魔女薬は絆を溶かす
世界がゆがみ、暗転した先にあったのは、どこかの宮殿みたい。白で統一された美しい作り、そこが庶民のいるような場所ではないのは、学のない私でもすぐにわかる。
「どこよ。ここ」
イーレのせいで、こんなわけのわからないところにとばされた。何でこんな目に私が遭わなくちゃならないの。
ランギット様に愛されただけじゃまだ足りなくて、私を排除しようとするなんて、何てひどい女。
「お前、ここで何をしている」
突然かけられた声にびっくりして振り向くと、そこには美しい男がいた。そして、それが運命の人だとも一目で理解してしまう。
あんなに大好きだと思っていたランギット様に対する思いも、この人に向かう思いと比べればたいしたことがない。
魂の半分と引き合うような、そんな思いだ。
「まさか、私の番なのか」
男は驚いたようにそう言った。番なんて聞いたことがない。でも、その言葉に私の奥底が、チリッと焼け付くような否定をした。
「私は番なんかじゃありません」
反射的にそう返し、言葉にしたとたん、それが正しいと感じた。
どう言えばいいのか。初対面であるのに、この男は信用ならない気がする。
「君がわからずともいいよ。とにかくここでは体が冷える。部屋に移動しよう」
男は柔らかくほほ笑み、私に手をさしのべる。男は信用ならない気がするが、ここで座っていても良いことはない。仕方なく私は男の提案を受け、さしのべられた手を取った。
長い廊下を歩き、しばらくすると部屋の扉の前までたどり着いた。その中に促されるまま、ソファに腰掛ける。
「まさか番が見つかるとは思っていなかった」
対面に座った男は、どこか浮かされるようにそんなことを言う。
「私の番はこの世界にはいないことがわかっていたからね」
私はどうやら、世界を渡ってしまったらしい。イーレが私の作ってもらったものと同じ薬と言ったのが本当なら、この男は間違いなく私の運命の相手。
どうしたらいいのかと、迷っていると、ドアが静かにノックされた。
「正室様、側室様がいらっしゃいました」
「ああ。通してくれ」
男の言葉に促され、三人の美女が入ってきた。誰がどれやらわからないが、この三人が詰まるところこの男の妻なのだろう。
その事実を飲み込んだ瞬間、私の奥がかっと燃えるように熱くなった。数拍おいて、それが怒りと嫌悪だと理解する。
「番様が見つかったとのこと、おめでとうございます」
三人の中の一人が代表して言った。恐らく彼女が正室様なんだろう。後ろに控えている二人も、うれしそうにうなずいている。
「私はその男の番なんかじゃないわ。もしも番だとしても、お断りよ」
何も言わなければ、私はこのままこの男の番としてこの三人の仲間入りをするとわかれば、徹底的に抵抗する。
私の常識では、結婚は一人だけ。一夫多妻のところもあるとは聞いたけど、私はそんなのはイヤだ。
一人に愛し愛されたい。運命だからって、こんなことは許容できない。
男の態度と表情から、どう考えたって、この三人を手放さないのはわかった。
私か三人かどちらか選べと選択させても、この男はのらくらと、絶対に選ばない。
「番様」
「私はね。たった一人の人に、たった一人の私を愛してもらいたいの。どうせこの男は、私もあんたたちも選ばないんでしょ。だったら私が選ぶわ。私にあんたは要らない」
ふつふつと腹の底から憎悪が募る。この男が番だと言うのなら、きっと私は何度も、こんな煮え湯を飲まされたんだ。
今までは諦めたのかもしれないけど、私は諦めない。私はこの男を選ばない。運命なんて、信じない。
ああ。私は本当にバカなことをした。私は運命を信じてないのに、イーレに運命を押しつけようとした。
それがたまたまランギット様で、おかしなことにはならなかったけど、私がやろうとしたことは、こういうことだったのかと納得する。
世界まで越えて、運命にあえたって、幸せにはなれない。
私は魔女に、穏やかにランギット様への思いを消化する薬を願うべきだったんだ。
ランギット様に愛されてないことなんて、わかっていたんだから。
イーレがいなくなったって、ランギット様が私を愛してくれる保証なんてなかった。そんな簡単なことすら、恋に狂った私は気が付けなかったんだ。
