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銀狼の飼い猫  作者: 厚狭川五和
第一部「はじまりの物語」
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5章 生者に向けた葬送曲(レクイエム)

     0


──????。

 僕の研究は失敗しない。

 いつも最初から成功を手にしてきた僕には恐れるものなどない。信じるものもない。

 何故なら唯一無二こそ自分なのだから。

 他人を信じるなんてことはしないはずだった。

「おかえり、ノルン」

 ルインズに潜伏するように命令していたノルンが状況報告のために戻ってきた。

 いつも通りの愛想の良さで戻ってくるなり僕に抱きつき快調と言わんばかりの勢いで尻尾を振る。従順を通り越してしまったのは手間だが問題ない。

 制御できればいいのだ。

「機嫌がいいみたいだけど、何かあったのかい?」

「いつも通り」

「そうかい。じゃあ報告をしてくれるかい?」

 勘違いではない。

 間違いなくノルンの頬が上がっていた。僕にですらほとんど見せることのない心の底からの笑顔を別の誰かによって与えられたのだ。

 理由は知らない。

 しかし、放置していると従順ではなくなるかもしれない。

「ルインズにいる子、作り出せる。魂の器、いくつでも」

「僕の知らない権能(ちから)だ。おそらく後天性の役割を発現したんだろうね」

「危険?」

 いや、操れるのなら有意義だ。

 魂の器を作れるということは心のない容れ物を無限に作り出せるということ。

 心のない容れ物は木偶(でく)として自由に行動する。

 つまり、その役割次第では僕の邪魔をする彼らを足止めしてくれる。こちらが労力を割かずとも彼らが動きにくくなる状況を作れるということだ。

 敵に回ると面倒?

 いいや、それだけの力がありながらルインズを支配しようとしないのは知恵がないから。

 不足している頭脳(ブレイン)を僕が補ってやれば簡単に操れる。

「連れてこれるなら是非もない」

「分かった」

「それと彼とあまり関わらないように」

「なんで?」

 とぼけているのか、本当にわかっていないのか。

「狼の臭いが強い。彼と戯れに関わるのはよせ。どうせ彼は君を一匹の雌としか見ていない」

 どこかで遭遇したのは意思ではない。

 それにしてはノルンからする狼の臭いが強く、彼女の遺伝子的なものとは関係ないと考えるなら何かしらの接触があったとみていい。

 ノルンが僕以外に懐柔される可能性があるんだ。

「マスター……」

「そんな目で見ないでほしい。別に君が彼を制御できるなら止めはしないから」

 ノルンの性格ははっきり言って貪欲(どんよく)だ。

 手に入るものなら、少しでも自分のものになる可能性があるなら何だって欲してしまう欲張りであり、それに拍車が掛かると手をつけられなくなる。

 力もそう、愛や自由だってそう。彼女が欲しがったものは与えてやらなければ。


     1


「どうしてこうなった……」

「こらっ、お口にチャック、だぞ?」

 何で俺は蹴られながら歩いてるんだ?

 それにこんな奴隷そのものみたいな服まで着せられて、恥ずかしい以前に怒りが込み上げてくる。

 恥辱屈辱その他諸々。

 鎖に繋がれ衆目を惨めな姿で歩いている俺は前を歩くシオンに憎しみを含めた視線を向け、それに気がついたのか立ち止まると耳打ちをするために姿勢を低くするように言ってくる。

「ほら、もう少しだけ我慢だよ? ファングが言い出したんだから」

「にしても目立ちすぎなんだよ。これなら途中で暴れて逃げる作戦の方がよかっただろ」

「それはファングが討伐隊の目の敵になるからダメ。本当は私だって大好きなファングにそんな恥ずかしい格好をさせたくないけど誰が見てもすぐ分からないと意味がないんだよ」

