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銀狼の飼い猫  作者: 厚狭川五和
第一部「はじまりの物語」
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6章 最愛の天使と最低の悪魔

     0


 これは、二日前の話だ。

 俺はいつものように魔物狩りをして少しでも自分の延命のためにと余分なほどに食事をして魔力を貯蓄していた。

 最近はむしろ騎士団にも行動が認められているし国内でも俺の不穏な噂は減ったとレクセルが言っていた。少しは良いことをしているように見えているのだろう。

 それはそれとして、その日も同じ。

 雑魚なんか相手していたら路頭に迷う人間が出てくるから()()()誰も手を出せないようなA級ないしS級に該当するような高位の魔物を相手していたのだ。

 故に、俺は敵だと認識できなかったのかもしれない。

 敵はあの男だけだと、錯覚していたのかもしれない。

 相手は女だからと、気を許していたのかもしれない。

「こんばんは、ファングさん」

「なんだ? おいおい、ご令嬢だか何だか知らねえけど夜中に出歩くと危ないぞ」

 初見、それでも分かる令嬢という身分。

 長く伸ばされた金髪は添えられたシルバーの髪飾りが鉄屑のように見えてしまうほど美しく、顔は端整に声は清らか、細く白い身体を包む衣服は派手な装飾こそ無けれど雰囲気を出すには相応しいもの。

 そんな女は夜中に森を出歩いてはいけない。

 逆を言えば、こんな時でなければ一人で出歩いていることに違和感を覚えるとも言えるだろう。

「他人にも優しいんですね」

「そりゃ、無駄に敵を増やしてもいいことなんかねえし」

「なら残念な話ですね」

 油断を招いたのは俺が無駄な知識を持っていたせいなのかもしれない。

 このような時間にしか抜け出せない箱入りの令嬢。

 それに、こんなことされるなんて思ってもなかったのだろう。

「っ! 何しやがった!」

「私はあなたが並大抵の攻撃じゃ死なないことを知ってるんですよ。だから、毒を塗っておきました」

 たかが矢を肩に受けただけ。

 そう安易に考えていた俺は抵抗もできぬまま数秒で微睡(まどろ)みに沈んでいった。


     1


 ──それから、現在。

「う…………くっ」

 致死性の毒じゃなかったのか幸いなのか俺は生きてる。

 しかし、妙に身体が重いし自由に動かせない。何かに拘束されているのだろうか。

 まず顔をあげて確認してみると俺の腕に何やら金属がはめられていて天井から吊るされているような状態にある。手枷だということは嫌でも分かる。

 しかし、普通の金属ならば簡単に破壊できる自信があったがぴくりともしないところを考えるに特殊なものだろう。

 何より力が入らない。まだ毒の影響が残ってるらしい。

「目が覚めたんですね?」

「最悪の、気分だ」

「当然です。私が自作した毒ですよ? あなたの身体は再生力が化け物並みで大抵の毒は気を失う前に抗体を作って治してしまうでしょ? だから進化と変化を繰り返す毒を作ってあげたんです」

 随分と俺のことを調べてあるらしいな。

 再生力どうこうの話は一部の人間しか知らないことだし俺に毒が有効かどうかはあいつらも知らない。

 つまり?

「あいつの、関係者か?」

「あいつ? ああ、君の作成者のことですか? あんな人と一緒にされるなんて論外です」

 やはり、あの男と面識がある。

「それよりどんな気分ですか?」

「だから最悪のきぶ──」

「体調なんかどうでもいいんです。あなたが今、どういう気持ちなのか聞いてるんですよ?」

 ぞっとした。

 令嬢が見せる顔じゃない。

 悪質で、陰湿で、まるで水に溺れた虫を微笑みながら見つめる子供のような悪意のない残酷な顔に俺は震えた。

 そして彼女が指を向けた先に視線を向けて意味を理解する。

 何も、身に付けてない。

 俺は文字通りの全裸にされていて、彼女はそれを見て「何も感じないのか」と聞いていたのだ。

 つまり、俺は人間として扱われていない。

 その辺にいるような獣と同じ目で見られていたのかもしれない。

「恥ずかしくないんですね。そりゃあそうですよね。あなたは人間の男と違って犬と同じ身体をしているから恥ずかしがる必要なんてありませんよね」

「…………どういうつもりだ」

「あなたを殺して力を奪ってしまおうというあの人の考えは理解できませんよ。だって退屈じゃないですか」

 令嬢は……いや、悪魔は鉄格子の扉を開けると危機感も狂っているのか平然と入ってきた。

 そして、俺の前に立つと君の悪い笑みを浮かべる。

「こんな面白い玩具が作れたなら大切にしないといけまへんよね」

「玩具、だと?」

「私の身体に欲情してみてくださいよ。拘束されて、服まで奪われて獣のように発情する獣を見せてください」

 悪魔はスカートの裾を持ち上げてちらりと薄い布きれを見せつける。

 それがどうした。

 欲情しろ?

 そんな未熟な身体で俺に何を求める。寝言は寝てから言え、と鼻で笑ってやるぞ?

「たかがパンツで興奮しねえよ」

「獣のくせに贅沢なこといいますね」

「けっ、俺が認めた女と比べたらお前なんざ少し見た目がいいだけのただの女だ。守ってやりたくなる小動物みたいな可愛さも、優しさと純情に溢れた乙女らしさもなければ美しいまでの誇りすら感じられないね。そんなやつじゃ発情できねえな」

 悪魔の顔にやや怒りが見えた気がした。

 構わないさ。既に捕まってる身なんだから言われるがままに従うよりかは反抗してボコボコにされた方が箔がつくというものだ。

 何より本当に興奮しない。

 エルの依存性の高い可愛さもない。

 シオンのように甘えたくなる優しさや、豊満な身体があるわけでもない。

 エトのような強い誇りも感じないし、ノルンのような真っ直ぐな想いすらない。

 そんなの他人と同じだ。

 こいつが最初に言っていた「他人」と何も変わらない。

 他人に優しくすることはできても他人なんかを見て欲情できる奴がいたらそれは欲求不満なだけだろ。

 俺は殴られるつもりで口を閉じていたが女は一向に黙ったまま動かない。

「下着ごときではダメなんですね?」

 不穏な言葉が聞こえた。

「ならこうしましょう」

 俺は言葉を失った。

 正確には悪魔が少し不足してる胸で俺の鼻先を埋めたせいで口が開けなくなったの間違いだ。

「男は胸が好きといいますよね。じゃあ顔にこうして押し付けてあげれば興奮できますか?」

 それなりに、と答えそうになったが黙る。

 そもそも興奮しようがしまいが身体の反応の話であって気持ち的な高揚なんて得られない。

 故に俺は脱出のことばかり考えている。

 このまま口を開けて胸付近を噛み千切れば簡単に殺せる。

 鍵なんてあとから探せばいいし、無いから体力を回復してから脱出するだけの話だ。

 しかし、どうしてか口が開けない。

「あなた、言葉では強気なこと言ってますけど実際はガキですよね。どんなに強がってても優しさを見せれば弱いし、こうして誘惑すれば動けなくなる。子供なんですよ。優しい人がいれば甘えてしまうし、目の前に誘惑があれば危険性も考えずに誘われてしまう」

「んなわけ……」

「現にあなたは私を殺せませんよね。そりゃそうですよ、いい思いさせてくれる人間をあなたは殺せないんですから」

 悔しいが動けないなら認めてるも同じだ。

「私は玩具を大切にします。同時に玩具からえられるものは全て欲しいと思ってます」

「…………」

「だからいじめて、怒らせて、怪我させて、泣かせて、遊ばせて、気持ちよくさせて、満足させて、落ち込ませて…………良いことも悪いことも全部あります。痛いこともしますし楽しいこともさせます。子作りの気持ちよさも教えてあげます。けど、絶対に逃がしません。私の玩具なんですから」

 最悪なやつに捕まったらしいな。

 つまり、こいつの意思次第で何でも起こりうる環境に俺はいるんだ。

 生きる可能性も死ぬ可能性もある。

「さあ、今日はどうしますか?」

 俺はこれから訪れるであろう苦痛を想像したくはなかった、

 しかし、現実は受け入れなければいけない。


 ──sideエル。

「ご主人、遅い」

 待つのは慣れているけど遅れるのは許せない。

 私はいつでもご主人と一緒のご飯がいいし、ご主人と一緒のベッドでぬくぬくと眠るのがいいから、何があっても夜は一緒と決めていたのに帰ってこなかった。

 もし仮に、他の女の子と出歩いてるならまだいい。

 どこにいるのかはっきりしている分、心配はないし私がペットという身分なのだからご主人の恋愛に口出しするつもりは毛頭ない。

 そもそもご主人が幸せならどうでもいい。

 ご主人が一緒にいそうな人って誰だろう。

 シオンと清純派なデート?

