208話 形式上の夫婦
基地内部での戦いは、アンナが率いる共和国の部隊が優位な状況にあった。
これは相手の装備がそれほどでもないのと、全身が機械となっているヴィクターが戦力として強力なのが大きい。
「隊長、大部分の区画を制圧することに成功しました」
「隊長はやめて。私たちは、メリア・モンターニュの艦隊に、自発的に加わった海賊であるわけだから」
兵士の一人が発する言葉に、アンナは軽く頭を横に振る。
表向きには、自分たちは海賊であり、共和国の軍や政府とは無関係であるという風に演じないといけない。
これは、星間連合に正規軍を送り込めない共和国政府の一部の意向を受けて、アンナを筆頭とした特殊部隊が派遣されているがゆえの対応。
そもそも、どうしてそんな部隊が派遣されているのか。
「しかし、ヴィクターまでもが投入されるとは思いませんでした」
「まあ、アステル・インダストリー絡みだから」
「政府との癒着が強すぎる企業というのは……色々な意味で困ったものです」
これは、オラージュという組織が若返った臓器を販売していたりするのだが、その顧客のリストの中に、共和国の政府とアステル・インダストリーが記されていたからだ。
パンドラ事件からそれほど経っていないのに、新しい不祥事が出てきてしまうと、政府としては大企業に厳しい措置をしたくないのにする必要が出てくるため、今ここにいる送り込まれているのは火消しのための部隊ということになる。
ピピピピ……
「おや、端末が鳴っていますよ」
「これは私物の方……となると、あの子からか」
アンナは既に確保した一室に移動すると、端末の画面を軽く弄って耳に当てる。
「こちらアンナ」
「セフィです」
「わざわざ、私が以前教えた個人的なやつに連絡を入れてくるということは、そっちは終わったの?」
「はい。教授は亡くなったので、オラージュという組織はもはや終わりを迎えるだけでしょう」
「合流したいから、どこにいるか教えてくれる?」
「それは言えません。しばらくこのままでいたいので」
「……そう。ファーナやルニウは怒るでしょうね」
「問題ありません。それどころではない事態になるので」
「それはどういう?」
何やら、このあと起こることを既に知っているような様子で話すセフィに、アンナは軽く首をかしげた。
「今は教授がいざという時のために用意した船の中にいますが、その船のレーダーには大量の反応があり、近づいてきています。およそ二百隻」
「生前の教授が呼び寄せた戦力か、あるいは漁夫の利を得ようとする他の勢力か。まあ、二百隻ならファーナの方で対処できるはず。私たちは、基地の制圧を進めるわ」
「あまり急がなくてもいいですよ。のんびりとしてくれたら、こっちとしても色々楽しめるので」
「……その“お楽しみ”には、私も混ぜてもらえるのかしら?」
「死なずにここまで来れたなら」
セフィの言葉は、まるで死ぬかもしれない強力な存在がいるというのを匂わすものであり、アンナはお礼の言葉のあと軽く笑うと通信を切る。
その直後、新たな通信が入ってくる。
基地を包囲しているファーナからのものだった。
「緊急連絡。敵対的な艦隊が接近しているので、それへの対処のために包囲を解きます」
「そう。基地は既に大部分を制圧したから、私たちのことは気にしないで」
ファーナからの通信が切れたあと、アンナはヴィクターや兵士たちのいる通路へと出る。
そして、外部から敵対的な艦隊が接近していることを伝え、早く基地全体を掌握する必要があることを訴えた。
「さて、残る区画の制圧のためにセキュリティの解除をしないといけないわけだけど」
「少しばかりの時間を」
待つ間、アンナは基地内部の大まかな構造が記された図面を見る。
小惑星として偽装された基地だけあって、内部の広さは大型船並みであり、多少手間取った。
研究施設、実験体、そのようなものを見つけたが、本命となるものはまだ奥深くに隠されている。
それは、ブラッドという薬物の重度の中毒者。
共和国政府から、確保できるなら確保するように求められているのだ。
「……やれやれ、私がここで戦っている間、あの子はメリア相手に何をしているのやら」
セフィ自身が教授を殺すことはない。
教授にとって、セフィは失うわけにはいかない重要な存在であるため、保護下にある限り安全であるから。
そんな彼女が、教授の死を伝えた。
ファーナやルニウからの報告はない。
つまり、この基地のどこかで戦闘が発生し、それにメリアが勝利したということに他ならない。
色々楽しめるというのは、血の力を使ってメリアを操っていると考えていい。
「そろそろ解除できます。戦闘の用意を」
「ええ。ヴィクター、最初の突入は任せるわ」
「了解した」
二メートルを越える人型の機械。
見ているだけで威圧感があるが、そんなヴィクターを見るアンナの目には、どこか複雑なものがあった。
少なくとも、夫に向ける目ではない。