 そういうことだ。

 俺が奴隷みたいな格好をして男装した騎士っぽく見えるシオンが連行する。その光景をルインズの皆様に見せて「見せられないよ」をあからさまに主張する。

 国外で裁くことが不可能なら国民の目の付かないところで静かに執行。

 これを頭に思い浮かべてもらうのが目的だ。

 そうすれば万が一にも遺跡に入ろうなんて考えるものはいない。

 街を探しても俺らが考えていた人物像に一致するような人間が一人も見つからなかったために急遽、遺跡の内部を探索する方法を考えた結果である。

 提案したのは自分だが服装を考えたのはシオンだ。

 この国でそれっぽいものを調達すれば言わずとも嘘がばれてすぐに本物の騎士が遺跡に送られ、俺たちはもちろん、この奥にいるかもしれない《転生》のガキも危険になる。

 だから魔法で何でも作れるシオンに頼んだんだ。

 わざわざ一糸まとわぬ姿で身体の輪郭が分かるようにして作りやすくしてまでな。

「ご褒美シーンみたいなもん見せてやったんだから少しくらいわがまま言っても許されるだろ」

「いつも傲慢で強気な狼が裸で前に現れて恥ずかしがってるのは見ものだったよ」

「あとで噛み殺す」

 冗談はここまでにするとして衆目の視線は集まっていい感じにザワつき始めた。

 その雑踏から一人が前に出てきて疑問を口にするくらいに。

「あ、あの騎士さん! そいつは何をやらかしたんですか!」

「ん? この狼はね、魔物でありながら街に忍び込んだ挙げ句にものを盗んで婦女暴行に器物損壊まで数々の罪を犯した危険な罪人だよ。遺跡は神聖な場所だから奥で懺悔(ざんげ)させた上で捧げるつもりだよ」

 周囲からの視線が痛くなってくる。

 石とか投げられるし女から向けられる視線が一気に侮蔑の目に変わって俺は唸りながら抵抗した。

 シオンがやりすぎたから少しだけ演技をしておかないと大人しく思われるからな。

 にしても婦女暴行ってなんだよ。

「はい、着いたよ」

「探索する前に噛み殺していいか? いや、その前にお前に口は災いだと教えてやろうか?」

 兜を外し、重苦しい格好は嫌だったのかすぐに元の服に魔法で着替え直したシオンは俺の方を見ずに首を横に振る。

 否定する権利がないことくらいわかるはずなんだけどな。

 こいつは既に言っちゃいけないことまで言って、俺が街に戻れない状況を作ったんだ。

 もう少しまともな嘘は吐けなかったのだろうか。

「婦女暴行とか意味わかんねえこと言うなよ。あとで誤解とけなくなるだろうが」

「ファングには他の女の子は必要ないよ」

「なんだよ、拗ねてんのか?」

「そういうわけじゃないよ。でも、ファングって優しすぎるからファングにその気が無くても他の女の子が寄ってくるし、私としては面白くないんだよ」

 でしょうね、と俺は溜め息を吐く。

 奥手というか、魔女にしては積極性に欠けるシオンは俺に対して大胆な行動を取ることがほとんどない。

 できても同じベッドに寝て襲われるの待ち。

 少なくとも自分から俺に触らせたり、襲ってほしいと言いながらも脱いで暴走を狙ったりとか確実で迅速な手段を選ばないのがシオンだ。

 その状態ではいつ、誰に先を越されるのか分かったもんじゃない。

 その辺を気にして焦っているのだろう。

「心配しなくても俺はほいほい女捕まえて遊ぶような性格じゃねえよ」

「そういうところだよ、ファング。私たちには役割が与えられて、従うことでしか(あがな)えない」

「…………」

 あのシオンがここまで思い悩むのは珍しいかもしれない。

 与えられたのが単に不可思議な力だけで、それを持って自由奔放に生きたり、世界を救ったり別の世界に流れたり。夢を見ることができたなら荷物だとは感じなかったはずだ。

 しかし、与えられた力には責任が伴う。

 絶対的な力を与えたなら、その役割を果たせと言わんばかりに精神を侵すのだ。

 今ならノルンの背後にいる男が言っていたことが分かる。

 自分の欲求に抑制が効かないんだ。

 いざ喰らうこととなると俺は止まれず、骨どころか姿も残さないくらいに滅ぼすまで終われない。

 そう、縛られているんだ、生き方を……。

「俺はそんなに悪食じゃない。たしかに腹が膨れるものに惹かれはするが何でもいいわけじゃない。女も同じだ」

「それならいいんだよ。私はへんなものを拾い食いしてファングがお腹を壊さないか心配してるんだよ?」

「へんな女拾って病気もらってこないか心配、の間違いだろ?」

「ファングのバカ!」

 バカにバカ呼ばわりされる筋合いはない。

 というか俺の服を元に戻す気がないなら強行手段に訴えるしかなくなるわけだが………。

「ほら、いつもの服に戻してあげるから脱いで」

「…………」

「何で睨むの!? べ、別にへんな意味で言ってないよ!」

 分かってるが女に「服を脱げ」とか命令されるのは生理的に受け付けないところがある。

 普通に考えてぎゃ…………くではないが、言われる台詞ではない。

 とはいえ同じ事の繰り返しなので俺は奴隷装束を破いて脱いだ。

 元の服装に戻れるなら一番だ。今一時くらい命令されて従うという行為を認めてやるしかないだろう。

 別にそういう趣味があるわけではない。

「はい、これで文句ない?」

 俺の服を作り直したシオンは確認するように俺の周囲を見て探る。

 シオンは生産性の魔法は得意だが他人の服を作る場合には難点がいくつか存在して、そのうちの一つが「対象が真っ裸になっていること」だそうだ。

 先に言っていた通り輪郭が分かるのが大前提。

 というのもシオンが自分自身に服を作るだけなら感覚で覚えているサイズを適用できるが、他人の身体の特徴なんて一つ一つ知っているわけがない。

 そこで裸になり、見えているそのままのサイズで服を作るという方法で解決したのだ。

 しかし、見えているとはいえシオンは身長がそこまで高くなくて胸が大きい女で、俺は身長がかなり高く胸板こそ厚くても柔らかくないから変形しない融通の利かない男。視覚だけで補える訳がない。

