273話 フルイドの返却
フランケン公爵領に到着すると、すぐに通信が届いた。
文章だけの簡素なものであり、その中には、公爵となっているソフィアが過ごしている屋敷の座標と、貴族として招待するという慇懃無礼な挨拶が記されていた。
「……貴族として、ねえ。面倒だけど身なりは整えておくか」
「髪型も弄りますか?」
「そこまではしない」
「私たちも参加できたりとかは」
「したいならすればいい。服装はきちんとしたものに着替えておくように」
「目をつけられたくないのでルシアンと一緒に留守番してます」
「わかった」
ソフィアのいる惑星ヴォルムスまでまだ少しかかるため、メリアは貴族らしく振る舞うために高価な衣服に着替えていく。
戦闘には向かないが、化粧も何もせずにただ着替えるだけで、美しい貴族の女性がそこに現れる。
それを見たルニウは抗議する。
「時々思うんですけどメリアさんってずるいですよね」
「何がだ」
お互いに、どのネックレスをするか選びながらの会話。
首の後ろに手をやり、指先で留め具を弄っていく。
「まず一番目に出てくるのは、美しいということ。海賊やってきた人間には見えないくらい綺麗な肌をしてますもん」
「基本的に、紫外線とかには当たらない日々だったからね。海賊になってからは特に」
宇宙で過ごす場合、地上よりも紫外線を浴びる機会は少なかったりする。
宇宙船の中で生活のほとんどが完結するため、ほぼ人工的な光しか浴びないのだ。
船外作業を行う場合でも、宇宙服を着た上で作業用の人型機械に乗り込むため、やはり有害な宇宙線から人体は守られる。
栄養のバランスが取れた食事、適度な運動、これらも合わさることで、その美しさは維持されているわけだった。
「子どもの頃は浴びてましたよね? というか子ども時代のメリアさんを見たいです。昔のアルバムとか写真とかないですか?」
「ないよ。当時のあたしは、検査ということで私物を持ってなかった。かつての実家は、あたしが海賊やってる間に両親が亡くなったから残ってない。アンナなら、何か持ってるかもね。まあ、ここにはいないんだが」
共和国での一件が済んだことにより、アンナは既にこの船を降りていた。
再び会おうとすれば、一週間か二週間はかかる。
通信だけで済ませるなら数時間で済むかもしれないが、万が一傍受される可能性を考えると、過去の写真を見せてはくれないだろう。
「くっ……いつか見てみます」
「はいはい。その前にまずは着替えを済ませて、くそったれなオリジナルに会いに行くのが先だよ」
惑星ヴォルムス。
そこはかつて海賊に乗っ取られていたが、海賊たちをまとめていた者をメリアが殺したあと、ソフィアの叔父であるエルマーによって最終的に海賊は一掃された。
それでも地上に有象無象の犯罪組織が蠢いているが、武装している海賊に比べればどうとでもなる。
軌道エレベーターではなく、大気圏を突入できる宇宙船で直接降りてくるよう通信が入るため、メリアたちはトレニアの格納庫にある小型船に移り、言われた通りにする。
「いっそこのまま屋敷の庭に降りてやろうか」
「それはさすがにまずいのでは」
操縦室から見える下の景色に対し、メリアは苛立ち混じりに呟くも、さすがに実行はしない。
コンクリートなどで整備された場所に着陸すると、手鏡で髪や衣服に問題がないのを確認してから外に。
「やあ、待ってたよ。フランケン公爵は屋敷の中だから一緒に向かおうか」
「ちっ……」
「人の顔を見ていきなり舌打ちとはひどいなあ。お互い同じ顔なのに」
近くにメアリがいて、しかも昔からの友人に会ったかのような態度で手を振ってくるときた。
メリアは盛大に舌打ちをすると、鬱陶しいオリジナルを無視して屋敷へと歩いていく。
ファーナとルニウはそれを追いかけるわけだが、その時メアリに声をかけられる。
「彼女と長く一緒にいるだろう君たちに、少し聞きたいことがあるけどいいかな?」
「質問の内容次第です」
「そうですそうです。あまり時間ないですけど」
どうして声をかけてきたのか?