やがてセキュリティが解除されると、閉じた扉が開くので、ヴィクターが銃撃と共に突入を行う。
やや遅れて人間の兵士たちが後ろに続く。
まずは頑丈なものに先陣を切らせ、その後ろから援護するというのは、単純ながらも強力なため、基地内部での戦闘は負傷者は出ても死者はでなかった。
しかしながら、それはヴィクターがほとんど無傷であるからこそ可能な方法。
どこからか犬の鳴き声が聞こえたかと思うと、銃撃ではほとんど損傷しなかったヴィクターの片腕が破損する。
「これは……装甲と骨格部分が破壊された! 至急後退を!」
「グルルルル……」
「あれは、犬ね。確かルシアンという名前の……」
報告では知っていた。
教授は自身の信頼できる護衛としてサイボーグ化した犬を保有していることを。
だが、今まで出会わなかったからか、あまり気にしていなかった。
てっきり、教授の護衛をしていると思っていたが、なぜか単独でこの場を守っている。
「教授は既に死んだわ。それでも守るつもりでいるの?」
一応、声をかけてみるが意味はない。
ルシアンはちらりと顔を向けるも、すぐにヴィクターの方へと戻したからだ。
「人間では相手するのが難しそう。ヴィクター、あの犬の相手をお願いできる?」
「援護を貰えるのであれば。どうやら、この区画はとても重要なものがあるようだ」
よく見ると、この区画にはオラージュの者はいない。いるのはサイボーグ犬のルシアンだけだ。
だが、そこに新たな戦力が現れる。
それはアンナにとって、より正確には共和国の者にとって見覚えのある存在。
「隊長、あれはキメラのようです」
「見たところ、あの犬と共にこの場を守っているようですが」
「迷うわね。突破するべきか、あえて引き下がるべきか」
ルシアンは、ヴィクターに損傷を与えられるくらいには攻撃力がある。
キメラの方は小型とはいえ、まるで一つの部隊のように動いているため、正直なところ限られた武装しかない現状では相手したくない。
そこでアンナは一つの決断を下した。
「ヴィクター。目の前にいる敵を足止めしてくれる? 私たちは逃げて先程の扉を閉める」
「了解した。それが命令であるのならば」
囮となって死ぬよう遠回しに命じるアンナに対し、ヴィクターは迷う素振りを見せない。
「では、次の自分があなたの夫役を上手くやれることを願っている」
ヴィクターはそう言うと、ルシアンやキメラたちとの戦闘に入った。
多勢に無勢なため勝ち目は一切ないが、扉を閉めるまでの時間を稼ぐことは余裕だった。
扉が閉まり、別のセキュリティをかけることで開けられないようにしたあと、アンナはため息をつく。
「ふう、戻ったら軍と研究所に怒られるでしょうね」
「……正直なところ、自分としては無駄にしか思えません。人工知能に自分のことを人間だと思い込ませて兵士にする実験などというのは」
兵士の一人は呟く。
それは表に出ると問題ある内容だったため、アンナは注意した。
「こらこら、あまり具体的なのを外部で口にしない。私としても同感ではあるけど、帝国から共和国に亡命した身からすれば、実験に協力する代わりに市民権を与えると言われては逆らえないもの」
「ヴィクター。彼に自分は人間だと思い込ませ、安定性を高めるために妻役を用意する。なんというかもう、遠回り過ぎませんか」
「予算の獲得のために、研究所は研究所で色々やっているんでしょう。まあ、好き嫌い以前の存在を、夫にすることになるのは、なんだか複雑な気分だけど」
ヴィクターという存在は、ただ単純にロボットであった。
人型の機械に特別な人工知能を搭載した、ある意味とてもわかりやすい代物である。
かつて共和国に亡命したアンナは、共和国市民になる条件として政府の実験に付き合うことになった。
それが、ヴィクターの妻としての役割。
とはいえ、一般的な夫婦というよりは、そういう肩書きのある人物が近くにつくことで、ヴィクターの正体が周囲に漏れたり、ヴィクター自身が自らを人工知能であると気づかせないということに重点が置かれていた。
「最後の言葉だけど、あれって気づいてたと思う?」
「おそらくは。もう少し、形だけでもいいので、それらしく振る舞えば違うと思いますが」
扉が閉まり、安全が確保されたので部隊の者たちで話すのだが、兵士の一人からの言葉を受けたアンナは肩をすくめる。
「でもね、私は今でも愛してる人がいるの。だから、愛のない妻しか演じることはできない」
「それは誰なのかお聞きしても?」
「言えないわ。私だけの秘密だから」
「まるで乙女みたいなことを言いますが」
「なに? 文句あるなら聞くわよ?」
「いえ……あなたに想われている人物は、ある意味大変だなと」
それを聞いたアンナは苦笑した。
自分が愛している人物は、自分以上に厄介で面倒な者たちに囲まれていることを知っているがゆえに。
「ま、もう私たちができることはない。あとは外の状況がどうなるか」