 それならシオンの方から相談が来るはずだ。

 ご主人と一緒にいる時間の長い私に「どこに行きたがるか」とか「何を食べたいかな」とかそういう質問が。

 ならノルン?

 たしかにご主人がルインズでノルンと行為に及ぼうとしている姿を目撃したが節操ない二人というわけではないし日取りを決めてから慎重に行動するはず。

 特にご主人は後ろめたいことがあるのかノルンを大切にしてる気がする。

 あとは、エト?

 でもあの竜人はしばらくご主人と会ってないし森へ行くついでにとかじゃないと会えない。

「知らない女の子? でも、ご主人いやがるはず」

 やはり何かがおかしい。

 そもそもだ。

 女の子と出歩いてるにしても朝帰りどころか昼を過ぎても帰らないのは不自然だと思う。

 なら、選択肢は……。

「貴様の飼い主?」

「うん。騎士団に報告、来てない?」

 最近はご主人の狩りを貢献と見なして評価している騎士団だ。報告が来ていてもおかしくない。

 しかし、団長は首を横に振るだけだ。

「昨日は魔物の死体は転がっていたが狼が暴れたような痕跡は無かったぞ」

「え、狩りはしてたの?」

「あの殺し方は間違いなく狼だ。しかし、奴なら殺したらしっかり死体を残さず喰っていくはずだろう。死体はそのまま残っていたから何かあったのかもしれないな」

 何かあったなら、助けないといけない。

 あの男は、ご主人を作った人はご主人を殺す手段がないからしばらく大人しくするはずだけど、あの人だけじゃないとしたら危険に変わらない。

 私は場所を聞いてすぐに駆けつける。

 一分一秒も惜しい。

 ご主人の匂いが完全に消えてしまう前に、誰かに片付けられてしまう前に探さなければ……。

「あっ、ねこだ」

「! ノルン?」

 そこには何故かノルンがいた。

 いや、もしかしたら感覚だけでご主人に何かあったと察知して駆けつけたのかもしれない。

「ファングは家にいる?」

「んん、帰ってきてない。ノルンの所にも来てない?」

「うん。まちでもにおいしなかった。だからみにきた」

 やはりノルンは私よりも優れているのかもしれない。

 今はその能力が救いだ。

「どこにいそうか、分かる?」

「はなのにおい、かすかにする」

「え?」

「たぶんつれてかれた。あっちのくに」

 彼女が指を指したのはイヤな記憶の残る位置。

「エルが、イタズラされてた街……」

「ソレムりょう、ってばしょ」

 微かに覚えてる。

 あさこで私は貴族に拾われて、メイドという召し使いとして雇われていたが、実際には仕事よりもメインとされていたのが夜のご奉仕だ。

 なんとか誤魔化して逃げ切っていたが、あの場所に戻る?

 私は耐えられるだろうか。

 ここから向かわなければいけないと思うだけでガタガタ震えてしまっているのに、本当にご主人を助けられるだろうか。

「だいじょぶ?」

「……!」

 私は、ノルンより劣ってる。

 魅力も実力も劣っていて、ご主人が愛してくれるのは気まぐれのような奇跡。そう感じているのに行動に移せず、本当に必要な時に「猫は甘えるのが仕事」なんて言っていていいのだろうか。

