表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀狼の飼い猫  作者: 厚狭川五和
第一部「はじまりの物語」
8/17

7章 平和という名の狂気

     0


 俺が拐われたあの日から何ヵ月過ぎたのだろう。

 エルとの関係が進展して、特に目立った事件や不可思議な現象も起きることなく時が流れ少なくとも俺が見ている視点からは平和だと言えた。

 街は平穏だ。

 シオンは相変わらずだしエトも顔を見せないくらいには危険を感じていないだろうし、レクセルも俺とエルが狩った魔物から剥ぎ取れる毛皮などの素材を取引している。

 そう、静かな時間は簡単に訪れたのだ。

 俺たちが望んでいた時間が平然と、事件なんかありましたかと疑問符を浮かべながらやってきたのである。

 でも、人間は受け入れられない生き物だ。

 今まで命を懸けてでも手に入れようと望んでいたものが手中にあると「これは本物なのか」と疑い、次第に不安に駆り立てられた人間が自ら事件を起こす。

 そう、嵐の前の静けさのようで不気味だった。

「エル」

 俺は楽しそうに街道にできた水溜まりで遊んでいる猫を呼び止める。

 雨に濡れないようにと特注の外套をレクセルに頼んで作ってもらい、今はそれを着せているわけだが猫耳もすっぽり覆えるフードが可愛いらしい。

 そんな愛しい猫は振り向くと首を傾げて立ち止まる。

「少し、お前に話しておきたいことがあるんだ」

「?」

 これは今する話じゃないのかもしれない。

 でも、エルは知っておくべきだし権利もある。

「長くなるから歩きながら聞いてくれるか?」

「んー、抱っこ」

「はいはい」

 さすがに眠くなるような長い話を聞きながら歩くのは無理と判断したのかエルは両手を俺に伸ばしていた。

 文句を言えた立場ではないので俺はエルを抱えてやり、散歩にしては長い道のりを折り返しながら口を開いた。

 これは、俺が研究所に居た頃の話である。


     1


 寒い、暗い、怖い。

 自分がどこにいるかも分からないし、身体を覆う液体が安全なものなのかも分からない。

 ただ、自分が揺蕩(たゆた)う液体が、自分を守るためのものではないことは何となく理解できた。

 初めて聞く機械的な音が煩い。

 それから間もなくして液体は抜かれていき、視界にわずかな光が差し込んでくる。自分が小さな容器の中に入れられていたと知ったのはこの瞬間だ。

 そう、自分は産まれたらしい。

「こ、こは……?」

「おはようフェンリル君。ここは僕の研究所。僕のことはマスターとでも呼んでほしい」

 初めて聞いた声は若い男のものだった。

 不思議なことに自分は言葉というものを知っていたし相手が何を話しているのか考えるまでもなく理解し、状況を呑み込むことができた。

 ああ、()()作られたのか、と。

 よくできた世界だ。俺は産まれたての身体で逃げられないし若いとはいえ相手は俺よりも大きかった。

 男はよく分からない液体で濡れていた身体を布で拭き取ると微笑み、俺に一つの部屋と時間を潰すのに使えそうな本を与えてくれた。

 部屋は飾り気のない白い部屋で家具と言えるものは机とベッドだけ。

 それに角に配置された機械は監視するためのものだ。

 俺は部屋に入りベッドの上で本を読みながら少しずつ状況を把握していった。

 この部屋に入れられた。

 理由は俺の行動を完全に把握するため。

 服が与えられていない。

 理由はあの男にとって俺は研究対象のため差を作る必要があったのだろう。

 与えられた三冊の本。

 それぞれ人間について、性について、そして世界について書かれた本であり試されてることは明白だ。

 人間について読ませたのはあの男のことを理解させて敵ではないと思わせるため。

 性について読ませたのは繁殖させて実験材料を増やすため。

 世界について読ませたのは見えないものを理解するか試したのだろう。

 正直、意味のない与えられた時間を終わらせるために自害でもしてやろうかと考えたが臆病だったのもあるし、そもそも俺の力では自分の身体を八つ裂きにすることもできなかった。

