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第七章  双頭の鷲

第七章⑴


 両手持ちの長剣を構え、コンスタンティアは荒い息をついた。

 兵士を三人は見事に倒した。コンスタンティアの剣の技量が予想以上に高いと見て、生き残った二人の兵士は戦術を変えた。

 正面からやみくもに打ちかからず、側面や背後から交互に波状攻撃をしかけてくる。彼女を先に疲労させ、体力が尽きたところで一気に攻勢をかけるつもりだ。

 何度目か、もう数えるのが面倒になったねちっこい攻撃を剣先で受け流すと、二人の兵士から間合いを取って、コンスタンティアは肩を激しく上下させた。

 少しだけ、息を整える時間ができた。

 汗が目の中に流れ落ちてきて、ひどく()みる。

 身軽さと俊敏さが剣士としての彼女の最大の武器だが、ここまで疲労が蓄積すると、さすがに足の動きがおぼつかなくなってくる。

 向こうもそれを狙っているのだ。長期戦に持ち込んで、そのうち彼女が自滅するのを待っている。

 長剣の柄を握り直すと、コンスタンティアはにじり寄ってくる兵士二人を交互に威嚇した。唾液が乾いて、もう口の中がカラカラだ。肩や二の腕には切り傷が、頬には擦り傷ができて血が滲んでいる。

 兵士は彼女がようやく消耗してきたのを見ると、強気になってわざと大振りな攻撃をしかけてきた。

 振り下ろされた剣を()けず刃で受けると、兵士は力技で押し込んできた。たまらずに後退すると、もう一人の兵士が背後に回り込もうと動く。

 挟まれたらまずい。

 向かい合って力で押してくる兵士の剣を、軽く腕を下げることでわざと外す。つんのめって倒れ掛かった兵士から身を(ひるがえ)し、振り返る勢いのまま剣を構え、背後から斬りかかってきた兵士の攻撃を受け止める。

 そのままつば迫り合いに持ち込むつもりが、打ち込まれたときの衝撃が強く、コンスタンティアの手首が痺れた。

 彼女の剣は相手の剣によってついに弾き飛ばされてしまった。長剣は円を描きながら遠ざかると、はるか後方の地面に突き刺さった。

 この隙を逃さじと、猛然と斬りかかってくる兵士の斬撃を避け、コンスタンティアは身を伏せながら横に飛んで、素早く回避した。

 受け身を取って着地し、両者とかなりの間合いを取る。

 だが、もう手元には武器が無い。


(ここまでか)


 兵士がゆっくりと歩いてくる。勝利を確信した表情で。

 コンスタンティアは海を見た。卑しい兵士どもの手にかかり、嬲り殺しになるぐらいなら、あの美しい海に身を投げて死のう。自殺は罪だ。けれども誇りを守るためなら、神とてきっとお許しくださる。

