116話 天秤が傾く時
メアリ・ファリアス・セレスティア。
帝国の教科書において、彼女の記述はそこまで多くはない。これは他国の教科書も似たような傾向にある。
共和国の独立戦争の方にページの多くが割かれているためだが、少ない記述にはこのようなことが書いてあった。
多彩な才能を持つ天才、と。
後世の歴史家などからは、若くして亡くなったためにやや誇張しているのではないかといった言説が出ている。
なぜなら、共和国の独立を防ぐことができなかったために。
「私という存在をどう思う?」
「この状況でそれを言うのか」
惑星タルタロスからだいぶ離れた宇宙空間。
そこでは、大量の艦船が入り乱れる激しい戦闘が起きていた。
遠距離からの撃ち合いでは不利なため、艦船にあるまじき近接戦闘に持ち込むことで数の不利を補うという、フルイドに侵食された艦船があるからこその戦法である。
当然ながらかなりの混戦となっているので、今の状況でそれを尋ねるメアリは、フルイドという種族からしても普通ではない。
「帝国軍は一万近い数を揃えての攻勢に出ようとしていた。それを察知したため、こちらから先手を仕掛け、今のところ戦況は互角。気を抜いたら危ない。……大まかにこんなところかな」
「わかっているなら、無駄な質問に答える余裕はないと理解しているはず」
混戦状態にありながらも、この規模の戦いにしては死者は比較的少ない。
フルイドが侵食している艦船は、敵艦の無力化を優先しており、乗員の殺傷は後回しになっている。
それはメアリの指示した作戦の一つ。
無力化した帝国軍を実質的な盾にすることで、相手の行動に制限を加える目的があった。
味方の脱出艇ごと撃てるのか? 宇宙に漂う仲間ごと撃てるのか?
即座の判断が求められる戦場において、悩むような選択を相手に強制させ、動きを鈍らせるというわけだ。
「既に抱いている印象。それを語るだけでいいよ」
「……普通ではない」
「おっと、良い方にも悪い方にも解釈できる言葉だ」
「美辞麗句が欲しいなら、皇帝になればいくらでも受け取れるだろう。我々に期待すべきではない」
「確かに。でもそれじゃつまらない。人間以外の存在からの答えを聞きたい。それはいけないことかな?」
「時と場合を考えてもらいたいものだが」
話している間にも、状況は変わり続ける。
フルイドの侵食した艦船の一つが、混戦状態から抜け出した。
その瞬間、何本ものビームが貫き、あっという間に宇宙を漂うデブリと化す。
「勝利か死か。もはや後戻りはできない」
「ずいぶんな余裕だが、何かあるのか」
「ある。決定的な場面で発動するから、もう少し待っていてほしい」
「……限りある我々の犠牲が増えるのは好ましくない」
「負けたらもっと犠牲が出る。勝利こそ、犠牲を減らす最善策」
メアリは笑みを浮かべながらも、敵味方の入り乱れる三次元的な図を眺め、細かな指示を出していく。
大きな一つの塊でいるより、いくつも小分けにした戦力によって侵食を拡大させていくことが大艦隊には効果的。
ただし、そのままでは迎撃されて多くの犠牲が出るため、犠牲を抑えるための手段として、実質的な帝国軍の盾を使う。
その結果は、じわじわと減っていく帝国軍が示していた。
「増援が投入され続けているので膠着しているけど、このまま行けば私の勝利」
「正直なところ……意外に思えた」
「何が意外?」
「我々が侵食した時、即座に艦船を自爆させれば、物量で上回るあちらが勝てる。なのにそういう行動をするのはごくわずか」
相討ち覚悟の自爆を行えば、討伐艦隊が勝てた。
そう話すフルイドの一体に、メアリは同意するように何度も頷く。
「うんうん。それは合理的で、勝利を求めるならそうするべき。ただし、人の意思を無視している」
「手短に」
「誰だって死にたくないもの」
「ふむ……」
死への恐怖は普遍的なもの。
それこそ、人間以外の生物にとっても。
