第十四話「仲良しへの通過儀礼 呼び名」
こちらが勝手に焦ってしまった親しみの表れを示す名前呼びの感覚とは、彼女はこれまた違う感覚をお持ちのようで、やはりコミュニケーション能力に長けている。壊れているといってもいいのかもしれない。
こちらが感じた解釈相違の勘違いなど頭の片隅にもない様子だった。
「周りに勘違いされるような印象を与えないか?」
「勘違いとは?」
「必要以上に親しい仲だって思われないかってこと」
「私と一緒に、周りから勘違いされることは嫌ですか?」
「月待さんも本望じゃないだろうに」
「私は南波君がどう思うかを聞いているのですよ」
横についてきながらこの美少女はとんでもないことをさらりと言ってのける。
本人にとってはたわいも無い話としても、周りは黙っちゃいないだろうに。
今のような彼女の言動は今までどれだけの人間を魅了してきたのだろうとも思った。
「そんなことを聞いてどうするのか」と聞き返してやろうと思った伊織だが、和栞は嬉々とした表情で笑顔を向けながら、踏み出す足を弾ませているものだから、伊織は開いた口が塞がらない。
気恥ずかしさを含み、嫌だと否定から入ろうものなら、饒舌な彼女に良い様に丸め込まれそうなので、ここはひとつ、正直な考えと忠告を向けることにした。
「別に嫌とは思わない。でも、冗談や揶揄いが混じってるなら、この辺にしといてほしい。次は怒るよ」
こちらから、しっ責する意図はなく、強く聞こえなくていい様に、あくまで冷静に目を見て返答した。
「誤解を与えたことについては謝ります。ですが、揶揄っている意図はありません。南波君にとって私がどのように見えているのか、聞いてみたくなっただけです。これから仲良くしてもらうのですから、人となりを知るためにお尋ねしたのです」
俯きがちに和栞は続ける。
「南波君の口から出た言葉を、私の邪推や何よりも大切にしようと思っていますので、試すように聞こえたのであれば、ごめんなさい。です。」
伊織は和栞の長所を垣間見た気がしていた。
美少女には特権ばかりがあるものだと思っていたが、当の美少女本人は思いがけず、他者へ誤解を生んでは不利益を被るような尊い存在らしい。
伊織は今この瞬間まで、真に彼女が求めているものに、理解できていなかった。
思い返せば、彼女は相手に誤解を与えれば素直に説明や謝罪を入れ、自分が思っていたことを真摯に伝えようとする。
まだ少ない交流とはいえ、こちらに投げかけてきた言葉通り、普段の行いと今の言動に乖離がなく、彼女から気概を感じていた。
普段、冗談を言い合うような司や千夏とは何か根本から違い、会話内容の隅々を相手と擦り合わせをしながら丁寧に対話し、わからない、聞きたいと思ったことは素直に聞いてくる。
口から発せられる言葉は常に相手への尊重を忘れていない。
和栞の可憐な容姿が与える印象に惑わされずに、最後まで丁寧に美少女の物言いには耳を傾けるべきだなと伊織は反省を一つした。
「俺も美少女への認識を改めることにするよ」
「どういう意味ですか?」
「案外、月待さんは正直者だったんだなって思っただけだよ」
「嘘は辻褄を合わせるのが大変なのでつかないようにしていますが……?」
この美少女は嘘をつくのも苦手らしい。
どんな環境で育てばこのような清らかな思想を獲得できるのか不思議でならない。
不安そうに見てくる和栞の顔を見るなり、伊織はうっすらと笑いを零し、「なんでもないよ」と和らげようとするのだった。
「呼び方は自由にしてくれればいいよ」
素直に彼女の意思に従うことにした伊織は彼女へ言葉を投げかけながら、大通りを進む。
「では、お言葉に甘えて、伊織君と呼ぶことにします」
「改めて、そう面と向かって言われると恥ずかしいな。わかった」
「ですが、恥ずかしいと思う気持ちもわかるので、二人でいるときだけにしておきますね」
和栞の顔、右頬の辺りで小さな手が人差し指を軽く立てて、どうでしょう?とさらに同意を求める可愛らしいポーズが出来上がっている。
「なるほど、そう来たか」
「それなら南波君が周りの目を気にすることもないはずですからね」
「お好きになさってくださいな」
結局、仲良くなることにも、名前で呼ばれてしまうことにも異論はない。
これが彼女の人の良さであり、通過儀礼なのだろうと思った。
ふと話の流れから、一つだけ思うところがある。
「別に避けているわけではないんだが、こちらからは相変わらず苗字で呼ばせてもらうよ」
「呼び捨てにしてくださっても構わないのですけれど、お好みでどうぞ」
(コーヒーフレッシュじゃあるまいし)
伊織は喉元まで迫ってきたツッコミを抑え込んだ。
「気が向いたらそうさせてもらうかもしれないけど、言っただろう。敬意を込めてってやつだから」
「でも後で、呼び名を変えるって自分から言い出すの、恥ずかしくて後悔すると思いますよ」
「言い出すような未来がくるのかねえ」
「自主性に期待していますからね。伊織君」
早速、彼女のお近づきの印を受けた。
さらりと呼び名を変えてきては、自主性とやらに期待し一層の笑みを向けてくる和栞に対して、「期待しても、何も出てこないぞ」と少しの反抗を伊織は見せたが、和栞を掠めもしなかった言葉は晴れやかな空へ、すうっと消えていった。
呼び名の提案なんて、ある程度仲良くなってするものじゃないのかと、今更ながらに思ったが、これが彼女の世渡り術なのだろうと感心もしていた。
改められた瞬間から、急に親近感が湧いてくる。
同時に、気を引き締めなければとも思った。
容姿だけで人を選ぶような伊織であったならば、とっくに和栞を追いかけるような行動に出ている。だが、生憎そのような度胸を伊織は持ち合わせていなかった。
あくまでも、和栞とはクラスメイトの一人として親しくなる。
それ以上のことは、今は全く考えていなかった――はずだった。
◇◆◇◆
午後二時ごろ。
街案内と言うよりも、会話メインの旅路となったが、ようやく目的地が見えてきた。
「あそこがよく使う本屋」
「ありがとうございます。大きなお店ですね。凄く助かります」
ご所望通りの場所に案内できたようで、彼女の顔がホッとした表情をしたのを見て、伊織も安堵する。
「いったんそれぞれ自由に眺めて、帰りに集合ということでいい?」
「長くなりそうでご迷惑をおかけしそうなのですが……」
「気にしなくていい。この書店なら何時間だって時間は潰せる。集合は月待さんの気が済んだらでいいよ。携帯に連絡してくれれば、時間を合わせる」
「ありがとうございます。わかりました。では、また後で」
店内に入るなり、二人は別れてそれぞれ思い思いに過ごした。
彼女から連絡が来たのは約二時間後のことだった。
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