 もういいじゃないか。抵抗するよりいっそ死んだほうが楽かもしれない。コンスタンティアは膝をついた。

 武器を手に近づいてくる兵士らの姿を見ながら、口元に微笑が浮かぶ。死ぬのは別に怖くない。神のもとに召されるだけだから。

 私が死んだら、お兄さまやフリードリヒに逢えるかしら。それと、フレデリックにも……。

 彼らと逢える。だったらなおさら、怖くはなかった。

 いつしか薄靄(うすもや)が晴れて、夜が明けかかっていた。メッシーナ海峡に朝日が昇る。青い海原が(あけぼの)の黄金に染まりゆく。

 こんなに綺麗な朝焼けを見ながら死ぬのならのは、そう悪くはない。


 ひゅん、と風切羽の音がした。手前の兵士の首に、側面から矢が突き刺さった。


 地面を力強く蹴る複数の蹄の音が響く。朝焼けの中、もうもうと土煙を上げて街道に駆けつけた騎馬隊の一団が、コンスタンティアを取り囲んだ。

 剣を構えてコンスタンティアを狙っていた兵士を、馬上の騎士が斬り伏せた。兵士は首から血を噴き出し、地面に倒れた。

 誰、とコンスタンティアは朝日の下で両目をすがめた。逆光で騎士の顔が見えない。

 まさか、タンクレーディが派遣してきた別動隊だろうか。それにしては兵士の装備がシチリアのものとはどことなく違うような気がする。


「院長! ご無事ですか」


 よく聞きなれた声だった。呼びかけられたコンスタンティアは、嬉しさで目を(みは)る。

 さっき兵士を切り倒した騎士が馬上から飛び降りた。呆然と膝をついたままの彼女に駆け寄り、しっかりと肩を支える。

「まさかお怪我を? 立てますか」

「ロレンツォ……!」

 修道騎士のロレンツォだった。なぜか今、彼は修道服ではなく軽い革製の胴鎧を身につけていた。コンスタンティアが見知らぬ複数の騎士を従え、救援に来てくれたのだ。

 コンスタンティアは今度こそようやく助かったのだと実感した。これでもう大丈夫。心の底から安堵して、彼の肩に身を預けた。




「ローレンス卿のお戻りです!」

 なだらかな丘の(ふもと)に、複数の大きな天幕が張られている。幕舎の周りで警戒にあたる若い兵士が発した言葉は、イタリア語ではなくドイツ語だった。

 よく見れば、騎兵が着込んだ武装もドイツ地方の軍隊仕様だ。

 昨夜タンクレーディの城から脱出した後ロレンツォに救助され、彼らと一緒にタオルミーナにほど近い丘稜地帯まで到達したとき、時刻は正午を少し過ぎていた。

 タオルミーナは、メッシーナから南へ下ったところにある山岳都市で、カターニアに至る道筋のほぼ中間地点だ。

「ローレンス卿?」

 とコンスタンティアが(いぶか)しがると、

「母国では、そう呼ばれていたのです」

 至極あっさりとロレンツォがラテン語で答える。

 コンスタンティアは彼の本名を知って驚いた。

「あなたがドイツ出身だなんて知らなかった」

「そうですね、話さないようにしていましたから」

 幾つかの天幕の前を通り過ぎ、野営陣地の奥まで進む。もっとも大型の天幕の前まで案内されると、ばっ、と勢いよく幕舎の戸布が開いた。

 中から出てきた人物が、大股にコンスタンティアに近づいて来た。

「よう! 尼さん(スオーラ)、無事だったか!」

「カルロス!」

 コンスタンティアは思わず笑顔になった。ロレンツォと再会したときと同じぐらい、緊張感が解きほぐれるのを感じた。カルロスには、人の心を無性に安心させてくれる、独特の空気感がある。

