きれいなものってなんだろうね
以前からようつべでおたキングの動画を見ている。
最近の動画でいわゆる外に不潔なものや本音的なものを
発信することが損をするという話をしていた。
これは自分の嫌なものを見えない化しているということだそうだ。
このことをすごく危険な兆候だと自分は考えている。
嫌なことや嫌なものを見ることで自分の知識が増えたり、
精神的に鍛えられる部分もあると思う。
耐えられる程度のストレスはストレスに対する耐性をつけるために
必要だと考える。
さらにきれいなものとは何なのか?
その個人によって基準が違うだろう。
ごみ溜めの中で咲いている花がきれいだと思う人もいるだろうし、
真っ白な何もない部屋がきれいだという人もいるだろう。
それも個人の経験から発生するものである。
まずいものを食べたことがなければうまいものはわからない。
痛い思いをしなければ何が失敗の原因だったかはわからない。
悲しむ何かがなければ喜ぶなにかもない。
このことから自分の感情を揺さぶられたりしたくない人が
多いのだろうと考える。
感情の揺さぶりがなければそのコントロールもできないとは考えないのであろうか?
この状況が進んだときに怖いのが、日本が外国から攻められ各々の人が
銃を突き付けられたとしよう。
こんな状況になっても現実の嫌なこと、この場合は銃を突きつけられ
いつでも殺される状況だということまで「見たくない」「聞きたくない」
といいそうな日本人が増えているのがこわい。
最後には隣の人が打たれて血が飛び散ったことに対して
自分の服が汚れたのを気にする人々の群れが想像される。
人間とは何であろうか。
考えない人間は人間なのだろうか?
結論が出ないまま生きていくのもまた人間なのであろう。