 そうだ、いつもはご主人が守れるから動くなと言われていた。

 ご主人がピンチなら私が動かなきゃ意味がない。

「ソレム領にはどうやったら入れると思う?」

「たぶん、ファングさらったのちいのあるひと。きにいられればはいれる」

「…………」

 覚悟を決めるしかない。

 こればっかりは精神的外傷(トラウマ)なんて言って逃れてたらいけない現実だ。

 ご主人、私は迎えに行く。

 自分のために……。


 ──ソレム領、某貴族の屋敷。

「あなたが連絡にあった新しいメイドさん?」

「エルピス、いいます。こ、この耳は偽物なので気にしないでください!」

 我ながら苦しい言い訳になってしまった。

 ソレム領に入る分には門番の兵士がたいへん扱いやすく少しスカートを持ち上げて顔を赤くしてあげれば簡単に騙されて入れてくれた。

 目星の付けた城では新しいメイドを探していたから連絡すれば簡単に入る手続きをしてくれた。

 しかし耳や尻尾は、見た目だけはどうにもならなかった。

 私の尻尾や耳は本物。千切れはしないし消せもしない。

「へえ、可愛らしいメイドさんですね。夜に呼んじゃいますか?」

「そそ、そういうの困る……! エ、エルピスご奉仕へただから、呼ばない方がいい!」

「冗談に決まってるじゃありませんか。まあ、本当に可愛いとは思いましたけど、私も女ですからね」

 あはは、と乾いた笑いがこぼれる。

 口ではああ言っているが返答を間違えば今日にでも部屋に呼び出されてにゃんにゃん言わされていた。

 それは色々とまずい。

 私はご主人の前でしかにゃんにゃん言うつもりはないし耳や尻尾が本物だとバレたら面倒だ。

 ご主人を捕らえた人間だったら目を付けるに違いないから。

 金髪の美しいお嬢様は私のことを気に入ったらしく城に戻るとベテランの召し使いと思われる女の子に声をかけ、そのまま後ろへと引っ込んでいった。

 第一関門は突破。

 あとは不自然にならない程度に仕事を覚えて隙を見てご主人を探すだけだ。

「あまり気に入られない方がいいよ」

「あなたは?」

「リド、あなたの先輩」

 リド、と名乗った先輩メイドは私にだけ聞こえるような声で耳打ちする。

 耳に近づけなくても聞こえるけど、まあ仕方ない。

「ご主人様はお気に入りの子を見つけると自室だったり部屋に連れ込むけど、その後は行方が分からなくなるから」

「えっちぃことしてるの?」

「それがお気に入りが男でも女でも関係ないの。可能性はあるけど無事で済まないのは確実ね。フォローしてあげるから気を付けてね、エルピスちゃん」

「…………うん」

 もし、そのお気に入りにご主人が含まれていたらと考えると複雑な気持ちだ。

 えっちぃことなら生きてはいるけど私や、私が認めた女の子じゃなくて知らない女の子に強引にさせられたならご主人が可哀想だ。

 ちがって、痛いことをされているならすぐにでも助けないといけない。

 この先輩を信じて頼る方がいいと判断した私は愛想よく先輩の後ろについていくことにした。

 まず案内されたのが厨房である。

「エルピスちゃんは料理できる?」

「したことない。でも、たぶん覚えれば……」

「努力家なのはいいけど怪我はしないでね。少しずつ教えてあげるから」

 とはいえ私はいつもシオンの持ってくる料理を見ているから多少は分かる。

 あの人が魔法に頼らずにご飯を作っていると知ってから何度か作り方を聞いたのだ。

 いつか、ご主人に作るために、と。

 芋や茸を同じ大きさに切ったり、多少の飾り切りをするからいならできる。

「意外に上手じゃない」

「あ、ありがとう」

「期待の新人で安心だよ。可愛いし仕事もできて私の妹分になってくれて嬉しいな」

 すぐに辞めるとは言いがたい。

 でも、あくまで私の目的はご主人を助け出すことであってメイドさんになることではない。

 リドは優しいけど、これ以上を考えてはいけない。

 敵陣に乗り込んだなら味方なんていない覚悟でいなければ、いつかは裏切られるのだ。

 あの日のように……。

「エルピスちゃん、顔が怖くなってるよ?」

「え?」

「メイドは仕事ができるだけじゃダメだよ。せっかく可愛いんだから笑顔ね!」

 いけない、顔に出てたのかもしれない。

 ここではないけど、私は同じように高い地位のある人間の元でメイドとして雇われてひどい目に遭った。

 そのことを考えすぎていたのかもしれない。

 誤解されないよう私は精一杯の笑顔を作る。

「し、心配は無用にゃ」

「! ふふっ、それいいんじゃない?」

「ここ、これは……癖みたいなもので」

「ちょうど猫耳付けてるんだし、そういうキャラでいいと思うけどな~」

 からかわれたような気はしたけど言っていることに間違いはないように思う。

 猫耳は偽物、そう言っているのに飾りになっていたら怪しまれる。

 いっそ、そういうキャラを演じていた方が意味がある。メイドという仕事をやるために来たが、好かれたいがために猫というキャラ付けをした。

 問題なさそうだ。

「じゃあ、お昼も近いしその前に夕飯の仕込みを終わらせようか」

「が、頑張るにゃ!」

 やっぱり恥ずかしい。

 ご主人に媚びるのと訳が違うからかとんでもなく恥ずかしくて尻尾の付け根がむずむずして振ってしまう。

 落ち着かない。

 私はリドに教えられながら夕飯の仕込みを終えると仕える先であるヴェルゼというお嬢様の希望である片手で食べられるような軽食にサンドイッチを作って運んだ。

「ありがとね、エルピス。私は本を読むのが好きなんですけど同じくらい食べるのも好きなんです」

「!」

「どうかしたんですか?」

「いや、知り合いにも似たような人が居たから共感できると思っただけにゃ!」

「そうですか…………それにしても、可愛い語尾ですね」

 やはり変だと思われたのだろうか。

「その猫耳にも似合ってます。気にしないので屋敷の中ではありのままでいてください」

「あ、ありがとうなのにゃ」

 考えすぎかもしれないが感覚的には間違っていない。

 明らかに勘繰るような視線の運びかたをしていたし、ありのままというのは嘘を吐くのが下手な人間にぼろを出させるための罠だ。

 私の普段は無口で消極的。

 それを表に出さないかと鎌をかけられたのだ。

 この人は危険だ。

 私の知ってる、どんな悪どい人間よりも賢く、狡猾で、信じてはいけない人間。

 今思えば、「本が好き」で「食べるのが好き」なのもブラフだったのかもしれない。

 私のご主人も勉強するために「本を読んでいた」し「食べること」が何よりも幸福。

 私は、既に存在を見抜かれている?

「ん、美味しいフルーツサンドですね♪ 果物も均等に切り揃えられているし、エルピスはセンスがいいんですね」

「お褒めに預り光栄にゃ」

「リドは下がっていいですよ」

「はい、失礼します」

「…………さて、と」

 やはり何か不穏な空気がある。

 リドを先に帰したのは私と二人きりになるためだとしたら黙っているのはまずい。

 でも、逆に何を話せばいい?

 私が迷っているとヴェルゼは本を閉じて立ち上がると君の悪い笑みを浮かべながら近づいてくる。

 逃げるならタイミングを間違えてはいけない。

 そう身構えているとヴェルゼは前で止まると私の脇に手を入れて持ち上げると元の位置まで戻った。

 私は平然とお仕えしなければいけないお嬢様の上に座らせられる。

 え、何で?

「エルピスは軽すぎですよ? ちゃんとご飯食べてたんですか?」

 世間話をしよう、というわけだろうか。

「…………」

「あなたの体格で必要とされる体重よりも五キロは軽い。これは毎日一食分抜いたからというレベルじゃありません。何日か食べない日が続くこともあったんですよね?」

「は、恥ずかしながら……」

「安心してください。ここにいる間はきちんと食事はしてもらいますし清潔な環境は心がけてあげます。せっかきの可愛い顔がもったいないですよ? それに、獣の臭いがしていたら残念です」

「っ!」

 本当にこの人はわざとなのか分からない。

 体重の話は私がご主人と出会う以前の扱われ方が原因であり、それからはちゃんとご飯を食べていたから勘違いしていたが勘の鋭さは本物だ。

 獣の臭い……私の匂いじゃない。

 ご主人が私を舐め回してマーキングしたからご主人の匂いだ。

 でも、なんで?

 私は毎晩ご主人に洗ってもらっていたし、昨日はご主人が居なかったから洗ってもらえていないが逆にご主人が居なければ舐め回されることもない。

 つまり、フェロモン的な話になるから人間が嗅ぎ分けられる匂いじゃない。

「もう、びくびくしちゃって……可愛いメイドさんですね」

 そりゃあ怯えもする。

 私は、あなたに存在がバレてないか不安でならないのだから。

「それはそうと、猫耳を付けているエルピスは獣の恋愛をどう考えていますか?」

「これは偽物だから……」

「わかってます。でも、そんなものを付けるくらいだからエルピスは獣が好きなんですよね?」

 これは嘘で答えても真実になる質問だ。

 私は獣が好きな訳じゃないけど好きなのはご主人()だ。

 小さく頷くと肯定と捉えたのかヴェルゼは私の頭を撫でながらもう一度、今度は詳しく質問の意味を説明した上で尋ねてくる。

「この書物には獣のことが描かれています。これによると獣は生存本能から種を温存したいと考えるため、恋愛には言葉がいらないそうです。雄は無理やり雌を我が物にし、雌はそれを強者として捉え粛々と受け入れる。エルピスはこのような恋愛をどう思いますか?」

「………………怖い、と思うにゃ」

「ふふ、やっぱり可愛いメイドですね。猫耳を付けているならそう答えると思いましたよ」

 本当はちがう。

 本能とかそういうのは分からないが私は強く、守ってくれようとする存在に惹かれる。

 それこそ、ご主人だ。

 私のことを大切に思ってくれているから危険な戦いはするなと言ってくれたし、私のことを大切にしているからマーキングして他に襲われないようにしてくれている。

「私は面白いと思いました」

「え?」

「人間でも雄が問答無用で女性を襲うことがある。でも、雌は当然のように拒絶しますし、そう考えると獣の恋愛は力ずくで襲われても受け入れる歪な恋愛です。不思議で、面白いと思いませんか?」

 この人の興味の方向は特殊すぎる。

 私にはついていけなさそうだ。

「んにゃっ!?」

 揉まれた。

 いや、揉むものもないけど揉まれた。

 ヴェルゼは間違いなく女の子のはずだが、彼女の上に座る私の胸をまさぐるように服の中に手を入れて、雄がするように触れている。

「ここで疑問があります。雌は、雌に襲われても粛々と受け入れるんですか?」

「あ、にゃ……やめっ……!」

「エルピスは一見すると子供のように未成熟な身体ですけど実際はしっかり大人の身体をしているんですね。胸を触られただけでそこまで興奮していたら雄は堪えられないでしょうね」

 どういう、意味なのだろう。

「エルピスも戻っていいですよ。仕事がなければ自由にしていてください」

 私はヴェルゼに乱された衣服を直すと会釈して部屋を後にした。

 分かってる、そんなこと分かってる。

 自分の身体のことは自分で一番わかっているし、だからこそ私は一生ご主人のペットとして生きることになったとしても悔いはないと決めたんだ。

 あの人はひどいことをしない。

 ヴェルゼが言っていたように堪えられない人じゃない。

 それより、ヴェルゼは何を企んでいるのだろう。ただ私を遊んだだけにしては最後の言葉がやけに意味深に思えて気になってしまう。

「早く見つけないと……」

 私かご主人か、あるいは両方なのか。

 どちらにしろ早くここから出ていけるようにしないと何か嫌なことが起きる予感がする。


 ──sideファング。

 かつ、かつ、と石畳を蹴る足の音が聞こえた。

 少し眠かったが無反応だともっと()()()()遭うような気がして俺は目を開く。

 まだ身体が重い。

「こんばんは、元気にしてました?」

「元気なわけねえだろ?」

 俺は精一杯の悪態をつく。

「やっぱりあなたの再生力はすごいですね! 昨日は四肢を全部切り落としたのに左腕意外は綺麗に治ってます」

 そう、こいつは昨晩、俺の両手両足を切り落とした。

 俺に服を一切身に付けさせていなかったのは血が染み込んで乾かなければ菌が繁殖しそこから壊死する可能性があったからだという。

 でも実際は死に際に獣の身体が反応するのか見たかっただけだ。

 俺の意思に反した、いや、俺の断末魔みたいな叫びに呼応したといえばまちがいではない反応をした身体を見て笑っていたのだから間違いない。

 鎖だって本当は必要ない。

 前方以外を覆っている壁は魔力を通さないし物理的な力を受けると高質化する仕組みになっているから優しく、それでいて確実に分解できるような力の加え方をしなければいけない。

 俺にはそんな高等テクニックなんてない。

 そして前の鉄格子も同じだ。

 破壊しようにも内側からの影響を受けない特殊な魔法を掛けられている。

 外側から無理な力を掛けてもらわないと壊れないわけだ。

「さてさて、どうします。今日こそ欲情してみますか? ちゃんと気持ちよくしてあげますよ?」

「……殺されるとは考えなかったのか?」

「やっぱり言葉責めに弱いんですね。体温が上がってますよ」

 こいつ、俺の話を聞いてない。

 俺が玩具だからか?