 両手を広げるカルロスに、コンスタンティアは満面の笑みで抱きついた。友人同士のハグ。温かな腕が背中に回り、優しく肩を叩いてくれる。

 彼はいま、若い船長風の身軽で小洒落(こじゃれ)たチュニックではなく。ロレンツォと同じ様に動きやすい革製の鎧を着こんでいた。それが意外と似合っている。

 大きな手が、コンスタンティアの泥で汚れた頬を挟んで叩いた。

「あんたがレッチェ伯爵に捕まったって聞いた時には、正直言ってヤバイと思ったぜ。大丈夫か? まだ処女だろうな?」

「ばか!」

 軽口にしては笑えないし、ユーモアとしても程度が低い発言だった。それでも本気の軽蔑の対象にならないのは、彼の人徳だ。

 コンスタンティアは彼に平手を食らわす代りに、沈痛な面持ちで訃報を告げた。

「カルロス、ごめんなさい! 私のせいでフレデリックが……」

「あん? あーはい、フレデリックね。そう気にするな。あんたのために死ねるなら、あいつも本望だったろうさ」

「なに言ってるの、友達なんでしょう!」

「いやいや、問題ないって。マジで」

 相棒が無惨に殺されたというのに、カルロスは平気でへらへらと笑っている。

 コンスタンティアは目の端に涙を浮かべて戸惑った。何なのだ、この意外な反応は。もっとこう、一緒に嘆いたり怒ったり、悲しんでもらえると思っていたのに。

「まったく、奴も罪な野郎だよ。こんな美人を泣かせて、死を悼んでもらえるなんて、(うらや)ましい。男冥利(みょうり)に尽きらあ」

 陣営の出入り口あたりで、馬の(いなな)き声が騒がしくなった。兵士が大勢集まってくる。秩序立った陣地全体が不思議な熱気を帯びていく。

「噂をしてりゃ、(やっこ)さん戻って来たぜ」

 ほら、とカルロスに強く背中を押された。


 わけもわからずにコンスタンティアが前に進むと、兵士がそっと道を開けた。陣地の外には数百の、いや、千に近い数の武装兵士が集まり、将軍から訓令を受けていた。

 居並ぶ多くの騎兵を前に指示していたのは、ぼさぼさで収まりの悪い、赤みがかった金髪を持つ背の高い将校だった。

 コンスタンティアは、信じられない思いで彼の名を呼ぶ。

「フレデリック……?」

 少し(かす)れた小さな声を、フレデリックは聞き逃さなかった。

「コンスタンティア!」

 彼は馬からひらりと身軽に飛び降りた。周囲の兵士が自然と彼に敬礼を捧げる。

「ローレンス、よくやった! 礼を言う」

「いえ、王女殿下は自力で脱出なさったのです」

 フレデリックはまだ呆然と立ち尽くしているコンスタンティアに駆け寄ると、彼女を両腕で強く抱きしめた。

「よかった、無事で……。本当に良かった」

 それはこっちの台詞(せりふ)だろう。コンスタンティアは、これが夢ではないことをようやく実感した。生きてた。彼は生きていた……。

莫迦(ばか)、私をこんなに心配させて……」

「ごめん」

「嘘みたい。無事だったのね……良かった」

 広い背中をぎゅっと抱きしめ返す。ほっと安堵の息をついた時、彼の肩越しに(ひるがえ)る無数の軍旗が見えた。風ではためくその紋様は。


双頭の(ディケファロス)(・アエトス)……?」


 思わずギリシア語で呟いてしまう。その旗に込められた意味を間違えるわけがない。あれは紛れもなく、中欧ドイツ諸国を治める神聖ローマ帝国の紋章だった。

 再会できた喜びでふわふわしていた頭が、一気に冷静になった。

 コンスタンティアは、フレデリックの革鎧で覆われた胸板を強く押し返した。

「どういうこと。これは何なの。この軍勢は―。いったい何が、どうなってるの」

 数々の疑問と共に、喉をせり上がってきた言葉が上ずる。

「あなたは、誰?」

 困った表情でフレデリックは向こう側にいるカルロスを見、次にロレンツォを見た。

 仕方がない。ロレンツォが一歩前に進み出ると、片手を胸に当てた。フレデリックに臣下の礼を取りながら、コンスタンティアに真実を告げる。


「恐れながら私がご紹介いたします。こちらの御方は皇帝フリードリヒ陛下のご次男、神聖ローマ帝国の皇太子にして、現ローマ王。ハインリヒ殿下にあらせられます」


 ローマ王とは、本来ならドイツの選定侯による選挙で選ばれる神聖ローマ帝国皇帝の『次期継承者』と公式に認められた者が有する称号だ。

 コンスタンティアはとっさに両手で口を覆う。そうでもしないと、あやうく変な声を上げそうになった。

「ハインリヒ……? 赤毛の、小さなハインリヒ?」

 驚きのせいか、ちょっと舌ったらずな発音になった。Hの発音が抜けて『アンリ』に近い音に聞こえる。

 フランス語みたいな鼻にかかった甘い響きがやけにおかしくて、フレデリックは―ついにその本当の名を明かしたハインリヒは、相好(そうごう)を崩した。

「そうだな、昔はもっと、色が濃かったかもしれない」

 父親譲りで収まりの悪い赤毛は、成長するにつれて少しずつ色あいが変わり、今では赤っぽい金髪になっていた。

 シュヴァーベン大公フリードリヒの弟は、兄の婚約者であるコンスタンティアに対面するなりすぐに懐き、いつも元気よく後ろからついてきた。

 コンスタンティアが記憶するのは、色白で、鼻の先にたくさんのそばかすが散らばる痩せっぽちの皇子様だった。威勢はいいが、手足ばかりが長くてひょろっとしていた。

 彼女の思い出の中で、永遠に小さな少年の姿だったハインリヒ。

 今の彼は昔と大違いだ。そばかすは消えてなくなり、あんなに細かった手足は均整が取れ、見事な筋肉質になり、青白かった肌は健康的に日焼けして、見上げるほどに身長が伸びた。

「背が伸びて、立派になって、そばかすもすっかり無くなって……。それに、もう赤毛じゃないのね」

「別に俺は、髪の色なんてどうでもいいんだが」

「待って、ちょっと待って。いま私、すごく混乱して―」

「だよな、無理もない」

 ハインリヒはひたすら優しく微笑むと、コンスタンティアを奥の天幕へいざなった。


「説明する。全部話すから、落ち着いて聞いてほしい」


第七章⑵に続きます

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