第37話 決死
ルドガーが魔獣の体内でルキアーノと対峙している同時刻――。
風の勇者ユーリは、魔獣が撒き散らす穢れた魔力から生み出されてくる怪物の大群とただ一人で戦っていた。
魔獣は最初よりも動きが鈍くなり、四つん這いの状態になって穢れを撒き散らし続けている。獣型に戻ることはしなかったが、今の様はそれこそ獣のようだった。
ユーリは風を操り、怪物の群れを殲滅していくが、殲滅速度よりも怪物の生成速度のほうが速く、徐々に殲滅の勢いを失い始めていた。
更に、魔獣化したケツァルコアトルの様子にも変化が現れ始め、のそのそと動き出した。このままでは魔獣とケツァルコアトル、そして怪物の相手を一人でしなければならなくなる。そうなれば流石にユーリでも手が足りなくなり、今の状態が瓦解してしまうだろう。
「ええい……!」
ユーリはルドガーが魔獣の体内に侵入したのを確認している。この戦いの黒幕であるルキアーノを直接叩きに行ったのだ。
ならば己がやるべきことは、ルドガーがケリをつけるまでの間、怪物らの相手をして足止めしておくことだ。勿論、ユーリも勇者の端くれ。足止めで終わらせるつもりは無く、外の戦いに決着をつけるつもりでいた。
しかし予想外にも怪物が生まれるペースが速く、魔獣本体からも少なからず攻撃があり手を焼いているのだ。
「呻れ烈風――ダウンバースト!」
上から下に風が吹き荒れ、怪物達を風の衝撃波で薙ぎ払っていく。
勇者にだって魔力の上限は存在する。桁違いに魔力を保有しているとしても、上位魔法を連発していれば、いずれ魔力切れを起こしてしまう。
現に、ユーリは己の体内から魔力が空になっていく感覚を味わっていた。先程放った魔法も、本来であればもう少し威力が高く、広範囲に渡るものであった。だが残りの魔力量を考えてセーブしてしまい、満足のいく攻撃にならなかった。
もうこれ以上魔法による殲滅戦は厳しいと判断し、ダガーによる近接戦闘に切り替える。ダガーを両手に逆手に構え、風のブーストで動きを速くして怪物達の急所を的確に斬り裂き突いていく。
体力にも限界がある。此処までまともな休息もなく戦い続けてきたユーリは肩で息をしており、夥しい汗が流れている。
「流石の俺もこれじゃキツい……! 見栄張らず救援要請を飛ばせば良かったかな……」
メーヴィルでは今頃、民達の避難に人員を割いているだろう。当初ならいざ知らず、今の状況なら救援に回せる人員もいるだろう。
だが勇者が一度口にしたことを曲げるわけにもいかず、何とかして此処は保たせてみせるとユーリは意気込む。
もう何十、何百もの怪物を屠った頃、とうとうユーリに魔力は尽きてしまう。体力も限界を超えており、ダガーを握り締めて立っているのが精一杯という状況だ。
眼前には新たな怪物が次々と生まれ、ユーリを喰らおうと咆哮を上げながら走り出している。
そんな状況でも諦めないのが勇者だ。
ユーリは強引に不敵な笑みを浮かべ、怪物達へと正面から突撃していく。
その時、何処からか狼の遠吠えがユーリの耳に入る。
直後、ユーリの目の前にいた怪物の首が何者かに食い千切られた。
「え――?」
目の前の怪物だけじゃない。ユーリに迫っていた怪物達が次々と何かの影に噛み千切られていく。
呆然と立ち尽くすユーリの後ろに、巨大な影が差した。
「おや? 随分と満身創痍じゃあないか? それでも勇者かい?」
「――アスカ!?」
それは巨大な銀色の狼――守り神であるアスカだった。アスカの背後には同胞である狼の群れが広がっている。
「アスカ! 今まで何処に!?」
「魔族の厄介者に手を焼かされてね。この子が助けてくれなきゃ今頃あの魔獣の腹の中さ」
「ん」
「シンク坊ちゃん!?」
アスカの背中から顔を覗かせたのは、今まで行方不明だったシンクだった。
いったいどういうことだとユーリは混乱するが、そんな暇を怪物達は与えてくれなかった。
新たに生まれた怪物達が再びユーリ達に迫る。
ユーリはダガーを構えるが、そのユーリの前にアスカが出て喉を鳴らす。
「アンタは後ろで魔力を回復してなさいな。此処は我らに任せなさいな――」
――アオォォォォォォン!