「あっ、お口が寂しいんですね? じゃあキスしましょうか。ちゃんと、ね」

「っ!」

 嬉しくないし何も感じない。

 こんなの、発情して魔物相手にさせられてるようなもんだ。

 俺は無理やり口の中に舌をねじ込まれて腹が立ち、女の細い腰を掴んだ。

 この程度なら秒で砕ける。

 そう思って全力を込めたが一向に女が苦しむ声をあげることはなかったし形も変わらない。

「今日はやけに積極的ですね。今日は腰を使って遊びたいんですか?」

「なんで、殺せないんだよ……」

「当然ですよ。この鉄格子に備えられた扉は私の魔力に反応して開閉できます。つまり、あなたは私を殺したら永久にここから出られないことを知って殺せないんです」

 こんなのって、ありかよ……。

「まだ治りきってないみたいですし今日は切り落とすのはやめておいてあげます。だから、楽しみませんか?」

 女は楽しそうに俺の身体を撫で回す。

 こんなの生き地獄だ。

「そういえばあなたの飼ってる猫が遊びに来ましたよ?」

「っ!?」

「ちょっと言葉で遊んであげただけでビクッて震えるんです。誰かに(しつけ)られているのか胸の感度もよくて、本当に可愛いメイドさんでした」

 猫とメイドではっきりした。

 エルだ。

 俺が帰ってこないからと誰かから情報を集めてここまでたどり着いてしまったのだろう。

 感度がどうとかは知らないが俺がマーキングしてる時に多少は感じていたなら可能性はある。

 つうか、この女だれにでも手を出して、ただの色情魔じゃねえか。

「私をその猫だと思えば興奮しますかね」

「ふざけるな」

「どうせ出られないんだから楽しみましょうよ~。ちなみに可愛いメイドさんには四日後に野生の《影狼(ファントムウルフ)》を発注してあるので気にしなくていいですよ。あんな細い身体じゃ半日も保ちませんけどね」

