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弾む心臓

第八章⑸

 キエーザ子爵は、確かに自分は市長だが、メッシーナの無血開城について独断で決定できるほどの権限は持っていない。せめてもう一人、市議会議長を務めている聖職者、メッシーナ司教のヴァレッティにも相談させてほしいと訴えた。


「おそらくは司教も同意なさるでしょう。市議会議長が女王陛下に従い忠誠を誓ったとなれば、他の評議員がメッシーナの降伏方針に反対することはありません」

 確かに、市内で今後起こりうる後々の混乱やいらぬ反抗を避けるためにも、もう一人有力な参議を味方に取り込んでおくのは筋が通っている。

「わかったわ。こんな時間だけれどこれからすぐにメッシーナ司教ヴァレッティ師との会談の場を、あなたが取り持ってくださる?」

 次は不法侵入して脅迫するのではなく、穏便に話を進めたい。きちんと使者を通し、穏やかに司教の館を訪れ、師を説得するのだ。

「司教の館は、ここからそう離れてはおりません。すぐに会見の使者を出しましょう」

 キエーザ子爵の連絡で、メッシーナ司教と会見することがすぐに決まった。

 コンスタンティアたちは子爵の案内で司教の館へと向かう。


 夜半にも関わらず、ヴァレッティ司教は高位聖職者の黒い礼装姿で出迎えに立つと、コンスタンティアを居館に招き入れた。

 使者が訪問した時にはおそらく寝間着だったであろうが、着替える時間を与えられてよかったと、コンスタンティアは思った。

 高位の聖職者にとって―もちろん、貴族のキエーザ子爵とて同じことだが―礼装以外の姿を女王に見られるのは、ひどい恥辱だと受け止められかねない。

 司教は一同を応接間に案内した。

「ご用向きはすでに承知しております。わたくしはキエーザ市長と同じく、今後は全て女王陛下の思し召しに従う所存でございます」

 事前にある程度、使者から会見の内容とコンスタンティア陣営の要望を聞いていたのだろう。

 司教の返答は迷いなく、明快で素早かった。

「メッシーナ司教がそう仰せなら、私も一安心だ。それでは、私はすぐにも市街の門を開いて女王軍を迎え入れるよう、各所の兵士に手配して参ります」

 キエーザ子爵はそう言って、コンスタンティアの接待係を司教に任せた。

 想定していたよりずっと早く、しかもスムーズに交渉が済んでほっとする。もう少し手こずるのではと思っていたが、話は有利に運んだ。

 コンスタンティアは別動隊の兵士の一人をいち早く本陣に返し、ハインリヒに報告を伝えるよう命じた。メッシーナ無血陥落の吉報を彼も喜んでくれるだろう。

「陛下、あちらに少しばかりですが軽食をご用意いたしました。お付きの方々と共に、しばらくご休憩なさってください」

 司教の勧めで、応接間よりも若干小ぶりなサロンへと案内される。

 そこは窓の無い部屋で、アーチのかかった丸い天井には複雑なモザイク模様で装飾が施されていた。

 天井には木製の十字型をした大きなシャンデリアが鎖で吊られ、多くの蝋燭(ろうそく)が灯っている。

 ドーム型天井の境から壁にかけて描かれたフレスコ画も精緻で見事だ。

 白いクロスをかけた丸テーブルの上には、甘いビスケットの他、手軽につまめるブルスケッタなどが並べられていた。香ばしく焼いた表面にガーリックオイルを塗ったり、蜂蜜と混ぜた粒辛子(マスタード)を添えたフォカッチャや、切り分けた薄いバゲットの上に生ハムとチーズを乗せたもの、茹でた小エビのサラダなどもある。

 ロレンツォは油断なく剣の柄に手をかけ、室内を検分している。

 司教は陶器のボトルから金属製のゴブレットへ赤ワインを注ぐと、一つをコンスタンティアに捧げた。

「どうぞ、女王陛下」

 素直に盃を受け取ろうとしたコンスタンティアを無言で制し、代わりにゴブレットを受け取ったのはロレンツォだった。

 ロレンツォは、司教に酒盃を差し戻した。

「まずはあなたからどうぞ、司教(しきょう)台下(だいか)