 まあ、故に質疑応答で少しでも正確にしていく。

「上は問題ない。でも股間の辺り少しだけキツイぞ」

「しし、仕方ないでしょっ!」

「仕方ないで事故が発生するかもしれないんだから多少は考えてくれよ」

 まあ、怒っても仕方がないのは分かってる。

 お前にはないものがある分を考えろと言うには無理があるからな。

 シオンが顔を赤くしながらも早急に修正を入れたのを確認した俺は感謝を述べるでもなく無視して遺跡の奥へと進み始めた。

「人の出入りはほとんどない、ってエレクは言ってたが本当にそうだと思うか?」

(こけ)が剥がれてる場所がある?」

 こういう場所の痕跡は目で見つけるものだ。

 シオンが言う苔が剥がれている場所は誰かが手で触れたり上を歩いたりして擦れた結果であり、ここに何かが入ってきたという証拠になる。

 それが整った形なら人間、違うなら別の何か。

 ここから見えるものだと三人くらいの人間が出入りしているようだ。

「エルを連れてこなくて正解だな」

「どうして?」

「あいつは俺のペットだが他人はそれを知らない。手を出される可能性がある」

「たしかに大きな足跡だけど、大人の男の人ってこと?」

 それだけで判断した訳じゃない。

 あくまで大きな足跡の種類が三つあるから三人の大人が出入りしてると考えられただけで、シオンはそれ以外に苔が奇妙な剥がれ方をしている場所があることに気づいてない。

 足跡の横を小さな何かが引きずられたような跡。

 もしも俺の考えが正しければ遺跡の中は誰も入らないことをいいことに野盗(やとう)の住み処になっている。

 小さな子供が連れ去られているという話は聞いたことがないが、それはルインズの中での話であり、それ以外は彼らが把握していないだけの可能性があるんだ。

 そう考えるとエルが被害を受けない補償はない。

 連れてきて、はぐれたり俺らが何かと対峙している間に連れていかれたらアウトだ。

「待って? じゃあ、私たちが探してる子は……」

「探した方が早いさ」

 結論は急ぐものじゃない。

 俺はシオンの言葉を遮り探索を続行する。

 仮に想像が正しかったとしても目的の人間は生きていなければルインズの異変は終わっている。

 つまり、どんな状態であれ生きていることは確実なのだ。

 と、遺跡の探索を開始してから小一時間ほど歩いていると急に空気が重くなったような感じがした。

 何かに威圧されているような、そんな感覚である。

「ファング、あっち!」

「! おいおい、いくら何でもおかしいだろ。街の中央にある遺跡の中に何で魔物がいるんだ?」

 あれだけの圧力を放っていて敵意が無いわけがない。

 近づけば牙を剥くのは間違いない、そんな危険な魔物が俺らの視界で悠然と歩いているのだ。

 とても街の中で放置していいものじゃない。

 今まで気がつかなかったのか?

 いや、あれだけの魔物がいるなら街を作る前の調査で討伐を前提にした話が出ているはずだから気がつかなかったのではなく、後から湧いたんだ。

 魔力の濃い場所には自然と魔物が生まれる。

 奴等には交尾も産卵もないんだ。

 だからどんなに数を減らしても急激に増殖することもあれば、何もないところから手をつけられないほど危険な魔物が生まれてしまったりする。

 今回もそのケースなのだろう。

 にしても、だ。

 街を作ったなら遺跡に魔力が無駄に溢れることはなかったはずだ。

 魔物の死骸もなければ、負の魔力を集めるような感情もここにはない。あれほどの魔物を産み出せるだけの魔力があるわけないのだ。

「クマ……みたいだけど甲殻に覆われてる?」

「たぶん環境適応が既に成されてるんだ。魔物は魔力の漂う空間ならどこにでも出現するが、そこに順応した状態であるとは限らない。クマだっていうなら自然の中じゃないと適応できないだろ?」

