第八話「和栞のお気に入りとお願い」
穏やかに会話をする中で、彼女の身だしなみに目が留まる。
普段、制服を着ていて、黒髪を後ろで束ねる姿が多いが、私生活の彼女は、清楚なご令嬢とでも表現すべきか、生活感が一切顔を見せず、妖精や天使、はたまた女神など、どこか儚げで、今にも空へ旅立ってしまいそうな神秘的な雰囲気がある。
もちろん、彼女に翼が生えている訳でもなければ、手を伸ばせば触れることのできる人間であることには間違いないのだが、髪を下ろして風に流している姿は、学校では今まで一度もお目にかかることができていないので、先週同様にまだ新鮮な印象があった。
和栞は、景色の見渡せる柵の近くまでゆっくりと歩み寄ってきて、伊織の隣に並んだ。
彼女との間は程良く距離が保たれているが、風上にいる分、甘い香りが風に乗って届いてくる。
その艶やかな髪を保つシャンプーの香りなのか、彼女の愛用している香水か何かなのか。
妙に落ち着かない。
伊織の鼻をくすぐっては消えていく匂い。
静寂に包まれたこの場所とは無縁な、焦燥が心の奥から湧き上がった。
「町の桜も散ってしまいましたね。先週までとはまた違った景色で、見ていて飽きません」
「女の子は、土日は友達と買い物とか、そういう時間を過ごさないの?」
「嬉しいことに、友人もたくさんできましたが、皆さん用事があるようで。お約束はゴールデンウィーク頃までお預けです」
「それでまた、おひとり様で日向ぼっこという訳で」
「一人でいることも私にとっては大切な時間なので、嫌いじゃないですよ? それに、喋りかけてくれる方が、二週連続でいたので、退屈していませんし」
にこにことこちらを見つめてくる。
もしかすると一人の時間を邪魔してないかと心配していた伊織であったが、和栞にとっては、今この瞬間も不快に思わない過ごし方だと思っていることを理解して安堵できた。
「引っ越してきてから間もないですが、初めて見つけた時から、私にとってはここが心置きなくくつろげる所みたいです。暑くなるまでは過ごしやすいでしょうし、毎週末の日向ぼっこをやめるつもりは、当分ありませんね」
その優しく温もりのある声を伊織へ向かって届けると、穏やかに目じりを緩め笑顔を咲かせていた。
「南波君も、今日もなんの示し合わせもなくここにいらっしゃったということは、お気に入りになったのですね?」
「先週はたまたま来ただけだったけど階段で運動もできて、静かに散歩もできるから、休みの暇つぶしには丁度いいと思ってるよ」
「あの階段を上るには心構えがいりますからね。私も、南波君も物好きですね」
和栞は髪にさらりと触れながら続けた。
「もし、南波君が迷惑でなければ、たまにこうやってここでお話相手になってくれると嬉しいです」
突然、何かこちらが勘違いしてしまいそうな言葉が飛んできた。
(なに? 話し相手だって? 迷惑でなければ? 全然いいけど、でもなんで?)
思考を巡らせる伊織は、人付き合いの気まぐれで出た言葉だろうなと理解したが、一瞬で疑問に思う「和栞との距離感」を確かめておきたかった。
「それはどこまで信用していい言葉で受け取ればいい?」
「社交辞令ではありませんよ?言葉の意味通りで受け取ってください」
和栞はいたって真面目な顔で、目線を真っすぐに伊織に向ける。
「普通、そんな言葉を女子にかけられたら男はコロッと行って、自分が危ない目に合うから気を付けた方がいいよ?」
「そういう南波君も、歴とした男の子ではないですか。わたしも女の子なので、私にはコロッと行ってはくれないのですか?」
どこか、悪戯そうにこちらに問いかけてくるので、反論は残しておきたい。
「俺が容姿や態度で人を好きになるくらいだったら今頃、月待さんとはそういう接し方になってたかもしれない」
「嬉しいことを言ってくれるのですね」
「だが生憎、近くに叶わない恋をしてる奴がいるからな。学生のうちからの惚れた~とか腫れた~にはまだ、現実味がなくて気が進まないんだよ」
悪友の司は今もなお、千夏には届かない恋心を抱いていることを誰より近くで見てきた伊織だからこそ、現実はそう甘くないといった考えでここまで来てしまった。
「そいつは笑っちゃうぐらいに相手に突撃しては撃沈してるから、自分にとってもまだ現実味のない話に聞こえてしまうんだよなぁ。穏やかに、いち友人から始められませんかね?」
「南波君は言葉選びから、誠実で素敵な方だと伝わってきますが、たまには男性は大胆さも必要だと思うのですよ。そのお友達を見習ってみてはいかがでしょうか?」
「一途で悪い奴じゃないから、参考にできるところは見習ってみるよ」
話を流すように切り上げた伊織は、「やれやれ」といった表情で、笑みを向けている和栞から目線を逸らした。
「それがいいです」
妙に機嫌が良さそうな和栞を見て、笑顔が居た堪れないので、視線を景色に逸らした。
「そんな南波君にひとつお願いがありますっ!」
元気にひとつ指を立てて、和栞は伊織に話しかける。
「来週の土曜日は暇ですか?」
「その心は、いったい……?」
「先週お願いした、この町の案内をお願いしたいなと思っていて……」
「本当にお願いされてたんだ?」
無言で目線をまっすぐに頷く彼女が視界に入ってくる。
「かまわないけれど、これは暗にデートのお誘いですか?大胆ですね」
冗談交じりにこの場を取り繕う。
来週の予定は未だない伊織は、承諾する意思を見せながら頷いた。
が、和栞の満足に変わっていく顔を見るなり、気恥ずかしい思いが勝ったので視線が泳ぐ。
「エスコートという意味では間違っていないので、好きに捉えていただいて構いません。私がこの町で生きていくに困らないくらいにはしていただきたいです」
「ひとりだちかぁ」
「地元の知識を全て明け渡していただきますよ?覚悟しておいてくださいね」
ご指名いただいたからには、要望には全力で応えてあげたいと思いながら、彼女を見て少し笑った。
困っている美少女の助役とは男心に悪い気はしていない。
「連絡先、交換しませんか?」
和栞が携帯電話を取り出して見せてくる。
「何かあったら遠慮なくどうぞ」
「本当に遠慮はしませんよ?」
穏やかながらも、遠慮はしないとの言葉に力のこもった声が届く。
長いものには巻かれておけ精神で、その場の流れに身を任せていた伊織であった。
この街を案内するという役柄を、嫌な気なしに引き受けるくらいには、提案を持ち掛けてきた少女は容姿が可憐であったし、内心、お近づきになることに対しても、彼女とは楽しく過ごす事が出来そうで、興味本位で引き受けたまで。
伊織は、和栞から届いたあいさつ代わりのスタンプ通知をタップし、携帯電話を操作する。
表示の登録数字が一つ、静かに増えた。
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