第92話 運命
少し短いですが、重要な場面です。
ララが闇神に使わされた聖女――それはつまり、七神にとっては魔女に他ならない。
俺は落ち着きを装い、いたって冷静に、そう冷静にだ。取り乱すこともせず、動揺も焦りも見せず、使いの話を聞き続ける。
使いは歩みを止めずに此方へと身体を向け、ララについて語る。
『言ってしまえば、ララ・エルモールは闇の聖女だ。世界の均衡を崩すべく選ばれた存在。そして貴方という選ばれし者を取り込み、レギアスの予言を成就させる。それを、七神は止めようとしている』
「……」
『闇神レギアスはその活動を一切封じられていた。だが今は亡き魔王がその封印を緩めてしまった。その結果、闇神は世界に僅かだが干渉できるようになってしまった』
魔王……親父のことか。俺はそれについて何も知らないが、親父のことを調べていたアーサーなら何か知っているのかもしれない。
もしかしたら、親父が闇神の封印を緩めてしまったから、勇者達を作ったのだろうか?
それにアーサーは言っていた。親父が闇の魔法を探していたと。親父は闇神レギアスについて調べていたのか?
『そして悪いことに、貴方は闇の聖女と共にある。試練で【殺そうと】しても、貴方が防いだ』
使いは俺を感情の無い瞳で見つめ、静かに――言葉を紡ぐ。
『貴方は――どちらの味方?』
感情が籠もっていないはずなのに、その答えを間違えるな、と言われているようだった。間違えたら最後、決して許すつもりはない。使いから、否――七神から警告されている。
右腕がズキズキと疼く。
正直、答えは最初から決まっている。それを答える前に使いはくるりと身体を反対に向け、奥へと進んでいく。
もしかしたら、俺とララが離れたのは間違いだったかもしれない。
使いは言った……試練でララを殺そうとしたと。
つまり、七神はララを殺そうと画策しているということだ。俺がララの側にいない今、七神によってララの命が脅かされているかもしれない。
そう考えると、一刻も早くこの場から去りたかった。
やがて使いと俺は試練の前へと繋がる大きな扉の前まで辿り着いた。
使いはその扉を開かずその場で止まり、俺へ振り返る。
『さぁ、答えを聞こう。貴方はどちらの味方?』
嘘は許さない――。
俺は、此処が俺の分岐点なのだと悟る。此処での答えが、今後の俺を左右する。
いや……正確には違うか。俺は運命とか予言とかは信じないが、仮にそう言ったのがあるのだとしたら、俺はララに出会った時点で俺の運命は決まっていたのだろう。
今はそうだな、その決まった運命を変えられる場面なんだろう。
だがお生憎様、俺はその運命を変えるつもりは毛頭ない。
俺は大きく息を吸い、そして吐いた。
使いの目を見て、俺ははっきりと告げる。
「俺は――ララの味方だ」
使いの表情が、此処で初めて感情を露わにしたように見えた。
『それは……闇神につくということか?』
「違う」
『では七神か?』
「違う」
首から提げている親父の指輪を握り締める。
ララと約束した――ララの側でララを守り続けると。俺はララの、ララだけの勇者だ。ララのあの笑顔を守り続けるのが俺の使命。
七神? 闇神? 闇の聖女? 全部知ったことか。何であろうと、ララに害するのなら、それは俺の敵だ。
「俺はララの味方だ。ララの笑顔を曇らせる奴は、七神だろうと闇神だろうと殺してやる」
『……神々を敵に回すつもりか?』
「敵に回ったのはお前らだ」
ナハトを抜き放ち、使いに切っ先を向ける。
覚悟はとっくの昔にできている。世界を、神を敵に回しても俺はララを守る。
ただ、それだけだ。
使いは目を閉じ、少しだけ押し黙る。
そしてカッと目を開き、魂が凍り付くような恐ろしい形相になった。
『なら、貴方はもう必要ない。貴方を殺して新たな【勇者】を生み出すまで』
「あぐっ――!?」
突然、俺の身体から力が抜ける。抜けると言うよりも、強引に引っこ抜かれている感覚だ。
使いが手を伸ばすと、俺の胸から三つの光の玉が飛び出した。紫、緑、白の光が使いの手に収まり、俺は膝を突いて激しい脱力感に苦しむ。
『この力は返してもらう』
それは試練で勝ち取った力か。俺の体内から雷と風と光の力が消えた。
試練を受ける前の最初の身体に戻ったのか!?
『貴方の始末は試練で用意していたアレにしてもらう。失望したぞ、ルドガー・ライオット』
「ま、待て……っ!」
使いは俺の力を持ったまま、その場から消え失せた。
そして試練の扉が開き、俺は試練の間へと吸い込まれてしまう。床に投げ出され、転がった先は水の壁に囲まれた広間だ。円形状の空間で、壁と天井が湖の水でできている。
ナハトを握り締め立ち上がり、フラフラとしながら状況を確かめる。
力を奪われたことで、今の俺は雷の力を手に入れる前に戻っているだろう。ということは、あの怪物染みた回復力も無いはずだ。
くそっ、アーサーと戦う力を求めに来たのに、逆に無くなっちまった。
おそらく、この先試練に挑んでも力を手に入れることは無いだろう。神々と敵対するとはっきり宣言したんだ。だからこそ持っていた力も奪われてしまった。
失ってしまったのは仕方が無い。思考を切り替えていこう。先ずは装備の確認だ。ナハト以外に使える物は――。
「……」
そこでハッと思い出す。恐る恐る腰に手をやり、いつもぶら下げているはずのポーチを探す。
それは何処にも無かった。
それは、そうだ。ポーチはアーサーとの戦いで全身を焼かれた時に失ってしまった。あの時に残ったのはナハトと保護魔法を掛けていた親父の指輪と、アイリーンに貰った御守りの首飾りだけだ。あとボロボロのズボン。
ポーチにも保護魔法を掛けておくべきだったと後悔しても、もう遅い。
つまり、今俺に使える武器はナハトだけだ。ララの霊薬も無い。
勇者の力は失い、回復力は失い、装備もナハト以外失ってしまった。
「ったく……神と敵対するってのに、締まらねぇな」
ナハトを構え、先程からグルグルと水の中を泳いでいる巨大な影に注視する。
今の俺を殺すだけなら、水の神殿を完全に沈めてしまえば良いのに、それをせずに怪物を仕向けるなんて、確実に俺を此処で殺しておきたいんだろうだ。
水の中を泳いでいる影は魚ではない。蛇のように身体をうねらせ、時折水の中から巨大な鰭を飛び出させている。
おそらく、海竜の類いだろう……。この空間がいつまで持つのか分からないが、水中戦になってしまえば完全に此方が振りだ。せめて地上に出られれば……。
落ち着け、戦いようはいくらでもある。昔はこの状態が当たり前だったじゃないか。
なら大丈夫……戦って勝つだけだ。
「さぁ……来いよクソ野郎」
俺がそう呟いた瞬間、それを合図に待っていたのか、海竜の首が水から飛び出してきた。
醜いまでに大きく口を開き、何重にも重なり並んだ歯を見せ、ウネウネと長い髭を動かし、二本の角が生やしている。
見たこと無い怪物だ。試練用に生み出された特別製って訳か。
『キシャアアアアッ!』
海竜が吠え、水の壁が大きくうねりを起こした。
右腕が、激しく疼く――。




