本編五 猛犬と狂犬 二
「はぁ?一条さんは首席でしょ?何でまた?」
さすが狂犬…昔から何をするか分からない女の子だと言われてはいたけど…決まっていた内部進学を蹴るなんて僕の立場からすれば狂っているとしか思えない。
「尚登も知ってるだろ?原因は剣司だよ。アイツがあんまり付き合ってくれってしつこいから響子の奴堪忍袋の緒が切れちまってたんだよ。」
ああ、そう言えばそうだった…
進藤君は当然女子にもモテるのだが、彼は一途に一条さんを思いアプローチを続けている。
例えば他の女子からラブレターを貰っても相手が分かれば『自分が好きなのは一条響子だ』と丁寧にお断りの返事を書き、
相手が分からなけらば指定された場所まで行って『自分が好きなのは一条響子だ』と丁寧にお断りする。
それがどんな相手であっても、つまみ食いやお戯れをする事は無い。
だが残念な事に一条さんからは「彼とは合わない」と一方的に嫌われている。
「いや…でも一条さんの御実家の事を考えればその程度でここを出て行くって事は無いと思うんだけどな…。」
彼女を産んだ一条家は代々優秀な騎士を輩出する家系。
お父様は国立騎士団首都警備軍の司令を務める一方指導者としても活躍していて、この中等部にも度々講師として招かれている。
「アンタも時々古い家の考え方が出るよね。今の世の中じゃ女子中学生騎士が進学先を変える理由には充分だよ。」
「それで何処に行くの?やっぱり光星?」
「うん、響子くらいなら高校が倫道でも光星でも将来には響かないからね。もう願書の締め切りが終わってるから追いかけようにも追いかけられないって剣司の奴大慌てでさ。」
一条さんにしても新藤君にしても二人とも光星に進学しても大学で十分取り戻せるレベルの実力者であるし、実家は大きな道場をやっているので学外での訓練環境も他の生徒より明らかに充実している。
それでも出身高校による派閥もまた社会に出てからの出世栄達に関連して来るので行ける物なら倫道に行っておいた方がいい。
一条さんの新藤君から遠ざかりたい気持ちも新藤君の一条さんと付き合いたい気持ちも両方とも本物なのだろう。
「そんなに好かれてるんなら話くらい聞いてあげてもいいだろうに…。新藤君って結構女の子にモテるでしょ?」
これは僕だけでなくみんな…少なくとも同学年の6割が思う所…、トップ同士お似合いのカップルだ…。
ちなみに残りの4割は新藤&一ノ瀬の普段から隣にいる幼馴染カップル推し。
彼らの意見としては一条さんの様な突然変異的な怪物よりも一ノ瀬さんが隣にいた方が新藤君が映えるとか能力的に対等かつ二人を並べた時の眩しいまでのリア充感とかを根拠にしている。
「ダメだね。響子はしっかり自分が主導権を握った上でして欲しいと思っている事を何も言わなくても完璧にしてくれる男じゃなきゃダメ。剣司みたいな黙って俺について来いみたいな奴とは相性が悪過ぎるんだよ。」
「そうかなぁ…付き合って見れば案外上手く行ったりしないかな?」
「上手く行く前に剣司が再起不能になっちまうよ。」
一ノ瀬さんが両手で僕の肩を掴み、口を開いた。
「いいかい尚登、響子と付き合いたかったら自分から進んで『無限の財布を持って体がサンドバッグで出来た召使い』にならなきゃ無理。機嫌を損ねたら学年最強の一撃を喰らわされて病院送りだ。尚登はあんな女に引っかかるんじゃ無いよ。」
一ノ瀬さんの話によると世の中には僕に勧められない女の子が沢山いるみたいだ…。
「引っかかるも何も僕みたいな『ハズレ養子』なんて問題外だよ。とにかく見かけたら伝えておけば良いんだね。」
了解した、と返事をする。
「頼んだよ。響子は剣司のせいで仕方なく進学先を変えたみたいなモンだからさ、ここ最近不機嫌だったのはこれが原因だね。剣司と鉢合わせしたら大事になるかも知れない。」
「確かに……でもこれが一条さんの耳に入ったら逆に危なくない?怒って新藤君と暴力沙汰にでもなったら…。」
一条さんは全力で臨んで当たり前の実技剣術の授業でさえ先生から相手に手心を加える事を求められているが、彼女は一切手を抜く事をせず、打撃力を緩和する作用を持った訓練刀と訓練服を用いても全身傷だらけにされてしまう。