「もし、仲間が死んでしまい、自分だけ生き残ったなら、自爆という手段を取れるでしょう。しかし、そうさせないために、できる限り殺さない」
「悠長に脱出させたのは、自爆させないためか」
「まずフルイドが取りついた時点で、遠隔操作とかの、コンピューターに頼った自爆は不可能になる。機関室に行って人力でやらないといけない」
メアリはそこで言葉を中断すると、混沌とした戦況を示す三次元の図の方を見た。
侵食によって戦えるフルイドは数を増し、部分的に包囲するような陣形を取っている。
「ああ、包囲は駄目だよ。外側は帝国軍が展開する状態を維持しないと。一方的に撃ち込まれる部分ができてしまう」
「わかった。伝える」
混戦状態となっている部分以外にも帝国軍は展開している。
それらは長距離からの攻撃に特化した艦船ばかり。
敵味方入り乱れる場所には投入できないため、今のところ無用の長物と化していた。
「さて、さっきの続きといこう。乗員がほとんど生きており、次々と脱出していく中、自分だけ残って自爆させようと思える者はどれだけいるだろう?」
「ごくわずか、ではある」
自爆自体はあったものの、発生した数は少ない。
「たまに、殺されないことを見抜いて全員残るところもある。そういう艦船は、盾として思いっきり利用させてもらうけどね」
宇宙における船というのは、武装と推進機関さえ潰してしまえばシールドを発生させるだけの置物となる。
それでも普通は、乗員が脱出したあと自爆するよう設定できたりするが、フルイドという種族が侵食することで自爆という手段をほとんど封じることができる。
「恐ろしいと言うべきか。いやらしいと言うべきか」
「いやいや、そのほとんどは君たちフルイドのおかげだよ。いくら私でも、通常の戦力だけではかなり苦しい勝利になる」
「それでも勝つことを疑わないのだな」
「帝国中に色々と仕込んでいるから」
「その仕込みとやらの内容を聞きたい」
「うん。人間と異なる君たちは、私の同盟者でもある。隠し事は減らさないとね」
人類以外の知的生命体であるフルイドという存在に対し、メアリはいくらかの尊重をもって答えていく。
「まずは、各地に私の支持者が潜伏している。惑星上の様々な軍の他に、主力たる宇宙軍にも」
「ふむ、そのような戦力は必須だ。数で劣る我々には」
「お次は、ちょっとした工作を既に実行してる。色んな貴族の惑星で、とある兵器を暴れさせた。そうすることでここへの増援を減らす目的がある」
「貴族からすれば、自分の足元が脅かされる出来事に備え、あまり多くの戦力を動かせなくなるか」
「そして最後に……成功の確率はわからないけど、状況を決定的にする作戦が進行中だったりする」
「具体的には?」
「皇帝の暗殺」
会話していたフルイドの一体は、その言葉を聞いた驚きからか、わずかに体を震わせる。
「セレスティア帝国はね、皇帝を頂点とした専制政治を敷いている。しかしながら、広大過ぎる領域を安定させるため、実態は貴族に統治の多くを任せている」
「そしてそれは、共和国の独立戦争に至った」
「私の汚点だよ、あれは。まあそれはともかく、皇帝という存在がいきなり死ねば、帝国は大きな混乱が起きる。後継者がいようともね」
「……野心家が、動くからか」
メアリは大きく頷いた。
「皇帝の血を引いた者というのは、それなりにいる。私の時代では、遠い親戚を含めて数千人はいたから、今ではもっといるはず」
「帝国は荒れるのではないか?」
「荒療治というやつだよ。厄介なことは、まとめて処理するに限るから」
「……この戦い以外で、多くの血が流れそうだ」
帝国軍の増援は途中から止まっていた。
このまま戦っても侵食される艦船が増えていくだけなのを理解したため、他の星系で迎撃することを決定したからだろう。
それは、メアリの勝利へと大きく天秤を傾ける判断であり、タルタロス周辺での戦闘は、最終的に帝国軍が派遣した討伐艦隊の降伏という形で完全な終わりを迎えた。




