42話 仕事のための仕込み
パンドラへの襲撃にはまだ時間はある。
それならば、今のうちに巨大過ぎる内部を少しでも把握しておくしかない。
証拠集めのためには迅速な行動が必要なのと、もし内部で戦闘になった時の備えとして。
どこがどうなっているか、知っているのと知らないのとでは大きく違う。
話し合いの翌日、メリアはアンナと共にパンドラへ再び訪れていた。
「よくよく考えたら、連続で朝から来ている二人組ってことになるけど、どういう目で見られてるのやら」
「それはもう、お金持ちな若者よ。そう思われるために身なりをしっかりと整えてるんだから。あとは、常連の私があなたを連れ回してるという風に見られてるかも」
ちょっとした疑問に対し、アンナは栗色の髪の毛を指先で弄りながら答える。
パンドラ自体の知名度はあまり高くはない。
そのせいか、帝国や星間連合から旅行客が訪れる惑星の軌道上にあっても、訪れる人の数はそれなりでしかなかった。
「……いったいどれくらいが、普通の客なんだか」
「半分より上でしょ。それ以外は……まあ置いといて、色々歩いて回らないと」
「そうだね。今回はちょっとした準備もある」
一般の客が入れるのは三層から五層までだが、その範囲ですら、スタッフ用の通路となっているせいで行けない部分はかなりある。
しかし、それをどうにかする手段をメリアは持ち込んでいた。
「ちょっとトイレに」
「あまり待たせないでね~」
まず一人だけでトイレに向かったあと、個室に入って鍵を閉める。
そのあと携帯端末をしばらく操作していくと、画面上にはデフォルメされたファーナの顔が浮かび上がる。
“無事に起動できたようでなによりです”
顔や口は動くが、音声はない。
画面上のメッセージウィンドウに文字が表示されるだけ。
“パンドラのシステムに、潜伏だけしておいてほしい。いざとなったら、こっそりハッキングを行うためにね”
メリアは別のところに表示されるウインドウに書き込んでいく。
文字だけのやりとりであるが、これは隠密に事を進めるため。
パンドラ側はもちろん、アンナにも知られないよう独自に動いているわけだ。
“いざという時の仕込みですか。お任せください”
メリアが持つ端末の中には、人工知能たるファーナが部分的に入っている。
控えめに言って、まともではない人工知能なため、悪いことをする場合の使い勝手はかなり良い。
外部からハッキングすれば誰がしているのか気づかれてしまうが、内部に潜伏させれば、混乱が起きたどさくさに紛れてハッキングを堂々と進めることができる。
“それじゃ、合図を出すまでさようならだ”
ファーナの一部分をトイレのシステムに潜伏させたあと、メリアは用を足したふりのために水を流してから個室を出る。
外で待っているアンナに合流したあと、他愛ない会話をしながら船内を巡っていく。
そして数時間が過ぎたあと、三層の飲食スペースで一休みしてから再び巡り、何事もないまま宇宙港へと戻る。
その後ヒューケラへ。
「さて、まずは大まかな地図を用意したけど、必要なものはどんなものがあると思う?」
ヒューケラ内部のテーブルにて、アンナは自分の端末と広げられた紙を交互に見ながら、驚くことに簡易的な地図を描いてみせた。
ただし、三層から五層まで。それ以外は不明なので空白となっている。
「なかなかの記憶力じゃないか」
「ふっふっふっ、私の記憶力もさることながら、端末にちょっと特別なアプリを仕込んでるからね」
「まあ、どういうアプリが入ってるか、いちいち調べるまではいかないか」
客の端末に入っているアプリを一つ一つ調べるというのは、あまりにも労力がかかりすぎる。
ゆえに、ファーナを仕込む用意ができたわけだが、メリアはそのことについては口に出さない。
「パンドラは五層あるものの、層ごとの合間はそこそこ分厚い。元々は宇宙における資源輸送船ということもあって、外側が分厚い装甲に覆われて、内部はスカスカな空洞って感じだったんだけどね」
「……むしろ、層の合間の空間がメインに思えるね。これは」
パンドラは全長が三キロメートルと巨大であり、高さの方は一キロメートルもある。
その中で一般の客が移動できる範囲は半分にも満たない。
「装甲部分だけで五十メートルあるけど、その代わり武装は皆無。展示以外に、保存するところやメンテナンスの通路があるとして……それでも広大なスペースが余るから、何が隠されてるか心配だわ」
「……なのに、襲撃のどさくさ紛れに侵入しようってんだから、あたしとしては恐ろしい限りだよ」
「なかなか確認が厳しくて、悪事の証拠を確保できないのよ。そうじゃなかったら、こういう危険なことをしなくて済むんだけど」