いや、番じゃない人を好ましいと思ったことがうれしくて、すがってしまったのかもしれない。
この男がこうして番以外を妻にしているのだから、私だって、他の人を愛せたはずだ。ランギット様を諦めれば、ほかの誰かをいつかは好きになれた。
「君は私の番だ。ほかの誰かとは結婚できないんだよ」
「だからなに? 私はその三人の中の一人なんてごめんよ。番の私がそう言ってるのに、あんたは、私だけを選ぶっていいもしないじゃない。あんたの番に対する愛情なんてそんなもんなのよ。だからこの世界にあんたの番は生まれなかったんでしょ。だって、いなくたってあんたは困んないから」
そうだ。この男はいつだってそうだった。一番は君だと言いながら、あっちへふらふら、こっちへふらふら。だから私は魔女に頼んだんだ。この男のいない世界に生まれ変わりたいと。できれば番としての運命を切りたかったが、それは難しいと言われ、私は魔女に金銭のほかに私の容姿と渇望をも対価として差し出して、この男のいない世界に生まれたんだ。
「魔女様、魔女様。私の寿命を全部差し出します。足らないのなら、次の生の幸運も。だから、私をこの男のいない世界にもう一度生まれ変わらせてください」
この男のいない世界であるなら、一人で過ごしてもいい。誰かを愛せなくても。番のようにただ一人を愛するしかないような世界じゃないなら。
それだけで、私は幸せだ。
そんな私の願いが届いたのか、部屋の中に突然人が現れた。
「やれやれ」
やってきたのは、黒の森の魔女様だった。
「惑いの森の魔女が、男にも一度くらい機会をなんて言うから、請け負ってやったけどね」
男を眺めて、黒の森の魔女様はため息を吐く。男は何が起こったのか理解できていないようで、ぼう然としたままだ。
「この機会をものにできなかったお前さんには、番の絆は不要だろう。あの心優しい魔女が渡せなかった引導は私が渡してやろう。安心するがいい。番なしなんて珍しくもないことさ」
「待って、待ってくれ」
魔女の言葉に何が起こるのか理解した男は、初めてあわてたように、魔女の足下にすがった。
「会えないことは我慢できた。けれどなくすのは無理だ。どうか、私から彼女を奪わないでくれ」
「なら、今すぐその三人と離婚すると宣言して、この子一人を愛すると誓いな」
「そんな。それは無理だ。子供だっているのだ。政治的な話もある」
「ほらごらん。お前の番に対する愛情なんて、そんなもんなんだよ。私は今すぐ離婚しろなんて言っちゃいない。何年かかったって、離婚して、この子一人を愛するって誓えば良いだけのことだろう」
魔女様の言うとおりだ。すぐには無理でも、もしかしたら、離婚はできなかったとしても、私一人を選ぶと言ってくれたなら、私は、我慢できただろう。
私の心は、やっぱりこの男を求めているから。
後から出てきた番はどうしたって問題を抱える。それをこの男は、放置し続け、私にだけ我慢を強いた。今までも。
「でも、彼女は私の番なんだ」
「選べない程度の愛情なら、その三人と同じ程度だろ。いなくったって面白おかしく暮らしてたんなら、ずっといなくったって変わらないはずさ」
「違う。彼女がいるとわかっていたから、ほかの女とも過ごせた。私のたった一人がいるから」
「全く持って理解できないね。そのたった一人を不幸にして、あんたが幸せなのが本当に理解できない。安心しな、番なしになったって、あんたは生きていけるよ。番のないかわいそうな自分を愛せばいいんだからね」
男の言い分が実は私は何となくわかった。ほかの女の愛情は信じられない。けれども、私には愛されている自信がある。だからこそ、いずれ離れてしまうかもしれない女を愛せる。その愛が実は偽りであっても、私という、真実の普遍であると信じきれる愛があるから。
何ともばかばかしい言い分だ。誰かほかの女を愛したいがための重しでしかない。そんな番なんて、あり得るだろうか。
少なくとも、私は認めない。
「あんたの浮気のために番はいるわけじゃないのよ。ふらふら女を愛したいなら、私なんか必要ないの。勝手に女をはべらせて、実のない愛におぼれていればいいわ」
愛していたからこそ悲しかった。愛していたからこそ憎かった。愛していたからこそ、苦しかった。