 そう、森などの水や食物の安定した場所に出現しやすいのが獣型の魔物だ。

 おそらく体表を覆っている甲殻のようなものは鉱石が結晶化したものだろう。

 寒さを凌ぐための体毛はあっても遺跡や洞窟といった環境では目立つだけで危険に晒す要因でしかない。それをカバーするための防具だ。

 あの見た目なら擬態が可能なのかもしれない。

「シオン、あれは倒すべきだ。何か目的があって遺跡の中から出ていないだけで外に出たらルインズに甚大な被害をもたらすのは分かるだろ?」

「だよね。じゃあ、援護するから怪我しないようにね」

 そうだ。お前は前に出る必要がない。

 魔法は遠くから確実なものを使ってサポートしてくれていた方が戦いやすい。

 俺は足元に落ちていた適当なサイズの石を拾ってそれをクマ型の魔物に投げつける。

 この程度で反応するならば野生が洞窟性に順応した魔物と考えていい。甲殻のようなものも後から体表に付着したものだから剥がれやすい。

 しかし、反応しなければ甲殻も本体の一部。正直めんどうな相手になる。

「おっと、力加減をまちがえた」

 本当は当てるだけでそれを調べるつもりだった。

 しかし、力を込めすぎた石は砲弾のようにクマの身体に当たるなり甲殻にヒビを入れてしまい、さすがにどちらのタイプでも身体に衝撃があったら攻撃的になる。

 要するに問答無用で襲ってくるから判断はつかないわけだ。

「グォォォォォッ!」

「うるせえから口閉じろ!」

 怒りに咆哮(ほうこう)をあげていたクマの顎を蹴り上げてやった。

 しかし、思ったより手応えがない。

 やはり甲殻も本体で、この洞窟のような遺跡で産まれたからこその防御力を持っているのだろうか。

「……っ!」

「ファング!」

 ダメージが入っていないからこそ瞬間的に反撃してきたクマの爪を直接受けてしまいそうになり、俺は腕を守るように鎧を形成し顔の前に持ってくる。

 爪が通らない代わりに殴られたような衝撃が腕からいやな音と共に伝わってくる。

 その後の追撃はシオンが火球を飛ばしてクマを退けたので受けることはなかった。

「くっくっ! こいつ、本当にヤバい魔物かもな」

「ちょっと笑ってて大丈夫なの!?」

 最近ちょっと血が昇りやすいんだよ。

 いや、最近というか元から自分の血を見るのが嫌いで他人の血を見るのが好きな俺は喧嘩となると楽しくなってくるのと同時に(いきどお)りを覚える。

 たしかに相手は強いのかもしれない。

 普通に喧嘩したら負けるし、殺されても文句は言えないくらい強くて手加減もしてくれないのかもしれない。

 でも、逆に手加減なんかされてたまるか。

 自然界の最強は俺だけでいいんだ。この姿に作られて《世界を喰らう》役割を与えられた俺に喰えない生き物が居たら俺の存在意義が消えるんだよ。

「シオン、俺が怪我したらすぐに治せ」

「え? 怪我するつもりなの!?」

 そうだよ、なんて答えてやるつもりはない。

 俺は明らかに隙だらけな攻撃をして首元をがら空きにする。

 こいつが俺と同じ獣の本能で動いてる魔物なら、相手を確実に殺せる手段を理解しているのなら、俺の行動は無意味には終わらないはずだ。

「グォゥッ!」

 クマは俺の考え通りに首に噛みつこうと大きく口を開いた。

 それこそ、無駄に大きく振りかぶって殴ろうとした俺よりも大胆で隙だらけの口で……。

「おらっ!」

 俺は振りかぶった勢いのまま身体をひねり、回転させた勢いを乗せて拳をクマの口の中へと打ち込んだ。

 外側が硬くても中までは変わらないだろうと考えた一撃はクマの喉を潰し、討伐を成功させた。

