第二十一話「ピクニック!開けてはならぬ玉手箱?」
今日、2話目の投稿です。ぜひ、皆様へ安らかな週末を。。
横で彼女が弁当箱を広げ始めると、蓋が開くたびに得も言われぬ神々しさが漂う。
「これ、全部月待さんが一人で用意したんだよね?」
「家に私しかいないのに誰がどうして手伝ってくれるというのですか?」
「参りました。もう既においしいです」
「口を付けてから言ってください」
至極ごもっともの言葉が出てくる。
(ああ、この子は本当に料理にも隙がないのか)
伊織は和栞が用意してくれた弁当箱の中身を見るなり、その腕前の抜かりなさに感服するだけだった。
和栞が広げたのは、サンドイッチがメインの箱。
卵やハム、レタスやトマト、チーズにツナマヨネーズと言った王道の具材を取り揃えており、二口程度で食べられそうなくらいの大きさのものが立ち並ぶ。
見栄えはプロ顔負けと言ったところで、パンの目もきめ細やかく、押し潰れたような形跡のない柔らかな状態を保っている。耳部分の切り落とし残りは一切ない。
弁当箱には白の絨毯が敷き詰められていた。
それでいて、新鮮な野菜が瑞々しさを伝え、陽の光で輝くまでに鮮やか。
サンドイッチは目でも伊織を楽しませた。
「うまそう……」
「それはありがとうございます。声が漏れてますよ」
「食べるのが勿体ないくらい」
「食べてあげてください、勿体ないので」
「漏れなく完食する所存です、ええ」
急にかしこまった伊織に「ふふっ」と聞こえてくる小さな笑みを浮かべた和栞は、さらにもう一つの箱の蓋を取って、二人が座る真ん中に配置する。
「張り切って作りましたので……全部食べ切れますかね?」
「男子の食欲を舐めてもらっちゃ困ります」
「あら、まあ」
和栞が広げたもう一つの箱には摘まめるような総菜が、楊枝に刺さって綺麗に詰められている。
先週、和栞から好物を聞かれた伊織の要望に沿う品々が並んでいた。
黄色いだし巻き卵を筆頭に、茶色の一角には鶏の唐揚げとエビフライが所狭しと詰められており、枝豆にミニトマトと、こちらの箱も彩を忘れないような工夫がなされている。愛くるしく立っているウインナーは定番の様相を呈しており、黒胡麻の目に八本足、頭にはアクセントの麦わら帽子をかぶっていた。
どうやらピックになっている帽子を手に取り、ウインナーを食べるらしい。
つぶらな瞳がこちらを向いているのだから食べるに可哀そうで忍びなかった。
「これまたとんでもないラインナップで攻めてこられましたな……」
「本気で伊織君の胃袋を掴みに来たので覚悟してくださいね」
彼女は晴れやかな笑顔を向けてくる。
(俺なんかの胃袋をどうしようとしているんだ、この子は……)
ただの街案内くらいでお礼の破壊力が高すぎやしないかと思う伊織を余所に、和栞は荷物の中から水筒をてきぱきと取り出す。
「家にこれくらいしかなかったので。コーヒー、紅茶、オレンジジュース、何を飲まれますか?」
可愛らしいサイズ感の水筒には、あらかじめ沸騰させて準備しておいたお湯が入っているのだろう。
「オススメはどれでしょうか?」
これほどまでの料理を用意してくれた彼女である。
本人なりに食事に合わせたい組み合わせがあるかもしれないと思った。
「伊織君の好みで構わないと思いますよ? 飲み物に負けたりしない自信があります!」
「ハードル上げるなぁ……。見れば、嘘言ってないのも伝わってくるよ」
この品々を目の当たりにし、お預けを食らっている状況がなおも続く。
心の舞い上がりが止まらない。
「じゃあ、コーヒーでお願いします」
「お好みはありますか?」
「ブラックで濃いめが嬉しい」
「伊織君は舌が肥えているのですね。これは正当な評価を期待できそうです」
和栞は持ち手のあるホルダーに紙コップを指す。
小さな容器から小分けにしたインスタントの粉を入れお湯を注ぐ。
手際よくコーヒーを入れてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