アスカが吠えると、他の狼たちも吠え、一斉に怪物に向かって走り出す。狼は風のように地を走り、擦れ違い様に怪物達を牙で噛み千切り、爪で斬り裂いていく。
アスカもシンクを背負ったまま走り出し、怪物達を一掃していく。銀色の魔力が爪に宿り、腕の一振りで怪物を薙ぎ払う。咆哮を上げると衝撃波となり、怪物を殲滅していく。
「童! アンタもその力を見せてみなさいな!」
「――うん」
「ぼ、坊ちゃん――!?」
なんと、シンクがアスカの背中から飛び降りた。
次の瞬間、シンクは緑色の光に包まれ、その姿を変えたのだ。
緑色の体毛をした、屈強なワーウルフへと。
『ウオオオオオ!』
シンクであったワーウルフはその鋭い爪で怪物達を斬り裂いていき、掴んでは怪力で引き千切っていく。
まさかヴァーガスへと変わってしまったのかとユーリは思ってしまったが、そんな様子ではないと考えを改める。
アレはシンクが本来持つ魔族としての能力なのだと察する。ワーウルフ族の子供なら、あの姿になれるとユーリは知っている。
まさかの出来事にユーリは脱力してその場に膝を着いてしまう。
シンクがルドガーの側から居なくなってしまったのは、遠く離れたアスカ達に危険が迫っていると察し、一人で助けに行ったのだとユーリは理解する。
「ハハ……」
乾いた笑いが口から漏れる。
ともあれ、今はアスカ達に救われたことに感謝する。これで少なくとも戦況の維持はできる。後は不完全ながらも動いている魔獣と、復活しつつある魔獣化したケツァルコアトルの動きを封じればいい。
最後は兄であるルドガーが片付けてくれると、ユーリはこの戦いの勝利の道筋が見えた。
「兄さん……こっちは任せて、あのクソッタレをぶん殴ってください」
ユーリは早く戦線に戻るため、魔力の回復に努めた――。
★
「おおおおおお!」
『ハアアアアア!』
ナハトと黒い翼が火花を散らす。
此方は限界を超えて怒りと気力だけで身体を動かしている状態。対して相手は魔力を完全に解放した全力の状態。分が悪いのは明らかに俺だ。戦いが長引けば負けが濃厚になるのは明らか。短期決戦でいきたいところがだ、そうは簡単にはいかなかった。
「でえええい!」
『遅いですよぉ!』
ナハトと聖槍を振るうが、それよりも速く力強く六枚の翼が振るわれて身体を斬り裂いていく。付けられた傷は深くはないが、再生速度がかなり遅い。おそらく、再生力の限界を先程から超えているんだろう。このまま大きな傷を喰らってしまえば再生する前に死んでしまうかもしれない。
魔力の限界は超え、体力の限界も超え、残っているのは怒りと気力だけ。根性で武器を振るい、何とかルキアーノと戦えている状態だ。
『砕け暴風――ジェットストリーム!』
六枚の翼が羽ばたき、そこから複数の鎌鼬が放たれる。
ナハトで鎌鼬を斬り裂き、そこに込められているルキアーノの魔力をナハトに喰わせる。それを俺の中に流し込み、魔力の回復に回す。
本来、魔族の魔力を取り込めば強すぎる故に身体が崩壊していく。だが俺は半人半魔であり魔族の魔力を取り込むことができる。
このままルキアーノが魔法を連発してくれたら、魔力の回復が捗って助かるんだがな。
『吹き荒れ蹂躙せよ――ヘルゲート!』
俺の足下に亀裂が入り、そこから風が吹き出す。
「だからってもうちっと加減しやがれ!」
上に跳んでナハトと聖槍を盾にする。
直後、亀裂が広がり十字に鋭い刃の風が噴射する。ナハトで風を喰らい、聖槍で風を無効化していくが、範囲が広くていくらか風の刃を受けてしまう。
腹と肩が斬り裂かれ、血が流れ落ちる。激しい痛みを感じるが、この程度で立ち止まれない。
『このモードに入った私は誰にも止められませんよぉ! 暴嵐の異名、その身に刻みなさい!』
ルキアーノは翼を広げ、風を指先に集束させていく。たぶん更に大技を発動するつもりなのだろう。
ナハトで喰らえて聖槍で風を無効化できると言っても一度には限界がある。魔力の回復が先か力で押しきられるのが先か、我慢比べになってしまう。
「上等だよ……!」
『嵐よ巻き起これ――テンペスト!』
竜巻と鎌鼬が一斉に生み出される。直撃する風だけを見破り、ナハトと聖槍で防いでいく。
風の数は凄まじく、武器を二本使っても捌ききれない。身体の肉を斬り裂いて血が吹き荒れる風に呑まれていく。
迫り来る竜巻をナハトで受け止め、魔力を喰らっていく。
「オオオオオオオ!」
『チッ――押し切れない……!』
竜巻を斬り裂き、ある程度の魔力が回復したのを感じる。魔力を全身に流し、負った傷をある程度回復させた。
「行くぞルキアーノ!」
『くっ……ハハッ! 来なさいぃ!』
ナハトに雷を纏わせ、聖槍に風を渦巻かせてルキアーノに斬りかかる。ルキアーノは翼と爪を振るい、俺と斬り結ぶ。
