第42話 新人教師
俺、ルドガー・ライオットの教師としての一日は多忙だ。
一日数回に渡って違うクラスの授業を受け持つ。これは他の教師も同じだ。アーヴル学校の生徒達は決して少なくはない。都中の子供達が集まるのは勿論のこと、都外からも態々やって来て通う子供達もいる。
一クラス十五人程度が五クラス、学年は六学年まで存在する。それぞれの学年、クラスに合った授業内容を設定し、振り分けられた時間に授業を行う。同じようで違う内容もあれば、全く同じ内容の時もある。それぞれの生徒に合った教え方も考えなければならない為、頭を悩ませることもしばしばある。
そして、俺だけは他の教師と違うところがある。それは担当する授業が二つあるということ。
俺がメインで担当するのは一言で言えば雑学。正確に言えばヴァーレン王国の外の知識や怪物に対する防衛術と言ったところだ。人族との交流が始まったことで、エルフも大陸から出て他の大陸へ渡る機会が増えてくる。その時に必要な知識を俺が教えるのだ。
それでもう一つの授業が護身術だ。外に出れば危険が伴う。ある程度の戦闘技術を身に付けておかなければ、やはり生きてはいけない。俺が此処に赴任する際、校長先生に護身術も生徒達に教えてやってほしいと頼まれ、雑学と護身術の二つを担当することになった。
因みに、本格的な戦闘技術を教えることもあるが、それは戦士達の鍛錬の時であり、学校の仕事の合間を縫って城で戦士達を訓練している。
つまりだ、本来俺はかなり忙しい毎日を送っている。学校、城、学校、城、と行ったり来たりして仕事をしている。そこにララの件も加わり、多忙では済まされない生活をしているのだ。
これが人族の生活であればそれなりの給金を貰っていることだろう。金を使う間も無く貯まっていく一方になること間違い無しだが。エルフ族には金という概念は無いため、無給ということになる。
まぁ、それで生活に困ることは無いのだから、社会の違いって凄い。
そんな生活を送っている俺だが、ここに一つ新たな悩みの種を抱えることになった。
「……」
「……」
「あらあら……」
アーヴル学校の校長室で、俺は一人の女エルフに睨まれていた。側には校長先生と、困ったように笑うアイリーン先生もいる。
俺を睨んでいるのはアイリーン先生の実妹、リインである。
昨晩、俺はリインにストーカー紛いなことをされた上に斬りかかられた。それだけを見るとリインの行いは悪行に等しいもので、当初はアイリーン先生に激怒されていた。
あんなに激しく怒りを露わにしたアイリーン先生を見たのは初めてだ。一応事前に忠告されていたとは言え、俺も先生もまさか本当に斬りかかられるとは思ってもみなかった。
俺に怪我は無く、ララやシンクにも被害は出ていないし、俺からは特に何も言うことはなかった。狙われるのは慣れているし、この程度でとやかく言う気は起きない。ララやシンクが巻き込まれていたら話は別だが。
それで、どうして俺達が校長室に集まっているかというと、なんとリインがアーヴル学校の教師見習いとして招かれるというのだ。それも担当教科は護身術。戦士として修行してきた腕を、生徒達に護身術を教える為に振るおうと言うのだ。
そうさせたのは校長先生であり、俺が可能な限りララを守ることに専念してほしいという配慮らしいが、果たして何処までが本当の話なのだろうか。
「ホッホッホ……ルドガー先生には本当に驚かされてばかりじゃ。もう既にリイン先生と交流があったとはの」
「交流? 今、交流と言いました? ストーカーに斬りかかられるのを交流と言うのは止めていただきたい」
「だ、誰がストーカーよ!?」
「リイン?」
「うっ……ごめんなさい、姉さん。こいつがどんな男なのかをこの目で確かめたくて……」
アイリーン先生が黒い笑みでリインを威圧した。
ふむ、アイリーン先生の新鮮な反応が見られるだけでも、ストーカーされた甲斐があったと言うもんだ。
しかし、どんな男ねぇ……いったい俺はどういう風にその目に映ったのやら。
「で、どんな男じゃったかの?」
「年端もいかない魔族の女の子を孕ませて生ませたクズ男」
「ちょぉい!?」
何だそれは聞き捨てならないぞ!? いったい誰が誰を孕ませたクズ男だと!? 誤解って話じゃすまねぇ濡れ衣だぞおい!