「シオン……早く治してくれ」

「ああもうっ! なんで無茶ばっかり!」

「お前の男が勝ったんだから誇れよ。その大きな胸を張って自慢していいんだぞ」

 俺が冗談を言っているとシオンはすぐにクマの歯で少なくとも肉を抉られていた腕を治療してくれる。

 ああでもしないと殺せなかったんだから仕方のない怪我である。

「ねえ、なんで満ち足りた顔してるの? 女の子と遊んでる時でもそんな顔しないのに」

「俺に聞くな」

 これも獣の本能なんだろうな。

 自分の縄張り、俺の場合は俺の活動範囲内で暴れてる獣を倒すことは当然のことのように満たしてくれる。

 つまり、食事や睡眠に匹敵する幸福感なのだ。

「それに戦った意味はあったらしいぞ?」

「ひっ!」

 今さらのように足元の惨状に気がついたシオンはひきつった悲鳴を上げた。

 ああ、驚かない方がおかしい。

 俺が倒した魔物の死骸だけではなく、足元を多い尽くすほどの腐った死体や骨が転がっているのだ。

 ここは魔物の餌場だったのだろう。

 人間が入ってこないという知識を手に入れた魔物は危険を冒してまで現地で食事はせず、中へ連れてきては手頃な肉にしていたんだ。

 見るに堪えない。

 この死体の数を考えると一週間やそこらの話ではない。

 あの魔物の推定年齢に等しい期間、ここは人間が肉塊にされてきた場所。

「なんでルインズでは問題になってないの? これだけの人数……通報されてないはずがないよ」

「そこだよ、シオンくん」

「なんでバカにしたような言い方をするの?」

 悪いけど真面目な空気が似合わない男なんだよ、俺は。

「さて問題です。ルインズは遺跡を安全と判断し国として成立しました。しかし、問題は遺跡ではなく、そこに居た一人の人間の方にありました。その()()()()()()()は何をどう調整してたんだ?」

 シオンはひらめいたのか逆に険しい顔をする。

 このルインズに居るとされてる役割を与えられた人間の力は魂の入るための器を作り、そこへ誘導すること。即ち、魂をルインズに回帰させることだ。

 それが行われる限り、ルインズの人口は減らないし増えもしない。

 なら、それと魔物の件とどう繋がるのか考えたところでシオンは意見がまとまらなかったのだろう。

 当然だ。

 シオンは人間の死因なんて気にしてないからな。

「ルインズで死んだ人間はルインズに生きる女の胎に宿り再び産まれてくる。じゃあ産まれてくるのが新しい器なら死体はどこに消えるんだ?」

「…………その場に残る?」

「そういうことだ。魂と器がセットで産まれ直すわけじゃないなら死体は脱け殻。不要になって残るんだ」

「まさか……」

「そのまさかだよ」

 結論から言うと魔物はほとんど人間を殺すことなく食料を得ることができていた。

 つまり、生活のサイクルはルインズに完結している。

「街に出て死体を持ってきて、食ったらまた死体が出るまで待つ。それだけで魔物は生きられたんだ。それが何故、成立することになったのか」

「魔物にそんな知識があると思えないんだけど」

「魔物は森を一人で歩いてる女を拐うことに成功した。まずは何をする?」

 首を傾げた上に「食べる?」とアホらしい答えを呟くシオンを叩いた俺は苛立ち気味に答えを教えてやる。

 こいつの脳内はお花畑なのか?

「服をビリビリに破いて犯すに決まってるだろ? 繁殖のためではなく、ただ快楽を得るためだけに弱くて小さくて扱いやすい人間の女を選ぶ。そこには少なからず知性があるんだよ」