彼女はお供を紅茶に決めたらしい。
飲み物の準備を終えるのを静かに待っていた。
「それではいただきましょうか」
「いただきます」
魅力的に映ってくる全ての中から、どこから手を付けるべきかと悩ましい伊織。
欲望に素直に卵のサンドイッチを手に取り、口に運んだ。
その反応を気にした和栞は真っすぐに伊織を見つめていた。
「うまい……」
「ありがとうございます」
誰に見せるでもない綻びの顔を見せた伊織に、安堵して和栞も昼食を始める。
お手本のようなバランスの味付け。
舌で味わう感想には非の付け所もなく、今一番食べたい味付けを堪能できている。
卵本来の味を生かして、少なめのマヨネーズと和えた具材。
ほろほろと口の中で優しく解けては、ほのかに鼻を抜けていくマスタードが適度な刺激となり食欲をそそり立てた。
次の感想を口に出す前にひとかけらはなくなってしまう。
思わず作り手への感謝を忘れて次に手を付けてしまうくらい、美味しい。
心は決まっており、次は衣を纏った唐揚げが刺さる楊枝を手に取り、一口で口に放り込む。
「うんん、ん、うまっ」
揚げたてのアツアツも好きだが、常温に近いからこそ、味の濃淡を繊細に舌に伝えてくる。
味付けに使われた薬味の生姜やニンニクの風味に調和があり、喧嘩していない。ムラのない均一な旨みを醸し出す。
鶏肉は充分な弾力があり、中からじわっと染み出る油分。
不快な思いを一切として感じさせず、豊かな肉汁がこれまた食欲を煽り立てる。
「飲み込んでから喋りましょうね。食べ物は逃げたりしませんよ」
伊織の満足感が伝わってきて、和栞は微笑ましく伊織の顔を見ていた。
「どうですか、満足いただけそうですか?」
「もち、うぐっ……」
「ゆっくり召し上がってください。喉に詰まらせると大変です」
「天才か?料理の天才だったのか?」
「それはありがとうございます。誰でも少し勉強すれば作れるようになりますよ?」
「感想を伝えそびれるくらいには、ずっと無言で食べてたい」
「伊織君の様子を見ると伝わってきますから。存分にご堪能くださいね」
「次は何にしようかな」
小声でつぶやいた伊織だったが、「また心の声が漏れてますよ」との和栞からの指摘を余所に……。
だし巻き卵に狙いを付け、逸る気持ちそのままに口へ運ぶ。
今味わっている彼女のだし巻き卵は、幼少の頃、学校遠足で親が持たせてくれたような、固めでしっかりとした触感の甘みが強い味付け。
野外で食べる清々しさと相まって、どこか懐かしく感じる気持ちが胸に湧き上がってくる。
「うまぁ……」
「伊織君はだし巻き卵はどんなのが好みですか?」
「良く家で出てくるのはだしの効いた味付けでそれに慣れてるけれどこのくらい甘いのも好き。遠足してるって感じがする」
「普段の味付けと違うのですが、喜んでもらえたら何よりです」
なにやら上機嫌な和栞を見ながら、その後も弁当箱を右往左往し、大満足の伊織だった。
◇◆◇◆
「おいしかったよ、ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
食後にコーヒーを啜って満足感に頬を緩めている伊織を、ただ穏やかに見つめる和栞であった。
先ほどまで目の前に広がっていた箱は、僥倖同然。
食材にただ夢中で舌鼓を打ったが、空っぽになってしまった弁当箱を見ていると、簡単に開けてはならぬ玉手箱だったかのような気分にさせられる。
クラス一の美少女から、お礼をかねて提供されたとは言え、ただの街案内にしてはこちらが与えたものと、得られる幸福との間につり合いが取れていない。
この食後の満足感とともに押し寄せてくる罪悪感からは逃れられる術を思いつかないまま、ただ胃袋を鷲掴みにされた。完全に自分の負けである。
「至れり尽くせりで、申し訳なく思うよ」
和栞から提供された絶品たちは、普段の週末の食事に比べて伊織には刺激が強すぎた。
