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訃報

第五章⑵

 翌朝、日が登るとほぼ同時に二人は漁師小屋を出た。もちろん、コンスタンティアは乾いた自分の衣服に着替え、例の水夫たちから奪った外套を着ている。

 昨夜の荒れ模様が嘘のように、浜辺に打ち寄せる波は穏やかだった。

 空もよく晴れている。今日は気温が上がりそうだ。


「このあたり、どこだか見当つくか?」

 俺はシチリア島の地理に余り詳しくないと言うフレデリックに、コンスタンティアは海岸線から東南東の方角に目を向けてみた。以前にも見た記憶がある山の景色を眺め、確信した顔で頷く。

「分かったわ。あれはサンジュリアーノ山よ」

 指さす先に、白い岩肌が朝日にきらめく絶壁の山があった。

「私たち、いまトラーパニの近くにいるんだわ」


 シチリア島の西部に位置する湾口都市である。こんなところまで流れてきたのか。

 行きましょう、とコンスタンティアが先に立って歩き出した。

 あの高い山の上にはエーリチェという町がある。そこには古い石城と修道院があり、今は王太后マルゲリータが療養施設として滞在しているのだ。

 王太后に迷惑はかけられないけれど、急場を(しの)ぐ避難場所とするならば。この地域は安全で申し分ない。

 二人は海岸から東に向かって三時間ほど歩き、エーリチェの町がある山中に入った。道の途中、山林の中で自生する野イチゴや山葡萄を見つけては食べ、泉からさらさらと湧き出てくる清涼な水を飲んで喉を潤し、山頂を目指す。


 エーリチェは、元々は古代のフェニキア人が建設した都市だった。雲の上にある町と呼ばれ、眼下に広がる広大な海と、エーガティ諸島を見下ろしている。山の東側にある断崖絶壁には、ヴィーナスの(カストッロ・デイ・ヴェネーレ)と呼ばれる堅牢な石造りの古城がある。ここはかつて、エリミ人が信仰する豊穣の女神アスタルテの神殿を(まつ)る聖域であった。

 その後は、入植したローマ人が崇める愛と美の女神ヴィーナスの神殿として改装し、利用された。

 異教の神殿が無くなった今、城の敷地内には修道院が建設され、そこで暮らす人々は俗世を離れて静かな祈りの日々を送っている。



「コンスタンティア様! お久しゅうございます」

 まず神殿跡地の修道院を訪ねると、顔なじみの若い修道士が応対し、すぐに城内まで案内してくれた。

 今この城を管理しているのは、かつては海軍将校で先代君主グリエルモ一世の時代に宮廷貴族として仕えたベルマーレ・ディ・メルト子爵だった。亡き兄王の忠臣であり、既に老齢で軍籍を引退している。宮廷からも長く遠ざかっているので、宰相として君臨しているタンクレーディの影響は薄いはず、とコンスタンティアは淡い期待を抱いた。

 彼が力を貸してくれれば、例えば海軍に所属している元部下達に号令をかけることが可能だろう。簒奪(さんだつ)を狙うタンクレーディの陰謀にも対抗できるかもしれない。


 突如城を訪れた王女を前にし、メルト子爵は驚きを隠せぬ様子で一瞬立ちすくむと、次に何とも苦しそうな、悲しい表情を見せた。

「このたびは、殿下になんとお悔やみを申し上げれば良いのか……」

「お悔やみですって? ベルマーレ、いったい何の話?」

 初めに簡単にフレデリックを紹介して、さっそく本題に入ろうと口を開きかけていたコンスタンティアは、逆にどういう意味なのかと、彼に質問した。

 まさか王太后の身に何か? 病状が、さらに悪化したのか。

 メルト子爵は怪訝(けげん)な表情になった。

「ご存知ではないのですか。昨夜、私に王宮から急な報せがありました。国王陛下が、あなたの甥御でもあられるグリエルモ二世陛下が、病でお亡くなりになられたと」

「なんですって!?」

 まったく想定していない事態を知らされて、コンスタンティアは悲鳴に近い上ずった声を発した。

「狩り場の離宮で急に熱を発せられて、侍医の処置も間に合わず。二日前の夜に、崩御なされたそうです。私も愕きました。あまりにショックで。まだ王太后様にもご報告ができていません。こんな話をお聞かせすれば、母后陛下が、どれほどお嘆きになるかと思うと……」

「嘘よ、嘘。――そんなはずない……!」

 ぐらりと足もとがおぼつかなくなる。思わずよろけかけた身体を、横からしっかりとフレデリックが支えてくれた。コンスタンティアは自然と彼によりかかる体勢になり、無意識に身を預ける。

