222話 呼吸可能な大気がある惑星
「ここには色々な船がありますね」
港を目にしたメリアは、当たり障りのない感想を口にする。
十メートルほどの小さな船から、百メートル近い船まで、様々な種類のものが存在していたからだ。
周囲には、なにやら船の点検や掃除を行う者が十人ほどうろついている。
その中で乗り込むことになったのは、二十メートルほどの小型船。
屋根が存在し、さらには調査用の機材も揃っている。
「大きい船であればあるほど、軌道エレベーターから遠くに向かうことができます。天候の問題などがありますので」
「となると、この大きさだと少し離れた辺りですか?」
「はい。小さい船の方が小回りが利くのと、水面をより近くで見ることができますから」
言ったことを示すかのように、女性の研究者は船から身を乗り出して水面に手を伸ばそうとする。
さすがに届きはしないが、船にぶつかった波のしぶきが手にかかった。
「このあとどこに?」
「……このドゥールという惑星は、軌道エレベーターのあるところ以外は、すべて海となっています。方角としては西、としか説明ができません」
「何が出てくるのか、楽しみにしています」
「それでは皆様方、今から出発しますが、船から落ちることがないよう注意を」
今乗っている船は、一人でも簡単に操縦できる代物なのか、推進機関が作動するとどんどん港から離れていく。
そして、とあることにメリアは気づいた。気づいてしまったとも言える。
「……景色が変わらない」
なんともまあ殺風景な限り。
海しかない星に降り立ち、しばらく海を眺めて出てくる感想がそれだった。
前を見ても、横を見ても、水平線が広がるばかり。後ろを見れば、軌道エレベーターがあるものの、それは見ていて楽しいものではない。
魚のような謎の生物が、時折とはいえ水面から空中に飛び出すことはあるが、距離があるせいで人間の視力では詳しいことはわからない。
「海というものを楽しむには、やはり水中に潜る必要があるのでは」
「そうですよ。水着に着替えて潜る……のはどんな生物がいるかわからないので不安ですけど」
「水上を進む船ではなく、水中を進む潜水艦を借りる方がいいのかもしれません。お母さんに貸してくれるか不明ですが」
思い思いに話していく中、数十分後には全員が静かになる。
間近に謎の生物が存在しているため、何を言うべきか言葉が出てこないのである。
それは、青と緑が混ざったような色をした海藻らしき存在。しかし、巨大な魚のような形状をしており、目や口らしき部位を確認することができた。
そしてその生物が目的だったのか、船は停止して研究者の女性は説明を始めていく。
「こちらをご覧ください。この海しかない惑星ドゥールにおいて、人間が呼吸できる大気を生み出している存在です」
「……動物ですか? 植物ですか?」
「一見すると、混ざったような感じに思えますが、実際は巨大な魚の死骸に取りつく藻類の一種です。目や口に見える部分は、さらに別の藻類が取りつくことで魚のように見えるというわけですね」
その藻類は、魚の死骸に取りつくと、他の存在に食べられてしまう前に全体を覆うとのこと。
ある程度の毒性を持っているため、丸ごと食べられるようなことはなく、やがて取りついた死骸を自身の栄養に変えたあと、海流に沿って遠くへと移動していく。
その際、一部がこうして水面に浮かんでくるが、他の魚が産卵したり、稚魚が随伴したりするので、水中においてとても重要な役割を果たしている。
「いかがでしょうか。このような藻類のおかげで、人間が呼吸可能な大気が生み出され、こうして我々は宇宙服を着ないままでも惑星上で活動できるというわけです」
「広大な宇宙においては、呼吸可能な大気が存在する惑星というだけで、かなりの価値があると思います。……現段階において、ドゥールの開発に名乗り出ている企業はどれくらいありますか?」
呼吸可能な大気がある惑星と、ない惑星。
その二つの価値には雲泥の差が存在する。
空気を補充する中継地として利用できるかどうかという部分において。
海しか存在しないドゥールという惑星だが、人間がそのまま呼吸できる大気という時点で、圧倒的なまでのアドバンテージがある。
大気が存在していても、多少は調整しないと人間が利用するには向かないところというのもあるからだ。
「詳しいことは、ここのまとめ役でもある海洋学者のパウロさんが知っています。私にわかるのは、帝国のいくつかの企業がジリー公爵と交渉をしているということだけ。もしかすると、共和国や星間連合の企業も名乗り出ているかもしれません」
