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壷天窖穹

作者: 竹尾 練治
掲載日:2021/06/24

 私は、壺の中で孵った卵だった。

 親の顔も見ずに幾星霜、壺の縁を伝って落ちてくる地虫を啄みながらこの身を膨らませてきた。

 見上げれば、頭上には何時も蒼い穴があった。

 眼前に目をやっても、何色とも判ぜぬ壺の内壁と、薄汚れた己の羽根がぼんやりと霞がかって見えるばかりである。

 穴は目が覚める頃合には鮮やかな橙に染まり、やがて抜ける蒼へと色を変じる。そして、眠たくなる頃合には朱から闇色に閉ざされていくのを見るともなく眺めるのは、私の唯一の楽しみだった。

 穴の彩が鈍色から変わらぬ日は退屈ではあったが、そんな日は喉を潤す雫が滴り落ちてくるので、嫌いではなかった。

 時折、蒼い穴の遥か彼方を、翼を広げた何か横切るのが見える。

 己が何者かは分からぬが、アレは自分に近しいものだ、と直感が告げた。

 穴の向こうを翼を持って翔るものたちには多くの種と類があったが、私が一体どれに近しいのかはまるで分からぬ。

 一つ確かなのは、私が喩えどれと同じ生き物であっても、壺の中で育ってしまったこの身が斯くの如く穴の向こうを翔ける事など出来よう筈もなく、私自身、背中を預けているこの壺の内壁から離れる事など、まるで望んでいないということだった。

 更に幾星霜が過ぎた。

 穴を眺め、地虫を食むばかりの日々は退屈ではあったが、不満はなかった。

 私の身体は肥え太り、壺の中で身動きもままならぬ程になっていた。

 目線を上げれば、随分近くなった穴の縁から、青い世界が見える。

 だが、壺の中で膨らんだ私の身体は、今や空を行く者たちとは似ても似つかぬ(かたは)で、出会った事すらない者を相手に、唯只管に己を羞じる思いが募っていく。

 何より、身体のあちこちが窮屈で、このままでは壺に絞め殺されることになるだろう。

 だが、口汚い私は地虫を啄む事は辞められぬ。それが緩慢に己を殺す事になろうとも、この一時の飢えは抗し難い。

 私は。

 私は。

 ある時、見飽きた壺の内壁に、縦一筋の大きな罅が入った。

 罅の隙間からは、頭上の穴と同じ、金色の光が差し込んでいる。

 私は恐ろしさに震え上がった。この壺の外になど行きたくはないのだ。

 だが、このまま地虫を啄み続ければ、肥えた私の身体は壺の罅を押し広げ、やがて私は青い世界にまろび出る事になるだろう。

 私は、この壺の中で生まれた。この壺の中で生きた。そして、この壺の中で生を終えたい。

 だが、私は二度目の生を受けるのか。この壺を卵として、殻を破って。

 ああ、壺よ、それならば、何故私を最初に生を受けた時の如く、白紙の魂で産み落としてくれない。肥えた身体に、羨望と諦観と羞恥を詰めて産み落とすのだ。

 私は、壺の罅が軋む音に怯えて、震え続ける。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 閉ざされた世界で生きてはいましたが、主人公なりにその場所に愛着はあったんですね。外の世界に出てしまった主人公がどうなるのか気になります。
[良い点]  ドラゴンかしらと思しき何者かと話し相手を得ることの出来なかった『山椒魚』の融合的な物語。 (※自然現象を竜とした場合、この四次元世界はあまりにも狭すぎるため、異世界を含む空間と時間の連続…
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