70話 反応を待つ
「……うぅん」
眠っていたメリアは、自分のところにまで漂ってくる料理の香りで目を覚ます。
時計を見れば、アルケミアの襲撃から一日が過ぎているのが確認できた。
メッセンジャーを送り出したあと、向こう側がどう動くのか待つしかないため、ヒューケラの操縦室で一夜を明かした形となる。
「おはようございます。メリア様」
「ああ、おはよう……ってそれどころじゃない。こっちにまで香りが届くとか何を作ってる?」
「ルニウが数時間ほど鍋で色々煮込んでいます」
「だからか」
小型船のヒューケラだが、日常生活を送れる程度の設備は一通り存在している。
簡易的なキッチンには電気コンロなどが揃っているが、スペースの節約のため食事をするところに併設されており、換気扇を強くしないと船内に香りが充満してしまうのだ。
「あとどれくらいで出来上がる?」
操縦室を出れば、すぐに鍋の様子を確認しているルニウの姿を見つけることができる。
大きな鍋にたっぷりの具材が入っており、焦げつかないように混ぜているのだが、その近くではセフィが椅子の上に立って鍋の中身を観察していた。
「そろそろですかね。昨日は出来合いのを温めただけですが、今日はポトフですよ」
「冷蔵庫の中が空になってるが、まあいい。それとセフィ、危ないからそういうことはやめるように」
「いいえ。自分の体重や身体能力を考えると、これはまだ大丈夫な範囲です」
「……そうかい」
意外と自分の意見を出すセフィに、少々面食らうメリアだが、やがて鍋の中身が器に移されていくため気にしないことにした。
この場にいる人間は三人のみ。ただし、ファーナも食事はできるため、四人分の食器が並べられる。
「時間にどれくらいの余裕があるか不明だ。だから食べながら話す。ファーナ、アルケミアの掃除や修理はどのくらい進んでる?」
「現在進行形で半分ほどです。慣性制御システムを切った状態での急な加速や減速は、色んな箇所に負担がかかりました。掃除に関しては、わたしの動かす端末の数が少ないこともあって地道にといったところです」
攻撃を受けた外部に、戦場となった内部、その両方の修理は、一日程度では足りない。
とはいえ、時間があればどうにでもなるため、それほどの心配はいらなかった。
「そういえばメリアさん」
「うん?」
「セフィちゃんを狙う組織の代表と話し合うとして、何をどうするつもりですか? 引き渡すわけでもないでしょうし」
ルニウの疑問は当然ともいえるもの。
相手側はほぼ確実にセフィを求めるだろうが、だからといって渡すわけにもいかない。
アンナから受けた仕事のこともあるが、セフィという少女の血、そして能力は、犯罪組織に渡すにはあまりにも危険過ぎる。
「まず第一に時間を稼ぐ。一ヶ月経てば、アンナに任せることができるだろうから」
「でもこういうのって、延びたりする可能性が高くないですか? 期間の延期とかあり得そうで」
「わかってる。なので第二に、そもそも組織があたしたちを追えないようにしてしまう。具体的には、ファーナを向こう側の様々な機器に仕込んで大暴れしてもらうという形」
ファーナという人工知能は、端的に言ってまともではない。
普通の企業が出しているような物は色々な制限がかけられているが、ファーナはなんの制限もないため、どのような悪事であっても行うことができる。できてしまう。
「……あー、まあ、それは上手くいくでしょうね」
ルニウは食事の手を一時的に止める。
慣性制御システムを切って、アルケミア内部に侵入してきた者たちを一掃したことを思い返したためだ。
あれは人間ではないからこそ可能な手段。
あんなことを躊躇せずに実行できるファーナならば、かなりの効果が見込める。
「ただし、そこまで行くと、どちらかが完全に潰れるまでやり合うことになる。できるなら、時間稼いでそれで終わりにしておきたいが」
「……もう一つの手段があります」
その時、黙々と目の前のポトフを食べていたセフィが口を開く。
「血を飲ませて、同士討ちさせればいいんです。そうすれば、悩む必要なんかありません。邪魔する者は排除すればいい」
「そのためにはセフィから血を抜き取る必要がある。大量にね。それにどうやって飲ませるかという問題があるが」
