166話 教授からの依頼
初日と比べて規模が縮小された学園祭は、どこか物足りなさを感じるものとなっていた。
一時的にアクルから離れている生徒がそれなりにいるため、賑わいもだいぶ減っている。
それでも、一部の生徒は盛り上がっていた。
主に年齢が低い者たちを中心に。
平穏だった学園コロニーに、海賊の襲撃という非日常が訪れたからだ。
「ある意味羨ましく思えますよ」
「ずいぶんと、いきなりな呟きだけども」
セフィの呟きは小さいものだったが、保護者として一緒に歩いているメリアの耳には入ってくる。
「物を知らなければ、もっと色々と楽しめただろうな。そう思っただけです」
「……知らないからこそ楽しめるというのはあるけれど、知っているからこそ楽しめることもある」
「へえ? とりあえず“お母さん”が楽しんでるものを聞いても?」
やや含みのある言い方で質問してくるセフィに、メリアは肩を軽くすくめてみせると、周囲に人がいないところまで移動する。
盗み聞きされることを警戒してのことだ。
「十五歳まで貴族としての暮らしを続けたあと、二十五歳まで海賊として過ごし、あの鬱陶しい存在に出会う。その間の楽しみなんて、ろくなものがない、とだけ」
鬱陶しい存在が誰のことを指すのかは、言うまでもない。
「たばこ、お酒、禁制品の薬物、その辺りですか? でも、そういうのを利用した形跡は見当たりませんでしたけど」
「たばこはしない。電子のと、紙に巻いたやつじゃ、だいぶ価値が違う。自分で使うよりは売った方はいい」
基本的に、宇宙船の中では空気が汚れる行為は好まれない。
電子たばこが一般的であり、紙に巻いたものは貴重品ということで結構な値段がする。
それゆえに、メリアは手に入れる機会があっても自分で吸うようなことはせず、売ってお金に変えたり、他の海賊と取引する際ちょっとした賄賂代わりに使ったりするだけ。
「お酒は……宇宙船を操縦していたら、酔うと危ないので楽しむどころじゃないですね」
「それもあるけど、安い酒を飲むくらいなら飲まない方がいい。海賊、それも誰かと組まずに一人だけというのは、稼ぎがかなり不安定なわけでね」
「一匹狼も楽じゃない、というわけですか」
「当たり前だろ。一人よりは二人、二人よりは三人。結局、人間ができることには限りがある」
会話の途中、メリアは小型の端末を弄る。
ファーナとルニウが一時的に離れているため、どの辺りにいるか確認するために。
すると、ルニウが簡易的なステージの上で、生徒たちとダンスバトルをしているという返事がファーナから届く。
「……楽しんでるようでなにより、とでも言うべきか」
「話の続きをいいですか?」
「ああ、もちろん。薬物については、そもそも論外。たばこや酒と比べてかなり高い。薬物に手を出すくらいなら、宇宙船のパーツを新しいのに変えていく方が大事だよ」
メリアが所有するヒューケラという小型船は、元々はあまり性能がよくない中古船だったが、何度も行われた改装によって、新型の船に劣らない性能にまで到達している。
とはいえ、基準はあくまでも小型船。
中型や大型の船と戦うとなると苦しい部分がある。
ある程度は、操縦者の腕前で補えるとはいえ。
「確かに、死んだら元も子もないので、宇宙船の性能向上がなによりも優先されますか」
「荒くれ者ばかりな海賊、そいつらは当然のように武力に頼る。返り討ちにできなきゃ、今こうしてここにいることはできない」
「それはいいんですけど、そろそろ海賊時代の楽しみを教えてくれませんか? これ以上話を逸らすのは無しでお願いします」
セフィは自らの白い髪をくるくると指先で弄りながら言う。
少しずつ本題から逸れていることに気づいたため、すぐさま軌道修正したのだ。
メリアはわずかに顔をしかめると、改めて周囲を見渡し、近くに誰もいないのを確認してから口を開く。
「……大したことじゃない。無料で手に入れられる本とかを読んでいた。荷物を増やすのを避けるために電子の方だが」
「合法なもの以外に、違法なものも?」
「まあ、少しは」
今は一般人として訪れている。
そのため、違法な手段で本を読んでいることはあまり大きな声では言えない。
「どんな本を読んでいたりしますか?」
「著作権の切れた古い時代の小説や、発売されたばかりの雑誌とかだね。例えば……」
メリアは途中で口を閉じる。
こちらに近づいてくる人影を目にしたからだ。
遠いので男性としかわからないが、近づいてくるほどに姿ははっきりと見えてくる。
