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簒奪者

第五章⑶

 日が暮れて、コンスタンティアは彼女のために整えられた客間で過ごしていた。

 午後まで見舞った王太后は、持病の病の進行と共に加齢による認知症の症状が徐々に出始めているらしかった。今日もまるで童女のように、無邪気な笑顔を彼女に向けた。会話はどうにか成り立つが、見当識には多少の混乱が見られ、王国の深刻な現状を相談できるような状態ではなかった。彼女は自分が今、母国のナバラ王宮にいるのだと思い込んでいるようだった。

 今日はね、お母様のために薔薇の押し花を作ったの。アネットが、お庭で摘んできてくれたのよ。お部屋にもたくさん飾ってあるわ。ほぅら、とってもきれいでしょう。

 コンスタンティアを前にして子供のように機嫌よく、王太后はにこにこと話した。

 寝台の脇や鏡台の傍らに置かれている花瓶には、もっさりとした大振りの夏の薔薇が活けられていた。部屋を漂う花の香気はかぐわしいが、コンスタンティアが過去に良く知っていた、あの快活で知的だったシチリア王妃の面影は、もうそこにはなかった。

 療養中ずっとやり取りしてきた手紙では、まさかここまで病状が悪化しているとは、読み取れなかったのだが。


「姫様からのお便りを、陛下はいつも、それはとても楽しみにしておいででした」

 長年マルゲリータに仕えている侍女のアネットが、控えめに語る。比較的症状が安定している時は、以前のように明敏な様子で他者とも会話し、日常生活を送れるのだが。ここまで極端に『子供返り』してしまったのは、つい最近のことなのだと、アネットは説明した。

 夕方までは王太后の部屋でとりとめのない話を聞いて過ごした。そろそろお薬の時間ですので、とアネットに言われたのをきっかけに、客間へと引き上げてきたのだ。


 メルト子爵は、王太后が息子の死を知ればどれほど悲しむか、と案じていたが。あの状態で、ウィルの死をきちんと受けとめる事は彼女には無理だろう。―いいえ違う。コンスタンティアは客間でひとり、首を振る。まだウィルが死んだと決まったわけではない。そんなに結論を急ぐな―。フレデリックが、きっといい知らせを持って帰ってくるはず。それまでは、先走って物事を悪く考えないようにしないと。

 部屋に運ばれて来た食事にはまったく手をつける気にもなれず、彼女はずっと窓際に(たたず)んで外の風景を見ていた。

 ここからは、城壁の裏側に広がる暗い森しか見えなかった。フレデリックはそろそろパレルモ市に着いた頃だろうか。この城からだと、馬を休ませながら駆けても王都まで半日以上はかかるはず。

 控えの間の向こうで人の足音がした。それも複数だ。客間つきの召使い達の挙動ではない。彼らは物音を立てずに歩くよう訓練されている。奥の通路を渡ってくる者達は、遠慮もたしなみもなくずかずかと靴音を響かせ、こちらに向かって足早に歩いてくる。

 まさか、もうフレデリックが戻ってきたのかしら。それにしてはずいぶん早すぎる。

 ――もしかしたら、戻る途中でカルロスたちと合流できた?

 コンスタンティアは窓辺を離れ、自ら居間の扉を開いた。

 口元に浮かびかかっていた喜びの笑みが、瞬時に凍りつく。

 そこに立っていたのは、フレデリックではなかった。

 目の前で尊大に笑う男を見つめ、彼女は表情を強張らせた。


「生きておられましたか! あなたの安否を案じ、昨夜は眠れませんでしたぞ」


 どうして、おまえが、ここに。

「タンクレーディ……」

 怒りと憎しみを(あら)わにした表情で、コンスタンティアはすでに『敵』と認識した男を見上げた。タンクレーディは大股で一歩前に踏み出し、部屋の中へ入って来た。

「あの粗野な若造のせいで、あなたが海の泡となり消えてしまったかと思うと、生きた心地がしなかった。ご無事でなによりです」

 猛然とコンスタンティアは詰め寄った。

「ウィルに何をした! おまえが殺したのか!」

「まさか。陛下は(やまい)にて、お亡くなりになられました」

「嘘だ! そんなわけがない。急な病など、絶対にありえない!」

 いつも物静かで落ち着いた性格だが、決して病弱ではなかった。健康だったし、まだ二十八歳という若さだ。こんな突然に病などで倒れるわけがない。ジョーンだって夫の無事を信じて待っているに違いないのに。

