第70話 兄だから?
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エリシアの登場に、アーサーは殴られたであろう頬を手で押さえながら驚いていた。
エリシアはアーサーを怒りの形相で睨み付けており、今にもそのカタナでアーサーに斬りかかる勢いだった。
だがそうはせず、振り返って私とセンセを見下ろした。エリシアは私の肩に手を置いてセンセから少し離し、ナハトの柄を握り締めて一気に抜き取った。
血が噴き出すが傷口はすぐに塞がっていき、センセの顔色も良くなっていく。
「念の為、アンタの霊薬で回復させておいて」
「あ、ああ……」
どうしてエリシアが此処に? そんな疑問はあったが、言われた通りセンセの首を抱えて霊薬を飲ませた。
エリシアはセンセがもう大丈夫だと安心すると、稲妻の速さでリインを運んで来てセンセの隣に寝かせる。私はリインにも霊薬を飲ませ、全身の傷口に霊薬を注ぎ込む。
傷痕……残らなきゃ良いけど……。
「……アーサー」
「っ――」
アーサーの肩がビクッと震えた。
エリシアはカタナを抜いたまま前に出てアーサーと対峙する。
「アンタ……ルドガーに何をしたの?」
「……兄さんを依り代にして父さんを蘇らせたんだよ、姉さん」
刹那、エリシアが稲妻を纏った拳をアーサーに叩き込んだ。今さっきまで私の目の前にいたのに、瞬きする間にアーサーへと接近していた。遅れて雷鳴が轟き、アーサーは遠くへ殴り飛ばされる。
エリシアは怒りからか肩で息をしており、涙すら流していた。
その涙はセンセが弟の手によって此処までされたからなのか、それとも弟が狂った真似をsたからなのか。
「アンタ……いったい何考えてんのよ……!? ルドガーをこんなにしただけでも許されないのに……あのクソ親父を蘇らせた……!? どこまで腐れば気が済むのよ!?」
「ぐ……酷いな姉さん……僕、身体に穴が空いてるんだよ……少しは心配してくれても――」
「自業自得よこの大馬鹿野郎! そのままもう一つ穴空けてやろうじゃないの!」
エリシアの気が大きくなり、空が雷雲で埋め尽くされる。ゴロゴロと雷が鳴り、エリシアの怒り具合を現しているようだった。
「クソ親父の気配を感じて飛んで来てみればルドガーは死にかけてるし! そうさせたのがアンタだし! いったい私を怒らせて何がしたいのよアンタは!?」
「……僕は大好きな兄さんと父さんを一緒に取り戻したかっただけだ。その為に多くを犠牲にしてきた! 父さんを見殺しにて! 兄さんを諦めた姉さんに怒られる謂れは無い!」
アーサーが剣を握り締めてエリシアに突撃した。
エリシアはカタナを振るい、アーサーの剣を受け止める。受け止めるだけでなく、雷をアーサーの身体へと流し、アーサーはそれを光で弾き飛ばす。アーサーは頭上から光の槍をエリシアに向けて放つが、エリシアはもう一振りのカタナを逆手で抜いて振り払い、雷を飛ばして相殺する。
アーサーは腹の傷が響くのか、顔を顰めながら剣を再び振るう。
しかしエリシアの雷撃と一緒に放たれたカタナによってアーサーは剣を弾き飛ばされ、首筋にカタナを添えられた。
「いい加減にしてよ……! 私にアンタを殺させる気!?」
「……姉さんじゃ僕に勝てないよ」
「どうかしらね……今の私は人生で一番腸が煮えくり返ってるのよ……!」
「……」
アーサーは私とセンセを一瞥した。腹の傷を押さえ、ゆっくりとエリシアから離れていく。剣を拾い上げ鞘に収めると、アーサーは悔しそうな顔を浮かべる。
「今回は退いてあげるよ……。だけど覚えておいてくれ……兄さんは父さんになれるんだ――グリゼル」
「我が君!」
何処からともなく、ボロボロの姿になったグリゼルが現れ、アーサーの身体を支えた。
己も死にかけているのに、見上げた下僕魂だ。
グリゼルはアーサーを抱えると、一緒に霞となって消えていく。
最後に、アーサーは私を睨み付けた。
――兄さんは僕の物だ。
そう唇を動かし、アーサーとグリゼルは消えていった。
アーサーの気配が消えるとエリシアはカタナを鞘に収め、歯軋りを鳴らして拳を握り締める。