 あえて自分で生活できて、自分で壊せないバランスを取られていたのだ。

 故に俺はおとなしく知識を蓄え一月を過ごした。

 その頃になると成長を実感した。

 身体はあの男よりまだ小さいかもしれないが少し大きくなったし嗅覚や聴覚も部屋を一つ跨いでいても聞こえたり嗅ぎ取れるくらいには発達した。

 他の部分も見て分かるほど大きくなったり変化していく。

 それが見られるのを恥ずかしく感じて部屋のすみに映し出されない場所があることを知ってからはそこで活動することが多くなっている。

 あの男は久々に俺の部屋に入ってきた。

 今までは食事やらデータ採取も全て機械に任せていたから特別なことをするために来たのだろうとは考えていた。

「今日はお友だちを連れてきたよ」

「! お、お友だち?」

 一応、反応はしてやった。

 見れば分かる。

 肌は白く生きた感じのしない顔は人間であって人間ではないことを意味していて、それをお友だちと称して連れてきたのなら何をしたいのかは言うまでもない。

 自分とは別の生物に興味を持たせたかったのだろう。

 それに性について書かれた本で学習した通りの特徴があり、雌だということまでは分かった。

 まあ、そこまで理解していると知られる理由もないので黙っておく。

「甘い匂いするな。俺と違って獣の臭いしない。それにどこもかしこも柔らかい。硬い俺とは逆だ。真逆の存在か?」

 当然だ。

 雌は雄が好む匂いを発するし俺のように毛皮に包まれてないのだから獣みたいな臭いがするわけもない。

 柔らかいのも雌だからだ。

「雌だよ。君も本を読んでいたなら学習しただろう」

 偉そうに説明するな。全部知ってる。

「ああ、あれか。じゃあ俺と同じだけど違うんだな」

 俺がどこまで理解しているかなんてお前の研究に著しく関係しそうな情報は与えるつもりはない。

 産まれた時から嘘を聞いていたのだから使うのも簡単だ。

 それより気になることがある。

「マスター、何でこいつは喋らないんだ?」

 生きてるなら、元より雌なら急に匂いを嗅がれたりすれば抵抗したり拒絶反応を見せると理解していたがまったく反応しないどころか声も出さない。

 もしかしてクローンには人間の言語すら教えてないのかと考えたのだ。

「君は特別なんだよ。なかなか言葉を話せる状態にするのは難しいからね。でも生きているし、ちゃんと反応はするよ。理解してるかは別だけどね」

 男の説明を聞いて納得した。

 こいつの意味はあくまで俺に興味を持たせること。

 故に感情は必要ないし言葉を教えて余計なことを話されるリスクを限定化したのだろう。

 実に保守的な手段だ。

「もらってもいいのか?」

「ん? ああ、構わないよ」

 別に今は雌なんかどうでもいい。

 しかし、こいつが俺の部屋に連れてきたのならものなら他にも理由があるのではないかと疑うと確かめたいことができてきたのでもらっておくことにした。

 せめて一日か。

 俺は怪しまれないように確実にあの男が俺のことを見ていると考えられる時間の間はクローンをつついたり舐めたり興味をもって接しているように見せた。

 柔らかいといえど反応が返ってこないのはつまらない。

 何が話せなくても反応はしてくれる、だ。

 あの男が仮眠をしているだろう時間を機械から視線を感じなくなったことで理解した俺は保険を掛けて映らない位置へとクローンを運ぶ。

「クローンでも肉は肉だ。今まで喰った肉となにも変わらない」

 俺はクローンを喰った。

 理由としては与えられた食事だけでは身体の成長で全てのエネルギーを使い果たしてしまい余分が残らないからだ。

 それに……。

「っ!」

 肉に齧りついていると黒い機械が目に入る。

 与えられた本にはない知識だから完全に理解してはいなかったが人間の構造と比較するならば意図は分かる。神経系に繋いでクローンの視界を共有する機械だ。

 そもそも似たものを男のいる部屋に侵入した時に見たことがある。

 つまり、部屋の機械に映らないところで活動しているのが気にくわない、と。

 男は翌日、クローンの姿がないことに気がついて俺の部屋に入ってきた。

「どうしたんだマスター」

「あ、いや君の様子を見に来たんだよ」

 確かめに来たの間違いだろう。

 俺はさすがに自分の生活をそこまでして観察されているのが憎たらしく思えて男に直接聞くことにした。

「マスターに一つだけ聞きたいことがあるんだ」

「僕に?」

 ちっとも思い当たらないという顔をされる。

「あいつ大人しかったけど、何かしたのか」

「どういう意味だい?」

 これでもしらばっくれるのか。

 俺は面倒になりベッドの下に隠していたクローンの内側から出された黒い機械を投げて分かりやすく質問する。

「これは生き物が持つ器官じゃない。消化器官でも循環器官でもない異物だ。俺はこれをマスターのいる部屋で見たことがある」

「さすがに見つからないと思ったんだけどね」

 まあ人間性を勉強させていたら喰おうなんて考えにならないと思うはずだ。

 でも、俺を見くびりすぎだ。

「俺を監視してたのか? そのために、言葉も喋れない生き物を作ったのか?」

「君の体調や成長具合を確かめるためだ。君は途中からこの部屋でも見られていると気づいてしまったからね。まったく映らない日もあるから確認したかったんだよ」

 見られていることなんて最初から気がついていた。

 体調は純粋に俺が死んでしまわないための配慮だろうが成長具合は完全に観察の目的だ。生物を生物として扱っていない悪意ある行動である。

「だから何をしていたか教えてくれないかな。それが分かれば僕もこういうことをする必要もないし」

 意外な質問だった。

 わざわざ知ろうとするとは思っていなかったのだ。

「………………」

「疑ってるんだね。もし君が素直に話してくれたら君が食べちゃったことは不問にするよ?」

 なるほど、俺が死体をどう処理したか分かっているからこそという脅しか。

 へたなことを言って監視の目が増えるのはいただけないしテキトーに信憑性のあることを言わなければいけない。

 どうするか迷った末に俺は都合のいい嘘があることに気がついた。

「………………に…………みが……」

「ん?」

「性に、興味が……」

「!」

 身体が大きくなるということは大人に近づくということであり、それは必然的に性に対する興味が大きくなっていくことも意味している。

 人間の本にはそう書いてあり、それは他の生物においても同じ事。

 この世界に共通する本能だ。

「それで隠れていた理由は?」

「み、見られてたら恥ずかしいだろ! だからマスターに見えてないとこで、な」

 こういう焦らした言い方が効果的なのも理解している。

 それに人間は自慰という無意味であり、それでも行うことのある行動がある。意味深に伝えておけば男は勝手に俺がそれをしていたと錯覚するだろう。

 まず俺は相手に何一つとして情報を与えたくないんだ。

 ひとまず俺の想像通りに考えてくれたらしい。

「なるほどね。その興味は正しいよ。君はまだ若いけど興味が出てきたなら経験するのも悪くないと思うよ」

 他人の都合なんて知らない。

「近々だけど用意してあげるから少しだけ我慢してほしい」

 頼めば、ある程度は用意してくれるらしいな。

 なら、少しは「ヒト」らしく扱ってもらおうか。

「それなんだけど、服が欲しい」

「服?」

 そうだ、服だ。

「見えているのが恥ずかしいんだね?」

「マスターだって着てるだろ? それにどの本を読んでもずっと全裸のやつはいなかった。だから、ダメじゃないならほしいんだ」

 そもそも俺の読まされた本に書かれていたのは()()()()()()であり、俺のような特殊な生物についてではない。

 俺を人間として扱うつもりはないという意思表示だ。

 わざわざ分かるようにメッセージを残していたのは俺を絶望させるためではないだろう。

 だが、まだ結論は見えてない。

 俺もこの男が自分を作った理由を把握していないのだ。

 そして俺のための服はすぐに届けられた。

「無いよりは……ましか」

 与えられたのは短いズボン一枚。

 あの男がどこまでを着衣状態と判断しているのかは知らないが研究対象にはパンツ一つ与えるのも無駄と判断したらしいな。

 与えられたことには感謝するが普通と異なることに苛立ちはある。

「とりあえず行動を開始するか」

 あいつは近いうちにと言っていた。

 それは期日に確証を持てない上に完全な個体を作るためにはかなりの手間を踏むことになると理解した上で期待を持たせた言い方である。

 ならば?

 連日没頭してもすぐには終わらない。

 俺の監視は定期的に行うだろうが常にではなくなるということだ。

 目的を把握し、そこからどうするか判断するには十分な時間があると言えるだろう。

「カンセイコタイナンバーゼロイチ、ヘヤカラハデラレナイ」

「俺を誰かと勘違いしてるのか? 個体認証を遺伝子へ変更して再認証しろ」

 部屋から出ようとすればあの男が動けない時に限り俺にも外出制限が掛けられる。

 俺の移動を監視できないからだ。

 しかし、俺は幸い出入りのできる者の血液というものを有している。

 この一ヶ月、ただ知識を蓄えるだけなら余りが出る時間を俺は無駄にしたんじゃない。平行して別のことも試していたんだ。

 即ち、俺はどういう個体なのか。

「ニンショウシマシタ。サイニュウシツジノニンショウハフヨウデス」

 今の時点で分かってることは二つある。

 一つは身体の破損に対して再生する速度は生物の枠を大きく超えていることだ。

 実際に身体を切られても分裂して増える生物は存在しているらしいが、それを説明するならば再生というよりも細胞の分裂により破損箇所を補っているということでもある。

 しかし、俺の場合は何もない所からの再生だ。質量保存の法則という概念を無視した力といえる。

 二つ目は喰ったものを吸収するのは人間と同じだが性質を取り込むということだ。

 自分で不要と判断した性質はあえて取り込む必要が無いからか無視されているが先日、男が連れてきた雌の遺伝子は役に立つと思い性質を取り込んでいた。

 案の定、役に立ったわけだ。

 男と一緒にいても許可を得た個体であると機械が判断しなければ通れないようにしているらしく、男の後ろを一緒に出ようとしても俺はエラーが起きるから許可を直接得てから散歩していた。

 あと服を要求した理由もこの扉を通るためだ。

 服を着ている=人間=自分、と設定でもしているからか俺のような研究対象は出入りできない。

 まあ、衣服の有無に関してはあの男が側にいれば問題ないとあの雌が証明してはいたが……。

 とりあえず第一関門は突破したわけだが警報が設置されていないわけがない。

 いくら許可の出た人間でも進入禁止区域は存在しているだろう。

「とりあえず血の臭いを辿るか」

 研究所にしては濃くて噎せかえるような臭気。

 誰も侵入していないことは警報が示しているのだから内部に居た何かが殺された、乃至(ないし)怪我をしたと断定できる。

 ここで行われていることを調べるなら俺と同じような完成個体と呼ばれる存在を探すか過程で投棄された失敗作を探すのが手っ取り早いはずだ。

 血の臭いは廊下を歩いていった先の部屋から流れてきている。

 幸いにも隠れる場所は多い。あの男に見つからないように警報装置の隙間を掻い潜るのは難しくはなさそうだ。

「ここだな。扉のロックはされてないみたいだし問題なく入れそうだ」

 それにしてもひどい臭いだ。

 俺は扉を開けて中から悪臭と共に姿を現したものに吐き気を催した。

 腐った肉が積み上げられていて、形も大きさもばらばらで、元がどのような姿かも想像はつかないが無惨なものであったことは分かる状態だ。

 これが、全部失敗作?

 俺はその場を立ち去りたいという思いを抑えて肉の山をぐちゃぐちゃと音を立てながら上っていく。

 ただ肉の山だったなら帰る。食欲が失せるからな。

 しかし、この山の中に間違いなく隠そうとしているものがあると俺の嗅覚が言っているのだ。

 そう、肉に混じる人間の臭いだ。

「こいつか!」

 俺はその人間の死体を山から引きずり出す。

 わりと原型は留めているし死体にはタグが付いていたから失敗作は失敗作でも無意味に作られたものではなさそうだ。

「【奪い去る者(ラバーズ)】って、書いてあるのか?」

 特に番号も振られず、ただ【奪い去る者】とだけ書かれたタグが首から掛けられていた。

 この名前には意味があるのか?

 そういえば俺もフェンリルなんて呼ばれていたが何か意味があるのだろうか。

「でも名前を与えたなら何で殺す必要が?」

「ハイキジョニセイメイハンノウケンチ」

「は?」

 急に扉が開いたかと思えば自立式と思われる機械が俺を見ていた。

 人型の機械なんて変なものも作るものだな。

 それに音声を聞いた限りだとこの廃棄所には生命反応、つまり生きている何かが入ることは許されない。

「ハイジョ」

「悪い冗談だな!」

 俺はここで死ぬわけにはいかない。

 ここで行われていることを理解し、その上で妨害しないことには産まれた意味を後悔することになる。

 俺は機械が向けてきていた銃口の先を確認し発砲されると同時に前方へと突っ込み機械の腕をへし折った。

 へたなエラーを起こして騒がれると面倒だ。

 そのまま廃棄所へと蹴り飛ばし扉を新しくロックする。あと男もしばらくは入っていないようだし施錠しておけば内側の音はほとんど聞こえない。

 何より、この部屋から得られる情報はこれ以上ないはずだ。

 だとすれば次に確認するべきは……。

「俺の産まれた場所か?」

 あそこには大量のアンプルがあった。

 中にはおそらく、俺と同じように目覚めるのを待機している個体が存在し、それはあの男が作り出したもので間違いない。

 調べる価値はあるだろう。

「まずは一度部屋に戻って居ることを確認させないとな」

 俺はすぐさま部屋に戻り毛に固まってしまう前に血を洗い流した。

 それから俺のご飯が届く少し前のタイミングで撮影しているだろうカメラに視線を送り大人しくしていることをアピールしておいた。

 これで確認はしばらく行わないだろうし、もし部屋の様子を見たとしてもまた隠れて何かをしていると考えるだけで深く考えないだろう。

 俺は出された肉を丸飲みにするとアンプルが並んでいた部屋へと向かい、そこで調べものを始める。

 それぞれのアンプルには単語が書かれたプレートがあり、俺はそれを人間が首から下げていたタグと同じような意味合いだろうと考えていた。

 そして、俺が入っていたアンプルの前に立つ。

「俺は暴食なのか」

 意味合いとしてはまあ、深く考える必要もないだろう。

 むやみやたらに食すとは言ったものだ。

俺が入っていたアンプルの内側には複数の噛みついて破壊したような痕跡が存在し、それらは辛うじて割れずに済んだようにも思えるほど甚大だ。

 そして、俺は隣のアンプルの中で何かが動いていることに気がつく。

 いや、動いているのではない。

 アンプルの中に入っている液体が赤黒く染まっていて、その内側にある人体のようなものからは赤い液体が絶え間なく流れ出ている。

 しかし、別の箇所では傷の修復がされ、また別の場所では裂けたように赤い液体が吹き出す。

「身体が、腐敗してる……?」

 俺は嫌な予感がしてアンプルの側に詳細などはないかと探して回る。

 見つけてしまった。

 悪夢を見ているかのような気分だ。

「嘘、だろ……?」

 アンプルの中にいるナニカはともかく、俺の入っていたアンプルにも同じく「死体」の二文字が書かれていた 。

 まさかとは思ったが他に書かれているものを考えると俄然、真実を言われているような気がした。

 死体を、身体の素体として使っている?