「は?」

「女王の口に入るものに、いかなる害もあってはならない」

 毒味役をしろと言われた司教は目に見えて怯え、狼狽(ろうばい)した。

「どうなされた? 赤ワインは主イエス・キリストの血。ましてや、高位聖職者であるあなたが聖別したワインであるなら、何の危険もありますまい?」

 有徳の聖職者ならば、たとえ飲み物に毒が入っていようと祈りの力でそれを浄化し、無毒にできるという。

 身の潔白を(あか)せと言われた司教は、青くなって首を横に振った。

「う、いやその、わしは……」

「司教、まさか」

 コンスタンティアが眉を寄せる。用意された軽食や飲み物に、卑劣にも毒を盛ったと言うのか。

「お、お許しを……、 わしはただ、あの方の指示に従ったまで」

 ゆっくりと後ずさろうとした司教の頭上に、天井から音を立てて重いシャンデリアが落ちてきたのは、その時だ。

 悲鳴を上げた司教の頭上に、木製の十字型燭台が激突する。

 司教は頭を潰され、自身の血の池に俯せて動かない。

 危うく被害に巻き込まれかけたコンスタンティアを、ロレンツォが寸前でかばった。そのせいで、ロレンツォが多少の衝撃を受けた。


「ロレンツォ、怪我を?」

「かすり傷です、お気になさらず」


 コンスタンティアをかばった時、十字燭台の太い釘の先が腕を(かす)ったらしい。服地が裂けて血が滲んでいる。

「危ない!」

 ロレンツォはコンスタンティアを抱き寄せ、その場を離れた。

 彼らがいた場所に、壁の隙間から放たれた矢が突き刺さった。

 天井に幾つもの穴がパタパタと開き、今度は太い木の杭が次々に落ちてきた。巧妙に隠された殺人孔だ。

 ロレンツォはコンスタンティアを庇いつつ部屋の隅へ避けたが、他の何人かの部下は突然の攻撃にさらされて矢や杭で深手を負い、呻きながら倒れた。

「――まあ、どうせ気づかれるとは思っていましたがね」

 奥の部屋に続く扉が開いた。大勢の兵士を従えて小部屋に入って来たのは、案の定、パレルモ大司教だった。

「もうどこにも逃げ場はありませんよ。無駄な抵抗はなさらぬことを強くお勧めいたします」

 大司教が軽く手を振ると、長槍を構えた多くの兵士が、ぐるりと二人を取り囲んだ。槍の穂先の中心に追い詰められて、コンスタンティアとロレンツォは背中合わせに立ち尽くす。

 パレルモ大司教は、皮肉な笑みを片頬に浮かべた。

「キエーザ子爵が素直に門を開けに行ったのはなぜだか、お分かりですか? あなたの軍勢を引き入れるためではない。レッチェ宰相閣下の軍をお招きするためです。伯爵は間もなくメッシーナへお戻りになられます」

 この時間帯だ。勝敗が決していなければ、タンクレーディとハインリヒの軍は合戦を一時中断し、夜営地で休息をとっているはず。だが、あえて戦線を放棄してタンクレーディが帰還するとは。

 パレルモ大司教の笑みがさらに歪む。

「まだお判りになりませんか? 宰相閣下はあなたが別動隊を派遣したことなどとうにお見通しだった。少数部隊でメッシーナ攻略を企てているとお気づきになった閣下は、わざと市内の警戒を緩くし、あなたを陣地内へ誘き寄せたのです。予想通り、あなたは我らの手の内にまんまと飛び込んできてくれた。飛んで火に居る夏の虫とはあなた方のことだ」