けど、今の私は、渇望を渡してしまったので、狂おしく求める気持ちはない。悲しみ、憎しみ、苦しみもあるけれど、それよりもっと強いのは、無関心だ。
男がこの後どうなろうと、本当にどうでもいい。
私に関わらなければ、それで問題はない。
「魔女様。ごめんなさい。そしてありがとうございます。ランギット様への思いは、すぐにはなくならないでしょうけど、今なら、イーレを祝福できます」
「仕方ないことさ。あんたは、番を愛する愛し方しか知らなかったんだからね。愛したら愛されるものだって思ってたんだろう」
魔女様に言われて、初めて私は、そう思いこんでいたことに気が付いた。番であれば当たり前のことだけど、番のない世界では、それは当たり前じゃない。愛しても愛されないことがある。
だから魔女様は薬を作ってくれた。そして、イーレの依頼で作った薬は、本来なら使うべきではないと説明するつもりだったのだろう。
けれど、そこに、惑いの森の魔女様が介入した。
もう一度だけ、この男に機会をと。
そんな惑いの森の魔女様の厚意を、この男は見事に無駄にした。惑いの森の魔女様はお優しい方だから、きっと今頃胸を痛めていることだろう。
私に最終的に止めを刺したようなものだから。
「言われて気が付きました。でも、イーレは私をまだ友達だと言ってくれるでしょうか?」
男が何かを言っているようだが、いつの間にか魔女様が魔方陣を展開していて、男の声は全く聞こえなくなっていた。
これでゆっくりと魔女様と話ができる。
「まあ、あの子は鈍感で、ちょっと傲慢なところがあるからね。失恋したあんたを慰めなきゃなんて、世話を焼くだろうよ。あんたがそれで良いなら、友達のままではいられるさ」
「ちょっと、戻れるなら、よくよく考えます」
イーレは悪い子ではないが、お節介が斜め上だ。自分がこれで幸せになれたから、他の人もこれで幸せになれるはずと言う思いこみが強い。
それが今回の魔女薬にも如実に現れていた。
「まあ、まだまだ時間はあるんだ。友達付き合いだって、恋だって、急いで決めることはないさ」
一つ恋が終わったからと言って、関係すべてがなくなるわけではない。新しい関係だって作れる。
恋に狂ってた私は、そんな単純なことにも気が付けなかったようだ。
「そうですね。でも、ランギット様のことを別にすると、私、イーレのこと嫌いじゃないんですよね」
「そりゃ気のあうことだ。イーレもランギットのことがなけりゃ、あんたのことが好きだから、幸せになってほしいって言ってたよ」
私の中にくすぶっているつながりが魔方陣の輝きとともに溶けるようになくなっていき、私の心は軽くなっていった。
魔方陣の外にいる男は、どんどんと絶望に染まっているのが、何とも対照的だなと思う。
「あの人、そんな絶望するほど番が大切なら、何で私一人を選べなかったんでしょうね」
狂ったように泣き叫んでいるらしい姿は見えるため、私は魔女様に聞いてみる。
「ああ。あの男は、愛されてる自分が好きだったのさ。番なら、絶対に裏切られることはないだろう。そういう確実な愛に守られて、さらにどん欲に愛を求めた。ほかの愛に裏切られても、たった一つの愛は確実に残る。愛されてる自分は番がいる限り、覆ることはないからね」
偽りの愛におぼれるとか生ぬるかった。あの男はただ、ちやほやされる自分が好きだったのか。誰かに愛されているという自分を愛していたなら、確かに私一人を選ぶはずもなく、かといって手放すこともない。
「過去の私があまりにも哀れすぎますね」
少なくとも、過去の私は誠心誠意あの男を愛していた。つながりが切れて、更にあの男には無関心になったけど。
「さて、後少しで、番としてのつながりは完全に消える。そうしたら、黒の森のある場所に戻るってことでいいんだね」
「はい。この男は番だったかもしれませんが、今の私が生きている世界は黒の森のある世界ですから」
割り切りはしたものの、やはりまだ、ランギット様と幸せそうにしているのだろうイーレを思うと、少しだけイラッとする。
「でも、ちょっと、イーレに意地悪してしまいそうです」
諦めても、そう簡単に切り替えることはできない。やっぱり、ランギット様に愛されてるイーレがとっても憎い。いや、多分、正しくは、羨ましい、なんだろうな。