 絶対に男ではやらないし、抵抗される心配のない女を選んで気が済むまで遊んだら喰って後始末。無駄のない行動には必ず理由がある。

 それを頭で考えてやれる魔物は頭がいい。

 つまり、ルインズでは人間が減らず、喰ってもまた湧いてくると理解した魔物がいてもおかしくない。

 もしくは、その存在を事前に知らされていたか。

「なら魔物は奥まで入ってない?」

「たぶんな。最初の一回くらいは入っただろうけど」

「最初?」

「ルインズに永久回帰システムを作り出した奴を連れていくために、な」

 魔物は知恵がある奴ほど無駄にならず、より効率的に利益を作り出す方法を考える。

 第一段階が弱者の補食。

 第二段階が人間を使った繁殖行為。

 そして、最終段階が他種族の利用だ。

 どういう能力があるものかを理解し、それを自らが労力を支払わず利益を得るための道具として扱うという、最低でありながら天才ともいえる所業。

 たとえば奴隷として鎖に繋がれている者を盗み、少しの食料と身なりを整えさせ恩情を与えたものと勘違いさせ、自分のために働かせる。

 奴隷は不幸な理由でなった者が多いため少しの施しで従順な(いぬ)となる。

 それこそ俺にとってのエルのようにな。

「一応、他にもいるかもしれないから気にしながら進むぞ」

「なるべく怪我はしないでね」

「分かってる。弱点さえ分かれば俺の敵じゃない」

 それに何度も怪我をするとシオンに治してもらっていても失った血液を摂取しようと補食要求が始まってしまう。

 そうなったらシオンも巻き込みかねない。


 ──side????。

 嫌な音がした。

 音だけじゃない。震動もあったし遠くからなので微かにではあるが血の臭いがする。

 このまま見張っているだけでは危ないかもしれない。

 そう、守らなければ。

「お嬢、少しいいですか?」

「どうしたのウォーグ」

 お嬢は石造りの階段を降りた先で冷たい椅子に座って本を読んでいる。

 力のないお嬢はこうする他ないのだ。

 ルインズの外から連れてこられて、見目麗しい姿のせいで貴族の標的にされ、やっとの思いで逃げ出したら国に忍び込んでいた魔物に狙われて……。

 俺が人目を盗んで遺跡に入り、お嬢と会うまでは魔物のために働かされていた。

 だから守らなければいけない。

 この純情可憐で優しさのあまり不当な扱いを受けてきた女性を、俺は守るんだ。

「誰かが遺跡に入ったみたいです。危険だから逃げた方が……」

「お客様?」

「いえ、違うと思います」

 お嬢は本を閉じると手を伸ばしてくる。

 抱えて運びなさいという指示だ。身体の弱いお嬢には絶対に自分の足で歩かせてはいけない。

 だから「失礼します」と断ってから脇に手を遠しあまりにも軽すぎる身体を持ち上げる。

 けど、少し違ったみたいだ。

 お嬢は離れたがらず、理由を考えていると俺の身体に全体重を預けられた。お嬢の控えめで可愛らしい胸が押し付けられてドキリとしたが、それ以上は考えない。

 あくまで従者の俺にお嬢に対して欲情する権利はない。

「ウォーグの身体は陽だまりの匂いがして落ち着く」

「あの、お嬢?」

「お客様なら丁重にもてなさなきゃだめよ?」

 本当に、どうして俺の慕う女性はここまで純粋になられてしまったのだろう。

 幾度となく裏切られたはずだ。

 幾度となく、優しくするだけ無駄だと知ったはずだ。

 なのに、どうして他人を信じてしまうんだろう。

 俺はお嬢の今後が心配になって手を離すと逆にお嬢の細くて弱々しい身体を抱きしめた。

 俺が陽だまりの匂いがするならお嬢は花の蜜のような匂いがする。

「ウォーグ?」

「お嬢、まずは俺が客なのか調べてきます。もし安全なら連れてきますから」

 絶対に奪わせない。

 誰かを陥れることしかできなかった俺に希望を与えてくれた天使のような女性を、絶対に傷つけさせはしない。


 ──sideファング。

 俺とシオンが遺跡を着々と調査していると何者かが隠れもせず、堂々と俺らの前に現れる。

 敵か味方か分からない。

 戦って勝てるかも分からない。

 ただただ堂々としているだけあって尋常ではない圧力を放っていることが俺らを警戒させた。

「止まれ!」

「ファングにそっくりな狼さん?」

「いや、相手は魔物だ。まだ攻撃してないのに魔力が溢れてるから間違いない」

 魔力量で比較するならエルにも匹敵する。

 それに、俺らと違って役割を与えられているわけではないはずだが言葉を話している。魔物としてかなり上位に値する種族なのかもしれない。

 ここは大人しく従うべきだ。

 俺はシオンの前に手を出して制止をかけると魔物と目を合わせて相手の思考を探る。

 止まれと言ったのは奥に何かいるからか?

 もしかして《転生》を連れてきた魔物はこいつなのか?