「何よ? 昨日家族で街に出てたじゃない」
「ララは俺の生徒で護衛対象! シンクは確かに俺が引き取った子だが誰とも血は繋がってない!」
「……そうなの、姉さん?」
「はぁ……そうよ。ララさんはルドガー先生の教え子で、事情があって先生が面倒を見てるの。シンク君も同じ」
「……なーんだ、そうだったの」
リインは納得したのか「紛らわしいわね」とボソッと呟いてそっぽ向いた。
分かった、俺こいつ嫌いだわ。酷い勘違いしたくせに一言も謝罪無しとか、何も咎めない俺に対して少しは誠意を見せようとは思わないのか?
はぁん? アイリーン先生に似て美人だからって何でもかんでも許されると思うなよ。俺より年上なんだろうけどエルフ族からしたらお子様のくせに。
と、心の中で鬱憤を晴らしたところでさっさと本題に入らせてもらおうことにする。こうしている間にも従業の開始時間が迫っているのだから。
「それで、校長先生? どうしてここに集められたんですか?」
「おお、そうじゃった。リイン先生は教職に就くのが初めてだからの。いきなり担任を任せる訳にもいかんのじゃ。そこでじゃ、護身術の引き継ぎにも丁度良いから、ルドガー先生の副担任として少しの間行動を共にしてほしいのじゃ」
「――は?」
頬がピクリと引き攣った。
おっと落ち着け、俺は大人だ。いくら相手が気に食わないガキだとしても、大人である以上仕事に私情を持ち込む訳にはいかない。俺達の一番上の上司である校長先生の指示なら従わざるを得ないしな。
何とか心を落ち着かせた俺は改めて校長先生の顔を見る。
「それは、護身術の授業の時だけですよね?」
「いやいや、生徒達との交流もしてほしいからの。ずっとじゃ」
爺さん、髭を毟り取ってやろうか? 俺がケツァルコアトルの羽根を持ち帰らなかったことに実は腹を立ててるとか言うんじゃないよな? 仕方ないでしょう、あんな状況じゃそこまで気が回らないんだから。
俺が顔から表情を失わせていると、リインが横から非難の声を出す。
「えぇー? お爺ちゃん、私嫌よ。姉さんを誑かすような男の下に就くのは」
「お爺ちゃん?」
「こら、リイン! 校長先生に向かって何て口を利くの! もう貴女はここで働くのだから、立場を弁えなさい!」
アイリーン先生がリインの頬を抓る。
まぁ、校長先生は長生きしてるし、他のエルフ達にとってはお爺ちゃんみたいな存在なんだろうけど。
しかし、ここでそんな考えをしているのなら、この子に教師なんてできるのだろうか?
教師ってのは生徒達に道を示す大きな存在だ。子供染みた勝手な考えを持つような子に、とても務まるとは思えないが。
もしかして、それを俺に矯正させようとか思っていないだろうか? だとすれば明らかに人選ミスだ。この子は俺をどういう訳か姉を誑かすクズ男と認識している。大人しく言うことを聞くようには思えない
「ホッホッホ、ここでは校長先生で頼むの。リイン先生、ルドガー先生は君が思っているような者ではないぞ。一日二日、一緒に居れば自ずと分かるでな」
「……はい」
リインは俺を睨んだ後、渋々と頷く。
どうせ俺には拒否権なんてものは無いだろうから、頭を抱えて溜息を吐く。
校長先生の話は終わり、俺達は校長室から出る。
アイリーン先生との別れ際、彼女はとても心配そうな顔をして俺に頭を下げてくる。
「ルドガー先生、妹が失礼なことをしましたら、遠慮無く叱ってください。リイン、昨晩のようなことをしたら、お父様に言い付けますからね?」
「は、はい」
ギロリと睨まれたリインは背筋を伸ばして何度も頷く。
凄いな、今朝だけでアイリーン先生の知らない顔が何度も見られる。ある意味役得だったのかもしれない。
アイリーン先生と別れた俺とリインは、そのまま教室へと向かう。リインは俺の後を黙って付いてくる。何やら視線を感じるが、ここで何かを言って変わる訳でもなし、一先ず今日は特に何もなければ口は出さないでおこう。