 しまった。やはりハインリヒが案じていた通りになってしまった。タンクレーディはさすがに一筋縄ではいかない男だ。コンスタンティアは悔しくて歯噛みした。


 それを見て大司教は優越感を誇示する。彼の歪みきった笑みは、とうてい他人を(うやま)い慎みを守る聖職者と呼べる種類の表情ではない。   

「どうやら伯爵の城にも汚いドブ鼠が数匹忍び込んで暴れている様子ですが。あちらが排除されるのも、時間の問題です。あなたとジョーン王妃、お二人の身柄を確保できたおかげで、この先我らは優位な戦局に立てます。感謝申し上げます、女王陛下」

「そのしたり顔が、いつまでも続くと思ったら大間違いよ」

 女王の反論など、パレルモ大司教は意に介さない。

「頼りにしている神聖ローマ帝国の軍が、あなたの救助に動いてくれると思いますか。残念ながら、彼らの戦意は今後折れる。イングランドのリチャード王太子軍が本格的に攻勢に出ますので。なにせ、こちらはジョーン王妃の生命を握っているのだから」

 タンクレーディが陣営を引き払って下がる代りに、今後はイングランド軍が全面的に展開してハインリヒ軍の攻勢を阻むという。

 やられた。何もかも、タンクレーディの思うつぼだ。

 せめてカルロスが、メッシーナの門が開いている間にジョーンを連れて先に脱出し、ハインリヒと合流してくれればいいのだが。

 連絡が取れない以上、こちらの深刻な状況を彼らに伝えることはできない。

 万事休すか、とコンスタンティアは拳を握りしめた。

「さて、それではレッチェ伯爵の城までお戻りいただきましょうか。護衛の騎士の方はこちらへどうぞ。もちろん、武器はその場に捨ててもらいます」

 槍兵に(さえぎ)られ、ロレンツォと引き離される。ロレンツォはなお抵抗しようとするが、コンスタンティアが止めた。

「だめよ。今はおとなしく従って。ここであなたまで失うわけにはいかない」

「しかし」

「少なくとも、私はまだ殺されない。タンクレーディが私を必要としている限り、私の身は安全よ。だからあなたも死なないで。何が何でも生きのびることを考えて」

「院長……いや、女王の命とあらば」

 コンスタンティアの必死な説得にロレンツォも折れた。

 彼はただ悔しそうに目を伏せ、唇を固く引き結ぶ。彼女を守ると誓ったのに。

(うるわ)しい主従愛ですかな。たいへん結構なことです」

 嫌味を言う大司教をコンスタンティアは睨んだ。まるで下衆を見るような目で。

「ロレンツォを酷い目にあわせたら許さないわよ」

「この状況下で私に指図ができるとは、さすがは女王。お見事です」

 パレルモ大司教は皮肉を言い、部下に向かって顎をしゃくった。

 連れていけ、という合図だ。

 兵士が二人近づいて、両脇からコンスタンティアの腕を押える。

 せめてもの矜持(きょうじ)で、女王は背筋を伸ばすと、ツンと顎を上げて前を見据えた。兵士に連行されるというよりも逆に彼らを従えるように、胸を張って外へ歩き出す。

 司教の館の玄関を出てきた時、彼らは異変を知った。

 館の前に待機させていた多くの兵士が、全員倒されていたのだ。

「どうしたのだ?」

 さすがに驚き、顔を(しか)めたパレルモ大司教が身構えるよりも早く、夜陰から放たれた矢がコンスタンティアを拘束している兵士の喉を貫いた。

 それを見たロレンツォが、身体の前で縛られていた両腕を思いきり強く引いた。彼のロープを掴んでいた兵士を振り向かせ、膝蹴りを食らわせる。さらに組んだ手の側面で鼻を殴った。気絶した兵士の短剣を奪い、ロレンツォは器用に自分の手首を縛っているロープを切断した。斬りかかってくる別の兵士の間合いに入り、近距離から短剣で一閃する。喉を裂かれた兵士は苦悶の呻き声と共に倒れた。