その瞬間、メリアは軽い舌打ちをしてみせた。
視界に映るのは、見知らぬ誰かではなく、見知った人物。
違法な実験によってセフィをこの世に生み出した教授その人が、護衛である犬のサイボーグと共に近づいて来ていた。
「やあ、少し隣に座っても構わないかな? コロニーの中を歩くのはさすがに疲れてしまってね」
「……ええ、どうぞ。この広場は空いていますから」
「ルシアン、お手」
「ワオン」
肉体を機械化した、サイボーグの犬であるルシアン。
セフィが手招きすると、ルシアンは小さく鳴いて言われた通りにする。
少女と犬のやりとりは微笑ましいものだが、肝心の大人二人は、そこまで穏やかな状況ではない。
「……まさかこんなところで出会うとはね。目的は?」
「近くに寄る機会があったから、ついでにセフィの様子を見に来ただけだとも」
「それは、エーテリウムの件で?」
「おやおや、送り込んだ者の中に口が軽い者がいたようだ。まあ、そうなる」
オラージュという犯罪組織を乗っ取り、自らがそこのトップとなった。
そんな彼は、学園祭を楽しむ生徒たちを眺めながら笑みを浮かべる。
「若いということ。それは羨ましいものだ。歳を重ねるたびにそう思える。君も、そう思うのではないかね?」
「……否定はしない」
「人は老いる。老若男女、貧富の差、身分の違い、ありとあらゆるすべての違いを無視して、平等に時は流れる」
「コールドスリープしていた、大昔の誰かさんとかもいるが」
「メアリ皇帝のことなら、あれは所詮、先延ばしにしているだけでしかない。コールドスリープしている間、自らは何もできないのだから」
教授は苦笑すると、屋台で買ったのかいくつかの紙袋を地面に置き、中身を取り出す。
それはサンドイッチなどの軽食が中心であり、結構な量がある。
「ただ話すだけではあれだ。食べながらといこう。学園の生徒が作っているので、出来には差があるが」
「そんなもんだろうさ」
三人と一匹で食べていくのだが、あまり和気あいあいとしたものにはならない。
「メリア・モンターニュ。君には文句を言いたい」
「利用した海賊から、エーテリウムを奪えなかったか」
「ああ。君が余計なことをしなければ、回収できたのだがね。構成員のいくらかが捕まり、入念に育てていた企業を失う。なのにエーテリウムは手に入らない。これは腹立たしいことだ」
「学園祭に襲撃を仕掛けた奴がよく言う」
会話は一時的に止まり、数秒ほど沈黙が続く。
「……私は君と争いたくはない。例えば、アルケミアという大型船を失っていて、戦力を大きく減らしている状況であっても。なので一つ頼みたいことがある」
「遠回しな脅しにしか聞こえないね」
アルケミアという、移動できる拠点とも言うべき大型船は既に存在しない。
今の状況でオラージュからの攻撃を受ければ、ほぼ確実に敗北するだろう。
メリアは顔をしかめたあと、ため息をつく。
「で、頼みたいことって?」
「我々の代わりに、エーテリウムを回収してきてほしい。目標は、海賊船一隻。そう難しいことではない。報酬も用意する」
「自分たちでやればいいだろう」
「誰かさんが通報して、しかも我々がエーテリウムを回収することをうっかり話したせいでそうなったと言ったら?」
「はいはい、わかったよ。ただ、何隻か手伝いを寄越してほしいが。無駄な追いかけっこは避けたい」
「それについては、少し時間をもらいたい。警察や軍に知られていない者を選ぶためにも。細かい部分については、あとで通信データを送るので、やり方は君に任せる」
そう言うと、教授はゆっくりと立ち上がり、ゴミをまとめたあと、ルシアンと共にその場を離れていく。
見送る形になったメリアは舌打ちをする。
「あーあ、面倒なことになった」
「頑張ってください。上手くいくことを学園の寮で願っています」
「やれやれ、冷たい娘だね」
「それなら精一杯甘えましょうか? うぅ、お母さん行っちゃうの? セフィは寂しいよぉ。……どうです?」
明らかに演技としか思えない声を耳にし、メリアは呆れ混じりな視線を向ける
「どこで学んだ?」
「クラスメイトから借りた本」
「寒気がするからやめろ」
「それはそれでひどくありませんか。せっかく頑張ったのに」
「頑張る部分が違う」
その後、二日ほど学園祭を楽しんだあと、オラージュの者から暗号化された通信が入ってくる。
すぐに解読すると、ここに向かうようにというメッセージと共に、別の星系のとある部分を示した座標が記されていた。




