第五十話「日向に咲く向日葵」
本日は連続投稿7話させていただきます。6話目です。お楽しみください!
時刻は午後五時過ぎ。
母の日のプレゼントとは別で花を贈りたがっていた和栞に続いて、フロアマップで確認した場所を頼りに、花屋に訪れた。
この時期、贈り物として花が選ばれる繁忙期の花屋で目当てを見つけたらしい和栞は、店員に礼儀正しく声を掛けると、早速店の奥に案内されている。
彼女曰くは、今選んだ花は明日、実家に配送されるように手続きができるということで、配送先の住所などを申し出る必要があるらしい。あまり花を買うという経験がない自分にとっては、明日には自宅に届くシステムがやけに興味深く映る。
鮮度が命と言うことは理解するが、繁忙期に即配達されるとなると、花屋はさらに忙しいものになるのが想像できる。しかも、市内なら明日の午前中、県内なら翌日中の配送が可能と聞くので、ネットで購入するよりはるかに速い。
(すげえな……花屋……)
和栞が、今年密かに人気があるというアジサイを贈ることにしたらしく、配送の手続きを済ませると、二人で店を後にした。
◇◆◇◆
今日の目的は余すことなく達成され、陽が傾いているので、このまま帰路につくことになった。今は、他の客に紛れ、二人でバス停で帰りのバスを待っている。
「今日はありがとうございました」
横から背筋を正した和栞がぺこりと丁寧な所作で声を掛けてくる。
「そっくりそのまま、お返ししたいかな。ありがとう」
彼女発案だったとはいえ、普段は行動に移すことを気恥しく思っていた自分が、今は素直な考えで、由香に喜んでもらえると嬉しいなと思える。彼女の功績が思いのほか大きい。
それに、和栞と一日中歩き回っては過ごしたこの一日も、充足感にも似た心地よい身体の疲れがにじり寄っていることに気が付きながら、今は和栞に感謝の意を表明しておくのが正しい気がしていた。
程なくして、ダイヤを見なくとも途切れることなくせかせかと乗り入れてくる車両の中に、朝と同じ系統のバスが現れる。
「これでいいのですよね?」
しっかり者の和栞が軽く指さす先を見ると、待っていた路線のバスだということがわかった。
「終点のひとつ前まで乗っておけば問題ない」
今日の朝、二人で待ち合わせに使い、乗り込んだバス停の道を挟んだ斜向かいが帰りの到着予定の停留所。
和栞に先に乗り込むように促すと、バスの座席の後方に進む。
「窓側どうぞ」
にまっと感謝を返す和栞。
すとん、とゆっくり着席した和栞に続き、席に腰掛ける。バスはゆっくり走り始めた。
「恥ずかしがらずに渡すのですよ?」
母親みたいな声掛けをしてくる和栞に視線を移すと、こちらを真剣に伺っている。
「そこが一番難しいところだよなぁ」
さらりとこの年頃の男子高校生には最難関とも言える諭しを始めた彼女から、目を逸らすように逃げた視線の先には、和栞と選んだ赤色のプレゼントが映る。
「そこが一番わからないところですよ。もう、大好き!って抱きついて渡せばいいじゃないですか!」
彼女が言うと、場面を想像できる。
彼女が持ち合わせている人間性も考慮に入れると、当然この幼気な少女は母親大好きっ子の素直な女の子と言うことに異論はない。だが、この年で母親に抱きつく青年がいたらあらぬ横文字を付けられて、友人たちに馬鹿にされてもおかしくない。
「あのなぁ」
そういいながら和栞に視線を戻すと、彼女は狭い二人掛けの座席の横で、手を広げてこちらを待っている。
「私で練習してみますか?」
まるで、自分が風体の良い美少女だということを忘れた和栞は、気軽な様子でこちらの飛び込みを待ち構えている。公衆の面前だというリミッターが機能を果たしていないらしい。一度冷静に状況を整理してみても、バスの車中で若い男女が抱き合うなどという答えにはたどり着けない。
いつもの他意もなく、天真爛漫という言葉を欲しいままにしている彼女をじっと見つめる。
確かにこのまま胸に飛び込めば、きっと嫌な顔一つせずに練習台になってくれるのだろうが、同時にこちらが行動に打って出ないのをわかっているからこそできる行動なのかもと情けなくなってくる。
「それは辞めておく」
こちらにその気がないことを伝えると、明らかに彼女の顔がしゅんとし物憂げな表情を作り、両手は萎んでいった。
「ここまで来たらあと一歩の勇気だと思いますけど、前にも言ったように私は言い訳に使っていいのですからね?」
