第十七話「とても楽しそうじゃないですか?」
「毎日学校から帰って夕飯の準備は大変じゃないの?」
「調理自体は好きなことの一つですので、今のところ苦にはなっていません」
「和洋折衷?」
「隙はありませんよ」
ファイティングポーズを向けてくる和栞は、伊織の目にも可愛らしく映る。
彼女が醸し出したいような覇気は一切ない。隙だらけで、この少女にならデコピンで勝てる自信があった。
「母に一通りの料理を教わることもあったので、大抵のものは作れます」
「恐れ入りました」
物理では一枚上手の伊織だが、和栞のお料理スキルにも期待ができることを察した。
彼女の身振り手振りの非力なシャドーボクシングに乗せられて、両手を上げ降参を表明しておく。
「流石に一か月も自炊を続けていると、レパートリーがなくなってきたので、今回は時短を意識してレシピ本頼みで新しいお料理に挑戦! という訳です」
にまっと笑みを浮かべる彼女にただただ感服する。
「一か月も耐えられた素養があることに驚いてるんだが。これから先、花嫁修業の必要あるのか? もう十分な力は身についている気がするけども」
「またまた。褒めるのがお上手ですね」
その言葉を最後に一旦の沈黙を挟んだ。
ここまで、帰り道での会話の中で、彼女の日常を知った。
身の回りの自分のことは何でもやらなくてはならないだろうし、自分の知らないところで彼女は常日頃から自己研鑽も兼ねて、努力が絶えないようである。
(そりゃ、公園でうたた寝だってするわな)
彼女のうたた寝に心配を向けていたことは、彼女自身が身を守るうえで危ないことに変わりはないが、公園で易々と寝てしまう理由について、少しわかったような気がした。
単に周りに見えない努力のなれの果て。身体が休息を求めていたのだろう。
この年齢での一人暮らしにも、不安は付きまとうだろうし、心身の静養のため、彼女はあの公園に足を運んでいることもうっすらと悟った。
「たまになら、力になれると思うから」
「え? 何のお話ですか?」
色々と考え事をしてしまった伊織が、和栞を横目に投げかける。
横、斜め下から質問が返ってきた。
「俺も、あの公園通いは週末の日課になってるから。うたた寝監視くらいならしてもいいんじゃないかって話だよ」
「まじまじと寝顔を見つめられるのは恥ずかしいですね」
「そっちの言葉を借りて言ったつもりだったけど?」
「ふふっ」
彼女の横顔から晴れやかに笑みが漏れている様子が、妙に印象的だった。
◇◆◇◆
公園の入り口が見え出したあたりで「伊織君」と声を掛けられる。
はきはきと喋る彼女にしてはどこか、余所余所しい雰囲気を感じた。
「もしよかったら、来週の土曜日、お弁当でも持ってピクニックしませんか?」
「ん?」
「今日のお礼にこちらで準備しますよ? とても楽しそうじゃないですか? ピクニックに、ひなたぼっこ!」
来週も断るような予定はもちろんない伊織である。
先ほど料理の御手前も余程のものだという話を聞かされたので、彼女の手料理には興味がある。今日の案内人役を買って出た報酬として、彼女からの感謝を示す打診には、乗っておいてもバチは当たらないだろう。
「食にはうるさい伊織さんだぞ?」
「今日のお昼は何を召し上がったのですか?」
「カップラーメン」
「食にうるさい伊織君はどこへ行ったのですか?」
「同じ味は二回続けて食べないのが流儀だ」
「たまに食べる分にはとやかく言いませんが、その様子ならそうではないのですよね? 健康にも良くありませんし、決まりです」
和栞は少し呆れた表情をにじませた。
またも和栞の決定事項となってしまう返答を寄こしてしまった伊織は、苦笑いで視線を泳がせる。
こちらには断る理由は何一つないが、準備を全て任せっきりで忍びない気持ちが湧いてくるのだ。
「大変じゃないの?」
「苦じゃないのでお気になさらず。楽しみにしておく価値はあると思いますよ!」
「ありがたく受け取ることにするよ」
お礼にお礼を重ねるのも不思議な話であるが、お腹を満たせてくれる存在は敬意と感謝を示しておくべきだ。
「決まりですね。うたた寝監視係のお給料込々ということで、よろしくお願いしますね」
「楽しみにしてる」
期待を胸にした伊織は和栞と挨拶を交わし、案内人は終了。それぞれの家へと別れた。
◇◆◇◆
その日の晩のこと、和栞から伊織へメッセージが入っていた。
「今日は案内ありがとうございました!」
律儀な人である。
メッセージとともに、ぺこりと頭を下げる何のキャラクターかもわからないような猫のスタンプが添えられていた。
「どういたしまして」
短文でメッセージを返信したが、数分後、彼女から再度メッセージが入る。
「伊織君は好きな食べ物は何ですか?」
「カレーとか、オムライスとか? なんで?」
驚きの表情をした猫のスタンプが送られてくる。
和栞は表情に出やすいタイプなので、スタンプを見ているだけでも、今の和栞の表情を察するに易い伊織だったのだが、この会話で猫に驚かれる理由がわからなかった。
スタンプから後を追うように彼女の返信文が届く。
「来週のお弁当の参考にしようと思っていたのですが、カレーは流石にお弁当箱に詰められません」
しょぼんとした猫が画面に表示されている。
「何か摘まめるもので、ヒントをください!」
「そうだなー、卵料理とか味の濃いものとか唐揚げとかが好きだけど」
何の気も無しにメッセージを返信した伊織だったが、「それだ」と吹き出しが付き、ニヤリとした猫が送られてくる。
どうやら彼女は献立に着想を得たらしい。
「わかりました。でも、伊織君は身体に良くないものばかりがお好きなようですね。栄養のバランスを大切になさった方がよろしいかと思いますよ?」
クスクスと笑う憎たらしいキャラクターがこちらを見てくる。
「大丈夫。一日一本、野菜ジュースは飲むように心がけてる。多分、血液はサラサラ」
「偉いです。でも糖分も多く含まれるので過信は良くないですよ」
今度は「めっ」と言葉を発する猫に注意を受ける。ダメと言いたいのだろう。
「来週は期待しておいてください。実力を出し切りますので」
「お手並み拝見。楽しみにしてます。了解」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
夜も更けてきたので伊織も就寝の準備を始めた。
今日一日だけでも、和栞の人となりを多く知ることになった。
彼女から仲良くなりたいとの考えで距離を詰められていたのだが、司と話すような会話のノリで話せるようになるくらいには、和栞とも打ち解けた気がしている伊織だった。
今日一日を通して横にいる少女が、客観的に見てもとんでもない美少女だということを忘れていたわけではないのだが、外見の評価だけに留めておくには勿体ない内面を有していることも知った。
見目麗しいその容姿の裏で、今の和栞を構成している努力には驚かされることが多く、外見だけで人を判断してはならないとはこういうときにこそ使うべきだと思う伊織だった。
今はただ、ある種、尊敬に近いような思いを和栞に向けて感じながら、伊織は布団の中で穏やかな寝息を立て始めた。
この想いが燃え上がる種火であることを知らずに——
先日、500pvを超えました。沢山の方にお読みいただき感謝が止まりません。。
次回、休二話(本編後日譚)が入りますので、本編の展開にいち早く、皆様にキュンキュンを届けられたら幸いです。
※休二話は8/6 12:00 更新します。
各話に面白かったり、ヒロインが可愛いと思っていただけたなら、ぜひブックマークや評価のほどお願いします!執筆の励みになります!