 コンスタンティアを捕らえようとして駆け寄る兵士を矢継ぎ早の弓術で倒したのは、ハインリヒだった。

 あっという間に敵を制圧した彼は今、(はがね)の甲冑ではなく身軽で動きやすい丈夫な革の鎧を着ている。

「ハインリヒ!」

 どうしてここに。ほっとすると同時に強い驚きと疑問と困惑で、コンスタンティアの胸はせわしなく弾んだ。

 彼に出会ってからというもの、自分はいつもドキドキさせられてばかりな気がする。でも、それは決して嫌な感じではなかった。

「どうしても心配で、やっぱり追ってきた。来て良かったろ?」

 くしゃっとした前髪の下で彼の目が笑む。精悍(せいかん)な顔立ちの男が、そんな風に無邪気に笑うと、まるで悪戯(いたずら)っ子のようだ。そう、幼い頃の赤毛の少年の面影が、やはりある。

 懐かしさで思わず微笑んだ後、女王はハインリヒに尋ねた。

「でも、連合軍の指揮は誰が?」

 本陣の指揮はメルト子爵に任せてきたと彼は言った。子爵は副将の待遇だし、夜営の監督ぐらいなら彼に任せて大丈夫だろうと判断した。

 二人が語らう一瞬の隙を見て、パレルモ大司教が僧衣を(ひるがえ)し、夜の闇の中へ逃げていく。

 コンスタンティアが叫んだ。

「待ちなさい!」

「放っておけ。それより早く逃げるぞ」

 追おうとするのを、ハインリヒに手首を掴まれ止められた。

 コンスタンティアは迷ったが、今は安全な場所へ逃げるのが先と思いとどまる。

 彼は、兄であるシュヴァーベン大公フリードリヒが、あの男に毒殺された事実をまだ知らない。いま言うべきか、とコンスタンティアは一瞬迷い、それよりも先に伝えねばならない重大なことを思い出した。

「そうだ、大変。タンクレーディがメッシーナに戻ってくるわ。あいつ、私が別動隊を出すのに気づいていて、罠を張っていたの」

「え?」

「おやおや、そいつは一大事」

 軽い口調で言ったのはカルロスだ。いつの間に司教の館へ着いていたのか。彼は館の前庭で転がっている大勢の兵士の死体を見て、軽く口笛を吹いた。

「やるなあ、大将。野戦では俺といい勝負だ」

「余裕ぶってる場合じゃないわよ。タンクレーディは前線の指揮をリチャード王太子に任せて、ハインリヒがいない本陣に奇襲攻撃をかけさせるつもりよ。メルト子爵では、きっと彼に敵わないわ」

 相手は名だたる戦上手だ。しかも夜陰にまぎれて陣に奇襲と総攻撃をかけられたら、シチリア貴族と神聖ローマ帝国の連合軍は、無惨に瓦解(がかい)してしまう。

「イングランド軍が、中でもリチャード王子がめっぽう強いってのは、本当だが――。今回に限って、それは無い」

 カルロスがはっきりと断言した。

「どうしてそう言い切れるの。向こうはまだジョーンがタンクレーディに捕らわれの身だと思ってる。妹のために、彼はきっと本気で戦うわ」

「そうだな。それはもちろん、本気出すだろうなぁ」

 カルロスはうんうんと頷きながら、ハインリヒに目配せした。

 ハインリヒはというと、複雑な表情でコンスタンティアから目をそらした。なぜだか笑いをこらえるように、手で口元を隠している。

「それじゃ、そろそろ向こうに合図を送ろうかね」

 カルロスは(ふところ)から長い筒状の狼煙(のろし)を出して、支柱を地面に突き立てた。筒の雷管の紐に火をつける。それは通常の狼煙と違い、打ち上げ花火の構造になっている。火薬が信号弾を飛ばし、空中で炸裂した。赤や黄色の派手な色合いの火花が開き、虚空できらきらと輝きながら舞い散った。

「ジョーンなら先に安全なところへ避難させた。俺の妹(・・・・)は、あんたと違って、肉弾戦があんまり得意なほうじゃないんでね」

「妹、って――それじゃ、あなた……?」


 にやりとカルロスは笑った。いつもの不敵な船乗りの表情で。


第九章へ続きます

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