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異常事態

第四章⑵

 通路が突きあたり、左右に分かれた。正面の壁には、天使の石像が浮き彫りにされている。片方の手が道を指さしている。


(進むのは、天使が導かぬほうへ)


 さらに進んだ奥の道も二手に分かれるが、そこには天使の浮彫もフレスコ画も無い。コンスタンティアは道幅の狭い方を選んだ。

 複雑に枝分かれする地下の通路を歩き始めてから、すでに()半時(はんとき)(三十分)は過ぎただろうか。

 つきあたりに上へと向かう階段が見えてきた。(ほこり)の積もった階段を上がっていくと、鎖を巻いて施錠された格子戸があった。

 コンスタンティアは松明を下に置き、革帯(ベルト)に吊るした物入れから、数本の針金を取り出した。鍵穴に二本差し込み、慎重に動かして中の手ごたえを探る。

 かちり、と錠が外れる音がした。

 松明を拾い、蜘蛛の巣まみれの格子戸を押し開けて奥へと進む。


 ここはもう、王族の私的な教会であるパラティーナ礼拝堂の敷地に行きあたっているはずだ。地下霊廟の奥あたりだろうか。

 思ったとおり、礼拝堂に灯されている複数の蝋燭の光が漏れてほのかに周囲が明るくなってきた。


(まさか、実家に忍び込む日が来るなんて思わなかった)


 だが、昼間に訪問した時の冷淡な対応の様子を見る限り正面から堂々と王宮に入っていくのは困難だろう。

 コンスタンティアは、誰にも気づかれずにパラティーナ礼拝堂の一階部分に上がり、様子を見ながら密かに外へ出た。

 王族専用の通路を渡り、宮殿本館の上階にある王妃の居室へ向かおうとする。

 付近が急にがやがやと騒がしくなった。廊下に大勢の足音が響く。

 向こうから女の叫び声が聞こえた。


「やめて! おまえたち、私をどこへ連れて行くつもりなの! この手を離しなさい、無礼者!」


 ジョーンの声だ。コンスタンティアは息を殺し、薄暗い廊下の太い列柱の陰に急いで身を隠した。

 両脇から屈強な兵士二人に拘束され、半ば引きずられる格好で向かい側の渡り廊下を連行されていくのは、やはりジョーンだった。

 兵士が王妃の腕を掴み、まるで虜囚みたいに乱暴に扱うとは大問題だ。

 嫌がるジョーンを、兵士たちは無理やり中庭まで連れ出した。

 少し前まで明るかった空はいつしか濃い藍色に染まり、星が瞬き始めていた。今夜の月は丸いが、(むら)(くも)が流れている。風も強い。

 警備兵の詰め所の横に、馬車が一台停まっている。ジョーンは車の中へ、強引に押し込められた。

 二人の兵士は、脇に繋いでいた馬にそれぞれ(またが)った。馭者(ぎょしゃ)が鞭を振り、馬車を動かし始める。馬車は宮殿の正門に向かわず、裏手に向かって走り出した。

 あれこれ考えている暇はない。コンスタンティアも庭園の木立の影に身を隠しながら後を追う。馬車の速度は並足だ。コンスタンティアは、走りながら髪を覆っていた薄いショールを脱ぐと、手頃な大きさの石を拾い、布地で素早く包んで振り上げた。馬車の後から馬でついて行く一人の兵士の首の後ろを狙い、勢いつけてぶつけてやる。

 ガツンと鈍い音がして、馬上から兵士が一人転げ落ちた。

 もう一方の兵士は馬車の反対側を守っており、同僚が落馬したのにまだ気づかない。

 乗り手を失って速度を落とした馬の(たてがみ)を掴み、コンスタンティアは身軽に鞍へ飛び乗った。

 後頭部への打撃と落馬の衝撃で一瞬気を失ったものの、地面に倒れた兵士はどうにか身を起こし、警笛を吹いた。異変に気づき、さらに複数の兵士が詰め所からわらわらと出てくる。