「そっちは二人だけか? 途中でクマのような魔物が居たはずだが」

「あれなら始末した。通路に立たれると邪魔だからな」

「あら、ウォーグにそっくりね」

「お、お嬢っ!?」

 よく見るとウォーグと呼ばれた魔物の背後には階段があり、そこをよじ登るようにして顔を見せた少女がいる。

 激しく動揺を見せた辺り、俺らを奥に進ませたくなかった理由が自ら出てきてしまったのだろう。

 ウォーグは背中を向けることも気にせず少女を抱え上げて説教を始めた。

「待っててくださいと言ったはずです! 危険な奴等だったらどうするつもりですか!」

「それならウォーグ一人で行かせられない。ウォーグが私に言ったのよ? どんな時も側にいるって」

「もう仕方ありませんね。絶対に俺から離れちゃダメですよ?」

「ウォーグ、私ばかりに構っていないでお客様の相手をしないと失礼よ?」

「あ、お構い無く。見てておもしれえから」

「おい! 人を笑い者にするのもいい加減に……」

 自分で叫んでおいて敵意と認識されたらお嬢とやらに危害が及ぶと理解したのか大人しくなったウォーグは見ていて笑いを堪えられない。

 そもそも俺とそっくりとか言われてる時点で敵意なんかないさ。

 久しく、いや記憶にすらない同胞かもしれないんだから。

「もう二人に戦う意思が無いのは理解した。お嬢は身体が弱いから部屋で話をしたいんだが」

「部屋なんかあるのか? 遺跡なのに」

「それは後で説明する」

 シオンは俺に視線を向けて問題ないと伝えてきたのでウォーグに従うことにした。

 何より、ウォーグが抱えた少女。

 身体が弱いということも気になったが俺らが探していた人間かもしれないのだから無視はできなくなってしまったのだ。

「ウォーグさん、よかったらその女の子の容態(ようだい)、私が確認しようか? 専門の医師なんかじゃないけど診てあげるくらいならできるよ?」

「私は構わないわ」

「お嬢がお願いするだそうだ。頼む」

 この男、小さな少女に依存してるのだろうか。

 俺とエルの関係に似ているようで少し違う。お互いに望んで存在してるのは同じだが立場が逆で、依存の度合いが雲泥の差だ。

 詳しい話は奥で聞くとして、魔物が人間に仕える理由は聞いておきたい。

 やがて階段を下りきった小さな部屋のようになっている場所へ連れていかれ、ウォーグはどう考えても人間が作ったとしか思えないベッドに少女を仰向けに寝かせる。

 シオンはそれを見て頷くとすぐに容態の確認を始めた。

「この遺跡には長いこと世話になってる。石造りの割には神様とやらの加護があってか頑丈で崩れる心配がない」

「じゃあ、お前はずっとここに?」

「ウォーグでいい。お嬢もあんたのこと、少なからず気に入ったらしいから」

「全部あの少女が基準か」

 ウォーグは頷く。

 おそらく名前を聞かなかったのはウォーグにとって必要なことはお嬢と呼ばれる少女のことだけだからだろう。

 それは忠誠心の現れなのだから仕方がない。

「俺はこの遺跡で入ってきた無謀な奴等とか弱い女を連れ込んで好き勝手してる奴を食って生活してたんだけど、ずっと一人でいたんだ。それこそお嬢が来るまでは、ね」

 ある意味で恐ろしい魔物だ。

 遺跡で生活しているという認識があり、そこに()()として一つの部屋を作っていただけでも既に魔物の範疇(はんちゅう)を外れている。

 それに対して寂しいとか、孤独を認識していたなら相当だ。

 言葉も理解しているし人間の基準で言うところの討伐難度A級に匹敵する魔物。攻撃するなら騎士団の半数は必要という異常な魔物である。

「ある日、お嬢は遺跡の外から入ってきた。ルインズって国ができた後だったから興味本意だと思って、追い返そうと思ったけど実際は違った」

「何かに追われてたのか?」

「ああ。お嬢も覚えてないらしいけどルインズには誰かに連れてこられたらしくて、そこで金持ちのクズに目を付けられて逃げ出したら今度はタイミング悪くルインズの中に侵入してた魔物に捕まってしまったんだ」

 そんな不幸の連鎖があるのか、と俺は他人事のように考えていた。

 しかし、ウォーグはそんな俺に対して頭を下げる。

「あの魔物を討伐してくれたこと感謝する。あいつだ。あいつがお嬢を傷物にしようと俺の遺跡に勝手に住み着いていた魔物は」

「ああ、そうか。ウォーグですら住み心地がいいと感じるような遺跡だから外から来た魔物も住み心地がよくて居座るようになってたのか」

「そうだ。でも、俺にはあの(クラス)の魔物は狩れない。もう少し小さな魔物を狩ってお嬢に食べさせてたんだ」

 魔物は栄養食と言われるほど食料として間違いはないからな。

 毒さえ入ってないと確信していれば騎士団も討伐した魔物は解体し、骨や牙などの硬質な素材は武具用に回収、残りは市場に流しているくらいだ。

 逆を言えば、それを食べていたのに身体が弱い少女の方にも異状があるのかもしれない。

「ちなみにそこの…………えっと?」

「ティナでいい」

「ティナはどうやってあのクマから救出を?」

「これでも逃げ足には自信がある。それにお嬢がよく言ってくれるんだが俺は陽だまりの匂いがするらしいから嗅ぎ分けられなかったらしい」

「陽だまり?」

「お日様のこと」

 俺の質問に対して診察していたシオンが答える。

「たぶんウォーグさんの特性だよ。言葉も話せて私たちですら警戒するほどの魔力を持ってるA級以上の魔物にしてはウォーグさんは温厚な性格すぎる。この子を助けたいと考える時点で明白でしょ」

「少しでも敵意を感じさせないように、ってことか?」

 シオンは頷く。

 たしかに魔力が匂いやら感覚やらで分かってしまう俺らは初手で警戒してしまったが普通の人間なら優しい匂いのする奴をいきなり敵認定したりしないだろう。

 どこまでも賢い魔物だ。

「ウォーグさん、この子…………どこも具合は悪くないみたいだけど」

「思い当たらないんだ。でも、たしかにお嬢は少し走っただけで苦しそうにしてるし、足はもたない」

「何かしらの力の反動じゃないかな。魔力がないから体力を奪って、それでも代償としては弱すぎるから身体から頑丈さまで取り上げてるんだよ」

「そんな……お嬢が何をしたって」

「本人の意思は関係ないのかも」

 最初から与えられていた力なら?