 しかし周囲のアンプルを見て回るとごく一部だけだ。

 それに俺の近くにあったものばかりで、それが意味していることを感覚で理解してしまった俺は軽く絶望の淵に立たされたような気分になった。

 つまり、俺を作るのに死体が必要だった?

 悪趣味にもほどがある。

 気分が悪かったが時間が残っているため、俺は調べものを続けることにし、他のアンプルも見て回ることにした。

「……………………!」

 そして立ち止まる。

 一目惚れのような感覚であった。

 たったの一年も生きてないような未熟な存在ながら、未だ産まれずに瞳を閉じている存在に惹かれたのだ。

 心は高鳴り体温は上がっていく。未熟なはずの身体も次第に反応していった。

 そう、俺はアンプル越しに恋をしたようだった。

 硝子の内側で液体に揺蕩う幼い少女だ。もう少し大人みたいな雌に反応を示すと思っていたものだから正直、驚いてはいたが拒絶することはなかった。

 あの本で読んだような本能がそうさせたんだ。

 名前は【悪夢の魔猫(キャスパリーグ)】と書かれている。

「これだと、ただの肉食獣じゃねえか……」

 でも抑えられない。

 しかし、名前以上に俺が目を疑ったのが「破壊」という二文字。

 俺が「破壊」という役割を受け持つなら進んで引き受けたかもしれないが矮小で弱々しく、とても惹かれる少女に背負わせるものとしては酷だ。

 そこで俺は察した。

 あの男は役割を与えて完成個体というものを作り出そうとしているが本当の目的は別に俺たちが成し遂げることではない。

 力を与え奪うことが目的だ。

 それに俺たちのような世界の軸から外れたような生き物を作ったということは世界そのものを帰ることにも奴の目的が存在しているのかもしれない。

「なあ、お眠りになられてる姫さんよ」

 聞こえてないと分かっている。

 しかし、俺はどうしても伝えておきたいことがあった。

「このむずむずした感じはお前じゃないと止められない。お前が、俺にこんな気持ちさせたんだ。お前じゃなきゃ治すこともできない。だから──」

 必ず、俺は……。

「お前を連れてここを出る」


 ──半年後。

「くそ! 再生力があっても痛みは消えねえから最悪な気分だ」

 俺は研究所から出られた。

 雨の中、追ってこない理由は後から不意討ちで連れ戻したいだけなのか諦めたのか、それともまだ何かしらの作戦が残っているのかは分からない。

 だが、俺の身体に埋め込まれてた監視装置は破壊した。

 あとは安全な場所にいくことが先決だ。

「あ……う?」

「そういえばお前も人間が素体だったな! 俺の話してる言葉が理解できるか!?」

 こくり、と小さく頭を動かして返事をする。

 まあ、産まれたら産声を上げるのが先だもんな、話せるわけはないか。

 とはいえ言語が理解できるのなら丁度いい。

 俺は少女を抱えて走りながら状況の説明をした。

 正直なところ伝わるかどうかは関係ない。こいつが理解しなくても俺には話したことに意味があるように思えるから試してみるんだ。

 卑怯だけど、こうでもしないと俺は主張する勇気が無かっただけかもしれない。

「あう、あ……」

 状況を全て説明し終えた段階で傷が開きっぱなしのまま走ってたことが原因で俺も息が切れ始めていた。

 だから心配したつもりなんだろうな。

 俺に抱えられている少女は何かを訴えながら俺の身体に触れようとしてきた。

「触るんじゃねえ!」

「っ!」

「ああ、わりぃ……! ビビらせるつもりはなかったんだ」

 俺はバカだ。

 心配してくれたのに怒鳴るなんてどうかしてる。

「俺にはお前という存在の刺激が強すぎる。こうしてお前を抱っこしてやってるだけでも限界なんだよ」

 あの野郎、余計な仕組みまで作りやがったらしい。

 俺の身体に使われている材料には人間の死体が含まれているが他にも獣の身体も使われている。

 形は人間に寄せられているのに中身が丸っきり獣のままだ。血を見ると食欲に駈られるし雌の匂いにあてられると一瞬で身体が熱くなっていく。

 それに、この少女は俺にとっての特別だ。

 一目見ただけでも心の中に何かを感じてしまったくらいで、こうして抱えて走っているだけでも俺は少女の雌の匂いに苦しんでいる始末……。

 でも逃げ切る前に発情なんかしたら助からないしあの男が喜ぶだけに決まってる。

 研究対象が増えた、と。

「泣きそうな顔なんてしないでくれ」

「あう……?」

「お前にそんな顔をされるとこっちが辛くなる」

 改めて自分のクズさが浮き出たように感じて胸が痛む。

 無垢で何も分からない少女を雌と見なして色々と考えている自分が恥ずかしい。どうしようもなく叱ってやりたいくらい馬鹿馬鹿しいのだ。

 でも、この気持ちは押さえつけられない。

「お前なら、俺を選んでくれるか? このまま逃げ切れたら俺の嫁さんになって、いつでも笑っててほしいんだ」

「?」

「まだ分からねえよな。知らなくてもいい。お前が知りたいと思った時に勉強してくれ。俺みたいに詰め込まれたら考えなくてもいいことまで知ろうとするから」

 この辺りまで来れば見つかりはしないだろう。

 何よりお(あつら)え向きに丁度いいサイズの木箱が落ちている。

「!?」

「頼むから暴れないでくれ。お前がこれを壊しちまったら沈んで、誰も見つけてくれなくなっちまう」

「あうっ、あ!」

「だって告白して数秒で相手が爆発するのなんて見たくないはずだろ? 俺だって嫁さんになってくれるかもしれないやつに残酷な景色を見せたくないんだよ」

 俺は側を流れていた川に箱と少女を流した。

 だから、そんな顔するなって言ってるのに……。

「お別れが、辛くなるって言ってるだろ!」

 思ったより雨のせいで川の流れが早く、俺のもう少し大人みたいな少女の姿を見ていたいという思いを許さないとでも言いたいのかわずかな間に少女の姿は消える。

 あの箱は引っくり返ったとしても穴が開かない限りは沈むことはない。

 少女はどこかへ流れ着いて、そこから人生をスタートするんだ。

 俺は、終わるのかもしれないけどな。

「あの監視装置を壊さなきゃ外には出られない。でも壊すと隣り合った心臓に仕込まれた爆弾に電気信号を流し一定時間で爆発する。お前は悪い意味で天才だよ」

 おそらく爆発するまでのリミットは普通に歩いて出たとして研究所に被害が及ばないと推測される時間。

 つまり、走ってきたことを考えてもあと十秒もない。

 自由のない苛立ちと、いつか殺されるかもしれない不安から解放されたいだけなのに……それも許してくれないんだな。

「死にたく、ねえよ……!」

 さすがに心臓を止めてまで爆弾を取り除くのはリスクが大きすぎるし閉じてくれる誰かがいないと確実に死ぬ。

 でも、止めなくても身体がばらばらに散って死ぬ。

 それから三秒後、カチッと何かがはまるような音が聞こえて俺の身体は内側から何かが飛び出すようなとてつもない衝撃と、全身がばらけるような激痛が襲った。

 それも一瞬。

 内側から爆破されて死ぬ…………そう考えていた。

「い、てぇ……」

 身体から流れていく血の川も見えているし感覚は消えずにしだかりと残っていた。

 そう、俺の再生力は粉々になるはずだった身体を一瞬で繋ぎ止め、そればかりではなく爆弾と共に消滅するはずだった心臓を再構築したらしい。

 ただ、俺には理由も何も残ってはいなかった。

 命の代わりに全ての記憶を持っていかれたのだ。


 ──現在に戻る。

「…………」

 話が終わった後エルはしばらく黙っていた。

 たぶんエルは箱から人生が始まったと言っていたし流された後のことは記憶として覚えている。

 故に複雑な気持ちなのだろう。

 あの箱からのスタートだったからこそエルは不幸という言葉で片付けるには不愉快な運命を辿ることになり、その結果として今の自分がある。

 もっと別の生き方もあったかもしれないし、あのまま転覆して死んでいたかもしれない。