「あなたがそれほど混乱されるのも無理はありません。お気の毒です。しかし、どうぞご心配あそばしますな。今後は何ごとも、このタンクレーディがお引き受けいたしますゆえ」

「何を言っている……。お前に任すべきことなどありはしない!」

「陛下亡き後、王国の(まつりごと)(つかさど)る者が必要です。あなたの面倒も、これからは全力で見てあげましょう。私があなたを守ってあげます。この先ずっと」

「いらぬ世話だ。お前は王位を狙っているのか。庶子のお前など、諸侯がシチリア王として認めるものか!」

 初めて、タンクレーディの目の中に不快感が走った。古傷の痛みをこらえるように、左目の下に小さくしわを刻む。

「庶子、ね……。確かに私は幼い頃から周囲の者達にそう言われ、正式な王族としては認められず、宮廷貴族にも(さげす)まれてきた」

 辛酸(しんさん)を舐めた幼少時代を振り返り、彼は歪んだ笑みを浮かべた。

「だがこれからは違う。みなが私を君主として認めることになるでしょう。無論私には王位を継承する根拠がいる。先々代の王の孫であるという事実もあるが、それだけではまだ少し足りない。もっと正当で、確実な理由がいる。―ゆえに私は、あなたと結婚するのだ」

 求婚された当人は、頭が一瞬真っ白になった。

「馬鹿げてる。何を言ってるの―」

「今ではあなたが、唯一の王家直系の正統な後継者だ。私はあなたと結婚することで、シチリア王の座を確固たるものとする。どうです。これなら諸侯とて、誰も反対はできないでしょう」

 あまりに急すぎる展開に、怒りや驚きを(はる)かに通り越し、コンスタンティアは笑ってしまった。

「あは……、はははっ」

「何か、面白いことを申し上げましたか」

 彼女は乾いた笑いを飲み込んで、不思議そうに問う『甥』に返答する。

「馬鹿なことを。おまえは妻帯しているし、私は修道女だ。第一、私はおまえの叔母。結婚などできるわけがない!」

「それはどうとでも片がつく。要は、手続き上の問題です」

 叔父と姪の結婚など、王室内ではさして珍しくもないのですから。甥が叔母を(めと)ったところで大して問題にならないでしょう―。平然とそう答え、タンクレーディは自己弁護した。

 手続き上の問題も、現在の妻との結婚を無効にし、コンスタンティアを還俗させればいいだけ。タンクレーディはそう考えている。おそらく以前から結託しているパレルモ大司教は、理に適う理由をでっちあげて彼を独身に戻すだろう。近親婚すら(いと)わずに、神をも恐れぬ暴挙だった。

 コンスタンティアは冷然と言い放った。

「ありえないわ。お前の妻になるぐらいなら、今年生まれたばかりの赤ん坊と結婚するほうがまだましよ」

「おやおや、貴女は年下の男のほうがお好みでしたか。たとえば、あの素性の知れないぼさぼさ頭の騎士崩れとか?」

 フレデリックを侮辱された気がして、コンスタンティアは頭がカッとなった。

「だまれ。彼を愚弄するのは許さない」

「怒った顔も何と美しいことか。あなたは男の価値をご存じない。私があなたに、真の男の強さと、女の歓びを教えてあげよう」

「お断りだ」

 徐々に近づいてくるタンクレーディから身を引きながら、コンスタンティアは武器を探した。手近には剣がない。しまった。せめて短剣ぐらい、常にベルトに挿しておくのだった。この城内なら安全だと油断しきっていた。