コイツ、研究研究ばかり言ってたから肉弾戦は不得意だと勝手に思ってたが、腐っても魔族、この程度の肉弾戦ならお手の物と言える程には対等に斬り結べている。変身前は弱そうな雰囲気を出していたが、やっぱり見た目で判断するのは良くないな。
『風狼牙ァ!』
ルキアーノが掌底を繰り出すと、そこから風でできた狼の顎が飛び出し、俺を突き飛ばす。
「ぐはっ!?」
『絶空ゥ!』
突き飛ばされたところにルキアーノが迫り、風を纏った爪で腹を切り裂かれる。夥しい血が流れ出るが、補充した魔力を練り上げることで傷をすぐに再生させる。ルキアーノが爪を振り抜いている隙を狙い、顔面に蹴りをぶち込む。そのまま地面に叩き落とし、聖槍を投擲してルキアーノの翼一枚を貫く。
『くぅ!?』
「爆ぜろ!」
聖槍に渦巻かせている風を破裂させ、ルキアーノにダメージを与える。ルキアーノの翼が二枚ボロボロになったが、俺と同じようにすぐに傷が再生される。
チッ、やっぱりそうだよな。魔族ってのは魔力があれば傷の再生ぐらい何てことないか。
半人半魔である俺がそうなんだ、純粋な魔族なら俺以上に再生力は高いはずだ。なら再生できない傷を、首を刎ねれば奴を殺せるだろ。
聖槍を手元に呼び戻し、ルキアーノと睨み合う。今の俺に奴を一撃で殺せる力は無い。チャンスを窺ってジッと堪えるのも良いが、この戦いに時間をかける訳にはいかない。俺の体力もそうだが、ララの体力が保たない可能性が高い。
今こうしている内にララの魔力が魔獣の動力源として使われている。いくら膨大な魔力を持つララでも吸われ続ければいずれ空になる。魔力が空になれば命に関わる。
「くそっ……!」
『焦ってますねぇ! 急いていますねぇ! 目の前に救いたい者がいるのに手も足も出せない。嗚呼、なんて楽しいんでしょうぅ!』
「この下衆野郎が……!」
『諦めなさい! 半人半魔如きが純粋な魔族に勝てる訳がないでしょう!』
「これでも魔王を殺したんでな。てめぇ如きに負ける気はサラサラねぇよ!」
ルキアーノの笑みが消えた。目が鋭くなり、獣のように唸り声を上げる。
『そうか……貴様が魔王様を殺した勇者か』
「何だ? 気付いてなかったのか? 厳密に言えばそん時は勇者じゃなかったけどな」
『ならば貴様を殺せば私は魔王様よりも強いと言うことですかァ!』
「ハッ、ほざけ。あの男の足下にすらてめぇは届いてねぇよ!」
『その減らず口、今すぐ止めて差し上げますよぉ!』
ルキアーノは翼を広げ、正面から迫ってきた。跳び退いてかわそうとしたが、足がガクンとかくついてしまい動けなかった。ルキアーノは俺の顔面を鷲掴みにして持ち上げる。
「ぐぅ……!?」
『このまま握り潰して差し上げますぅ!』
鷲掴みにしている手に力が込められ、頭が締め付けられる。
このままじゃ頭がミンチになって流石の俺も死んでしまう。どうにかして振りほどかないといけない。武器で殴ったり蹴ったりして振りほどこうとするが、翼で邪魔されてしまう。
「がぁっ――!?」
ギチギチと頭から音が鳴る。このままじゃいけない。何か、何か手を考えなければ!
くそっ、やるしかねぇ!
俺はナハトを後ろへと放り投げる。ある程度離れたところで、俺はナハトを此方に呼び戻した。切っ先を此方に向けさせ、俺の背中に突き刺さるようにして戻す。ナハトは俺を貫き、密着していたルキアーノの腹をも貫く。
『ぐおっ!?』
「かはっ――ナハト、喰らえ!」
ルキアーノに突き刺さったナハトはルキアーノから魔力を貪り喰らう。その魔力を俺に流し込み、魔力を回復させていく。奪った魔力で聖槍に風を纏わせ、衝撃波を放ってルキアーノを俺から突き放した。
俺は地面に落ち、ナハトを背中から押し出して引っこ抜いた。血がドバドバと流れるが、傷は忽ち塞がっていく。
もう身体を酷使し過ぎている。いくら再生能力があると言っても、身体に大きな負担を掛けていることには変わりない。間違いなく寿命を縮めるような行為だ。
だがそれがどうした。ここで寿命を縮めようが、ララを救い出せるのなら本望。ついでに奴をぶち殺せるのなら尚更だ。
必ず奴は此処で殺す。そしてララを助け出す。その為なら命なんて惜しくはない。
聖槍を地面に突き刺し、使い慣れているナハトだけを構えて起き上がるルキアーノを睨み付ける。
魔力はごっそりと頂いた。これなら一瞬だけだがあの力を使える。もうその一瞬で勝負を決める。それ以上は身体が持たない。もう身体の彼方此方の感覚が無い。視界も半分以上霞んで見えない。
此処で、これで、この一撃で奴の首を斬り落とす。
ナハトに黒い雷を纏わせ、意識をルキアーノの魔力に集中する。奴の魔力から次の動きを読み取る。確実な一撃を叩き込む為に、一瞬先の未来を完全に読み取ってみせる。
『この――下等生物がァ!』
「テメェは此処で殺ォす!」
俺とルキアーノの刃が交差する――。