味わいから来る良し悪しの話ではなく、味に心底虜にさせられ、抜け殻になったみたいに。
目の前の幼気な少女から完全に餌付けされてしまったと言って差し支えない。
「そんなに気に入っていただけたのなら作り手冥利に尽きますね」
「俺は、月待さんのお手並みを相当に舐めすぎていたようで絶句したよ」
「そこまで言っていただけるなら、準備していた苦労が報われたような気がします。本当に感謝を伝えることが上手な人ですね」
こちらは自分の本心を語ったに過ぎなかったのだが、彼女は感謝の言葉として受け取ってくれたらしい。
もちろん、今日の功労者に絶えない感謝を贈りたいと思っている。
こちらが予期せぬところで彼女は逆に感謝を受け取ったらしいが……。
しっかりと自分の口から、感謝一心にその旨を伝えるべきだと思った。
「ありがとう、もう二度とこんな機会ないと思うからいい思い出になりました」
和栞は不思議な顔をして伊織に言う。
「誰が最後と言いましたか? 簡単に話を終わらせないでください」
「ん?」
「だから、二度目がないと思っているのは伊織君の見当違いだということですよ」
あっけらかんと述べてくる和栞に対して、返答の言葉を見つけられない。
(見当違い?)
心で言葉を反芻していると、穏やかな表情の彼女がこちらをたしなめるような物言いで迫ってくる。
「そんな突き放すような言葉を掛けられて、悲しい思いをしてしまいます。今日は楽しいものがたくさん見れましたし、伊織君がご所望とあらば、たまにこうやってピクニックするのも良いです。また一緒にピクニックしましょうよ!」
目の前の美少女は、次につながる二度目を提示するのが常らしい。
それはこれまでの彼女との何気ない日常の中で気が付いた一面だ。
事あるごとに「また」と約束を回してくるからして、この子が一体何の意図で自分と交流を持ちたがるのか、未だにわからない。
容姿端麗、成績優秀、才色兼備。
どんな四文字を頭に想起しようと、ごく平凡な自分と、つり合いの取れている状況を想起できないので、彼女の言葉に引っ掛かりを感じてしまう。
まして、こちらからなんの気も無しに誘いに乗っていただけで、彼女からお声がけいただけるものだから、羨む人も出てくるような状況ではないのかと感じてしまう。
伊織にはもちろん、和栞との二人っきりの週末で迷惑な思いはひとつもない。
ただの偶然が重なり、交流を持つようになったに過ぎなかった。
だが、ここまで良くしてもらうようなことがこの先続いてしまったら――
伊織はその意味を考えずにはいられなくなる。
「本当に言葉の意味で受け取るけど、それでいいの?」
「是非!」
「じゃあ、我慢できなくなったときにお願いすることにするよ」
「我慢ができるのですか?」
胃袋を完全に掌握できて、自分の料理の腕前に、更に自信を持った怪物は、こちらを挑発するようなしたり顔で問いかけてくる。
「あんなものことあるごとに食べてたらインスタント麺には戻れなくなるよ。それに準備も大変だったろうし、お願いするのにも気が引ける」
「その分、うたた寝監視係の務めを全うしていただければ、実物支給は弾みますよ」
「ちなみに監視何回分の給料だったの?」
「そうですね、高校生活が終わるまで……、丸三年分ですかね?」
どうやら高校卒業まで胃袋は捕縛されたようだった。
「論理が早くも破綻してる。たまにはいいんじゃなかったの?」
「前借制度がありますので、間違ってはいません。次回は上乗せ三年分の計六年です」
彼女がいう前借制度を利用すると自転車操業的に監視係の責務が続くらしい。
言葉の綾くらいに思っていたが、当の彼女の表情には一片の曇りもなく、会話を楽しんでいる笑みがあった。
「次回のご利用をお待ちしておりますよ」
なおもその顔には満足が張り付いて見えている。
伊織が開いてしまった玉手箱の代償は大きかった――かもしれない。
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