一般向けに解放している部分と、そうではない部分の差は大きい。
普通なら、船内の各種施設を維持するための様々なスペースと考えてよかったが、このパンドラの中では違法なオークションが行われている。
荒事専門の者もいることから、兵器の類いが隠されている可能性が大いにあった。
「まあいいさ。流れ弾に気をつけるとして、そっちで用意できる武装はどんなものがある? こっちは、海賊としてのものを少しだけ。あとは火器を持たせた船外作業用の人型機械くらい」
「この案件は、今のところ私個人で動くことになってるから、個人の武装はメリアと似たり寄ったりね」
「……戦闘は避けて、さっさと目的を済ませるに限るか」
改めて自分たちの戦力不足を痛感することになるメリアだったが、あまり不安に思ってはいなかった。
ファーナという、強力な存在が味方にいるからだ。
ハッキングによる支援があれば、戦闘を避けて目的を果たすことは難しいものではない。
「それじゃ、明日以降もお願いね?」
「わかってる」
アンナが帰ったあと、メリアは隠れていたファーナとルニウを呼ぶ。
理由もちろん、パンドラで襲撃があった場合にどう動くかについて。
「ファーナは電子戦などを行うとして……ルニウ」
「は、はい」
「宇宙船の操縦はどのくらいできる?」
「そこそこは。メリアさんほどは無理ですけど」
「なら、あたしがパンドラの中に入ったあと、一時的にこの船を任せる」
「い、いいんですか?」
それはルニウからすれば驚くべき提案であり、緊張した様子で聞き返すと、メリアは軽く頷いた。
「ファーナに任せるというのも手だけどね、処理するものが増えれば負担が増えて、一つあたりの速度が遅くなる。ハッキングの速度はあたしの命に関わるからね。ただし、くれぐれも沈まないように。脱出する手段がなくなる」
「が、頑張ります」
「もしかすると、敵対的な奴らが乗り込んでくるかもしれない。そういった奴らの迎撃もやるんだよ」
「できる限りのことはします。……ところで、今のうちから操縦してもいいですか? 慣らしておきたいので」
「ああ、いいよ。今日の分のアンナとの予定は済んだ。それに、ルニウの腕前を見るちょうどいい機会でもある」
宇宙港から出る際、多少の手続きが必要だった。
それは入港する宇宙船との衝突を避けるために必要なものだが、少々面倒くさいものでもある。
ヒューケラがいくらか惑星マージナルから離れたあと、メリアは操縦桿をルニウに譲る。
「行けそうかい?」
「大丈夫です。どの国のものでも、大きな違いはないですから」
静止状態にあったヒューケラは徐々に加速していくと、やがてただの宙返りや捻るような旋回を行う。
小型の宇宙船は、戦闘機とあまり変わらない感じで動かすことができるが、さすがに軍用のそれと比べると劣る部分は多い。
「次は攻撃を試したいんですけど」
「惑星の近くでは駄目だ。警察が通信入れてきてチクチクと小言を言ってくる。万が一、他の船に当たれば、保険やらなにやらで面倒なことになる」
「え、そういう経験があるんですか」
「……若い、幼い頃にちょっとね。それで結構な罰金を支払ったことがある」
あまり良い思い出ではないのか、そう話すメリアの顔はややしかめっ面となっていた。
「何が面倒かって手続きがね。家出少女に思われた時はどうしたもんかと」
「へー、そんなことが。メリアさんの昔のこと、もっと聞きたいですよ」
「同じく」
「興味を持つな。今は目の前の操縦に集中しろ。それとファーナは黙ってろ」
それからルニウによる慣らし運転は、メリアによる指導のもと数時間続き、終わる頃には、操縦していた本人がふらふらになるほどだった。
「うぅ、長く操縦するのって結構疲れが」
水色の髪はじんわりと汗で湿っていた。
「実戦はさらに疲れる。回避に攻撃と忙しいから」
「……これは頑張らないといけませんが、間に合いますかね?」
「何言ってる。間に合わせるんだよ。実戦になった時、準備不足だから見逃してくださいとでも言うつもりか?」
それから数日の間、メリアはパンドラでの探索と並行してルニウの指導も行う。
メリアができない時は代わりにファーナが手伝うが、そのせいで食事や睡眠にわずかな休憩時間以外は、常に操縦することを求められるルニウであった。
「あの、メリアさん、一日十二時間はさすがに……集中力とかがその……」
「集中力が鈍った状態での練習ができるじゃないか。泣き言は聞かない、やれ」
「はい……」
少ない手札をどう活かすか。
それは今後を考える上でも重要なことだが、考える時間はすぐになくなる。
星系内に、あからさまに怪しい宇宙船の集まりが増え始めたからだ。