 だから感謝こそあり得ずとも恨んだり、憎んだりすることはあるだろう。

「俺の記憶が戻ったから、エルに隠し続けるのも卑怯なんじゃないかと思ったんだ。お前を一人にしたのは俺だし、あの時の約束っていうか、希望を忘れてペットだなんだと」

「ご主人」

「……?」

「エル、恨んでないよ」

 その回答が嬉しかったが同時に意外でもあった。

 俺はてっきり怒って殴られたりするものかと考えていたから意表を突かれた気分だ。

「あの時の体温を身体が覚えていたから寒くても孤独でも頑張れたし、エルはご主人の約束覚えてる」

「…………」

「エル、ちゃんとお嫁さんになれた。でも、エル泣いたり怒ったりした。笑っててほしいって約束、破ってた」

 そうだ。俺はお嫁さんになって笑っててほしいと約束した。

「エルは辛いことも幸せもいらない。ご主人のお嫁さんの今があればいい」

「お前そんな簡単に……」

「むしろご主人、いい子だった。なでなでする」

 なぜ俺が撫でられているのだろう。

 嬉しいには嬉しいし柔らかい手で撫でられるのは気持ちよかったが男として萎縮してしまう。

「いっぱい痛い思いしたんだね」

「……あまり誘ってくるようならこの場で襲うからな? 朝までオーケーのサインと捉えてもいいんだな?」

「いっぱい痛い思いして……!」

「いだだだっ!」

 なぜ急に耳を引っ張る?

 今のはそういう流れだったと思うんだが……。

「エルはお嫁さんであって奴隷じゃない。大切に扱って!」

「…………くくっ」

「何で笑ってるの?」

 俺の心配は無用だったな。

 戻った記憶を自分だけのものにしないで共有したら手の届く距離にいるエルが遠ざかるんじゃないかと不安に思って、それで言うのが怖かった。

 実際、俺はエルを捨てたようなもんだ。

 それを知ってもなお、許してくれるんだな。

「やっぱり本能って大事なんだな」

「ん……」

「お前を助けたのは間違いじゃなかった。改めて言うのは恥ずかしいけど嫁さん、お前がそれになってくれて良かった」

 そうだ、エルで良かった。

 本当に本能がエルを選んだなら「俺の嫁はこいつしかいない」なんて考えもあったのかもしれないし、単に俺の好みを理解していたのかもしれない。

 だが、これからを考えるとそういうことではないように思える。

 本能が種の保存を第一にするなら子孫を増やし守ろうとすることも本能だが己を守ることも同じだ。

 つまり、エルを選ばなければ危険だった可能性があるとでも言うのだろうか。

「よし、帰ってぬくぬくするか」

「ご主人もエルに毒されてる」

 今は考えない方がいい。

 俺の作られた理由がはっきりしてくればエルとの幸せを噛み締めていられる時間も少なくなってしまうかもしれない。

 だから、今は…………平和な間だけでも、幸せを感じてもいいよな?

「俺はエルでぬくぬくしたいだけだ」

「へんなことしたら、引っ掻くから」

 俺は考え事が一つ解消されて気分が軽くなった。

 でも、思い出したからにはまだ他にも確認しておきたいことがある。


     2


「デ、デート!?」

「二人きりになりたいとしか言ってねえよ!」

 シオンは完全にそのつもりになっていた。

 難しい話をするのに他の人間がいると紛らわしいから二人きりでどこかへ行こうとは行ったがデートじゃない。

 俺にはそういう目的が一切ないからだ。

 でも勘違いされそうだからエルにも事情を説明して了承は得ている。

 それだけ重要な話なのだ。

 このまま茶化されて終わるわけにはいかない。

「た、たまにはいいだろ? ほら、いつもお前と話すときは俺の家だから気分とか変えたいんだよ」

「そういうもの? 別に今日は暇だったしファングの頼みなら断る理由もないけど」

 と、約束し俺たちはその日の夜に森へ散歩に出掛けた。

 やはり魔女と獣が一緒に歩いていると不気味に思われたりして雰囲気も何も関係なくなってしまうので、というシオンからの申し出があったからである。

 しかし、この場所は都合がいい。

 他にも聞いている人間がいるかは俺の耳や鼻が探知できる。魔力を帯びていればシオンも気がつく。

 つまり、真の意味で二人きりというわけだ。

 とはいえ切り出し方が分からない。

 どのように話し始めて本題に持っていくべきなのか分からないし、そうなると俺は結局のところ無言で歩いてしまうかもしれない。

 それだけはダメだ。

 無意味に誘い出せば次回からは余計に切り出せなくなる。

「な、なあシオン」

「なに?」

「その、報告したいことがあるんだけどさ……、その、聞いてもらえるか?」

 シオンは訝しげに「何で先に確認するの?」と聞いてくる。

 当然だ。

 今まで俺とシオンはそれなりに長い期間、遠慮もしない発言をしてきた関係である。今さらぎこちなくなるのはおかしな話で幼馴染とまではいかずとも、それに近しい空気はある。

 故に変に改まってしまったから怪しまれたのだろう。

「エルと…………したんだ」

「エルちゃんとイチャイチャなら毎日してるの知ってるけど」

「そうじゃなくてだな、いや、違わないんだが……」

「もう、まどろっこしいな~。正直に言えばいいじゃん。別に怒らないよ?」

「ほんとか?」

 思わず聞いてしまう。

 分かってる。怒らないなんて言葉を出した時は大抵、聞いた途端に心変わりして怒り出すに決まってる。

 内容が内容だ。怒られても仕方ない。

 俺はもう一度、今度ははっきりと口にする。

「エルと交尾したんだ」

「…………え? 嘘でしょ?」

「ほんとだ」

「なに、あてつけ? そんなの聞いてなかったし、いや、普通に考えて私に言ったら傷つくって分かってるよね?」

 ああ、俺は最低だ。

 お前に嫌われると分かっているのにわざわざ言わなくていい情報を与えたんだからな。

 でも、これも過程でしかないんだ。

 俺がお前に伝えたいことは、確認したいことはもっと他にあるんだ。

「そうだ、冗談なんでしょ? いつもみたいに私が怒ってるの見て遊ぼうとしてるんでしょ」

「お前なら気がついてるはずだ。エルから俺の魔力の気配がしてることくらい」

「…………。そうだよ、知ってるよ! なに、そんなに私を怒らせて何がしたいの! いっそのこと()()木端微塵(こっぱみじん)にでもなりたいわけ?」

 やっと答えが、まだ隠してはいるけど真相に近しい言葉を聞けた。

 これ以上は嘘を吐く必要がないので俺は真相を突き詰めるべく、シオンの言葉を復唱する。

「また? 木端微塵?」

「っ!」

「まるで俺が木端微塵になったことがあるみたいな言い方だな」

「た、ただの比喩だよ! そう、比喩! 私の魔法で粉々になるような痛みを受けたいのか、って意味だよ!」

「じゃあ、何で怒ってたのにわざわざ説明してくれるんだ?」

 おかしな話だよな。

 完全に怒らせたつもりだったし、その状態ならば確実に俺からの質問に対して「そんなのどうどもいいでしょ」とか反論が返ってくるはずなのだ。

 でも、お前は懇切丁寧に説明したよな。

 比喩とだけ答えればいいのに、俺が()()()()()()()()()()()()()()()()でもあるかのように少しでも別の印象にしようとしたよな。

 本当は意味があるんじゃないのか?

「見たことがあるんじゃないのか? 俺が爆発した瞬間を」

「え…………?」

「俺さ、少しだけ考えてたんだよ。色んな奴から魔力と意思を引き継いできたお前が治すのは大得意でも壊すのは一切というほどできなかった理由を」

 考えすぎかと思ったが最近の変わり方は異常だ。

 何か不安だった要素を忘れていたから戦えるようになったんじゃないかって思うんだ。

「俺は自分のいた研究所で眠ったままだった未完成の被験体に一目惚れした。もし、俺の目の前でそいつが死ぬようなことがあれば耐えられない。それこそ、記憶に残しておきたくないくらい、胸に刃物でも突き立てられたくらい心が傷んで、しばらくは癒えないはずだ。もし仮にお前も同じだったら?」