「……やれやれ、のんびり観光したいところだけど、貴族としては企業関係に目を光らせないといけないとは」
調整せずとも呼吸可能な大気に満ちている、未開発な惑星。
陸地のない海だけとはいえ、それはそれで海と関係が深い一部の企業にとっては嬉しい限り。
基本的に、惑星の開発というのは大きな制限がある。
宇宙には様々な惑星があるが、呼吸可能な大気がある惑星となると、とても希少な部類に入る。
大気のない惑星なら、そこそこ無茶なことをすることができるが、大気のある惑星ではそうはいかない。
宇宙船が割と自由に行き交う現代において、空気は一つの資源と見なされるようになっているからだ。
「最初に開発を認められるのは、いったいどこなのか。企業からすれば、自分が一番乗りしたいはず」
メリアは、水面を漂う巨大な海藻を眺めながら呟く。
開発に制限があるとはいえ、それはある程度開発が進んでからの話。
つまり、最初に開発を行う企業にとっては、制限が実質的に存在しないも同然。
そういう意味では、既に企業間の争いは始まっているとも言える。
「企業に関しては惑星の所有者、つまりメリア・モンターニュ伯爵次第になります」
「とはいえ、完全に独断で決めることはできない。学者や研究者の意見を聞いておかないと。なにせ、ジリー公爵と関わりがあるのだから」
「まあ、無節操な開発は研究どころではなくなるので、勘弁してほしいという気持ちはあります」
「ところで、あれは?」
メリアは、船に備え付けられている、謎の機材を指差す。
双眼鏡のようなパーツと、大量の部品によって構成されているところからして、何かを見るためのものであると予想できる。
研究者の女性は、軽く頷くと説明をする。
「これは、水中を見るための道具でして。より具体的には、海底付近の観察など」
「カメラを搭載した機械を遠隔操作するだけでいいのでは?」
「直接見てみたいじゃないですか。波風に揺られながら、比較的浅い海底をのんびりと見ていく。しかも上から成果を求められることがない。最高ですね」
「そ、そう……」
なんだかんだ変人だなという感想が出てくるメリアだったが、せっかくなので水中を見ることにした。
なお、ファーナたちも見てみたいとのことなので、交代しながら見ていくことになる。
「へえ……これはまた……」
道具越しなので、見える範囲は限られていたが、水中の光景は思わず感嘆の声が出るくらいには神秘的だった。
宇宙は、かなり広大であっても何もない空間の方が圧倒的。
しかし水中は、小さな魚が集まった巨大な群れに、それを食べようとする大型の生物、さらには大型の生物同士による喧嘩も確認できた。
海底に意識を向ければ、カニやヒトデの集まりを発見し、機械が近づいたからか慌てて砂の中に隠れる貝を見ることも。
とにかく、そこかしこで生物が活動しており、海の中を見る機会のなかったメリアからすれば、飽きない光景だった。
「うん?」
そろそろ交代しようというその時、海底に何か人工物が落ちているのを発見する。
球状に見えるが、藻類がくっついているせいで正確なことは不明。
あれはなんなのか、研究者の女性に交代して確認してもらうと、さっそく回収することに。
「一人では大変なので、皆様には少しばかりお手伝いを」
「もちろん、手伝いますよ」
作業自体はすぐに済む。
相手は動き回ることがないので、船に積まれている機材の一つを慎重に水中へ沈めていき、球状の人工物を掴んで引き上げるだけ。
船の上で藻を取っていくと、メリアは少しばかり険しい表情になった。
「これは……ポッド型の人工子宮。ファーナ、内部のスキャンを」
「内部は海水以外は空です。少なくとも、使用途中で捨てられたわけではなさそうです」
すぐさま研究者の女性に、ゴミの不法投棄に心当たりがないか尋ねるも、返ってくるのは横に振られる首のみ。
これが、軌道エレベーターの工事の最中に捨てられたゴミなら、モラル的にはよろしくないとはいえ理解はできる。
しかし、ポッド型の人工子宮ともなれば、さすがに調査しないといけない。
機材の高価さ以外に、どこの誰が捨てたのかという問題がある。
「人様の土地にゴミを投棄する。これはさすがに見逃せないから、調べて叱りにいかないと」
水の星が自分のものになった。
なのにこうして不法投棄されたゴミが存在している。
これは半分喧嘩売っている行為なため、どこの誰がしているのか見つけ出す必要がある。
それを心の中で決めたメリアは、まず船を港に戻らせてから、このドゥールという星について色々知っているだろうパウロのところへ足早に向かう。
投棄されたゴミを持ったまま。