 そこへ、数名の騎士を伴ったメルト子爵が入って来た。

 天の助けだ。コンスタンティアは声を張り上げた。

「メルト子爵! この男をすぐに捕らえよ。彼は国王を暗殺した。王位簒奪(さんだつ)をもくろむ国家反逆罪である!」

 メルト子爵は心から申し訳なさそうに目を伏せた。その表情は、コンスタンティアを絶望させるものだった。

「ベルマーレ、何をしている」

「申し訳ありません。どうかお許しを、姫さま」

 くっくっ、とタンクレーディが喉を震わせ、楽しげに笑った。

「聡明な殿下ならば、もうお分かりでしょうに……。あなたがここにいると、彼が私に知らせてくれたのですよ」

 あなたが海上で消えた後、私が各地に急使を送って捜索を命じたのです。もし王女を発見したら、ただちに報告するように、とも。

 タンクレーディの発言で、足元が崩れ落ちていく感覚がした。

「どうして……」

 かつて兄王の忠臣だったおまえが、なぜ私を裏切る。その上、逆賊タンクレーディに協力するだなんて、どうしてなの。

「メルト子爵。(けい)が今後も私に忠節を尽くすなら、可愛い孫娘がトルコの後宮(ハレム)へ売りに出されることはない。安心せよ」

 ぎりっ、とメルト子爵は唇を引き結び、奥歯を噛み締めた。

 孫娘を。彼の親族を人質にして、強制的に服従させているというのか。

 そのようにタンクレーディに無理やり屈服させられた貴族が、現在のシチリア宮廷を構成しているのだとしたら―。王都の貴族たちに助けを求めたとて、無駄だ。


 それでもコンスタンティアは、希望を捨てずに敢然と反論した。

「私には、まだ信頼できる仲間がいる。お前の卑劣な野望など、必ず阻止してみせる」

「あの若造があなたを助けにきてくれると。まだ信じておいでか?」

 冷ややかな笑みを浮かべ、タンクレーディは彼女を(あわ)れむ。次にメルト子爵のほうをちら、と横目で見た。

「殿下に詳しく説明してやるがいい、子爵。あの男は、どうやって死んだのだ?」

「彼が山を降りる前に私と部下が襲い、崖から突き落としました」

 コンスタンティアは今度こそ凍りついた。体の奥で、血の気が一気に引いていく音がはっきりと聞こえた。心臓がおかしな調子で跳ねる。

「あの絶壁の高さから落ちて生きていられる猛者(もさ)はおりません。死体を拾いに行くのも難しいので放置しましたが、確実に死にました。今頃は、狼どもが群れて、骨の髄までしゃぶっているでしょう」

「念のために、私も付近まで下りて死体を確認しましたがね。あいつは首が変な方向に()じれ、頭がぐしゃぐしゃに潰れていましたよ」

 勝ち誇ったタンクレーディの声が遠い。

 フレデリック――そんな、嘘でしょう、フレデリック。

 コンスタンティアは、わなわなと震えていた。

 別れ際に見た彼の表情が。漁師小屋の中で過ごす短い時間に知った、照れ屋な青年の素顔が。嵐で揺れる船の上を駆け、コンスタンティアに手を差し伸べた時の意を決した険しい表情が―繰り返し、彼女の目の前に浮かんでは消えた。


 彼が、死んだ。殺された。もう二度と会えないなんて……。


 あの時子爵は城の敷地周りを偵察してくると言って出かけた。あれはフレデリックを追跡し、襲撃するための嘘だったのだ。背後から奇襲されて、彼は抵抗するもむなしく崖の下へ突き落されたのだ。なんというむごい死に方……!