 馬車の反対側を警戒していた兵士も騒ぎに気づいて振り向くが、コンスタンティアがすぐ脇に迫っていた。

 目が合った瞬間、両者は互いに剣を抜き切っ先を閃かせた。激しい剣戟(けんげき)の音が響く。

 鈍い剣光(けんこう)を交錯しながら一合、二合と剣を打ち合った後、先にバランスを崩したのは相手の兵士の方だった。

 コンスタンティアは素早い(ひと)()ぎで相手が握った手綱を切断し、兵士を落馬させた。


「馬車を止めなさい。止めるのよ!」


 馬を寄せながら命ずると、焦った馭者は鞭をあてて馬を追い立て、車体が走る速度を上げた。馭者は手綱を操り馬車を操作しながら、もう一方の手で、コンスタンティアに鞭を振り下ろす。

 危うく鞭で打たれそうになりながらコンスタンティアも手綱をさばき、巧みに距離を取った。鋭い打擲(ちょうちゃく)の攻撃を避けながら並走する。

 後方からはさらに弓を構えた兵士が馬で追ってくる。複数の矢がコンスタンティアの背に向かって次々に放たれた。

 飛んでくる矢を剣で払い、馬を操りながら身体を左右に傾け、どうにか難を避ける。

 その隙に、馬車はさらに速度を上げて街路を疾走する。この方角だと、港へ向かっているのだろうか。

 宮殿の近くで待機していて、とあらかじめ彼女に命じられていた護衛のロレンツォと修道騎士が、異変に気づいたのだろう。脇道を馬で駆け、救援に駆けつけた。

 彼らもおそらく他の兵士から馬を奪ったのだ。馬上で剣を構え、コンスタンティアに矢を射かけてくる後方の追っ手と戦っている。


 コンスタンティアは、どうにか馬車に追いついた。鞭を振り回してやたらと抵抗する馭者に迫ると、相手が振り上げた鞭を剣で半分にぶった切った。

 短くなった鞭を見て慌てる馭者の傍らに馬を寄せ、長剣の柄頭を顎の急所へ、強烈にお見舞いしてやる。

 白目を剥いた馭者が仰け反り、座席から下へ転げ落ちていく。

 しかしこの騒動で車を引いている二頭の馬がパニックを起こし、さらに速度を上げてしまった。御者台に飛び移ろうとしていたコンスタンティアを振り切り、がむしゃらな猛スピードで走り出してしまう。