その気性に先生方も手を焼き、お父様も頭と胃袋を痛めているのだそうだ。
僕も小学校の頃に一太刀も浴びせる事が出来ないまま三日連続でコテンパンにやられた事がある。
新藤君も騎士として男子のトップにいるけど一条さんの暴力は並外れた物でまともに戦えば大怪我は免れない。
彼女を絶対に怒らせてはいけないと言うのは同級生の共通認識になっている。
「他校の受験を控えてるから自分で直接ブン殴りに行ったりはしない……と思うけど、それが終わった後で殴られた方がマシなくらいの目に合わせるだろうね。尚登もそれだけ伝えたらとばっちり食らう前に逃げるんだよ。」
和美はそう告げて別れようとする。
「私がどうかなさいましたか?」
その時二人の後ろから呼び止める者がいた。
「うぇっ?」
「響子?」
「何ですか二人とも?私の顔に何かついてますか?」
噂をすればご本人の登場である。軽いウェーブのかかった腰まである長髪、同級生よりやや大人びた美少女…
「アンタ、何時から聞いてたんだよ?」
「深川さんが木崎君に話しかけた時からでしょうか?」
つまり最初から聞いていたと言う事だ。
「気が付かなかった…。」
「そこの空き教室の中に居ましたので。」
「全くもう、最初から聞いてたんなら分かっただろ?」
一ノ瀬さんは完全に呆れ顔だ。
「ええ、言われなくても知ってますよ。腹が立って仕方無いのですが他校の入試を控えたこの時期に暴力沙汰は望ましくありません。」
つまり入試を控えていなければ相応の対応をしていたという事なのだろう。
「だからトラブルを避けるためにぐっと我慢をして下校時間まで身を隠していたのです。」
「じゃあさっさと剣司に見つからないうちに寮に帰んな。晩飯はアタシが山盛りで持ってってやるから部屋を出るんじゃ無いよ!」
その言葉に響子はさらに渋い顔になった。
「そうしようと思っていたのですが…先ほど何やら聞き捨てならない言葉があった様な…何ですか?その付き合いたければ財布とサンドバッグを持った召使いがどうとか?病院送りがこうとか?挙句私が八つ当たりをするとか?悪質なデマにも程があると思います。木崎君が本気にしたらどうするんですか?」
「本気にするも何も…尚登は小学校から一緒だったじゃん。『噛み付き狂子』とか『一条狂犬』って呼ばれてた響子を知ってる訳だし…。」
「ちょ!大きな声で言わないで下さい。」
一条さんは小学生時代の話をされる事が大嫌いで、それを一ノ瀬さん以外が口にしよう物なら実技剣術の授業で集中的に対戦相手に指名される。
そして授業が終わるまで模擬戦と言う名の私刑を受け続ける事になるのだ。
だが一ノ瀬さんは一歩も退くことは無い。
噂では一条さんは彼女に返しきれない借りと、絶対に払拭出来ない弱みを握られているのだそうだ…。
「それに四年生の時にアンタが尚登にした事を忘れたとは言わせないよ?『一条響子被害者の会』があるなら尚登は間違い無く筆頭なんだからね。」
‼︎一ノ瀬さん‼︎それやめて‼︎僕が危ない‼︎
僕が恐る恐る一条さんの顔色を伺うと、彼女は明らかに不機嫌そうな顔をしながら口を開く。
「‼︎…あの時は大変申し訳ない事をしてしまいました…。ですが私はあの後から生まれ変わったつもりで心を入れ替え今日まで生きてきました…どうか…。」
「あ…気にしないで。その…僕も言われるまで忘れてたから…。」
もちろん忘れていた訳ではない、身の安全のために思い出さない様にしていただけだ…。
「忘れてた…ってアンタさぁ…あんな目に遭わされといて…。」
呆れる一ノ瀬さんに僕は少しだけ笑いながら答える。
「アレについては一条さんは全然悪くないよ、何も知らなかったんだし向かって行ったのは僕の方なんだから…。」
ここに居る三人とここに居ないもう一人…『四年生の時の事』はそれぞれのその後の生き方に少なからず影響を与えている。
「そう言って頂けると幸いです。」
言いながら一条さんはにっこりと微笑む。良かった…ここはどうにか丸く治まったらしい。