「行かなくちゃ……」

 震え声でうわ言みたいに呟くと、フレデリックが心配そうに顔を覗き込んできた。

「行くって、どこへ」

「都よ。すぐに王宮に戻って確かめないと」

 タンクレーディ。まさかタンクレーディの仕業なのか。あの男、権力を奪うだけでは事足りず、国王の命までためらいなく奪ったというのか。いいえ、そんなはずはない。ウィルはきっと生きている。あの子が死んだなんて話は、絶対に何かの間違いよ。

 必死にそう否定しながら、心の奥底ではタンクレーディに対する憎悪が沸々と湧いていた。棺の中で、人形のように青白い顔をして、無数の白い花に包まれていたフリードリヒの様子が目の前に浮かび上がる。フリードリヒの顔が、ウィルの死に顔に変わる。

 まさか、ウィルまでフリードリヒのように無残に暗殺されたのか!

 嫌よ、嘘だわ。信じたくない。


「しっかりしろ。そんな状態で今から王都に戻るのは無謀だ」

 フレデリックに肩を揺さぶられて、コンスタンティアは不吉な夢想から現実へと引き戻された。いつもは気丈な彼女の目が涙で潤んでいる。

「都には俺が行く。カルロスたちや、君のところのあのおっかない護衛隊長も、きっと俺たちを探しているはずだ。彼らと合流して、都で真相を確かめてから、迎えに来る。だからそれまで、君はここにいろ」

「でも」

「いま君が動けば、あの男の思うつぼだろう。タンクレーディ宰相だっけ? あいつは君を狙ってるんだ。生きていると知られたら、何をされるかわからない」

 フレデリックの言い分は正しい。コンスタンティアはいつからか、この勇敢な年下の若者に全幅の信頼を寄せ始めていた。

「俺なら大丈夫だ。できるだけ急いで戻ってくる。それまで待っててくれ」

「わかったわ。でも、あなたも無茶しないで」

「もちろんだ。俺だって自分の命は惜しい」

 軽い口調で言うと、フレデリックは表情を改めてメルト子爵を振り返り、真剣な目で援助を求めた。

「彼女のことを、頼みます」

「当然だ。万事任せたまえ」

「では、俺に馬を貸してください。それと、剣を」

 愛用の武器は海賊船で奪われてしまった。フレデリックは長剣と馬を子爵から借り、すぐに出立の支度にかかった。


 城の前庭までコンスタンティアも見送りに行った。馬上の人となったフレデリックを見上げ、心を込めて言う。

「気をつけて。――無事に、戻って」

「ああ。それじゃ行ってくる」

 もっと何か、彼にかけてやれる適切な言葉はないのだろうか。気をつけて、だけじゃ心苦しい。コンスタティアがもどかしい顔をしていると、フレデリックが彼女の微妙な表情の変化に気づき、馬上から身を乗り出した。

「?」

 彼は不思議そうに見上げてくるコンスタンティアの右手を取り、シミ一つない美しいその甲に口づけた。

 それはまるで、生まれながらの騎士が王女にするような動作だった。

「すぐに戻る」

 頬を赤く染め、呆然と立ち尽くすコンスタンティアにそう言い残し、フレデリックは馬に拍車をかけた。速足で城門外へと駆けていく。

 昨夜はほとんど寝ていないし、食事だってろくにとっていない。そんな状態で無理を押し、コンスタンティアのために惜しみなく力を貸してくれている。単なる行きずりの関係なのに。どうしてそこまで彼は親身になってくれのか。

 ――目惚れした、って言ったら笑うか?

 出会った直後に食堂の前で言われた言葉を思い出した。あんなの冗談に決まってる。本気で受け取っていいわけないのに。コンスタンティアは、なぜだか胸が甘く疼くのを感じた。

 騎影が門の向こうに消えるまで、彼女はずっと見守っていた。

 神よ、どうか彼にご加護を与え給え。心の中でそう祈るコンスタンティアの隣りに、いつの間にか立っていたメルト子爵が言った。

「私は少し城の周辺の様子を見て参ります。コンスタンティア様はどうか、王太后様を見舞ってさしあげてください。できるなら、陛下のご訃報についてもあなたから母后にお話をされるのが良いかと。やはり、お身内のことですからな。ウルバーノ、ラウロ。お前たちはわしと来るのだ。馬引けい!」

 準備されていた子爵の乗馬が引かれてくる。配下の騎士を数名伴い、とても老齢とは思えない機敏さで鞍に跨ると、子爵の愛馬は軽快に砂利を蹴散らし、(ひづめ)の音高く駆けていった。


 彼らが守ってくれているこの堅牢な城の中なら、きっと安全だ。コンスタンティアは城の奥へ戻り、病んだ王太后が過ごす部屋へと足を急がせた。


第五章⑶に続きます

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