「邪魔しないで!」

 後方からは、ロレンツォたちの妨害を巧みにすり抜けたふたり組の兵士が馬で追ってくる。

 両脇から追っ手に挟まれ、剣を向けられて、コンスタンティアは馭者を無くしたまま暴走する馬車を止めに行くことができない。

 このままでは、馬車は乗客ごと通りの壁に激突する。

「もう! ほんとに邪魔!」

 しつこく追いすがってくる二人の兵士の斬撃を受け流しながら、彼女は怒鳴った。

 その時だ。

 街路を挟んで建っている高い(へい)の上から、黒い影が馬車の屋根に向かって飛び降りてきた。


「こっちは任せろ!」


 馬車の屋根から御者台に滑り降りたのは、フレデリックだった。

 手綱を掴み、狂ったように制御の効かなくなった馬車を操ろうとしている。

 驚きつつも、コンスタンティアは気を取り直し、左側面にいる兵士と長剣を切り結びあった。もう一方の兵士には、追いついて来たロレンツォが攻撃している。

 刃鳴りが響いた数瞬後、コンスタンティアを挟み打ちにしようとしていた兵士二人は鞍から落ち、石畳の道に叩きつけられていた。

 フレデリックは暴れる馬車を見事に操縦し、街路の脇に寄せて安全に停車させるのに成功していた。


「また会えて嬉しいが、トラブル発生かい?」

 御者席から軽妙な口調で言い、フレデリックはにやりと笑う。

 コンスタンティアは、どう答えていいか分からない表情で馬を寄せた。

「どうしてここに」

 馬上から質問されたフレデリックは、笑いを引っ込めて答えた。

「俺が泊ってる宿はこの近くにあるんだ。月見がてらその辺をぶらぶら散歩してたら、妙に騒がしい音が聞こえたから」

 気になって様子を見に来れば、騒動が起こっていた。

 しかも馬を駆り兵士と争うコンスタンティアの姿に気づき、事情はともかく、ここは再度加勢せねばと、路地をつっきってここまで先回りして来たという。

「大丈夫か? いったい何があったんだ」

 それには答えずに、コンスタンティアは馬車の戸を開けて車内を覗き込んだ。中では意識朦朧になったジョーンが、奥の座席でぐったりとしている。

「しっかりして、ジョーン」

 クッションに身を投げ出している王妃を支え起こし、軽く肩を揺すって呼びかける。

 瞼を震わせ、王妃はうっすらと目を開けた。

「コンスタンス……?」

「もう大丈夫よ。誰があなたを宮殿から連れ出そうとしたの?」

 うつろな表情をしていたジョーンが、急に正気づいた。

「レッチェ伯が兵士に命じて……。そうよ、大変なの! わたし、彼らの悪事を聞いてしまったのよ!」

「どういうこと?」

「今日の午後、宮殿にヴェネツィアの商人が訪ねてきて……」


 レッチェ伯爵タンクレーディの招待客だという商人達のために、今夜宮殿では内輪の(うたげ)が催された。宰相を強く支持する何人かの有力貴族と、パレルモ大司教を筆頭とする教皇派の高位聖職者が宴席に招かれ顔を揃えた。

 ジョーンもその場に参加するよう求められ、仕方なく同席した。商人のご機嫌取りをする宴の場で接待役など気は進まなかったが、レッチェ伯に威圧的な目で要求されると逆らえない。それにタンクレーディに協力している人間は誰なのか、見極めてやりたい気持ちもあって、ジョーンは我慢し、宴の女主人(ホステス)役を務めた。

 宴席は終始当たり障りのない会話で果てたが、タンクレーディと一部の貴族、それにヴェネツィア商人の代表者だけは、別室に場所を移して会合を続ける様子だった。それ以外の招待客は帰り、ジョーンもタンクレーディから部屋で休むようにと言われた。

 ジョーンは一旦居室へ下がったものの、何を話しているのか様子が気になったため、控えの間にいる女官たちの目を盗み、こっそりと寝室を抜け出した。

 密会が開かれている談話室の近くまで来てみると、隣の小部屋には誰もいなかった。そっと忍び入り、壁際に耳を寄せて息をつめていると、ヴェネツィアの商人と話し合うタンクレーディの低い声がした。

「荷物は予定通り積み終わったのか?」

「はい。閣下のおかげさまで、今回も()きのいい商品を多く集めることができました。たんなる労働力としてだけではなく、ビザンツ帝国の宮廷やセルジューク朝の後宮にも納められそうな美しい娘たちがいます。金髪の処女(おとめ)もいた。あれにはさぞかしいい値がつくでしょう」

 高く売れますよ、と商人は悦にいって笑った。タンクレーディも満足そうな笑い声を上げ、こう切り返した。

「そうか。で、今回の私の取り分はいくらかな」

「宰相閣下も、お人が悪い……」

 彼らは笑いながら、人身売買の話をしていた。タンクレーディがあえて沿岸の警戒を緩くし、それに乗じてヴェネツィア商人が雇った海賊が出没し、シチリアの各地で若い女や子供たちを次々と拉致(らち)していたのだ。彼らを外国へ売るために。


「奴隷貿易……」

 ようやくコンスタンティアにも謎が解けた。どうして最近、頻繁に海賊がカターニア沿岸の村を襲うのに、海軍が出動しないのか。

 なんのことはない、タンクレーディが宰相の権限で軍の哨戒活動を止め、自ら海賊を自国に招き入れていたからだ。(さら)われた子供や少女たちは、ヴェネツィア商人の仲介で遠い海の彼方の国々へ売られていく。

 北アフリカの君主やトルコを治めるスルタン達は、白い肌や淡い金髪をした若い娘を好むという。

 生きた人間を商品にして金を儲けるという卑劣な計画を、彼らは酒席で笑いながら、平然と交わしていた。

 隣室で話を聞いて驚いたジョーンが、棒を飲んだように立ち尽くしていると、タンクレーディに気配を悟られ、捕らえられたのだった。

「あの男、私の侍女もトルコの後宮に売ってやると言って笑ったのよ。捕まった大勢の人たちが乗った船は、明後日には出航するのですって」

 タンクレーディがジョーンの見張り役としてつけた配下の女官ではない。幼い王妃の輿入れに伴ってシチリアにきた忠実な侍女達の事だ。彼女らは、半月ほど前からタンクレーディの命令で王妃の居室から強制的に退去させられていた。イングランド王国から一緒に来た忠実な侍女たちを、奴は奴隷として売ると言って王妃を脅したのだ。