そんな疑問はすぐに吹き飛ぶような質問が行われる。
「メリアのことは好きかい?」
「……どういう意図の質問ですか」
「もちろん好きですよ」
ファーナは警戒するも、ルニウは堂々と答えた。
「ふむ。好きと答えた君にさらに尋ねよう。彼女は私のクローンであり、私は同じ顔で同じ遺伝子を持っている。私を好きになれるかい?」
「いいえ。私が好きなのはメリアさんなので。顔や遺伝子が同じでも、別人でしょう?」
「なるほど。それじゃ、もう一つ。このあと面白いことになるけど、君たちは黙って見ていてほしい。これは“お願い”だ」
お願い。
ほとんどの人にとっては言葉通りの意味だが、皇帝だったメアリが口にするなら、それは実質的な強制に等しい。
権力は失われているが、彼女を信奉する者は大勢いる。
「何があるのか興味深いので見物しておきますよ」
「そうですね。ここは一度、見物人となりましょう」
ルニウは仕方なさそうに頷くと、やや遅れてファーナも頷く。
メリアはだいぶ先にいるため、ここで行われたやりとりを知ることはなかった。
「さて、メリア。公爵に会う前に、例のものを渡してほしい」
「ああ。ほら」
屋敷に入る直前、扉の前で小さな箱が手渡される。
その中身はフルイド。
自らの形状を変えられるため、小さな箱に入るくらいコンパクトなサイズになっていた。
「うん。確認できたよ。本当は、もうしばらく置いていてもよかったんだけどね。その方が、お互い素のやりとりができるし」
「ふん、あたしが置きたくない」
「残念だけど仕方ない。それじゃ、せっかくだからソフィアに会いに行こうか」
気軽な様子で屋敷の中を先導していくメアリ。
それを見たメリアは内心首をかしげた。
ずいぶんと楽しげだが、ここで何かあったのか。
その答えはすぐに判明した。
使用人らしき男女に応接間へと案内されたあと、礼服に身を包んだソフィアが、なんとメアリに対して頭を下げたのだ。
そしてメリアの方を見ると、次の言葉を付け加えた。
「こちらの方は、わたくしの遺伝子上の母であるとのことでした」
「……待った。いったい何がどういうことなのか、一から説明を」
いきなりの驚くべき事実に状況を飲み込めないメリアだったが、説明は長くなるということなので全員が空いている席に座る。
最初に口を開いたのはメアリだった。
「フルイドと人類の交流をするイベントがもうしばらくで始まるわけだけど、これは私が計画したんだよね」
「で、それがどうして遺伝子上の母親という話に繋がる?」
「私のクローンを作ったけど、私からしても想定外の人数だったことは以前話した」
「ああ。そして生き残りはあたしだけということも」
「いやね、ちょっと困ったことに、信奉者の中に私の遺伝子を勝手に使って実験をした者がいてね。なんと言えばいいのか……私の遺伝子の比率を変えながら作成したというね」
通常、子どもは両親の遺伝子を半分ずつ受け継いで生まれる。
その比率を弄るというのは、かなり挑戦的なものであり、もはや人体実験と言っていい。
「交流するイベントを準備してる間、私は他の貴族の弱味を探っていたけど、そんな実験がこっそり行われていたことに気づいた。当然ながら、私やその信奉者たちにバレないよう、こっそりと隠されててね」
「弱味を握った貴族を動かし、また内戦を起こすのか」
「しないしない。私が何かする際に協力してくれるよう“お願い”する材料に使うだけだから」
「それで、勝手な実験によって子どもが作られたから、一目見ようと?」
「なんだか言葉にチクチクするものを感じる。まあ、私に隠れて行われた実験の成果がどうなったか、普通に気になるってものじゃない?」
耳目を集めるイベントを開催しつつ、帝国における特権階級たる貴族の弱味を握ることも並行して行う。
メアリ・ファリアス・セレスティアという女性は、骨の髄から権力者であるわけだが、そんな彼女でも、自分の把握できなかった計画にわざわざ足を運ぶくらいには、興味が湧くようだった。
「その言い方からすると、どこの誰がやったのか知っているようだが」
「アスカニア家の当主たち。つまりはソフィアの両親。私の遺伝子が五割、あとは両親で半々。よくもまあ無事に生まれて成長しているなという驚きがあるよ」
「…………」
メリアは頭が痛くなってきたのか、こめかみの辺りを揉む。
どうしてこうも厄介事がやって来るのか。
軽いため息をついた。
「で、それをあたしに知らせてどうする?」
「君の反応が見たかった。正直なところ、物足りない」
「死ね」
自分の生まれの秘密という重大なことを、軽く利用されているソフィア。
彼女は今どう思っているのか。
メリアが視線を動かすと、ぺこりと頭を下げた。
「お世話になったので、お知らせしておこうかと」
「……そうかい」
「安心してください。わたくしの母上は一人です。こちらの方ではありません」
「ならよかった」
「おっと、みんな冷たいね。この件については私は被害者なのに」
「今までの行動を振り返ってみろ」
これ以上ここに残る意味はないとばかりに、外へ向かおうとするメリアだったが、扉に手をかけた時メアリに呼び止められる。
「そう急がなくてもいいじゃない。少し協力すてほしい」
「……何を?」
「せっかく異なる種族が交流イベントが控えているんだ。何か問題が起こらないよう、火種は消しておきべきじゃあないかい?」
言い分自体は間違っていない。
それを言ってる本人が問題といえば問題だが。
「断る」
「あら残念」
「あたしに頼らずとも、そっちの派閥とかの奴らで事足りるだろうに」
「まあね。それじゃ、たまにはソフィアと会ってやってほしい。君は好かれてるけど、私は嫌われてるみたいだから。ばいばーい」
なんとも気さくな感じで手を振ったあと、屋敷を出ていき、車両に乗ってどこかへと去っていった。
お騒がせな者がいなくなったあと、ソフィアは言う。
「お願いがあります。少し助けてもらえませんか」
「内容は?」
「共和国で海賊の討伐が進められるているのですが、そのせいでわたくしの領地に逃げて来る者がちらほらいます。こちらの準備が整うまでの間だけでいいので、海賊をどうにか抑えていてほしいです」
「どのくらいかかる?」
「一週間ほどです。用意は進めていますが、規模が大きくなると動きはどうしても遅くなって……」
「どうせなら、あたしがやってるなんでも屋への依頼ということにしといてくれ。実績を増やせば、儲かりやすくなる」
「わかりました。あとで依頼を送ります」
海賊はまとまった勢力ではなくなったが、それでもなお脅威であることには違いない。
表を生きるための看板として、なんでも屋を立ち上げたメリアだが、これは良い機会とばかりに会社の仕事にしてしまう。