それから私達のほうへと振り返り、急いで駆け寄ってくる。
「ガキんちょ、ルドガーの容態は?」
「……怪我は治ってる。だけど意識が戻らない」
「……そっちのエルフの子は?」
「同じだ。でもセンセよりは軽傷だ……まだ」
エリシアがセンセの顔を撫でる。
私は場所をエリシアに代わる。
エリシアは涙を流して、センセが生きていることに安堵した。
そして涙を拭い、センセを抱き上げる。
「一先ず、リィンウェルに戻るわよ。そこでルドガーとその子を休ませるわ」
「ああ……。な、なぁ……」
「何?」
「…………助けてくれて、ありがとう」
「……アンタこそ、ルドガーを守ってくれてありがと」
★
親父が変わり始めたのは俺達がまだ一緒に暮らしていた頃だ。
急に親父は家から外に出なくなり、何かに苦しんでいるようだった。
病気か何かかと俺達は心配していたが、親父は堪えているような笑みを浮かべて優しく「何でもないよ。ただ少し、風邪を拗らせただけさ」とだけ言う。
だが親父の容態は悪化していくばかりで、終いには寝たきりになってしまった。
俺達は親父から授かったあらゆる知識を総動員して親父の病気を調べたが、今思えばあれは病気じゃなかった。
あれは親父の内に住まう狂気が身体を苦しめていたんだと思う。
でなけりゃ、あんなに人族に優しかった親父が、殺戮を始め出すはずがない。
親父の魔族としての特性なのか、それとも別のナニかなのかは分からない。
だが親父は狂いに狂い、命という命を奪い始めた。
そして忌み嫌っていた魔王という名を使い、魔族を統率し、人族を殺し回っていった。
俺達は、いや、俺の弟妹達は親父から勇者になるべくして育てられた。エリシア達は親父を止めるべく勇者として名乗り出て戦場に赴き、俺も彼らの兄として親父を止めるべく戦った。
だが結局、親父は止められなかった。
俺がこの手で殺した。勇者でもなかったこの俺が、いつか親父が俺に言っていた、「私に何かあったらお前が終わらせるんだ」という言葉通りに、俺が親父を終わらせた。
何で俺なんだ……どうして俺だったんだ……。
最初はそう思った。だけど俺がやらなきゃ弟や妹が親父に殺されていた。
アーサーに憎まれて当然だ……アーサーにとって親父は命の恩人であり、愛を授けた大きな人だ。あの時のアーサーにとって親父は全てだった。
親父が魔王になった時に一番取り乱していたのはアーサーで、一番取り返したいと思っていたのはアーサーだ。
いつか、アーサーは泣きながら俺に頼んできた。
『兄さん……! 父さんを……! 父さんを止めようよ……! 家に連れ戻そうよ……!』
そんな約束をしたのに、俺は……アーサーの目の前で親父を殺したんだ。
嗚呼……許せ……許してくれアーサー……! お前を守りたかったんだ! お前を死なせたくなかった! だってお前は俺の弟だから! お前は俺の大切な家族なんだ!
――父さんは家族じゃなかったの?
――兄さんにとって父さんはいらなかったの?
――兄さんが殺したんだ……父さんを……僕をォ!
「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
気が付けば、俺は叫んでベッドから身体を起こしていた。
「センセ!?」
「ッ……!? ラ……ラ……?」
白い部屋着に身を包んだララがベッドの隣に座っていた。
俺はララの頬に手を当て、そこにいるのが幻覚ではないことを確かめる。
ララは俺の手を握り、涙を流す。
「ララ……」
「センセ……良かった……! やっと起きてくれた……!」
「……?」
やっと起きた……? あれ……俺今まで何をして……?
――その罰を受けてよ! 兄さん!
――私の娘だ! 正当なる後継者だ!
「ッ!? アーサーは!? 俺は!?」
そうだアーサーとの戦いで俺は……! 不覚にも魔王の依り代に!
「大丈夫! もう終わった……終わったんだ……!」
「おわっ……た……?」
ララはベッドから飛び降りようとした俺の肩を押さえ、驚愕の事実を口にする。
「アーサーとの戦いから……センセは眠り続けてたんだ」
「……どのくらいだ?」
「――二ヶ月」
どうやら俺はかなり寝過ごしてしまったらしい――。