「まさか、彼はあなたのことまで国外へ売り飛ばそうと?」

 ジョーンは首を振って否定した。

「私のことは『今後の大事な取引のために必要だ』と言っていたわ。彼はそのために、私をレッチェ伯領へ連れていくつもりだったみたい」

 王妃の身柄を取引に利用する? 一体タンクレーディは、宮廷を牛耳ってさらにこの先どんな悪事を企んでいるのだ。


「止めなきゃ。何としても」

 コンスタンティアは決然と断言した。頼りにすべき王は不在で今の宮廷は機能不全に陥った。か弱い王妃を守る騎士もいない。タンクレーディの横暴に敢然と立ち向かえる王族は、もはや自分ひとりだけなのだ。

「ステファーノ、ダニーロ」

 傍で控えている二人の忠実な修道騎士に命じる。

「あなたたちはジョーンを連れてすぐにパレルモを出なさい。カターニアに戻ったら、修道院の守りを固めて私からの指示を待つこと」

「院長様は?」

「私は、(さら)われた人たちを奴隷船から救い出す。それにレッチェ伯やその仲間達にも、これまでに犯してきた罪を償わせてやる」

 本来守るべきシチリアの人々を食い物にして金儲けするだなんて、絶対に許さない。宰相から罷免した上、相応の処罰を与えてやる。

「そんな物騒な荷物を積んだ船なら、おそらく港にはいないだろう。警吏や保安部隊にバレると厄介だからな。港以外でどこか近場の入り江にでも母船を隠して、目立たないように小舟で行き来しているはずだ。こいつらを一人起こして、船の隠し場所を吐かせようぜ」

 気絶している兵士を見下ろし、そう言ったのはフレデリックだ。

「俺も手伝う。こんな状況、男として見過ごせない」

「だめよ、危険すぎるわ」

「危険を承知で、それでも君は行く気なんだろ? はいそうですかと、ここであっさり別れられると思うか?」

 フレデリックは、ロレンツォをちらりと見て言った。

「海賊船の探索には俺と護衛隊長さんが行く。コンスタンティア、君はカルロスたちを呼びに行ってくれ。あいつはこの近くの宿で仲間と一緒に居る。応援が必要だ」

「いいえ、だめよ。ロレンツォ、あなたがカルロスを呼びに行ってちょうだい。応援は確かに必要だわ。私とフレデリックは、先に奴隷船を探しに行くから。カルロスたちを急いで連れて来て」

 きっとカルロスなら、事情を話せば仲間の船員を大勢連れて援護に駆けつけてくれるだろう。

「いけません、院長をお守りするのが、私の務めです」

「命令よ。私の指示に従いなさい」


 なぜかこの時ロレンツォは困惑した顔をフレデリックに向けた。彼女を止めてくれと言うように、もしくは今後どうしたらいいか、判断を仰ぐように。苦渋の表情でじっとフレデリックを見つめる。

 フレデリックは、揺るがない目で佇んでいるコンスタンティアを見た。

 いくら説得しても変わりそうにない彼女の意志の強さを瞳の奥に認め、彼はため息をつく。

「仕方がない。彼女は俺に任せろ。無茶しないように見張ってる」

 カルロスたちが泊っている旅籠(はたご)の場所を説明し、フレデリックはロレンツォに救援の使者を頼んだ。

 ステファーノとダニーロは、奪った馬車にジョーンを乗せると、カターニアへと続く街道に向かって出発した。


 ロレンツォが、なおも念を押す。

「頼みますよ。私たちが追いつくまでは、ぜったいに無謀な行動はしないでください。お二人とも、いいですね?」

「大丈夫だ。母船の場所さえ確認したら、お前らが来るまで近くに隠れて待機してる。突入するのは、みんなが揃ってからだ」

 じゃあ、こいつから聞き出そう、と言ってフレデリックは、地面に倒れている兵士の胸倉を掴み、強引に揺さぶり起こした。

 過酷な尋問を受け、海賊の母船が潜んでいる入江の場所を明かした兵士は、哀れにも再度フレデリックに殴られて昏倒した。


 ロレンツォはカルロスを呼ぶために宿へと走り、フレデリックとコンスタンティアは馬を駆って、王都からやや北上した位置にあるモンデッロ寄りの海岸に向かった。


第四章⑶に続きます

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