こちらの気恥ずかしさを無くすために、以前彼女は友人との成り行きで生涯初めての母の日行事を実行している旨を伝えることで、気兼ねなく行動に移せるようになると案を出した。
だが、彼女と一日、人のためを思って言葉を交わすうちに、違う考え方も芽生えていた。思っていた以上に誰かのためを思って行動に移してみることは、普段忘れかけている思いやりの心を思い出すことが出来ていて気持ちがいい。
「ここまでの功労者に恩知らずなことはできないな」
「今までの伊織君を見ている限り、大丈夫だと思うのですよ。私を信じてください」
「勢いだな」
「喉元過ぎれば……? でしたっけ?」
最後まで言葉が出てこない和栞を見てはこちらも笑いがこみあげてくる。
「ちゃんと覚えとけよ……」
「私の一口サイズもちゃんと覚えておいてくださいよっ」
膝にぺしっと飛んでくる手が心なしか力が強い気がした。
バスは渋滞のせいか、のろのろとした車速で進む。
車体の減速に合わせて、身体が前後へチクタクと揺れる。
まるで眠気を誘っているかのような、心地よい揺らぎを感じつつ、今はバスが家へ連れ帰ってくれるのに身を任せていた。
会話がなくとも、和栞は普段からご機嫌な様子で、彼女との間が持ってしまう。
そんな彼女はやけに大人しくしているので、その気配に気が付けたのかもしれない。
なんとも、今すぐにでも瞼はくっ付いて睡魔に負けてしまいそうな彼女の顔が横目に映った。
和栞はうとうとしながらも必死に何かを伝えたいのか、両手の拳を握って、力なく空中を漂っている。
「んばれ~です」
何と言っているのかは聞き取れなかったが、次の言葉に状況を理解した。
「頑張れ~です」
聞き取れた言葉には声援の意味があったらしい。先程から握っている拳は何かを掴んでいるように思える。
(……、ポンポン……?)
応援する少女の手に握られた目には見えないモノを察することが出来た。
彼女はポンポンを両手にたずさえて、チアガールとしてこちらを応援しているようだった。
「頑張れ~」
次第に彼女の意識が遠のいていく。
こちらへ向けられていた声援は既に行先を失っており、バスのエンジン音に掻き消されるほどに儚く消えていく。
こちらに気を遣わなくてもよいのに、和栞は睡魔に負けないようにこちらを気にしてくれているようだった。
「がんばれぇ」
抗いきれない睡魔に飲まれて、小さくなっていく声。
既に音声と言うより、吐息交じりの呼吸に近い、擦れた声。
次第に声帯を震わせることですら諦めていくように。
「がんばれぇ……」
「着いたら起こすから」
こちらから問いかけた声に、一瞬背筋を正しかけたものの、目はとろんと虚ろで、瞼も言うことを聞かずに閉じかけている。
「がんばって……」
この言葉を最後に、とうとう手が応援するのを辞めた。
和栞は既に、穏やかな表情を浮かべて眠りに付いてしまったようだ。
彼女の寝顔を見るのもこれで初めてではないが、人間が睡魔に負けてしまう瞬間を見たのは初めてな気がする。
和栞はバスの揺れに合わせて姿勢を維持するのをやめ、椅子に沈んでいる。彼女は、明日は実家に帰省するので長距離の移動だろうか。まさかこんな顔して移動してはいないだろうが、彼女が一人でこの顔を周囲に晒しているのであれば少し心配になってくる。
今日は彼女に助けられて、疲労を呼んでしまった。明日もきっと忙しいに違いない。
いつもならば、週末は実家に帰っていると聞くので、多少ゆっくりできるであろうが、今週は朝一番には実家に帰り、夕方にはこちらへ戻ってこなければならないはずなので、週末を休息に費やすこともできないだろう。少しくらい休憩させておかなければ身も持たないだろうし。
今は膝の上でプレゼントをまるでぬいぐるみのように大切そうに抱えて眠っているが、どんな思いでこの気持ちの品に辿り着いたか無意識に行動に現れている気がして、微笑ましく見えてくる。
これもこれで目の保養に良く、自分だけの特権を堪能しておくのも悪くない。
和栞の寝顔を周りに見せないように、少しだけ背筋を正して壁を作った。
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本日は連投企画日です!
次回、本日最終稿 21:00 更新予定です!
家に帰るまでがデート。降りるよ、和栞さん!!!
(作者は二人を見ていて、塵になりました)