 シオンは胸を抑えて今にも倒れてしまいそうな険しい顔をしている。

 分かっている。

 楽しい時間で忘れようとして、結果的に忘れていられたから思い出したくないのだろう。

 でも、そのままじゃいけない。

 夢からは覚めなければいけないし、俺が自分の意思で研究所を抜け出したようにシオンを閉じ込める何かがあるのなら、シオンは自力で出なければいけない。

 いつまでも、辛いことを一人で背負っていてはいけないんだ。

「あの日、突然現れた強い魔力の反応に釣られて居合わせたお前が、小さくて何も分かってないような若い命のために自分を捨てた奴を見て、一目惚れしたんだとしたら?」

「やめてっ!」

「シオン?」

「何で、そんなこと思い出しちゃうの? ファングが忘れてると思ったから私も忘れようとして、頑張って、やっと頭から消えてきてたのに、何で思い出させるの?」

 ああ、やっぱりシオンは背負ったままだったんだ。

 俺は涙を流して崩れ落ちたシオンを支えてやるように抱き締めて背中を擦ってやる。

 俺のために、こんなに心をボロボロにさせてたなんて考えたら悲しくなってくる。

「そうだよ。ファングの言うとおりだよ。私は必死に走ってるあなたを見て、小さくて弱いエルちゃんを抱えてるあなたを見て自分と重ねていた」

「…………」

「あの強力な反応を持ってるのがあなたなら、きっと私と同じ時間を生きてくれる。絶対に私を一人にしないでいてくれるって、そう思ってたんだよ。それに、自分がどれくらいの力量があるかも分からないのに他人を助けたいって思ってしまう気持ちがある獣を見せられたら、悔しいけど惚れちゃうよ」

 シオンは俺を少し突き放すようにして顔を見れるようにする。

 そして、俺の頬に手を添えて、まるで死んでしまった者を憐れむように語り始める。

「それが私の目の前で碎け散ったんだよ!? この人になら私を打ち明けられると思ったのに、目の前で、形も分からなくなるくらいバラバラになったんだよ!? それを、それを見て私が堪えられるわけないじゃない!」

「だからお前はわずかな望みに掛けて俺の身体を再生させようと広範囲に魔法を展開してバラバラになった俺の身体を一ヵ所に、一つの身体に治そうとしたんだな」

「あなたに強い生命力が無かったら私の魔法じゃ治せなかった……! でも、そのままなんて絶対にイヤだったから……」

「お前が、壊すのは嫌がったのはそれが理由だったんだな?」

 俺はシオンの頭を撫でてやろうかとも思ったが本人は俺のことを睨み付けて否定する。

 どういう意味なのか理解し得ない。

 しかし、俺よりも思慮深い魔女は獣の考えなどお見通しだとばかりに強い口調で言葉を並べる。

「そんなの許さないから! 私はファングがエルちゃんをお嫁さんにするってことは知ってたよ! あの時にファングは紛れもなく本心で言ってたのを私は分かってたから」

「じゃあ……」

「でも好きになっちゃダメなの!? 私は、やっと出会えた愛せる人を好きになっちゃダメだって言いたいの!?」

「……………………」

 ダメ、ではない。

 それを否定したら選ぶ権利が無いことになってしまうし、シオンのような女の場合は本当に限られた選択肢だったと思うと今さら選び直せなんて言えない。

 そもそも、俺にそんな権利はない。

 俺の再生力で身体を治すことができたのか分からない以上はシオンが治してくれたと考えるべきで、その恩人の想いを「好きな人が別にいるから愛さないでください」なんて簡単に否定できない。

 いや、してはいけないのだ。

「私は私の意思でファングを好きなの! だからエルちゃんがファングのお嫁さんだからって泣き寝入りなんかしない! あなたを好きなことは変えられないからあなたに嫌いだって言われるまで、たとえ相手にされなくたって私はファングだけを好きでいる!」

「あのな、そもそも俺はお前を突き放すために真実を明かしたわけじゃないんだぞ?」

「でも今の流れだと私と二度と会わないつもりだったで…………んっ!」

「…………なんか魔力とか吸われそうで怖いな」

 でも、まあ俺をそこまで愛してくれるやつの唇に魔力を、しいては俺の力を奪われるんだったら文句はない。

 お前とキスをする対価だって言うなら安いものだ。

「本当は友達とか、そういう関係でいられるならそっちの方がよかったんだけど()()()()()()なら仕方ないよな」

「えっ?」

「人間の作ったルールなんて知らねえよ。俺の辞書に複数の雌を好きになったらダメなんてルールは書いてねえし」

 そもそも俺のことを好きな奴が嫌じゃないなら気にすることじゃないんだよな。

 と、思ったが口にはしないでおく。

 軽々しくそんなことを言って、人間にやはり化け物だと裁かれては申し訳がたたない。

「でも、エルちゃんは……」

「ここに来る前に了承は得てる。エルは飼い猫でお嫁さんだけどご主人が幸せなら問題ない、ってな」

「……………………」

「要するにそういうことだ。だから俺はシオンの言葉を告白と捉えるし、それに対しての答えはさっき返した。俺がお前のことを嫌いになるまでじゃなくてお前が俺を嫌いになるまで、俺は好きでいる」

 そもそもシオンは何回かアプローチしてきてたしな。

 俺がテキトーに返事してただけと思われたくないし、別にシオンが俺のことを好きだからって困ることもない。

 俺の一目惚れはエルだった。

 でも、好きなもんは好きだ。

「ん、んっ……!」

「どうしたんだよ、胸なんか叩いて」

「そそ、その……ファングの気持ちが嬉しくて、今まで抱えてた嫌な記憶から解放されたのに胸が痛くて!」

 んー、さすがにそれは治せないな。

「それで、エルちゃんとはどんなことしたの?」

「へ?」

「ほら、具体的に教えてよ。この前ルインズでからかってきたんだからエルちゃんに反撃するんだよ」

 意外と姑息というか、大人げない。

「言葉で言うのが恥ずかしいなら行動でいいんだよ? ほら、お互い好き同士なんだから触ってもいいよ?」

 それにかなり煽ってくる。

 別に好き同士なら触っていいというわけではない気がする。

 とはいえ今回はシオンに辛い思いをさせていたこともあるし反省の意味も込めて言われた通りに行動しよう。

 エルと何をしたか……まずキスはもう済んでるし、あとは……。

「ち、ちょっとファング! 何でいきなり鷲掴みするの!? そそ、それに直接触るなんて──」

「いや、お前が言ったんだろ。言葉が恥ずかしいなら行動で教えろ、って」

「せめて触るぞとか言ってくれてもいいんじゃない?」

「そもそもエルとした時は言葉なんて無かったし……。それこそお互いに獣同士だから遠慮なんかないし獣のように肉欲の貪り合いだからな」

「意外と情熱的、というか積極的なんだね」

「そりゃあ獣同士ならな。本能的に絶対として快楽より子作りが前提なのは当然だ」

 俺が胸を張ってそう答えるとシオンは恥ずかしそうに視線を逸らした。

 人間には合わない考えかもしれない。

 俺が手を引っ込めるとシオンは何を思ったのか俺にへんな質問をしてきた。

「それより本当に鷲掴みにしたの?」

「は?」

「エルちゃんってこう、スレンダーじゃない? 掴むところなんかあるのかな~、って」

 こいつ、然り気無く友情に亀裂を入れるような発言をしたような……。

「あ、あれでいて着痩せしてるんだ。最近はシオンが作る飯を食ってるからか成長してるっぽいしな」

「なんかお嫁さんって呼んでるのに子供みたいに扱ってない?」

「まあペットだしな。矛盾はしてないぞ。エルは俺の嫁さんだから交尾できるけどペットだから可愛がるんだ」

 自分で言ってて困惑してきた。

「ま、仕方ないよね。ファングも片手で数えられるくらいしか生きてない子供なんだし」

「ん?」

「え?」

 それを言われると俺のしたことは犯罪なんじゃないのか?

 いや、まてまてまて。そもそも人間の作ったルールになんか従わないと言ったばかりだ。別に俺がたとえ子供なんだとしても問題ないわけで……エルは?

 そういえばエルも俺より半年から一年遅れて産まれただけでほぼ年齢も変わらないんじゃないか?

「俺、変なのか?」

「そんなことないよ。ただ、まあ研究者が偏った知識だけ与えたからだと思う」

「子作り、意味ないのか?」

「それは知らないよ。あの研究者に聞かないと。でもノルンちゃんとかの説明ってされてたんでしょ?」

 されていた、というより自覚したの間違いだ。

 ノルンは俺に与えられた研究対象という名の子供を大量に産ませるための雌だ。

 つまり、その時点で可能ではあるという意味か。

 俺は突然、大嫌いなあいつの目的のことが頭に浮かんでシオンにとんでもない質問をした。

「シオン、俺たちは生きててよかったのか?」

「どういう意味?」

「あいつは俺を作った。この世界には俺みたいな奴こそいなくてもシオンみたいな魔女や、エトみたいな竜は存在したかもしれない。でもな、俺の読んだ本には何もいなかったんだ」

「え?」

 そう、あれが事実を書いてるものだとすればこの世界に魔女や竜なんて生き物はいなかった。

「シオン、俺は皆が大切だ。エルも、魔女も、竜も、魔物も……一部嫌いだけど人間も。けど、本当はこの世界は()()()()()()()()()()()()()はずだった」

 今さらのようだけど、あの時の俺は既に男の洗脳にあっていたのかもしれない。

 あの本の内容を素直に受けとるならば世界とは真実のこと。

 つまり、あの本に書かれていた真実が現実という嘘を唯一、間違っていると示唆しているものだったんだ。

「ちなみに二つの種族って?」

 俺は深く息を吸い込んで覚悟を決めてから伝える。

 これが本当なら俺は「嘘」を相手に話していることになり、その時点で頭がおかしくなりそうだった。

 だからこそ覚悟がいる。

「人間と獣人だ」

「!」

「この世界には人間と獣人しか存在してなかったんだ」


     3


 あの後、俺はシオンに少しだけ訂正を入れて今まで通りで過ごすように伝えて別れた。

「おそらく奴の目的は複数ある。一つは俺たちのような役割を持った者を殺して力を奪うこと。二つ目は確証はないが別の世界と繋げることだ」

 つまり、シオンやエト……それにこの前のヴェルゼという悪魔も他の世界と繋げられた結果、この世界に迷い込んでしまった存在というわけだ。

 記憶は前の世界のもの。

 こちらの世界には本来、彼らの家族と言える同種族は存在していないはずだが存在してしまっている。

 つまり、迷い込んだのが最初だが、その後は着実に原種であったはずの獣人より増えて種族として存在が成立している状態にある。

 そこまでを奴が改変したのならば目的は壮大だ。

 しかし、今の俺たちに解決する術はなく、それも今から事態を動かそうものなら混乱を招くだけで何も解決できない。

 故に俺は今まで通りで過ごすようにと伝えた。

 正直、俺も頭が痛い。

 魔女も竜も存在してなくて、今はいないと考えられていた獣人が普通に生活していた?