 それだけはダメだ。

 くそ、エルまで巻き込んでしまったし俺も何もできないなんて、こんな苦しいことがあるかよ。

「おい、治るのなんか待たなくていいからやれよ」

「どうしたんですか、急に」

「お前はこっちの方が好きだろ? 俺のペットに手出しするんじゃねえよ……!」

「っ! そんな殺気立たないでくださいよ。エルちゃんは可愛いメイドさんなんですから悪いことはしません。それより……」

 小悪魔のような笑みを浮かべ、女は部屋の隅に置かれていた槌を持ってくる。

「本当にいいんですね?」

「俺が脱出を諦めてお前を殺すかもしれないぞ」

「あなたは殺せない。私の玩具なんですから」

 勢いよく振り下ろされた槌は俺の頭を思いっきり打ち据える。

 痛い。頭蓋が割れる。

 でも戦う必要がないなら全ての魔力を再生に注ぎ込めるし割れてもぐちゃぐちゃにされる前に元通りにすれば意識が途絶えることはない。

 俺は、命を賭けられないなら、初めからあいつを助けたりしてない。

 その覚悟がお前なんかに打ち砕かれてたまるか。

「本当にあなたは最高です! 愛が故に自らを犠牲にしようなんて感涙です! その愛が報われる瞬間に壊される絶望はきっと格別の表情を見せてくれるんでしょうね!」

「サディストが……!」

 俺はどこまででも付き合ってやるよ。

 ただし本気を出させたんだから飽きて標的変更なんてつまらない終わりは許さねえ。


     2


 ──sideエル。

 休めるわけがない。

 夕飯を終え、片付けを済ませた後にヴェルゼを入浴させるべく準備をしようとしたが、リドに指摘され自分の顔色が悪いことに初めて気がついた。

 理由は予想がつく。

 ご主人が居ないからだ。

 いつも私が起きてから寝るまでの長いようで短い間に一回はご主人を見れたし、危険な場所には連れていけないとお留守番をさせられても寝るときは一緒だった。

 ご主人は魔物を食べれば事足りるけど、必ずシオンも含めた三人で囲んでいた。

 そう、だからこそ欠けたら苦しい。

 私の一部とも言える大切な人で、ご主人との時間だけは失いたくないものだった。

 たったの二日。

 でも、私にとっては長く辛い二日だ。

「リド先輩、おはようにゃ」

「おはよう。昨日より楽になった?」

 私はこくりと頷いて少しでも不安にさせないように振る舞うことにした。

 リドには心配を掛けてはいけない。

 この人は優しすぎるから私が具合悪くしたなんて聞いたらヴェルゼに報告するだろう。

 そうなるとしばらく動けない。

「これ、軽く摘まんでいいよ。昨日もほとんど食べてないでしょ」

「ごめんなさい」

「何に対して謝ってるの? 何か悩んでるのは分かってるし先輩なんだから何でも相談していいんだからね?」

 そんなこと言われても相談なんてできるわけがない。

 私が不満そうな顔をしているとリドはどうするか考えているのか腕を組んで唸り始める。ただの新入りにここまで新味になってくれるのはこの人だけだ。

 そして答えが出たのか私の肩にぽん、と優しく手を乗せた。

「じゃあ一つだけ仕事を頼まれてくれない?」

「ん、なにかにゃ」

「ヴェルゼ様を起こしてきてくれる? いつもなら自分で起きてくるけれど今日はまだなの」

 それくらいなら容易い。

 私は二つ返事で引き受けるとヴェルゼが使っている部屋へと向かう。

 この屋敷ではヴェルゼはお嬢様。

 しかし、身の回りの世話を全てメイドがやるわけではなく、ある程度の家事や業務を任されているだけで他は範疇ではないらしい。

 つまり、本来はこれも仕事ではない。

 でも起きてこないのが不思議だというのは分からないでもないから起こしに言っているのは納得できる。

「ヴェルゼ様? 朝にゃ、起きるにゃ」

 カーテンを開き朝日が差し込むようにした私は毛布の上からヴェルゼを揺さぶり起きるように促す。

 しばらく拒否していたヴェルゼは突然、身体を起こすなり私の身体を引っ張って捕まえてくる。

「い、イタズラがすぎるにゃ!」

「そろそろ飽きたんですよね。あなた、本当はそんな話し方じゃないんですよね?」

「ッ!」

「暴れなくても今すぐ殺そうなんて思ってませんよ。そもそも()()()()()()いてくださいと言ったはずです」

 やはり気づかれていた。

 まずい、何が目的か知られれば屋敷を追い出されご主人を探す機会は永久に失われる。

 どうにか誤魔化さないと……。

「エルピスは私の可愛いメイドです。乱暴にはしませんし大切にするつもりです。それ以上に可愛い猫は遊んであげたくなるものです」

「ど、どういうつもり?」

「四日後にプレゼントを用意してます。素直に受け取ってくれるならばメイドとして、今まで通り生活していいです」

「…………」

 安易に回答するのは危険だ。

 プレゼントというのが「死」かもしれないし、死ななくても間接的に近いものを渡される可能性もある。受けとる=ご主人と会えなくなる、では意味がない。

 だが、断ってそのままにしてくれるだろうか。

「獣臭いですね」

「うっ、そんなことない」

「いえ臭います。リドとエルピスに午前中は休養を与えるから湯浴みでもしてきてください。文字通り綺麗にしてもらったらまた可愛がってあげます」

 別に可愛がられたくもない。

 同じ女の子なのに臭いとか言ってくるような人と仲良くしたくもないし、可愛がられるならご主人がいい。

 それにヴェルゼだって血みたいなへんな臭いがしてた。

 私は項垂れながらリドの元へ戻る。

「あ、おかえりなさい。ヴェルゼ様は起こしてくれた?」

「臭いって言われた……」

「え?」

 私はヴェルゼの発言を含めた現状を全て説明し、どのようにしたらいいかリドの意見を聞いた。

 二人とも休めとの話だったがリドが私と湯浴みを拒否するのは自由だ。

 何故なら命令ではない。

 故に意見を聞く必要があるのだ。

 何よりも私には自分で身体を洗うということができない。

 生まれてこの方、湯浴みなんてものを考えずに生きてきた私にそれを教えてくれたのはご主人であり、私はされるがままに洗われるだけだった。

 だから、分からない。

「休んでいいと言われたなら休んでおくべきね。朝から湯浴みなんて気分じゃないけどヴェルゼ様が言ったなら仕方ないしね」

「あの、それでお願い、ある……」

「ん? 私にできることなら何でもいいよ。だってエルピスちゃんの先輩だからね」

「…………身体、洗ってほしい」

 分かってた。こんなこと言ったら何様だと呆れられるのは予想していた。

 私は何か言われる前にと訂正しようとしたがリドは口を押さえてくる。

「分かったわ」

 意外だった。

 いくら優しい先輩でもそこまでしてくれるとは考えていなかったから驚いてしまう。

 そこまで、リドはお人好しでいてくれるのだろうか。

 目が合うとリドは優しく微笑み何も言わずに仕事の後片付けをしてくれる。

 それから二人で脱衣室へ向かい、湯浴みをしようと服を脱ぎ始めて私はようやく何を注意しなければいけないのかを思い出して止まってしまう。

 この耳や尻尾は本物だ。

 それを見せてしまったら説明が難しい。

「どうしたのエルピスちゃん」

「…………」

「ああ、知らない人に裸を見られたくないの? お嬢様みたいな生活してたなら当然か~」

 どうやら自分で身体も洗ったことがないと言ったからお嬢様かなんかだったと勘違いされたらしく、リドは呆れこそしていないがため息を吐いていた。

 その誤解は嬉しくない。

「エ、エルはそんなこと──」

「はいはい脱ごう、ね…………?」

 やはり絶句した。

 そりゃそうだ。メイド服を脱がせて晒された下着姿には眉ひとつ動かさなくても腰に目がいけば嫌でも私が気にしているものが目に入る。

 継ぎ目なんてない正真正銘の尻尾なんだ。

「これ……」

「なんでもないの! これは、ただ!」

「エルピスちゃん、何でほんとのこと言ってくれなかったの?」

 空気が重い。

 ああ、まただ。

 私は本当に人間と相性が悪い。どうにかして仲良くしようとしても気づかれてはいけないものを背負っている時点で上手くいくわけがなかったんだ。

 今までだってそうだった。

 メイドとして雇われたのに私の身体を見て遊び道具になりそうだと屋敷の主人に差し出されたから、逃げ出して、何も食べれなくて、傭兵紛いの仕事をして食い繋いできたのだ。

 あんな最低な人間の指示に従う、愚かな傭兵なんて……。

「ごめん、なさい」

「何で謝るの? そりゃあちょっとは驚いたけどエルピスちゃんを責めてるつもりはないよ?」

「え……? ど、どうして?」

 リドは自分と同じ下着姿で腰に手を当てて胸を張るといつもの微笑みを見せる。

「後輩がどんな姿でも受け入れられなきゃ先輩は勤まらないってこと。そんなこと気にしてたら他の種族が産まれたら差別するってことでしょ? 私は小さい時から貧しい民族として生きてきたからさ、そういうの嫌いなの」

 だから、この人は優しいのか。

 私は自然と嗚咽がこぼれてきてしまう。

「よしよし、そんなに言いたくないくらい辛い思いしてたんでしょ? 何も全部ヴェルゼ様に教えてるわけじゃないんだから話してみなさい?」

 私にはご主人しかいない。

 でも、ご主人には敵わないけど優しくしてくれる人はいた。

 シオンもその一人だし、私には話をできる相手はまったくいないわけではなかったんだ。

 私はリドに身体を洗われながらここに来た理由と、どうしてこの姿を隠していたのかを説明した。

 ご主人が何者かに連れていかれてしまったこと。

 匂いを辿ると限りなく近かったのがこの屋敷だったこと。

 それから、私がどういう存在なのかを、だ。

「じゃあこの耳も尻尾も本物なんだね。可愛いけど悪戯されるから好きになれなくて隠してたのね?」

「うん。ご主人はそんなことしないけど今まで会った男の人はみんな悪戯する。女の人にも気味悪がられる。だから、見せたくなかった」

「私は猫が好きだったからかな。可愛いと思うんだけどな」

「人間と相容れないから、気味悪がったんだって」

 ご主人と一緒にいるようになってラプタの人からは優しくされるようになったけど今までどんな風に感じていたのかを聞くとみんな同じく答えた。

 自分と違えば怖いのは誰でも同じだ。

 私だって最初はご主人すら怖く感じたのだから。

「で、そのエルピスちゃんが嫌なのにメイドになろうとしたのは大切なご主人様が捕まってるから、と」

「信じてくれるの?」

「エルピスちゃんが嘘を吐いてるとは言わないけどヴェルゼ様がそんなことしてるとは考えにくいんだよ」

 それを言われると何も言葉を返せなくなる。

 長く仕えてきた人間を疑うことができないのは当たり前の心理なのだしとやかく言うつもりはない。

 そもそも私を信じてくれる方がおかしな話だ。

「あ、でも私の前にここで働いてた人が辞めた理由を聞いたことがあるんだけど……」

「何で辞めたの?」

「地下室からへんな臭いがしたんだって。なんか腐ってるみたいな?」

「そんな臭いが?」

「もちろん変だったしヴェルゼ様にも聞いてみたけどずっと一人で全部やってくれてたみたいだし過労で幻覚でもあったんじゃないかって言われたんだよね。今思えばもう少し聞いてみてもよかったかも」

 地下室、そんなものがあるのも初耳だ。

 たしかにメイドとしての仕事となると屋敷内の清掃と食事の用意や買い出しがほとんどで地下室に入ってやるような仕事は直接申し送られなければ手を出さないはずだ。

 その人はたぶん、屋敷にへんな臭いがしたから掃除しようと思って探して、地下室に近づいてしまったんだ。

 そこにご主人様がいるかもしれない。

「エルはご主人様を取り戻したいだけ。だから、こっそり入れれば何とかなるかも」

「そうなるとヴェルゼ様を足止めしないといけないよね」

「エル、先輩には感謝してる。だから、さいあく何もしなくていい」

 本当なら巻き込むつもりはなかった。

 自分一人でどうにかしないといけないことだったからリドには知られたくなかったのだ。

 しかし、リドは首を横に振っていた。

 自分も知ってしまったからには何かさせてほしい。

 そんな言葉が彼女の顔から読み取れる。

「せっかく休養を貰ったなら今日の内に地下室のありそうな場所を探しておいたら?」

「ん、そうする。救出は別の日だけど、あてずっぽうで賭けに出たくない。目処は付ける」

「何かしてほしいことがあったら私に言ってね。泣くほど大切な人がいるなら、私も協力してあげたいから」

 ご主人に関しての話はここで終わった。

 これ以上は話し合っても解決案が出るわけではないし実際に探してみないことにはどうにもならない。

 なら、ここからは休養の名にあった休みを満喫するべきだろう。

 そこで話題を切り出してきたのはリドだ。

 女子会、ではないが同業者としてどうでもいいような話をしながら友好的になりたいのか、それとも何も分からずにテキトーなことを言っているのかは分からない。

 でも私としては不機嫌になるような、嬉しくもない話だ。

「まだ前途多難、って感じだね」

「にゃ……!?」

「そのご主人とやらが男なら期待してるんじゃない?」

 私の胸を触りながら言うな。

 身体を洗ってくれているという反面、わざと触っているわけではないから責めにくい。

 しかし、あまり触られると昨日のことを思い出してあまりいい気はしない。

「ご、ご主人にとってのエルはペットだから! エルは、そんなこと望んでないし」

「ほんとに?」

「ほんと!」

「私ならご主人といえど主従の関係程度の存在だったら命張ってまで助けたいとは思わないけどな~」

 それが普通、なのかもしれない。

 ただ縛られるだけの主従の関係なら、主人が捕まっているなら自由になるチャンスだと逃げ出すのかもしれない。

 私は、どうなのだろう。

 考えるまでもない。

 私は主従の関係じゃない。ご主人に愛される立場にあるペットという位置を手にしたのだ。守られて然るべき、守って然るべき相互の関係に。

 なら、逃げる必要なんてない。

 でもリドの言葉を本の少しだけ意識してしまう。

 ご主人が期待してる?