 彼の血まみれの死体に狼が食らいついている情景が頭に浮かび、コンスタンティアは両手で顔を覆った。耐え切れず、叫ぶ。

「なんてことを―、おまえは、なんてひどいことを……!」

 コンスタンティアの目に浮いた涙は、激しい怒りの熱で蒸発した。「

「許さない! 私がおまえを殺してやる!」

 彼女の怒りは直接手を下したメルト子爵ではなく、彼にフレデリックを殺せと命じたタンクレーディのほうに向かっていた。

「いい目をする。その気の強さ。それでこそシチリアの女王―。俺の妻となるのに、ふさわしい女だ」 

 タンクレーディは部下に命じた。

「馬車の支度をしておけ。明日の朝、王女を我が城へお連れする」

「私と本気で結婚するなら、覚悟しておくがいい。必ず私がお前の寝首をかいてやる、いや、今からだって殺してやる!」

「素晴らしい。元修道女のお言葉とは、とても思えません」

 楽しそうに笑って、タンクレーディは手を叩いた。いちいち人の神経を逆撫でにする男だ。

 まるで飼い猫が興奮しているのを眺めるみたいな余裕でいたが、彼は不意に、表情を冷淡に改めて言った。

「面白いが、状況をいま少し考えられよ。王太后はあのざまだから、生かしておいても別に問題はないが―」

 コンスタンティアは、ぎくりとなる。療養中の王太后は、もはや障害にもならない。だから生かしておいてもいいが、もし私の気が変われば、彼女の命はどうなると? 

 タンクレーディは、暗にそう言って脅したのだ。

「そうそう、カターニアには、私の部下を派遣しましたよ」

「え?」

「ジョヴァンナ王妃を(かくま)うとしたら、あそこしかないでしょう。私がやれと命ずれば、あなたの教区領地を兵士が襲撃し、村には火を放つ。そういう段取りになっています」

「やめて! それだけは!」

 領民たちが虐殺される。修道院にいる人々も、兵士から手酷い扱いを受けて殺されてしまう。それにジョーンがまた捕らえられたら。

 コンスタンティアは蒼白になった。大事な人が自分のせいで殺され、傷つけられる。そんな事態には、もう耐えられない。

「ならば今後は言動に少し気をつけられよ。私は寛大な男だがそれも時によりけりだ。あなたが私に従順であればこそ、です」

 瞬きもせず、タンクレーディはコンスタンティアの目の奥を鋭い視線で射抜くように見つめると、酷薄に告げた。

 誰が寛大な男だ。この鬼畜の異常者―。コンスタンティアは、しかし今度ばかりは言い返せず、無言で睨みつけることしかできない。


「それでは、今宵はここでお休みください。明日の朝、私がじきじきにお迎えに上がります」

 宮廷人らしい隙の無い所作で、彼は優雅に一礼した。

 時刻も遅い。タンクレーディもこの城内に滞在する気なのだろう。

 少なくとも、今夜はコンスタンティアを一人にしておいてくれるつもりらしい。

 メルト子爵と部下を引きつれ、タンクレーディは去った。扉の外から鍵がかかる音がした。さっきまでは自由にどこでも歩き回れたのに、もう自分は虜囚の身なのだ。

 ぺたん、とコンスタンティアは床に座り込んだ。

 孤立無援で途方に暮れる。あの男の妻になるなど反吐(へど)が出る。絶対に嫌だ。絶対に、死んでもいや。

 でも私が逆らったら、多くの人が犠牲になる―。


「どうしたらいいの、私……」

 吐息混じりの頼りない呟きが漏れる。

 フレデリック。今こそ彼の助けが必要なのに。彼はもういない。私のせいで死んだ。死んでしまった……。

 神はなぜ、彼を守らずに見捨てたもうた?

 それどころか、ランクレーディのような悪党に力を与えるとは。

 コンスタンティアの目から涙がぽろぽろと溢れた。興奮が冷めた目尻から伝う涙は、途切れなくこぼれ床に落ち、透明の小さな泉を作った。


 翌日、コンスタンティアはタンクレーディの兵士らに囲まれた馬車に乗せられ、護送されていった。タンクレーディは途中で別れ王都に戻り、グリエルモ二世の死を全国に向けて改めて通達した。

 国葬の喪主は王の叔母であり唯一の王位継承者となったコンスタンティアではなく、宰相レッチェ伯タンクレーディが務める事を閣議が認めた。

 鮮やかな手腕で、タンクレーディは瞬く間に政権を奪い取った。


第六章に続きます

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