第五十三話「亜希の空」
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職員室の扉をそっと開け、入室した。
昼休みだからか、普段より緊張感が無い。
話し声がチラホラ聞こえてきており、室内が静まり返るようなこともなかったからだ。
目的の人物の机に近づくと彼女にしては珍しく生徒に囲まれていなかったので話しかけやすく助かった。
「立花先生、今いいですか?」
「あ、南波君。気を遣わなくていいですよ。どうしたんですか?」
椅子をくるりと回し、こちらに気が付いた担任。
立花亜希が伊織の顔を見ている。
「月待さんの家に行くって、本人から聞いたんですけど」
「そうなの。ちょっと事情があってね。学校から近いし、お宅訪問です」
「先生は、月待さんが、その、この町に引っ越してきて日が浅いって知ってますか?」
「もちろん。担任の務めですからね」
こちらに心配させまいとした笑顔に温かみがある。
さほど年も離れていない彼女だが、この一か月で、全面的に信頼できる教師であることは理解できている。むしろ、自分のクラスの生徒には甘いような気がしているのは、今は目を瞑っておく。
「濁しますけど、彼女が修行してるのも知ってるんですか?」
ある程度、家庭の事情は担任の亜希にも共有されてあるだろうし、例え深く知らなくとも、和栞の個人情報は守る意図で多くの情報を開示しないようにそれとなく言葉にした。
「知ってますよ」
さらりと、意図を汲んでくれたかどうかギリギリの返答を寄越してきて若干警戒したが、亜希がちょいちょいと手招きして口元に手を添えているので、伊織は耳を近づける。
「ひとりぐらしのことでしょ?」
この耳に、音になるかどうかギリギリの音声で本当に聞きたい答えが返ってきて安心できた。
まずはこの特殊な生活状況を学校側としても把握しているらしい。
和栞も、和栞の家族も一人暮らしをするときに、学校側にありのまま、花嫁修業と伝えていそうで、少し心の奥がむず痒くなるような気分になった。彼女ならやりかねないが。
「だから大変だろうと思って、さっき月待さんに聞いてみたの。何か困ってることない?って」
未成年が保護者なしに闘病していることを担任の亜希も心配に思ったらしく、やるべき対応は先回りして既に対応されている様だった。
「そういうことならよかったです。あと、風邪ひいても勉強する気満々だったんで、大人から寝とけって言ったげてください」
「え!? すごいね、彼女」
「釘さしておいてくださいって話をしに来ました。お時間とってすみません」
亜希の顔がぼうっとこちらを見つめてくる。
「月待さんって、南波君の……彼女?」
「なんでそうなるんですか?」
「お似合いだけどなぁ。やけに親しくしてるんだなぁと思って、ついね。深い意味はないの、ごめんね」
「勘弁してくださいよ」
「でも仲良くしてくれてることはなんとなく伝わってくるから。ありがとうね」
確かに、クラスのいち男子生徒が友人の女子生徒の身を案じて職員室に馳せ参じているわけであって、関係性を勘ぐられても不思議な話ではない。和栞とも似たような話になったことを考えると、おそらく世間一般常識として湧き上がる疑問の一つ目に、その言葉が出てくるのは理解できる。
「褒められるようなことは何もできてないです」
「そう思ってるってことは月待さんも苦労するなぁ」
伊織は頭を傾げる。
「若いっていいねぇ、ドキドキしてきちゃった」
亜希の表情が緩んできたので、これ以上話すと余計なことに巻き込まれそうな気配があった。
この顔は、何か首を突っ込みたい時の母の顔と似ている。嵐の前の静けさだ。
「ここでいつか役に立つ、乙女心っていうのを先生が教えてあげる」
「その心はなんですか?」
「女心は、秋の空よ!」
亜希はキメ顔でこちらに女心とやらを説いてきたが、何一つ伝わってこなかった。
いつも彼女の授業や解説には定評があるが、その評価と実力を疑ってしまうくらいに。
「……っ、はい? 女心と秋の空ではなく?」
「ちょっと、今はそういうことじゃないの。言い間違えしたみたいで、恥ずかしくなってくるじゃない!」
年甲斐もなく頬を膨らませる姿を見ていると、生徒人気も頷けた。
なんのアドバイスにもなっていない気がしたが、そっと流すのが正解だろう。
「はあ……。 頭の片隅に覚えときます」
「はい。それでよろしい。月待さんのことは私に任せて」
「よろしくお願いします」
伊織は足早に職員室を後にした。
亜希はそそくさと出ていく伊織の背中を目で追う。
(できてない……かぁ。いいなぁ)
亜希は、和栞の体調が良かったら、和栞に聞いてみたい話が一つ増えたのだった。
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やっぱり周りから見たら、、、ね。ってエピソードです。
次回更新は 9/3 8:10 を予定しています。