 私に?

 なにを?

「エルピスちゃん、私は元傭兵だったんだ」

「え?」

「ちゃんと仲間もいたし、小さなギルドを開いて依頼があれば皆で戦うような、そんな場所にいたの。もちろん仲間だからへんなこと考えたりはしないし、友達に近いような関係だよ」

 何を聞かされているのだろう。

 私は特に何も言葉を返せずに黙ってリドの過去を聞いていた。

「でもさ、リーダーだった人が大ケガして私が手当てとか世話をしてた時に変わったんだよね。リーダーは私のことが好きだから傭兵なんて辞めよう、って言い出してね」

「それで辞めたの?」

「うん。私も若かったからかな。そんな唐突に告白されたのに何の迷いもないままリーダーを好きになって相手が怪我人なのに夜を一緒に過ごしてさ。次の日みんなに辞めるって伝えたんだ」

 嬉しいことだったはずなのに表情が険しいのは何故だろう。

 今思えば私にご主人の話をしたあとにリドの話が始まったのだから無関係とは思えない。

 なら、リドは私に何を伝えたいのだろう。

「あいつもそうだったけど言い出せないんだよ。カッコつけて仲間だ、とか言っちゃった手前、自分から辞めようなんて恥ずかしくて言えないでしょ?」

「そういうもの?」

「そういうものだよ。だから自分が大ケガして、今度は私が怪我をして、下手をしたら告白する前に死んじゃうかもしれないと思って不安になったんだろうね。だから、急に辞めようって、好きだって言ってきたのさ」

 なら、ご主人はどうだっただろう。

 私から頼んだのもあるけど、あの人は「俺のペット」になれと言って、家族として受け入れてくれた。

 でも、それって私が奴隷だったからかもしれない。

 屈辱をこれ以上は耐えられないと彼に救いだしてもらうために頼んだから、彼は本当は何か別の関係にもなれたはずなのにペットなんて誰も考えないようなものを指定したのかもしれない。

 もし、そうならご主人は絶対に考えを変えられない。

 だってご主人は死にそうになっても、どんなに苦労をすることになっても私が生きている限り守るし、自分の力に絶対的な自信を持ってるから大丈夫だと思い込んでる。

 つまり?

「エルピスから、言わないとダメ?」

「ほんとは逆なんだよ。でもエルピスちゃんのご主人はそれだけ強気で、それがあるからエルピスちゃんが付いてきてくれてると思ってるんだよ。だから、自分からは切り出せないだろうね」

「でも……」

 改めて私は自分の身体を見て幻滅する。

 ご主人はもっと出るところが出てる人の方が好みだからシオンとか、ノルンとかを好いているのかもしれない。

 だとしたら私はそれとして見てもらえない。

「諦めがよすぎるよ。たしかに小さいかもしれないけど、それだけで引いてたらダメじゃない?」

「ご主人はもっと身体の大きな女の子の方が好きだと思う」

「それはエルピスちゃんの視点でしょ?」

 それもそうだ。

 私は一回もご主人に聞いたことがないのに自己完結してるだけ。

 胸は好きですか、なんて聞いたことないのに勝手に諦めてるだけなんだ。

「この際だから救出できたら決心しよ? もし誤魔化そうとしたら押し倒して跨がってやればいいんだからさ」

「…………それも、いいかも」

「あ、でも誰かに見られるようなところはやめときなよ? ご主人とやらも気にするだろうし」

 何の話だ、と私は顔を赤くして怒る。

 でも、勇気を出さなきゃいけないのは本当のことだし私はそこまで思いきってもいいのかもしれない。


 ──sideファング。

 切られたことも撃たれたこともあったが潰されたのは初めてだ。

 まだ骨が軋む痛みが残ってる。

 あの後は何十回、何百回と槌で頭やら身体中ありとあらゆる場所を殴られた俺だが全ての魔力を再生に回したから何とか壊れずに済んだ。

 ここまでくると痛みと快楽が区別できなくなってくるらしいな。

 身体の方はどちらと捉えていたのか少し雄としての反応を見せていて、俺はあのサディスト女が立ち去ってから自慰で何とか鎮めた。

「さすがに体力使いきってそういうこと考える気にもなれねえよ」

 正直な話、奴の目的に少しは勘づいていたりする。

 俺を痛め付けるのも、逆に快楽を与えて悶えさせようとするのも俺が見せる反応が欲しいんだ。

 どういう理屈かは分からない。

 ただ、俺が絶叫する度に奴の魔力が膨れ上がっていたから間違いない。

「感情を魔力に、か?」

 まさに悪魔って感じの能力だ。

 俺のことを知ってるのは偶然であの男と同じ研究員ではない可能性が出てきたのに変わりはない。

 今の俺ができることは奴に攻撃されてもなるべく悲鳴もあげずに静かに苦しむこと。それから奴に犯されそうになったら主導権を握りつつ俺は絶対に出さないことだ。

 それですら魔力を回復されるのにこっちはいつか尽きると考えたら相性が悪い。

 なら上手く立ち回ってあいつだけ一人で絶頂してろって話だ。

 と、そういえば俺の大切なペットまで来ちゃってたんだよな。

「匂いは…………まだしてないな。今のところ無事ってことだな」

 あいつの匂いは強い。魔力という意味でも女としても、血という意味でも俺がすぐ嗅ぎとることができる好みの匂いだ。

 それがしないってことは俺の近くまで来てないという意味でもあり、怪我をさせられていないという意味でもある。

 ああ、こんなことならペットとは言いつつ抱いてしまえばよかった。

 守ってやりたいとばかり思ってて、あいつにはあいつなりに好きな雄ができるだろうと考え自由にさせていたけど俺の方が先に負けてしまった。

 でも、好きになったからって自分の勝手で決めるわけにはいかなかったから躊躇っていたんだ。

「脱出できんのかな、俺は……」

 とりあえず寝よう。

 また明日もぼろ雑巾になるまで殴られるなら体力を回復しておきたいし、あいつに主導権を握らせないためにも急速は必要だ。

 エル、お前は危険な目に遭う前に逃げてくれよ……。


 ──sideヴェルゼ。

 ヴェルゼは屋敷のメイド二人に休息を取らせ、自分の行動を気にする人間がいなくなったタイミングで外へ出ていた。

 街ではそれなりに名が知れたお嬢様だ。

 一人で出歩いていて気にされることも多いが、逆に声をかけようなんて正直者もいない。

 消されるのが怖いのだ。

「こんにちは、テイマーさん」

「ヴェルゼのお嬢ちゃんじゃないですか! 今日はどのような理由で?」

「…………中で話しませんか?」

 テイマーと呼ばれた男はすぐに店の奥へと案内する。

 何でも屋なんて呼ばれかたをしている店だが、奥の扉をこえると本当の店としての姿が見える。

 奴隷の飼育繁殖、拷問の道具やら使えそうな魔物まで取り揃えたある意味での()()()()なのだ。

 ちょうど部屋を真ん中で区切っている壁は全て硝子でできていて向こう側の状態を常に監視できるようにしてある部屋でヴェルゼは反対側の部屋を見る。

 見られていることも気にせず真っ昼間から雄と雌が営みを見せている。

「あれは?」

「C級程度のウルフェンどもです。まあ、雑魚ではありますが奴隷の相手をさせるには十分な強さはありますし性欲が強いのが特徴ですな。雌を見つけりゃすぐに押さえ込んで腰を振り始めるし雌が孕むまで何回でも続けやす。それに見ていてスカッとする量らしくて好まれてるんでさ」

