本編一 木崎尚登 一
2022年2月1日午後9時 夜空に雲一つ無し…
とにかくこんな近くで女の人に触れたのはどれくらいぶり?
もしかしたら…いや、もしかしなくても初めてかも知れない…
『♪辻斬りなんか止めなさい♪その小鬼には君が捨て身の剣で斬る程の価値は無いよ。』
歌う様な美しい声でそう告げて彼女は東海六丁目から城南島七丁目の闇の中に姿を消した。
「???……今の人………一体?」
………………何だ?この感覚は?
「!」
左肩…背中?いや?全身が震えている?どうして?
「………………………」
もう一度彼女が去った方を見ると城南島までの道筋は街路灯で明るく照らされている。
そうであるべきと言うか…巡回中の騎士団を援護する意味で城南島の街路灯の光は夜明けまで絶える事は無い…それが正しい…。
それが正しいはずなのにさっき彼女が消えて行った先は真っ暗な闇の中………。
怖い人だったのかな?もしかして………
命拾いしたとか?
いやいやいや…出会い頭に相手を斬るだなんて…騎士同士が命のやりとりをする時代は僕が生まれる何百年も前に終わったはず。
それにしても…ミューさん…綺麗だったなぁ…。
良い匂いがして…あったかくて………その……柔らかくて…
『♪辻斬りなんか止めなさい♪』
変に耳に残る美しい声…
それにしても…いきなり背中の傷について触れて来るなんて…。
随分失礼な人だ…男子の背中の傷は初見なら見て見ぬ振りをし、知っているなら絶対に触れぬのが武士の情けだろうに……。
……まあ名前からして外国人なのだろうし…そう言う風習の無い国から来たのかな?
その時突然ポケットの中のスマホに着信があった。
『尚登!今何処にいる?』
メッセージの主は『木崎彰祐』…僕の従弟こと彰祐従兄さんだ。
既読になった事を確認した彰祐従兄さんは返信する暇もなく次々とメッセージを送って来る。
『東京ゲートが活性化している。』
それを聞いて中央防波堤の方向を見ると天に向かう紫の光がはっきりと見て取れた…ああ、この状態を直接見るのは初めてだがこれは不味い奴だ。
『緊急対応で今百里基地に攻撃命令が下った。』
百里って事はF-2を飛ばしてゲートの根元を精密爆撃か…。
青海、有明、東海、城南島に配置された観測部隊からリアルタイムで送信される風向風速データを元にゲートの根本中心から直径10mにワザと拡散させつつ、かつ決してその10mの外に出さず根本にある地上構造物のみを破壊する噂に聞こえた航空自衛隊の名人芸…。
実際に作戦開始が発表されると暁埠頭や東京港、東海五丁目あたりに見物人が集まって来る。僕も是非見物したいのだが今夜は不味い。
『直ぐに警備の騎士が集まって来る。回収してやるから大田市場北のバス停まで来い。』
僕は
『了解』
とだけ返信してリュックサックの中に折り畳んでいたケースを取り出し、剣を鞘ごとその中へ収納しファスナーを閉じる。
もう一度東京ゲートを視界に捉え…少し気持ちを込めて睨んで見る…
待っていろ…僕は必ずそこへ行くから…
そして指定された地点へと『人間並の速度』を心がけながら歩き始めた。
左手に東京港野鳥公園の淡水泥湿地を囲む雑木林を眺めながら東海交差点へと向かう。
海と泥との臭いが気になり始めてやっと自分がついさっきまで戦闘態勢だった事を自覚出来た…。
僕の名は木崎尚登。
高校入試を控えた中学3年生で階級は三級騎士。
かつて神奈川県と静岡県の東半分を支配し今も経済的勢力圏に置くかつての大大名『羽田家』の家臣の中で代々要職を努めると同時に戦闘部門の中心であった『木崎家』の分家の一つ『百舌鳥木崎家』の当主代行…
と言っても百舌鳥木崎家は当主である義父さんが行方不明中で義母さんは実家に帰ってしまったため今は僕一人の家…ついでに僕は養子、義父さんが言うには「お前は橋の下で拾って来た子」なのだそうだ…。
血の繋がらない素性も分からない子供一人の家という事で親戚からは解体・断絶を求められる事も多いが、僕のお義祖父様に当たる木崎家先代当主、木崎祐蔵様から
「家系図には12〜13の養子に家を持たせた例もある。」
とのお言葉を頂き、ひとまず『百舌鳥木崎家』の存続は安堵された。
しかし養子が家を継いだ前例もそれは実力が伴っていたからこそで、その点僕はと言えば木崎家の騎士である事の絶対条件とされる倫道館(小中高一貫の騎士向け教育機関)の高等部への内部進学も危ぶまれる落ち零れっぷり…。
ついでに家を継げた養子は皆木崎家親戚陣の中からちゃんとお嫁さんを貰っているのだが、僕は小学校六年生の頃に婚約者の早希ちゃんと破談……。
色々と課題問題は山積みで世間では『百舌鳥木崎家のハズレ養子』で通っている。
ここで東海交差点を左折…
当面の課題である中等部から高等部への内部進学には三段階の審査がある。
身体能力、武技、学科、教養等成績優秀な上位半分は二学期の前半に試験無しの一次審査で内部進学が決まり、残りの者には十二月に二次審査の試験が科せられそこで同級生の9割方は内部進学が決まっている。
そして最後は昨日と今日あった三学期の期末試験。
これはそれまでの選考で出た不合格者の中に拾うべき者が居ない事を再確認するための最終審査を兼ねている。
三学期の期末試験のついでに僕達落ち零れにも最後のチャンスをくれてやろうと言う意図の試験だった。
合否は来週の保護者面談で明らかになるのだが、高等部への内部進学が出来なければ同じ日にある親族会議で百舌鳥木崎家の取り潰しが議題に上がるなんて噂もある……。
とにかく僕がやらなきゃいけない事は行方不明の義父さんが帰って来るまでこの『百舌鳥木崎家』を守る事なのでこの内部進学審査は絶対にパスしなければならない…。
それともう一つ…
とにかくそのためには並の学生以上の武功が必要な訳で、武功を上げるには強力な武具を手に入れねばならない…。
幸い義父さんが設立に力を貸した企業『東陵マテリアル』の協力で武具については実現に近付きつつある。
それが今僕が背中に背負う刀『東陵試作刀一号』だ。
………………いや………
どんなに凄い剣が作れてもこれを使って試験を受ける訳じゃ無い…。
分かってるんだ…今どれだけ小鬼型を斬った所で武功の足しにはこれっぽっちもならない事も…
実際にあいつらを始末する事を任務としている騎士団の方々の前に死骸を放置するのはイヤミと取られても仕方が無い…
何より十六歳になる年度にならなければ佩刀帯刀の許可は降りない。
こんな事をしているのが見つかればお世話になってる叔父さんにもお義祖父様にも迷惑をかける事になる。
今日だって来週の親族会議の事を考えたらモヤモヤして試作刀を持って飛び出した所を彰裕従兄さんが迎えに来てくれたんだ…実際迷惑をかけているんだよな…。
はぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんか気が重い…段々足が前に進まなくなって来る…
変な人にも出くわしたし……あれ本当に何だったんだろう?痴女?
実戦テストにかこつけた憂さ晴らしもそろそろ潮時だろうか?