72話 研究者としての望み
「その子が表の世界で生きることは難しい」
「そう思う理由は?」
「血の力だとも。そして彼女自身が、血を使うことを躊躇しない性格であること。この二つからそう考える」
お互いに護衛は少し下げられ、向かい合いながら会話をしていく。
セフィは近くにいるが、サイボーグの犬であるルシアンを撫でていた。
「血の力は、使わないように言い含めればいい。飲み込みが早く、手がかからない子と言ったのはあなただろう? 教授」
「ふむ、確かに教育でどうとでもなる部分ではある。しかし、薬物となる血の問題がまだ残っている」
「それに関しては、元いた組織では様々な薬をセフィの食事に混ぜて濃縮させていたと聞いた。薬抜きの生活を続け、しばらく様子を確認したい。その結果次第で返すかどうかを決めたい」
とにかく何事もないまま時間を稼ぎたいメリアの言葉を受けて、教授は軽く目を閉じる。
火器を持った護衛が近くにいなければ、どこかの学校にいそうな風貌だが、実際にはオラージュという犯罪組織を率いる立場の者である。
「彼女はこれまで薬物を混ぜた食事しか口にしていない。薬抜きの生活と言うが、悪影響が出てくる可能性も考えているのかね?」
「人間ってのは、それなりに頑丈だよ。あたしは大丈夫だと思っている」
「困ったことを言うものだ。ブラッドを生産できるのは彼女だけであり、替えが効かない唯一の存在。大丈夫だろうでは困る」
教授は目を開けると、堅苦しさを覚えるほどに真面目な表情のまま息を吐いた。
「そもそもの話、遺伝子操作をした動物や植物由来の薬というのは既に存在しているわけだ。メリア・モンターニュ君」
「だからといって、人間を使うのはどうかと思うけどね。ブラッドという薬を作り出すだけなら、他の動物とかでもできたんじゃないのか」
メリアの問いには、横に振られる頭だけが返ってくる。
「残念ながら、様々な動物で試したが駄目だった。成功はセフィのみ。彼女だけが、唯一の成功例であり、その肉体からブラッドを作り出すことができる」
「……そんなにこだわるなら、成分的に同じ物を作るというのは?」
「もちろんそちらの方も試したとも。しかしながら、利用者が言うにはどうにも違うらしい。成分は比率も含めて限りなく同じにしたのだがね」
さすがにセフィという個人に頼る状況は避けたいのか、色々と試してきたようだったが、そのどれもが駄目だったらしく、教授は苦笑混じりに肩をすくめた。
「科学というのも万能ではない。そう思わされる一件だった」
「しんみりしてるところ悪いけどね、お互いの意見をはっきりさせようか。あたしとしては、セフィをそちらに渡すつもりはない。まずはしばらく様子を見てから決める」
「それは困るな。こちらとしては、セフィを早く返してもらいたい」
話は平行線を辿り、このままでは武力を用いた交渉に移行しそうになる。
「……そもそも、オラージュという組織にとってセフィを引き取る意味はあるのか。既に儲かっているのに」
「オラージュには必要ない。だが私には必要だ」
「なぜ?」
「既にずいぶんと老いた身だが、乗り越えたい相手がいる。唯一の成功例であり、最高傑作である彼女を元に、さらに次の存在を生み出す」
「わざわざ教授と名乗ってるのは、そういうことか。どこの誰を越えたいんだ」
「大昔に亡くなった人物さ。メアリ・ファリアス・セレスティア。帝国から共和国が分離する前の時代における、最後の皇帝だ」
数百年も昔のことだが、かつて帝国は一つであった。共和国は存在せず、宇宙における圧倒的な超大国として君臨していたのだ。
そんな帝国に対抗するためにホライズン星間連合は生まれた。様々な国の寄り合い所帯ながらも、そのおかげで今になるまで存続している。
「悲劇に満ちた若き皇帝、だったか」
メアリ・ファリアス・セレスティアという皇帝については、貴族時代に勉強していたこともあってメリアは当然ながら知っていた。
ただし、その時学んだのは教科書に書かれた表向きのもの。
それ以外としては、彼女のクローンは作られており、自分がその一人であるということ。