「へえ、安価なら手を出しやすそうですもんね」

 ヴェルゼはちょうど雌の体内に何かを注ぎ始めたウルフェンを見ながら興味なさげに呟く。

 あの程度の魔物を使った遊びなら何度か見てきた。

 退屈だったのだ。

 ヴェルゼが求めている苦痛に悶える声も、快楽に咽ぶ声もたいして聞けず、故にあまり興味がないのである。

「頼んでいた《影狼》はどうですか?」

「こりゃ失礼しやした。屋敷に伺うと不都合があると思い待ってた次第ですや。今朝運ばれてきやしたぜ」

 テイマーは奥から檻を引きずってくると光を当てた。

 本来は光の入らない洞窟のほぼ最奥付近に生息し外に出てくることの少ないA級の魔物。

 なぜ《影狼》と呼ばれているのかは姿が特徴だ。

 ただの黒い毛皮をした狼と言われがちだが性質として影が出来ている場所では動きを捉えにくく、間違って足を踏み入れてしまうと彼の領域に引きずり込まれる。

 そこにおいて《影狼》はA級ではなくS級に匹敵すると言われているのだ。

「ちゃんと準備はできているの?」

「もちろんですとも。運んでいる間も雌の匂いを嗅がせていやしたし、隣で盛ってるウルフェンどももただ繁殖させてるわけじゃありやせん。臭いにあてさせてるんでさあ」

「相変わらず仕事が早いんですね。これは報酬です。明日にでも決行してください」

 ヴェルゼは満足げに帰路につく。

 作られた狼は自ら痛め付け、無力さを味わうなかで大切な猫を魔物に奪われる。

 その時に見せるだろう表情と怒りは志向の味だろうと想像しながら、彼女は明日へと思いを馳せるのだった。


     3


 sideエル。

「ここでもない」

 私は休息をもらった後も時間を見つけては地下室のありそうな場所を探索していたが結局のところ見つけられることなく次の日の朝を迎えていた。

 ご主人の無事がより一層危ぶまれる。

 この時間が長引けば長引くほど心配は色濃くなっていくのだ。

「エルピスちゃん、ちょっといい?」

 リドに呼ばれて私は作業を中止して控え室へと向かう。

 そこにいたリドは真剣な面持ちをしていて仕事に関係のある話かと思ったが、それよりも重要な話のためにそんな顔になっていたと知る。

「今日はヴェルゼ様が外に出られているから昨日、探せなかった場所を探した方がいいかも」

「え? どこに行ったの?」

「わからない。留守にするから頼むとしか言われてないから」

 どちらにしろこれはチャンスだ。

 昨日あれだけ探しても見つからなかったのだからヴェルゼがいる間は探せないような場所にあるとしか考えられない。

 それこそ彼女の執務室は絶対に入らせてもらえない。

 友人への手紙を読まれたくないから、などと乙女らしいことを言っていたが私としては女の子に平気で「獣臭い」とか言える女が手紙なんて書いてるわけがない。

 私は屋敷の見回りをリドに任せて執務室へ向かう。

 本棚に囲まれているだけの小さな部屋のようにしか見えない。

 だが……。

「ご主人の匂いがする」

 ここではないにしても近いということだ。

 それに前任者が言っていたという何かが腐るような臭いもしているから間違いない。

 私は床を這い回って入り口らしいものを探す。

 数分で底が空洞になっている場所を見つけたがどこかに仕掛けがあるのか開く様子はない。

「ここまできて……!」

 探してる時間なんてない。

 私はその場で跳躍して着地の瞬間に最大の圧力がかかるように足に力を込めた。

 壊してしまえば仕掛けも関係ない。

 そして、やっと階段が見える。

「この先にご主人が──」

「きゃぁぁ!」

 突然の悲鳴。

 ヴェルゼではない。リドの悲鳴だ。

「くっ、ご主人近くにいるのに……!」

 あれだけ世話になった人を放置してでも助けに行くなんて、それこそご主人が私にしてくれたことに対しての返事としてありえない。

 私は悔しさを噛み殺しながら悲鳴の聞こえた中央ホールへと走る。

 そこは既に荒らされていた。

 不振人物が入ってきただけにしては階段やら壁やらの木材が砕けている場所もあり不自然だ。

 その階段を下りた先にリドが倒れている。

「先輩! どうしたの!?」

「エルピ、スちゃ…………逃げて」

 逃げる?

 一体何から逃げなければいけないというのだ。

 私がそう考えてしまった時点で相手は動いていたらしい。

 大きな屋敷なだけあって証明では照らしきれない何ヵ所かに影ができていて、そこから伸びた獣のような足が私に振り下ろされた。

 爪が鋭かったのか服が一瞬でボロボロにされた。

 いや、そこは気にしなくていいとしてリド先輩の身体が衝撃で壁にぶつけられてしまったし私自身も無傷というわけではなかった。

「っ! 痛い……!」

 たかが引っ掻かれただけなのに。

 それなのに血はボタボタと垂れていくし身体が重く次の行動に移せない。

 麻痺毒か何か分泌してるのだろうか。

 その影からの強襲者は影から出てくると大きな身体を震わせながら吠えた。

 あんな魔物、ラプタの森にはいない。

「動かない……! 逃げなきゃ、戦わなきゃいけないのに……

どうしてっ!」

「逃げられたら困りますからね。少し早くなりましたけどプレゼントですよ?」

 嫌な声が聞こえる。

 ああ、そうか。ヴェルゼが本性を現したのか。

 起き上がらない身体で見える視界のギリギリに黒い羽を生やしたヴェルゼの姿が見えるから間違いない。

 あれは、悪魔だ。

 プレゼントの意味がようやく分かったけど私はそんなプレゼント受けとりたくない。

 だって、そうでしょ?

 私は受けとるくらいならあの人に、ご主人にプレゼントをあげないといけないのに……こんな、こんな形で奪われたら申し開きができない。

 助けに来たなんて虫のいい話だ。

 私は結局のところ弱いだけの猫。

「安心してくださいね♪ ちゃんと通信魔法であなたのご主人様にも見えるようにしてあげるから。だから、聞こえるように可愛い声で鳴いてご主人様に聞かせてあげてください♪」

 ふざけるな。

 こんなクソ狼に初めてを犯されて屈辱と悲しみの中で泣くくらいなら私はあの人のために鳴きたい。

 だって、あの人はいつも私の声を好きだと、こんな弱くて小さくて魅力の足りない私のことを可愛いって言ってくれたんだ。

 ねえ、ご主人。

 私はあなたのために鳴きたいよ。

「…………?」

「ニ゛ャヴッ!」

 こんな怖い声なんて聞いたことなかった。

 でも、私の声なんだってすぐに分かって、それからは怖い声じゃなくて自信をもって私の声だと言い切れた。

 だって私の初めてを奪おうとしてたクソ狼は少しずつ後ずさるように怯えていて、尻を突いたのだ。

「ち、ちょっと聞いてないですよ! なんで……なんで猫に羽が生えるんですか!」

「死んでっ……!」

 私が強く思ったことが形になるように力が湧いてきて怯えていた狼の頭部に一直線に突っ込むと蹴りを入れる。

 その跡がくっきり残るくらい力強くだ。

 どうしてこんな力が出てきたのかは分からなかったが一つ分かることがある。

「ヴェルゼッ!」

「ちょ、そんな顔したら可愛いのが台無しですよ!?」

「そんなの知らない! お前に可愛いなんて言われなくてもエルを可愛いって言ってくれる人が一人いればいいんだ!」

 私は階段の手すりを足場にして高く跳躍する。

 これなら届く!

「もう! 仕方ないですね~。十分に美味しいものはいただけましたし撤退させてもらいます!」

「待て!」

 避けられた挙げ句、追いかけるまもなく闇の空間に入り込んだ悪魔は姿を消した。

 もう構ってなれない。

 それより、リドは無事か確かめなきゃいけないしご主人の元へも早く向かいたい。

「せ、先輩!」

「エルピス、ちゃん。迎えに来てくれたの?」

 何を言ってるんだと怒鳴りたかったが既にリドの目が焦点を合わせていないことに気づいて喉の奥で堪える。

 もう、助からない。

 迎えに来たなんて、そんなこと言われたくなかった。

「泣かない、で……? だって、エルピ……んは、天使、なんでしょ?」

「ううん、エルはそんな存在じゃないよ」

「嘘が、へたなんだから……。ちゃんと、わたしのすきなひと、つれ……」

 そうか、と私は悲しくなってしまう。

 おそらく私の姿がぼんやりとしか見えていないから羽だけが神々しく見えて、もはや死に近い状態だから最愛の人が見えているのだ。

 もう眠らせてあげよう。

 私が助けてあげられなかったのは悔しいけど、これ以上は迷惑になってしまう。

 ただの後輩が幸せな時間を邪魔してはいけない。

「ばいばい、先輩……」

 私はリドを静かに床へ横たえると涙を拭い先程の地下室へと続く道へと戻った。

 あの映像がしっかり送られていたならばご主人も安心してくれているはず。

 しかし、階段を駆け下りて確かに鉄格子の向こう側にご主人を見つけたが何故か落ち込んでいる。

 というより、泣いている?

