやく諦めたのか、全身の力を抜いた。



 コンスタンティアは馬を止まらせ、崖の上から数メートル下にある坂道を見下ろす。

 婚約者を毒殺した憎い相手が逃げおおせようとしている姿に意を決し、彼女は手綱を引いてまずは馬を落ち着かせると、次の瞬間に馬腹を強く蹴り、崖の下めがけて一気に滑降していった。

 急な勾配(こうばい)を馬で駆け下り、いきなり目の前に飛び降りてきた騎影に、大司教は悲鳴を上げた。

 道の前方をふさいだコンスタンティアが高らかに言う。

「ここまでよ。いい加減に観念しなさい!」

 往生際が悪い大司教は、急いで馬首を返すと、元来た坂道を今度は駆け登り始めた。メッシーナの門へ戻る道ではなく、丘の頂上へと続く険しい坂道に向かって、大司教は闇雲に馬を走らせる。

 どこまで逃げるつもりだ、未練たらしい。眉を寄せ、コンスタンティアが追跡する。

 レンガや石で舗装された道はなくなり、灌木や雑草が生い茂る土がむき出しの荒れた斜面を駆け抜けていると、不意に大司教の馬が低く(いなな)き、前のめりに伏せた。もともと乗馬が得意ではない大司教が無理な速度で長時間走らせ続けたために、疲労で馬が音を上げたのだ。

 足を止めて休みたがる馬の尻を無残に鞭打ち、無理やり走らせようとしても、相手は言うことを聞かない。身を低くして、梃子(てこ)でも動かない状態になった。

「畜生が!」

 大司教が辛辣に馬を(ののし)っていると、ついにコンスタンティアが追いついて来た。

 蒼白になったパレルモ大司教は馬を捨て、二本の足で茂みの中を走った。

 急に目の前に夜空が広がり、大司教は立ち尽くして途方にくれた。

 そこは丘の端の断崖で行き止まりだった。崖から下には、険しい岩場があるばかり。さらに向こうには海が広がっている。

「おまえは、私の夫となるはずだった人を殺した」

 砂利が擦れる音を立てつつ。コンスタンティアが近づいて来た。彼女も馬から降り、片手で抜き身の剣の柄を掴んでいる。

「落ち着いて、話し合いましょう。あれはすべて、教皇庁の枢機卿団が私に命じたことで、決して私が望んだわけでは――」 

「おだまり。言い訳など聞きたくはない!」

 剣の切っ先を喉に突きつけられ、パレルモ大司教は息をつめた。

 コンスタンティアと向き合ったまま、彼はじりじりと断崖絶壁の端へ追いつめられていく。

「許してください。なにもかも認めます……! もしもあなたが私の命を救って下さるなら、レッチェ伯爵や教皇庁と内通していた全イタリアの貴族と聖職者たちの情報を、全部お渡しします! その代わりに、どうか命だけは!」

「そんなもの、自力で調べてみせるわ」

 さらにコンスタンティアは前へと一歩つめた。パレルモ大司教の後ろに逃げ場はもうない。

「許しを請うのなら私ではなく、まず神に懺悔(ざんげ)しなさい。そして、おまえがこれまでに(あや)めてきた罪なき人々全員に謝罪するがいい。――地獄へお行き!」

「うわあっ!」

 パレルモ大司教は崖から片足を踏み外した。

 落ちたら、死ぬ。観念して目を閉じた直後、落下寸前の危うい姿勢から勢いよく前に引き戻された。

 コンスタンティアが、両手で彼の右腕を掴んでいた。

 不安定な態勢からどうにか逃れて、前のめりに倒れ込む。両手を地面につき、激しく肩を上下させて震える大司教の無様な様子を、コンスタンティアは冷ややかな目をして見下ろしていた。

「お前の罪は、いずれ全て法廷で裁かれる。赤髭王――皇帝フリードリヒと、ローマ王ハインリヒが、お前にふさわしい苛烈な刑罰を下すだろう。覚悟しておきなさい」

 いっそのこと、今この崖から落ちて死んでいたほうがましだったと思うぐらい激しい拷問の末、最終的には命を奪われるに違いない。

 それが、コンスタンティアが決めた敵討ちの方法だった。

 背後から軽快な馬蹄の音が近づいてくる、遠くで彼女の名を呼ぶハインリヒとロレンツォの声がした。

「コンスタンティア!」

「ご無事ですか!」

 ハインリヒがここに来たということは、見事にタンクレーディを討ち破り拘束したのだ。戦は終わった。すべて、終わった――。


「私は大丈夫よ、そっちはどう?」

「リチャードと俺で、タンクレーディを捕らえた。まだ奴を殺してはいない。シチリア貴族の生殺与奪の権限は、女王である君にある」

 鞍上から飛び降りたハインリヒが足早に近づいてくる。その時、コンスタンティアの背後でうごめく不吉な影があった。

「うぉぉおおお!」

 常軌を逸した醜悪な表情で、パレルモ大司教が雄叫びを上げた。コンスタンティアの細い腰に両腕を回すと、大司教は彼女を引きずるようにして崖へと向かう。自分には、もう逃げ場がない。聖職者の身分を奪われ、過去の罪業を暴かれて行きつく先は悲惨な刑死だと悟った大司教は、コンスタンティアを道連れに死ぬ気だった。断崖から彼女と共に飛び降りようとする。

「!」

 奇妙な浮遊感覚に包まれてコンスタンティアが呆然となった時、 逸早(いちはや)く駆け寄って来たハインリヒが短剣を放った。短剣は大司教の額に突き刺さる。コンスタンティアを冥界へ連れ去ろうとしている死神の黒い腕の中から、ハインリヒは彼女を力づくで奪い返した。

 パレルモ大司教はただ一人、絶望に満ちた表情で、断崖の下へ落ちていった。

 短い悲鳴と、何かがぐしゃりと潰れた音のあと、辺りに静寂が訪れる。

 ハインリヒの背中にしがみつき、コンスタンティアは全身の力を抜いて膝をついた。

「もう大丈夫だ、奴は死んだ」

「そうね……」

 あれだけの罪を犯した悪党にしては、楽な死に方だとコンスタンティアは思った。

 脱力しきった体を強く抱きしめ安心させてやりながら、ハインリヒはなぜ彼女はあの大司教を捕らえることにこうも躍起(やっき)になったのだろうと、不思議に思っていた。


 本当の事情を何一つ知らされぬままで、ハインリヒは、夭折(ようせつ)した兄の仇を自らの手で討ったのだった。


第九章⑷に続きます

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