 どこにも見当たらなかったのに?

 いや、世界中どこかを探せば見つかるのかもしれないが俺が行った先々では見かけなかったのだからあの男が全て消したのかもしれない。

 それに俺が見たことのある死体の山。

 あれが、ただの失敗作の山だったなら憐れむだけで深く考えたりはしない。

 もしかして、あれが獣人の山だったんじゃないかと考えてしまうと心苦しい。

 あいつは自分の目的のために一つの種族を滅ぼし、その挙げ句「作り直した」という名目で俺を実験対象にしていた。人間の所業じゃない。

「どうしたんだ、傭兵さん」

「ん?」

「傭兵さんにぼおっとされてると困るんだが」

「そもそも傭兵じゃねえんだよ」

 今は馬車に揺られながらルインズへ向かっている最中だ。

 レクセル曰く「ルインズでティナさんから支援してほしいと連絡があった」という話だった。

 向こうで何が起きているのかというと今までは遺跡への立ち入りを可能にし、少しでも観光資源として活用していこうという趣旨があるとのことで、そのために協力してほしいという。

 ちなみに俺を「傭兵」と呼んできた男は騎士団長だ。

「くっくっ、大切な女を殺すな、なんだと騒いでいた若造が強くなったものだ」

「良かったな、罪のない人間を殺さずに済んで」

「ふっ、甘く見るな。貴様に言われずとも我々は黒幕が姿を現すと考えていた」

「ちっ、そんなに嫌いなら金なんか払わなきゃいいのに」

「勘違いをされては困る。我々は貴様を評価しているんだよ」

 そんなこと一言も……、いや、金が払われるようになった時点で俺の活動をいい方向に捉えてくれているのは知ってた。

 でも、本人の口から聞くと違和感しかない。

「この依頼が終わったら騎士団に所属しないか?」

「冗談を」

「本気だ。貴様は図体だけではないことくらい証明してくれているからな。力量も確か、人間に負けない程に賢い。それだけで十分に入団の資格はあるだろう?」

 そんな話をされても入るつもりはない。

 だって俺にとって喰うことはもちろんだが家で愛猫とゴロゴロしてるのも至福なのだ。その時間を失うのはあまり良いこととは思えない。

 何より騎士団は倫理に囚われる。

 俺のように人間でも平気で食えるようになってしまった化け物が居てもいい場所ではない。

 でも、信頼されるのは嫌じゃなくて、微笑ましい。

「まあ、断られるのは想定の範囲内だ。貴様は大きなものを守りたい男ではない。特定の誰かのために戦っている。ならば騎士団などに所属しないはずだ」

「よく分かってるじゃねえか」

「大抵の者はそうだ。集団に属しているからこそ国民の集まっている場所が狙われれば優先的にそこを守ろうと動くが家族がいる者はそちらを優先してしまう」

「当然だ。命が懸かったら利己的になるのが人間だろ?」

「ああ。そして貴様も貴様もその人間性を秘めている。故に評価しているし、友好的に接してもらいたいものだ」

 なるほどね。

 前に会った時は合理的主義なのかと思っていたが、実際は人間の内面性を見ているからだったらしい。

 俺が宥めたところで落ち着かないと分かっていたからこそ強く言って納得のいく答えを聞き出した。失敗も少なければ対応としては完璧なはずだ。

 俺も訂正しよう。

 お前はいい人間だ。

「名前は?」

「なんだ、名前で呼んでくれるのか」

「騎士団に所属してねえのに団長と呼ぶのはお門違いだし友好的に接するなら名前を知ることから、だろ?」

「それもそうだな。ナハト……ナハト=リントヴルムだ」

「お前らしい名前だな。じゃあナハトでいいや」

「まあ、フルネームで呼ぶ必要もないだろうからな。貴様のこともファングと貴様の周りの人間が呼んでいるように呼ばせてもらおう」

 俺とナハトは握手を交わした。

 こうして信頼を繋いでいくのかと思うと少し新鮮な感じがして、それでいていつの間にか仲良くなっているよりも確かな信頼性があるようにも感じた。

「それで、ルインズはどのような国なんだ?」

「ん、ナハトは行ったことないのか?」

「団長という立場上あまり表には出ないのでな。指示を出せる者は基本的にその役割を外れてはならない」

 たしかに言うとおりだ。

 戦況が混乱しないように先んじて行動を決めておくのにはブレインが必要であり、そういうことができる人間は限りなく少ないと言える。

 つまり、代えが聞くとは考えない方がいい。

 ならば戦場には出陣せず、正しい判断を伝令する方が正しいやり方なのは間違いない。

 まあ、ふんぞり返っているだけならいない方がいいけどな。

 ナハトの場合は無駄なことは考えず適格な伝令を回すはずだから前に出てはならないタイプの司令塔というわけだ。

「まあ、それなりに賑やかな街だ。ただ色々とあって若い人間の方が多い」

「たしかにそれならば街を活発化していかなければ若い者が他国へ流れてしまう理由もわかるな」

「で、肝心の観光資源として使おうとしてる遺跡の方は……数こそ多くないが人間の国の内側にあるからか強い魔物が居座ってたりするから危ないんだよな。俺たちを呼んだ理由もたぶんそれだ」