生まれ変わって番のいない世界に生まれたって言うのに、私の心は番を愛していた頃を引きずっていたから、愛し愛される関係を、羨ましいと思えなかった。でも、番と縁が完全に切れると、今まで感じていた感情に少し変化が出てきた。
「ランギットにさんざん秋波を送ってたあんたを見ても、友達って思ってた子だよ。意地悪くらいでへこたれるわけないさ」
「前向きすぎて逆に引きます。でも、悪いことは悪いので、帰ったら、真っ先にイーレに謝りに行きます」
そして、できたら、この番騒動も話せるようになりたい。
ランギット様が好きだと、イーレという相手がいるのに果敢に向かって行っていた私を見て、友達は離れていってしまった。
そんな中で、イーレだけが、相手をしてくれていた。本当に迷惑しかかけてないのに。
私に力があるのなら、今なら、めいいっぱい、二人を祝福できる。
顔を見たら自信がないけどね。
「さあ、帰ろうか」
「はい」
しがらみから解き放たれた私は、晴れやかに笑って、返事をした。
それから、魔女様に言ったとおり、私は真っ先にイーレに謝りに行った。
いずれ、なんて思ってた、番の話も流れで話すことになり、私以上にイーレが怒って、今すぐ魔女のところに行って世界を渡してもらってでも、一発殴ってきてやるといき巻いた。
「いいって、本当。私が番じゃなくなっただけで、あの男、ぼろぼろだったから。それより、イーレは、その、私をまだ友達だって、思ってくれてる?」
あんな男はどうでもいい。今重要なのは、イーレとの関係だ。
「本当のところ、ランギット様のことがあって、どうしようかなって思ってたの。でも、やっぱりラクリマに不幸になってもらいたいわけじゃなかった。不思議よね。でも、ラクリマから番の話を聞いて、納得したわ。ラクリマは、私が嫌いでも憎かったわけでもなくて、あり得ない状況に戸惑ってたのね」
番のいる世界では、愛するものに愛されるのが当たり前。横恋慕なんてあり得ない。愛しているから愛されると疑っていなかった。
だから、かんで含んだように、イーレを愛していると言われても、ランギット様の言葉が信じられなかった。
それをイーレは戸惑っていたの一言で済ませた。
たしかにそうだけど、一番被害を受けたのは、確実にイーレだ。
「やってた私が言うのもなんだけど、イーレはそれで良いの?」
「仕方ないじゃない。だって、私、どうしても、ラクリマのことを嫌えなかったんですもの」
「ありがとう。私、イーレと友達でいたかったの」
初めてできた友達だった。番の絆があったせいなのか、私の性格のせいなのか、なかなか友達ができなかった私の、初めての友達。イーレを介して、更に友達ができた。
だから、ランギット様を好きになったんだなと、今ならわかる。
私はイーレを信用していたんだ。イーレが好きな人なら安心して好きになれると思った。
そして、それは、引き返せない愛情になってしまった。
「私が言うのもどうかと思うけれど、きっと、ラクリマにはラクリマのことを幸せにしてくれる人が現れるわ。ラクリマが不幸になるなら、今度こそ私が殴ってあげるから、安心しなさい」
「ありがとう。今度はきちんと自分の目と心で選ぶ。それで、失恋したら慰めてくれる?」
「当たり前よ。友達でしょう」
ここは、愛しても愛されない世界。手探りで愛を探すところ。
私はこの世界に生まれて、初めて、自分が誰かを愛しても愛されないことを知り、逆に、誰かに愛されても、愛を返せないことがあるのだと知った。
私はまた失恋するのかもしれない。一生、互いに愛する相手に会えないのかもしれない。
でも、たった一つ、友情は手に入れられた。
真っ暗闇の手探りの世界でも、私はやっていける。
だって、私自身がその世界を望んだ。一人の愛に縛られない、誰を好きになってもいい、この、黒の森のある世界を。
今回は、名前付けました。
から始まる後書もどうかと思うんですけど。
太陽、空を適当にグーグル翻訳に掛けて、発音を聞いて、らしい音を取ってきて付けました。
ラクリマは、この音でいいやでもなんか合ったなと思って調べたら、涙でした。
ちなみに、最初、ラクリマは、ざまあな感じにしようかとも思ってたんですが、相手の男があまりにも酷すぎて、どうしようかと思ったら、書いているうちにイーレとの友情エンドになりました。