「乾燥させて粉末に。あるいは水に薄めてスプレーを。それを利用して、口や目や鼻などの粘膜を通じて少しでも摂取させれば、あとは普通に血を求めてしまうようになります」
セフィが語る内容は、まるで自分がそうしてきたかのような説得力があった。
メリアはわずかに目を細めると、警戒混じりに質問する。
「……まるで、そういう手段を実際に使ってきたかのように聞こえるね」
「使いました。おかげで以前よりは自由になりました」
あっさりと認めるセフィだが、それはつまり自らの体質や能力をしっかりと理解して運用しているということに他ならない。
十五歳の少女、見た目だけならもう少し幼いとはいえ、それだけのことを実行できるのは末恐ろしいものがある。
「……あたしにそういうことしたら怒る。それだけは言っておく」
「あのあの、私のこと抜けてませんか? さすがに操られたくないんですが」
「ふう……ルニウのことも、一応操らないでほしいね」
「はい。わざわざ皆さんを敵に回すようなことはしません」
何事もなく食事を終えたあとは、アルケミアの修理に取りかかる。
オラージュというそれなりの規模がある組織を相手取るなら、対抗できる大型船は万全でないといけない。
ただし、アルケミアという船は古い時代に作られたため、同じ時代に作られただろうファーナしか本格的に修理することは不可能。
というわけで、アルケミアごと、大きな惑星にある宇宙港へと向かう。
目的は資材や食材の買い出しである。
「ああ、やれやれ、出費だけが増えていく」
愚痴るメリアだったが、今は必要経費として我慢するしかない。
「メリアさん、ちょっと買い物に出かけていいですか?」
「何かあっても助けられないけどね。とりあえず、何を買うつもりなのか聞いておきたい」
「ゲームです。アナログな物から、デジタルな物まで色々と」
堂々と言い切るルニウは、鏡を見ながら水色の髪の手入れをする。
「ほら、メリアさんの船って、あまり娯楽ないじゃないですか。もしオラージュとやり合うことになったら買い物に行けないので、それに備えて今のうちに遊べる物を用意しておくわけです」
「はいはい、早めに帰ってくるようにね」
「あ、それともう一つ。耳をこちらに」
「うん?」
なにやら言いにくそうにするルニウであり、少し手招きするのでメリアは首をかしげつつも耳を近づける。
「……メリアさんって、私と同じ大人じゃないですか。ムラムラした時とかに発散する道具を、ついでに買ってきましょうか?」
ドゴッ
いきなりずいぶんなことを耳元で囁かれたため、メリアは無言でルニウの足を蹴る。威力はそこそこ強め。
いわゆるローキックを足のすねに放ったのである。
「あぐっ!! すねっ、すねを蹴るのはさすがに……!」
「くだらないことを口にするからだよ。馬鹿」
「でも、宇宙船で過ごしてると結構大事な気が。うぅ、足が痛い」
「発散するだけなら、神経に電気信号を流せば一瞬で済む」
「えぇ、いや、そういうやり方はありますけど、ちょっと風情が」
苦痛も快楽も、結局は身体中にある神経から感じている。
ならば、神経に直接特定の電気信号を流せば、目的に合った効果を得られるのではないか?
そういう考えから、神経に接続する道具というのは生まれた。
なお、危険性があるので出力にはだいぶ制限がかかっており、そのせいで利用する人は少なく、あまり流通していない。
「風情も何もないだろうに」
「あの、ちょっと私も使ってみたいので借りることは」
「誰が貸すか。さっさと行け」
「あ、ちょ、蹴りは勘弁してください」
半ば力ずくで追い払ったあと、メリアは盛大にため息をついた。
こっそり話を聞いていたのか、近くにはファーナが立っていたからだ。
「わたしは様々なことをお手伝いすることができますよ?」
「黙れ」
「嫌です。ふふふふ」
「ちっ、このクソ人工知能め」
一瞬、睨み合う形となるが、途中でファーナは何かに気づいたのか表情を変える。
「……通信、というよりもメッセージが届いてます。暗号化された代物で、差出人はオラージュ」
「ふう、もうおふざけは終わりだ。メッセージは操縦室で聞く」
「はい。どういう内容か気になりますね」
お互い、先程までの様子は消え去っていた。
相手は詳細のわからない組織であり、おふざけをしている余裕はないわけだ。
メリアが操縦席に座ったあと、ファーナによってメッセージが再生される。