 仮に前回と同じような魔物が多かった場合は特殊武装をした人間でなければ対等に渡り合えないため、その相手として俺も一緒に雇われたわけだ。

 それなら十分な理由である。

 A級程度ならばナハトが本気を出せば余裕かもしれないが想定外の進化があるかもしれない。

 それで俺まで召集されたわけだ。

 とはいえ、だ。

「エル、怒ってるだろうな」

 あくまで依頼なのでエルを連れていくことができず、お留守番を頼みはしたが約束があるため不安でしかない。

 少しも離れていたくないのだ。

 俺も、エルも。

「私にも妻がいる。それでも危険な地に連れていくわけにはいかないと置いてきている。なに、生きて帰ればいいだけの話だろう?」

「もふもふが足りない」

「何を言っているファング。自分自身の身体をよく見てから発言した方がいいぞ」

「自分自身の毛皮触って喜ぶやつがどこにいる! なんか違うんだよ。あいつのもふもふしててぷにぷにしてて、いい匂いするのが重要なんだよ」

「あの娘はそんなに毛深かったか? それに貴様が言うほど柔らかそうには見えないが……」

 分かってないな。

 重要なのはそこじゃないんだよ。

「もふもふは互いに温かさを感じたらもふもふなんだよ。ぷにぷには女なら誰でもぷにぷにだ」

「貴様の感覚の話だろう! 理解を強要するな!」

 いや、強要はしてない。

 ただ言えるのは戦いの場だろうと何だろうと俺はもふもふできるものがあった方が頑張れるという話だ。

 別に他人がそう感じなくても関係ない。

「ほら、文句を言ってる間に着いたぞ。ティナの場所までは俺が案内するから大人しくついてきてくれ」

「言われずともわかっている。私は地理に弱いのでな」

 騎士なのに致命的じゃないか、それ。

 兎に角俺はティナとウォーグが生活しているという家へとナハトを案内する。

 依頼してきた本人に会えば後は遺跡に向かって調査するだけ。

 強い魔物がいれば俺が相手をしてナハトには今後のために情報収集を頼む。お互いに強いものがあるのだから役立てていかなければ二人いる意味がなくなる。

 二人が住む家に着くと俺は扉を軽く叩いた。

 声がしてからしばらくして内側からティナを抱えたウォーグが現れてナハトは剣を構える。

 当たり前だ。

 魔物が平然と暮らしてりゃ斬りかかりたくもなるだろう。

 だが味方を攻撃させるのはよろしくないので俺がナハトの剣を掴んで制止する。

「まあ待て。こいつは敵じゃない」

「あまり乱暴はしないでほしい。お嬢がびっくりしたらどうするんだ」

「っ! 人間の言葉を、話せるのか……?」

「そういうことだ。で、今の発言で分かったと思うけどウォーグは抱えられてる女を……ティナに手を出さない限り急に暴れたりなんかしねえよ」

 大人しくなったナハトと家に入り、ティナはウォーグのことを含め説明を始める。

 まあ、最初は驚いていたが俺という存在を知っているからこそ理解を示すまでに時間は掛からない。わりと早く依頼についての説明が始まった。

 俺の予想通りで遺跡内部の魔物の捜索及び討伐。

 ティナの身体に負担を与えるからと彼女の力を使うわけにはいかず、治療も再生も行えない状態でウォーグを向かわせたくないということで俺らを呼んだらしい。

 それにウォーグも離れたがらないしな。

「すみませんね、わざわざ騎士団の方にまで足を運んでいただいて……」

「気にせずともよい。この男から聞いた話では興味深い魔物がいたという話だ。今後、その魔物が増えないとも限らないならば調査を行えると思えば問題あるまい」

「倒すのは俺なんですけどね~」

「ふん、どうせ貴様の胃袋に収まるのならば問題ないではないか」

 はいはい、そうですね。

 たしかに遺跡の魔物は高純度の魔力を帯びているし、そもそも魔力が集まって生き物として形を変えた存在ならば喰った時の魔力吸収率は高い。

 倒してから食うまでの間に調べるならたしかに効率はいいし俺は自分で食料を稼いでいるだけのように思える。

 ナハトの言葉はそういう意味でずるい。

 否定はできないが考えれば少しだけ自分に不利があるような気がするのだ。

 でも正せないから黙るしかない。

「それはそうとあんたの方はうまくいってるのか?」

「な、何の話だよ」

「あの猫とだよ。帰り際に挨拶だけしていっただろ?」

「当然だ」

 ウォーグは知らなくていいが俺たちはお前の考えているより一つ上のステージまでいったからな。

 さすがにティナもいるしナハトに斬られそうだから言わないけどな。

 と、そういえばティナとウォーグも付き合う云々と言っていた気がする。

「そういうお前らは?」

「…………」

「何で黙るんだよ」

「すいませんお嬢!」

 逃げた。

 え、もしかして大切なお嬢がどうとか言ってたのに一時の感情に任せて発情して孕ませちゃったとか、そういう話なのか?

 俺の考えはさすがに間違っていたらしくティナは苦笑する。

 そこまでは奥手なあいつじゃ発展しなかったらしい。

「私が好きって言ったらそれ以降、着替えを手伝う時も緊張してるみたいで、ね」

「あー、なるほどな。なんとなく分かったわ」

 ウォーグの性格的に緊張なんて話じゃない。

 たぶん着替えを手伝おうとしてティナを脱がせるまではよかったが脱いだ後に「好き」という二文字を思い出して急に意識しだしてしまうのだ。

 あいつのことだ、たぶんその時点で前屈みになる。

 裸とかは入浴も着替えも手伝っていたんだから慣れていたはずだから好きと言われて急に女として意識し始めた存在の隠すも抵抗もないものを見せられたら嫌でも興奮する。

 まあ、純粋無垢なティナに見せられるわけもないから隠してるだろうけどな。

「もう行くわ。調べ終わったら報告しに戻る」

「え? もうちょっとゆっくりしていってもいいわよ?」

「いや、ナハトがイライラしてきてるからな」

「おい誰がそんな──」

「それに今からウォーグを追いかければ面白いものが見れると思うぞ」

 お嬢と連呼しながら想いをどうぶつけたらいいか分からずに悶えてる魔物の姿が、な。


 ──ルインズ遺跡内部。

 あの時に討伐したような魔力が結晶化し防具と貸している熊のような魔物は珍しいらしい。

 ナハト曰く、魔力は内部に吸収されるもの。

 多くの魔力を吸収した魔物はより強力に、より大きく、そしてより多い種として繁栄する。

 魔力を多く吸収していれば力に反映され、それに伴い身体も大きく成長するらしい。

 そして、もう一つより多い種として繁栄するという話しは初めて聞いたので戦いながらナハトに詳しい説明を求めた。

「生物が繁殖するのは自分の死を理解しているからだ。死にやすい生き物は種を残すためには沢山の子を未来に残さなければいけない。そのくらいは分かるだろう?」

「ああ。なんとなくは」

「逆はどうなると考える?」

 俺は素直に答える。

 強いなら増やす必要ないしあまり産まないのではないか、と。

 もちろん間違っているわけではないのでナハトは頷いていたが先程の魔物の話とは違ってくる。

 魔力が多くなれば強くなって増やす必要は無くなるのに反映しやすい?

「魔物は特殊だ。弱ければ自己を諦め、強ければ他者の上に立とうとする。そもそも魔物にとっての魔力は力であり、活力であり、それでいて我々人間でいう性欲に近しいものだ」

「へ? 魔力が?」

「魔物は魔力が集まった存在だろう?」

「もしかして別の器に魔力を移して子供を作るのか?」

「察しがよくていいな。そう、大量の魔力を有するということは雌の個体に移しても生存に支障はない。次の雌、次の雌にと魔力を注ぎ子供を増やしても問題ないのだ」

 たしかにそれなら繁栄する理由も分かる。

「だから厄介なのだ」

「強い奴が増えるから討伐も追い付かなくなるのか?」

「そういうことだ。弱い魔物が増える分には新人の訓練に使えるからよいのだが強い魔物が増えると実力のある者が出払わなければいけなくなるし、それでも勝てない場合もある」

 じり貧になりかねない、か。

 ナハトが倒れた熊の身体から魔力の結晶を剥がしたり血液を採取している間に俺は休憩する。

 もし、それが本当ならこの世界の均衡はいつか崩れるんじゃないか?

 ただでさえ人間の進化は早いと言えないのに魔物は強い者が増え、その強い者ですら死に近づくと繁殖力が高くなり死なないようにと進化していく。

 これでは追い付かない。

「故に貴様も恐れられていた」

 俺はナハトに視線を向ける。

 ある程度の調査が終わり立ち上がったナハトは俺の方に一別したがすぐに視線を逸らす。

「一部の言っている妄言、という表現を覚えているか?」

 最初に会ったとき、たしかにそんなことを言われた記憶がある。

「ファングの強さを聞いた者が居てな。もし魔物だったら我々では葬れないのではないか、これほどの大きく逞しい肉体を保持しているならば魔力もS級なんて比ではない。たったの一体でも恐ろしい生き物が日に何十、何百と増えるのではないか、とありもしない噂が流れたのだ」

「……………………」

「私は鵜呑みにするなと言った。だが、本当に貴様が魔物なら手を出して怒りに触れない方がいいと思っていただけなのかもしらないな。私はこう見えて臆病なようだ」

「そんなこと、ないんじゃねえか?」

 まあ、正直な話をすると恐れられていたならいい気分はしない。

 でも人間の心理なんてそんなもんだ。

 敵うか敵わないか考えて、太刀打ちできないのに信用したいと思える奴の方がどうかしてる。

「俺は魔物なんて比じゃないくらいの魔力を宿してる。産まれてからどのくらい過ぎたのかなんて忘れたけど未だに身体は少しずつ大きくなってる。だから、恐れるのは普通で、それに逆らえなかったナハトは、人間だっただけだろ?」

「気を遣っているのか?」

「本当のことだ。だってもしもその辺にいる雌を無差別に襲って孕ませてもいいって言われたら立て続けに一ヶ月……いや、一年中だろうと大量に種付けしても交尾し続けられる。たぶん、俺に一部でも魔物の血が含まれてるからだろうな」

 絶対にその選択はしない。

 色んな雌を探すくらいならエルやシオンだけをずっと相手にしておきたいと俺は思う。

 そこが魔物と違うのかもしれない。

 複数の雌を相手にした方が繁殖という観点では確実で絶対値が大きくなる。

 でも、好きな雌に固執したい。

 たとえ繁殖が不可能だとしても好きな女に自分の全てを受け入れてもらいたいと考えるのは、俺の一部に人間の思考が組み込まれてるからだ。

 だから、敵じゃなくても恐れられるのは当然だ。

「でも人間を進んで喰い殺したいとか、女を犯したいとか、そんな思考は少なくとも今はない。お前の判断は間違ってなかったんだと思う」

「ふっ、私は貴様のことを信じてよかったと思う。もし魔物だとしても誇りを持つ者だ」

「そ、それは言い過ぎだ! この前だってうちのエルを窒息死寸前まで舐め回してたし!」

 この前とは言うがだいぶ前だ。

 以前、俺が拐われてエルが助けに来た時、俺たちは交尾をすると決めて帰り、自分達の家で初めてを経験した。

 その際である。

 まずは、と自分が血まみれだったから身体を清めるつもりだったわけだがエルを舐めて綺麗にしているといつもより大袈裟に反応するものだから楽しくなってしまったんだ。

 それでつい、エルが呼吸できないくらい舌で舐めすぎて、ということがあった。

 つまり俺には誇りなんてないただの変態野郎だよ。

「まあいい。私は貴様をそういう風に捉える。たとえ誰も見ていない場所で情欲を貪っていようと関係ない」

「たまにお前えげつないこと言うよな」

「所詮は獣なのだから何かしらの方法で解消していると考えているだけだ。しかし、そんな生物の本能的な部分を責めたところで無意味だろう?」

 ま、まあたしかに。

「さあ、討伐を続けるぞ。遺跡内部を空っぽにするのだろう?」

 俺は気分を切り替えて魔物の討伐に努める。

 しかし、討伐していると徐々に不安が募っていき、ある程度片付けた辺りでナハトに伝えた。

「前に来た時よりも気配が多い気がする」

「たしかに街の中心にあるが魔物の数が多いようだ」

 多いなんてものじゃない。

 戦いが終わって移動を開始すれば音で群がってきた数体の魔物が一斉に襲いかかってきて、それを討伐すると~の流れが延々と続いている。

 これは多いんじゃなくて現在進行形で増えてると考えた方がいい。

 でも、どこで?