「確か、即位は十歳の時。二十五歳の時に亡くなり、共和国の分離独立が確定した。……後継者となる子がいなかったために」
「うむ。その際のゴタゴタを知っている帝国貴族がいたなら、自ら出向いて詳しい話を聞きたいと個人的には思ってるが、まあそれは置いておくとしてだ」
共和国が分離独立したことで、帝国は半分の大きさになったが、強大であることには変わりない。
次の皇帝を目指す者は大勢いるだろうし、非常に熾烈な権力闘争が行われたことだろう。
しかしながら、それは本題ではない。
教授は軽く咳払いをしたあと、話を続ける。
「大昔の人物であるメアリ皇帝だが、彼女は多彩な才能を持つ人物であった。スポーツや芸術はもちろんのこと、研究者や軍人としてでも」
「それで、教授が乗り越えたいのはどういう代物なんだ?」
「それは不老不死」
「……は?」
まさかの言葉にメリアは驚き、口にできたのはそれだけだった。
「荒唐無稽なものだと思っているようだ。しかしながら、私が手に入れた情報によると、メアリ・ファリアス・セレスティアという名前にて、その研究が行われていたことは事実」
「まあ、帝国の皇帝ともなれば、長生きしたいだろうし、若いままでいたいだろうけども」
「生物の中には、若返ることで実質的に不老の存在がいる。不死はともかく不老は誰もが望むことだ。研究自体はおかしいものではない」
「で、それがどうセフィに繋がるのか」
不老不死というものを目指すにしては、血が薬物となり、さらに血を飲んだ他人を操れるというセフィの能力は、かすりもしないように思える。
そんな疑問に、教授はヘルメットを外してからメガネの位置を直しつつ答える。
「血を少しでも口にすると、頭の中に違和感が出てくるだろう?」
「そうだね。確かに違和感はあった。今ではほとんど消えかけてるけど」
血を舐めただけであるからか、メリアの頭の中の違和感は時間と共に薄れていき、今ではほとんど存在していない。
「ここだけの話をしよう。ブラッドを摂取し過ぎた重度の中毒者の遺体を解剖することがあったが、その肉体は若返っていたのだよ。部分的にだがね」
「……仕組みはわかっているのかい」
「残念ながら不明なままだ。それに、部分的に若返ったのは重度の中毒者だけ。日常生活を送るだけで精一杯な有り様でね。普通の薬物よりはマシではあるが」
「改良を進めたいわけか」
「そうだとも」
不完全ながらも若返るという事実がある。
ならば、研究者としては見逃すなどあり得ない。
不老を実現できる可能性が、目の前に現れているのだから。
教授は笑みを浮かべると手を伸ばす。
「どうだろう? 私の研究に協力してくれるなら、上手くいった時、君たちにも若返りの恩恵を分け与えることを約束しよう」
「それで頷けと?」
「セフィのことを心配しているなら大丈夫。彼女がひどい目にあわないよう、私は手を尽くした。元いた組織が彼女の手によって崩壊したのが、なによりの証拠だ」
どうするべきか。
仕事は仕事ということで断る、あるいはアンナを裏切ってセフィを引き渡す。
自分は選択できる立場にあるため、メリアはわずかに目を閉じる。
「……ひとつ、重要なことがある」
「なにかな?」
「結局セフィがどうしたいか。それに尽きる」
この場の視線が一人に集まる。
白い髪と褐色の肌をした少女に。
「……教授、あなたのところには行きません」
「どうしてだい? きちんとした待遇を用意してあげたのに」
「クローンはどうなりましたか? 同じ能力が出てこない失敗作だから処分しましたか?」
「機密のためだ。他の子はどうにでもなる。しかし、君の遺伝子情報は拡散する危険性を減らさなくてはならない」
「自分のクローンがひどい目にあうのは、気分が悪いです」
赤い目をまっすぐに向けて、少女であるセフィが口にした言葉は、他の異論を近寄らせない強さがあった。
「……それは、残念だ」
数秒ほど沈黙が続いたあと、教授は口を開く。
それを合図として戦闘が始まり、交渉はここに至って完全な決裂に終わる。