「エル、ごめんな……! 何もできなくて、無力な飼い主で、本当にごめんな……!」

 状況が分からなかった。

 やっと再開できたという喜びをこれでもかというくらい抱きしめて実感しようという当初の気分が粉々になった。

 とりあえず何があったのだろう。

 あちこちに出血した跡はあるが再生しているし、それが理由とは思えない。

「あんなクソ狼にお前をくれてやるくらいだったら、俺が……せめて俺が、お前を……!」

 えっ、と私は嫌な予感がして少しだけ近づく。

 どうやら鉄格子の奥ではヴェルゼの通信魔法が未だに有効になっているらしく、しかもそこには虚偽の映像が映し出されていたのだ。

 一言で説明するとあのクソ狼に私が犯されて、しかもはしたなく喘いでる映像。

「えぇ……」

 外側と内側の音声が遮断されてるから呆れ声にも気づいてもらえない。

 たぶん、ヴェルゼはあの狼が確実に私を犯すとは限らないと考えて通信映像にはご主人が確実に絶望するだろう状態を映したのだ。

 つまり、私がどうなろうとご主人は落ち込むし、私も見られていると思って絶望の中でクソ狼の相手をするとでも思ったのだろうか。

 なんというか、姑息だ。

 私は扉を破壊してご主人の側による

「ご主人……」

「エル?」

「うん、エルだよ」

「助けてやれなくてごめんな! 辛かったよな……痛かったよな……」

「いや、エルえっちいことしてないよ。怪我はしたけど」

 勘違いしすぎだ。

 たぶん時間差で見せられてると思ったんだろうけど私があんなクソ狼に犯されてたならここまで来れるわけがないとは考えなかったのだろうか。

 まあ、それも含め心配過剰で捕まってる自分よりも私を優先してくれる辺り、いかにもご主人だ。

 私はこんなご主人が大好きなんだ。

 私の予想を話すとご主人は安心したように大きく息を吐くと無理をしていたのか床に這いつくばり始めた。

 そういえばかなりの汗だ。

「ご主人、大丈夫?」

「少しだけ無理しすぎた。三日もほとんど食わされずに身体こわされるだけ壊されたら体力がもたなかった」

「身体壊された? え?」

「ああ、たぶん強い魔力を帯びてる俺の身体は悪魔にとってご馳走なんだろうな。手やら足やらぶったぎったと思ったら持っていかれるし、二日連ちゃんで槌で小突かれるは最悪だったよ。血も肉も一杯持ってかれちまったわけだ」

 それも悔しいがご主人が無事に生きていたことの方を喜ぶ方が私としては大きい。

 会えないかと思って心配していたのだから当然だ。

「そ、それより腰付近から羽生えてるけど……どうした?」

「分からない。あのクソ狼に負けてご主人以外に何かされると思ったら急に……。力が湧いてくるの」

「ってことは身体に害はなさそうだな。んー、もしかして俺らの権能って条件次第で成長するのか?」

 だとしたら私の条件はなんだろう。

 いや、考えなくても分かるかもしれない。

 今までは無くて、これからは大切に守られていく想いだ。

 それはそうとリドとの約束を果たすとしてもご主人がこの状態じゃ話を切り出せないしどうにかして体力を回復してもらわないといけない。

 そういえば……。

「ご主人、クソ狼食べたら元気なる?」

「そうだな。お前のこと手にかけようとしたクソ狼なら遠慮なく喰えるし位の高い奴ならなおさら吸収率もいいだろうな」

 なら、と私はご主人を抱えて……上がろうと思ったが力が足りないので引きずって上まで連れていく。

「ま、待て! 自分であがっ!」

「遠慮しないでご主人」

「いや、死ぬ……!」

 何で死んでしまうのかは分からなかったが二分足らずでご主人をあのクソ狼の所へ連れていくことができた。

 たぶん、普段の私では運べなかったと思う。

 それからご主人はしばらく呼吸が荒くなっていたがすぐにクソ狼を食べ始めて、見た目では分からなかったが少しずつ体力が回復していったのか動きが軽くなっていった。

 見ていて気分がいい。

 シオンはいつもこんな感じだったのだろうか。

 そして、平らげたご主人は私の方を見て何かと申し訳なさそうな顔をしている。

「急に拐われたりして、その……ごめんな」

「んーん、ご主人綺麗な人見たら信じちゃうから仕方ない」

「おい!」

「分かってる。騙されたんじゃなくて負けたんだって。私が情に弱いみたいにご主人も不意打ちに弱い。だから、もう離れないで」

 遠慮すべきか迷ったがリドの言葉を信じるなら遠慮せずに思いきった方がいい。

 私はご主人に抱きついてみる。

「魔物狩りも、エルと一緒。もう一人はやだよ」

「…………心配、かけたな」

「うん、許す。ペットだけど、そこだけは約束ね」

 改めて考えるととても恥ずかしい。

 私は本当に言えるだろうか。

 リドに告白した傭兵団のリーダーのように、ご主人に言えるのだろうか。

 いや、言わなければ今までと同じになる。

 リドからのアドバイスを、無かったことにしないために。

「そ、それでねご主人……!」

「なんだ改まって」

「お願いがあってね?」

 私は恥ずかしくて顔が熱くなってしまうし尻尾とかもどうなってるのか分からないくらい緊張したけど何とか喉の奥底から声を絞り出すことができた。

「エルはご主人が大好き。だから、ペットだけど、本当はダメなのかもだけど、エルと……………………交尾して?」

「っ……!」

 断られてもいい、そんな気持ちだった。

 私は既に余りあるほどご主人に愛してもらえていて、それ以上を望むのは贅沢だと言われても受け入れられるほどに満ち足りていたから、半分諦めていた。

 でも、ご主人は私よりももっと恥ずかしそうな顔をしていたけどちゃんと笑顔で返してくれた。

「ペットなのに、な……。なんで俺も好きになんかなってるんだろ」

「!」

「あ、ちょっと待て!」

 嬉しくて今にも飛びかかろうという勢いでいるとご主人が私の唇に指を当てて制止した。

「さすがに場所は変えないか? さすがに屋敷の壊れる音とか聞こえてた連中が通報したはずだし、お前のその羽とか見られたら疑われるだろ?」

 やはりご主人は優しい。

 自分の方が血まみれなのに私の方を気にかけてくれる。

 私は嬉しくて満面の笑みで返す。

「反則級だぞ、それ。猫だし天使だし可愛くて堪えられなくなるから止めろ」

「エルは幸せだよ。ご主人の(ペット)で、天使と呼ばれて、可愛いと言ってもらえただけでも満足」

 ご主人は皆に見られないように屋根伝いに私を担いで運んでいたから顔を見れない。

 でも、たぶん恥ずかしさに歪めているに違いない。

「満足したなら止めるか?」

「いや! 絶対にやるの!」

「痛い思いするのお前の方なのになんで躍起になってんだよ」

 そんなのご主人が大好きだからの一言で片付く。

 私はペットだけど、それでもご主人に好きでいてほしいわがままな猫なんだから。


 ──sideヴェルゼ。

 まさか、あんな猫が権能を第二段階まで解放するなんて思いもしなかった。

 どちらにしても収穫には変わりない。

 大量の魔力を回収できて美味しいものを見せてもらえて、少しはいい男に出会えた。

「あの男の作品だからどんなものかと思ったけど……悪くない出来でしたね。欲を言うと魔狼がちっとも性処理させてくれなかったのが残念です」

 魔力を帯びた狼の血も肉も絶品とも言える最高のご馳走。

 しかし、そんな魔狼の体液ならもっともっと効率よく回収できたはずなのに、と考えてしまう。

 いや、今はいい。

 私が動かなくても()()()()()状況を動かしているはず。

「全てを手中に収める、その時が楽しみです♪」



      6章「最愛の天使と最低の悪魔」fin

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