 何を媒介に増えている?

「どこかに繁殖場でもあるのか?」

「ふむ……私は今までにそのような事例を聞いたことはない。場所など決めず、危険さえ訪れなければ一年から数年に一度の発情期に合わせて繁殖する。例外は皆無だ」

「でも倒してるのに気配が減らねえんだよ。可能性を少しは考えておいた方がよくないか?」

「まあファングの言うとおりではあるな。それなりに魔力供給量も多いようだからな」

「……なんかやだな~。魔物とはいえイチャイチャしてる連中をシバきにいくのは……」

「イチャイチャなどと言うな!」

 そんなこと言われても表現なんて他に見当たらない。

 まず現在進行形で増えてるということは最中という意味で、そこに殴り込みをかけるということは不倫を目撃した奥さんのように他人の行為を見てしまうということで?

 さすがに見たくねえよ。

 とはいえ放置してたらいつまでたってもティナの願いは叶わないし街に出てくる可能性もある。

 さっさと終わらせるに限る。

「向こうだな。大量に魔力の反応がある」

「すまんが一人で確認してきてほしい」

「何だよ急に。魔物のイチャイチャしてるの見るのがイヤとかなら無理にでもついてきてもらうぞ?」

 ナハトは首を横に振る。

 どうやら見たくないのは本当だが違う理由があるらしい。

「人間では魔力に当てられてしまうのだ。ファングやいつだかの魔女のように無意味な魔力放出を行わない者の前では無害になるのだが魔物は常に放出している。あまり強い魔力に近づくと狂ってしまうのだよ」

「狂った人間も見てみたいけどな」

「冗談じゃない。認めたばかりの男を自ら葬ることになりかねないのだぞ!」

 相変わらず冗談が通じないことで……。

 俺が言いたかったのはナハトにが狂って魔物たちに混じって交尾とか始めないかな~、というちょっとした悪ふざけだ。命のやり取りなんて喜んで見るものじゃない。

「まあ、そういうことなら一人で確認してくる。何かあっても嫌だしナハトは遺跡の外で待機しててほしい」

「そうだな。さすがに私も複数に囲まれれば勝てんやもしれん」

 さて、どうしたもんかな。

 別に見るのはいいけど見たことで俺も少なからず発情してしまったらラプトに戻るまで意識を保てるんだろうか。

 あいつらに混ざるって意味じゃない。

 エルを抱きたくなるかもしれないって意味だ。

 やはり奥へ進むに連れて魔物の臭いが強くなる。魔力が立ち込めているのが目で分かるくらいだ。

「…………!」

 で、やっぱり想像した通りになっていた。

 一匹の倒れている魔物と、一匹のそれに向かって全力で腰を振っている魔物。

 音も臭いも現実味がありすぎて黙ってしまう。

 そう、目の前で現在進行形で愛し合っている一対の魔物がいるのだから黙らざるを得ない。雄として、そもそも魔物が熊のような見た目で同じ獣なのだから、一度見てしまうと気になってしまう。

 獣だから夢中になったら止まれないのは同じらしい。

 やがて雄の方が限界に達したのか雄叫びをあげた。

 しかし、腰を振るのは止めず、それどころかより一層力強く、早く振り続けている。

 あんまり見てると目に毒だな。

 と、俺が強制的に中断させようとしていた時だ。

 雄が腰を止めて雌から離れた。

 休憩にでも入るのかと思ったが状況は違うようだ。

(そりゃあ延々と湧いてくるわけだ。交尾が終わる度に雌から新しい魔物が産まれてくるんだもんな)

 そう、先程までただの体液だったはずなのに雄が離れて数秒で雌の胎内が膨らんで新しい魔物が生まれてきたのだ。

 これは早々に対処しなければまずい案件である。

 たとえ雄が腰を振って満足するまでに数分の時間があったとしても終わってしまえば数秒足らずで新しい個体が産まれる。一時間で十体以上、一日で数百以上の個体が産まれてくることになる。

 仮に雌が増えたら絶対値が増すわけだから数は尋常ではなくなる。

「お取り込み中失礼しまーすっ!」

「グウッ!?」

 生憎、俺は自分を魔物だと思ってない。

 だから手加減も躊躇も必要ない。むしろ不愉快なものを見せつけられたんだから八つ当たりさせてもらおうか。

 俺の目の前で「次」を始めようとしてた雄を引き剥がし後ろに投げ飛ばす。雌はまだ魔物を産んでから間もないのと雄と繋がった瞬間に引っこ抜かれた訳だからすぐには動けないだろうしエルと同じなら発情期真っ盛りで辛いはずだ。

「ったく、魔物のくせに節操なく盛りやがって…………んなもん見せられても興奮しねえよ!」

「グアゥッ!」

「まずはだらしねえもんしまってからにしろ変態が!」

 まあ、男としてそこを狙うのはどうかと思ったけどな。

 それもどうでもいい話だ。

 今の俺には十分なだけの魔力があるわけで無駄に食事をする必要もないのだからここにいるお盛んな二匹と産まれたての魔物を喰う必要がない。

 つまり、消し飛ばしてしまえばいいだけの話だ。

「さて、人間が入ってくる場所は綺麗にしないとな~。てめえらの体液なんか残さねえように、な!」

 さすがにこれだけの魔力があれば魔方陣も媒介も必要ない。イメージさえあれば簡単に魔法が使える。

 さすがに急に身体が発火すれば対処もできないし、そもそも灰すら残らないほどの高火力だ。耐性があるかどうかなんて関係ないだろう。

「ははは、俺って血も涙もないんだな」

 仲睦まじい……かどうかは知らないが盛っていた雄と雌、それからまだ何も知らない子供の魔物。

 それらが燃えて苦しんでいても何も感じない。

 俺は、そういう風に作られたんだろうな。

「さて、報告に戻りますかね~」

 入り口まで戻りナハトに状況を全て説明するとナハトは柄にもなく赤面して「ファングは平気か」と尋ねてきた。

 無論、臭いに当てられるほど節操ないわけじゃない。

 面倒だから横を通りすぎながら「平気だよ」と言った俺は依頼完了の報告のためにティナの元へと向かった。

「あれ? お前の大切なお嬢さんは?」

「さすがに寝かせたんだ。いつ戻るかも分からないし夜更かしさせると身体を壊すだろう?」

 そう言ってウォーグが屋敷の外で俺たちを出迎えた。

 あとはナハトが俺から聞いた話も含め、今回の遺跡で起きていたことを細かく報告し、ウォーグは情報の中から安全かどうかを考えるとのことだった。

 俺が全て焼き払ったとはいえあれは異常だ。

 魔物だって他の生物と同じなら雌が孕んでから出産するまでもそれなりの時間がかかるし発情期とはいえ立て続けに交尾なんてしない。

 元は同じ魔物だったウォーグもそう言っている。

 だから余計に不安が募っていた。

 あそこには魔物の生態を変化させる何かがあったのかもしれない、と。

「なあ、あの時の男は……あんたを作ったっていう

奴は最近見かけないのか?」

「ん、大人しいというより暗躍してる感じだな。あいつが何もしてないはずはねえし」

「なら、あの男が何か仕組んだのかもしれない」

 それに反応したのはナハトだ。

「その男はただの人間なのだろう? そこまでのことを成し得るのか?」

 俺の考えだと成し得る。

 あいつは既に【奪い去る者】から何かしらの方法で力を得ているはずだ。役割を持つ者の力は魔力から成り立ち、それは即ち魔力のコントロールもやろうと思えばできるということだ。

 あの魔物に必要以上の魔力を与えて繁殖させていた可能性も否めない。

「あいつは普通じゃない。この半年間、ただ大人しくしていたなんて思えねぇな」

「何故だ?」

「平和ってのは何かあるまでの準備期間だ。今回の魔物の大量繁殖も試験的にばらまかれた布石の一つかもしれない。つまり近いうちに何かする気だ」

 どうせ布石は一つや二つじゃない。

 俺は拳を握って再び自分の決意を確認する。

 絶対にお前の息の根は俺が止めてやる、と。

 そうしないと俺もエルも本当に平和と呼べる時間を過ごすことができないのだから。


          7章「平和という名の狂気」fin

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