第十三話「仲良しへの通過儀礼 呼ばれ名」
少し前までの自分には考えられなかったことだが、休みの日にたまたま立ち寄った地元の公園で、なぜかクラスで一番の美少女と偶然出会い、今日はこの街の「案内人さん」とやらを仰せつかるようになってしまった。
連れて歩く少女は、この町に引っ越してきたばかりということもあり、四苦八苦している事の一つが書店探しらしい。こちらにお勧めの書店までの道案内を求めたのだった。
伊織には足しげく通う心当たりがあるので、今は二人で書店に向けて歩みを進めている最中である。
異性と出歩くようなことは、小学校時代からの付き合いである千夏唯依を除いて、滅多に発生するイベントでもなく、今のこの状況は伊織にとって非日常を極めている。
当人に「デートか?」とふざけて問いかけた際には「好きに捉えていただいて結構です」と返されたものだから、正直面食らった。
自分の地元ということもあり、友人の目に留まる可能性も捨てきれない。
でも、和栞に好かれているだとか、今日を楽しむ以上の希望を持っておらず、今はなるべく彼女の力になってあげようと思うのみだった。
歩き始めて気が付いたが、女の子の歩幅は男にとっては小さく感じるもののようだ。
一歩踏み出すたびに歩幅差があるので、伊織が気を付けておかなければ、和栞との距離は直ぐに開いてしまう。
相手にあわせて歩くくらいの心得は伊織にもあるので、極力彼女が大変な思いをしなくていい様に、意識して和栞のペースに合わせるよう、ゆったりと街へ向かっていた。
大通りに出れば、書店までは一本道なので、何も迷う心配はないが、道案内にしては味気ない気持ちを持ってしまう。
奥ゆかしい雑貨屋や、自分が物心ついた時には既にあるような古い商店が並ぶアーケードを進む道もあるのだが、比較的狭い道幅なのに、人通りの多い挟廊であるため、人を連れて歩くには適さないと判断した。
奇を衒うこともなくこの大通り沿いの道を選んでいる。
「月待さん。書店までは商店街を通るルートもあるけど、今日は覚えやすいように大通りを使うから」
なにせ、初めて行く場所なのだから、彼女にも覚えやすくあるべきだという考えであった。
「わかりました。ついていきます」
横にちょこちょことついてくる美少女は、どうやら自分が思っていた以上に、人目を引いてしまう存在らしい。
自分達に向けられた視線に慣れていないので、伊織は心の深くで落ち着きがなかった。
(すげえな、美少女)
登校二日目にしてその存在が周囲に露呈してしまい、多くの視線を集める少女だ。
街中でもその容姿端麗という言葉に恥じない、好奇の反応を周囲から向けられていた。
当の本人は、一切周囲の目を気にすることなく、キョロキョロと周りを見渡して、道を確認しながら歩いている。
伊織は自分のクラスの生徒たちが入学早々に和栞へ向けた視線を思い出していた。
あの時と違うことと言えば、遠く後ろのほうから和栞の様子を眺めているわけではなく、横並びに歩いている姿が視界にちらちらと入ること。やはり彼女と行動を共にしている今の状況が不思議でたまらなかった。
普段歩き慣れている景色が、今は目新しく感じる。
気を張っているせいか、普段気にも留めない信号標識や街路樹の木目でさえも目で追ってしまう。
地元に居るのにこの町は今日の散策に味方してくれないようだ。
今この瞬間、町を歩いているということでさえも、彼女と一緒に歩いていると、夢を見ているようで現実味がなかった。
◇◆◇◆
「南波君はご友人には【さん付け】で名前をお呼びになるのですね」
和栞が口を開く。
耳に届く声は最近聞き慣れた声。
確かに夢ではないと悟った伊織が和栞の不思議そうな顔に気が付く。
何気なく聞いてきた質問だったので、その真意はうかがい知ることはできなかった。
「呼び捨てするほどの仲でもなければ、敬意が足りないかなと思ってるだけだよ。深い意味はないかな」
「では、仲良くなれば南波君も呼び捨てで、私のことを呼んでくださるということですか?」
「仲良くも何も、呼び方はひとつ。今のまま【さん付け】だと思ってたけど、ご不満な様子だな」
「なんとなくですが、仲良くなるには苗字呼びは壁を感じてしまうのですよ。南波君はよく呼ばれる、あだ名とかはないのですか?」
「野郎たちからは名前で呼ばれることが多くて考えたこともなかったかな」
「素敵なお名前ですもんね」
伊織も親から与えられた名前は、自身で気に入ってはいたが、改めて話題にされるとむず痒い気分になる。
男の子が生まれても、女の子が生まれても自分の子に「いおり」と名付けたかった両親が強く優しい子に育ってほしいということで漢字が当てられた。
語感の響きを気に入ってもらえるのか、珍しい名前なのか、友人たちは当たり前のように名前で呼んでくるから、あだ名なんてものは付けられたこともなかった。
たまに、司から「いおりん」とかなんとか呼ばれることがあったが、その多くは司が何か馬鹿にしてくるような話題の時にツッコミ待ちで呼ばれる事が多いので、ノーカンにしている。
「名前を褒められると正直、反応に困る」
早くも話題を変えたい伊織であった。
彼女は見逃してはくれないようで、真剣な表情で考え事を始めた様子だった。仲良くなるためにとの話の入りだった彼女には、どうも苗字呼びには隔たりとやらが見え隠れして、ご納得いただけない様子で、口元に力が入り、渋い顔をしている。
差し詰め、伊織にも思い当たる良い呼び名の持ち合わせがなかった。
「他の奴らと一緒で、伊織って呼んでくれてもいいけど」
何の気も無しに伊織の口から出た言葉であったが、ふと和栞は考え込む。
何か変なこと言ったかと、自分の言葉を振り返ってみたが、どうやら異性に名前で呼ばれる感覚を、親から発せられるもののそれと同義と考えてしまったことに、気が付いた。
異性、それも同年代の女の子から発せられる名前呼びなど、特別に親しい関係として意味をもつのではないだろうか。そして途轍も無く恥ずかしい提案をしてしまったのではないかと思えてしまい、羞恥心が精神をなぶってくる。
伊織は誤解を生まなくていい様、途端に訂正しようとした。
「ごめ……」
「流石にこちらも呼び捨てということは憚られるので、【伊織君】とかですかね?」
「は?」
ぽっと、遮るようにつぶやく和栞の言葉は、伊織が薄々感じていた焦りのものとは真逆だった。
下の名前呼びは彼女の中では決まってしまう寸前の様子だった。
「なんかこう、呼ばれ慣れてないから気恥ずかしさに悶えています」
「なぜですか、冬川君にも呼ばれてますよね?」
「男から呼ばれるのに抵抗はないけど、女の子に呼ばれるのには、慣れてないから」
「じゃあ私が初めての女の子ってことですね?」
「まあ、そうだけれども……」
「仲良くなれた感じがしますっ」
目の前の美少女は何やら伊織が感じた焦りや誤解を、更に上塗りしてくるような言動をしてきたのだった。
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