 それこそ俺に与えられた【暴食の化身なる者(フェンリル)】の力と同じものだったら?

 俺たちがあまり自覚していなかっただけでリスクならいくらでも思い浮かぶ。ティナの防御力ゼロに等しい身体もそれとして考えられる。

 それに、ティナの力は想像した通りなら世界の均衡そのものを根幹から崩せる危険なものにもなりうる。

 破滅も存続も可能な力なんだ。

「じゃあ、お嬢は一生このまま……」

「そうでもないぞ。ティナが無意識に力を使っているなら止めてやればいい。ちなみにティナが使っている力は生き物を輪廻転生から離脱させる力だ。放っておけばルインズはもちろん、他の国にも影響が出る」

「た、例えば……?」

「ルインズでの異常に気づいた人間が危険と判断したらルインズには兵士が入ってくるだろうな」

 そうなればルインズは死んでも産まれ変わる人間だが、子供のうちに殺されたらどうなるか分からない。

 でも実際に目撃したら化け物扱いは免れないだろう。

 それこそ正義を信じた者と勘違いによって滅ぼされる者の醜い争いが起きてしまう。

「お嬢…………って、お嬢?」

「眠らせたよ。まだ若いのにこんな話を聞いても辛いだけでしょ」

「すまない、気を使わせた」

「まあ、焦る必要もないしな。まだ勘づいてる人間はいないから時間をかけて考えればいい」

 俺としても簡単に終わるようには思えない。

 ティナの力が無意識に発動させているなら何かの拍子で自覚するか、忘れているのなら思い出してもらえれば解決の手立てが見えてくるが、それは絶対じゃない。

 何か別の媒体を経由して力を使っているかもしれない。

 ティナ自身を触媒に誰かが乱用しているのかもしれない。

 あらゆる可能性が捨てきれない今となっては最善の選択肢が見つからない。

 殺すことも頭を過った。

 でも、ウォーグはそれを許しはしないだろうし俺も小さな少女を手にかけるのは心苦しい。

「な、そういうことだし二人だけで話しないか?」

「二人で?」

「そうだ。男同士の大事な話」

 一人だけ勘違いしてる女がいるが気にしたら負けだ。

 別に卑猥な話をするなんて言ってないのに一人でぎゃあぎゃあ騒いでるのはシオンだ。

「お嬢を少しの間、頼めるか?」

「別にいいけど」

「頼んだぞ~」

「ファングがそっちの趣味もあったなんて……」

「ねえよ!」

 シオンの「そっちの」という言葉の意味は分からないがとりあえず否定。

 別に共通の話題をするだけで、何も変なことじゃない。

 シオンを仲間はずれにしたのは共感しないからだ。

 俺は不安そうな顔をしていたウォーグと一緒に聞かれない程度に部屋から離れてテキトーに地面に座って軽い空気感で話を始めた。

「もうティナとはデキてんのか?」

「は? いきなり何を聞いてくるんだよ」

「何かにつけてお嬢が、お嬢が~って言ってるし、ティナもまんざらでもなさそうだからよ。あいつ若いとはいえお前も魔物だし味見程度にはやってるのかな~、ってな」

「か、身体が弱いの知ってるから何もしてない」

 へえ、随分と大切にされてることで。

 俺はてっきり魔物としての意識に囚われてやるとこまでやっちゃってるパターンだと思ってたけどな。

「それに俺はそんなんじゃない」

「どういう意味だよ」

「俺は魔物でお嬢は人間。不釣り合いだし不自然だ。好きだと思うことすら間違いで、お嬢の従者なんて名乗る権利すら俺にはないんだ」

 たしかに言ってることは事実だ。

 魔物が人間を好きになったところで恐れられるだけ。

 従者なんて名乗ったらティナまで人間側から否定されるようになるだけ。

 一時の感情に任せて行動できない理由としては正しい。

 でも、俺としては認めてやれない。

 同じ男として、同じ化け物として、同じく人間か人間に近い者を気に入ってしまった者として、へたに引き際がよくて立場を理解してると言っている奴は認められない。

「今ならやり放題だぞ」

「あんたがそういう奴なんて思わなかったよ。最低だな」

「おいおいおい、勘違いすんなよ。俺はあくまでウォーグに正直になってもいいんじゃないか、と提案してるだけだ」

「馬鹿らし」

 俺は嫌われるのを覚悟で冗談を言ったつもりだが通じなかったので話を真面目な方向へと戻す。

「お前がティナをどこまで大切にしてるかよく分かったよ。だからこそウォーグ、お前には言ってるんだ」

「…………」

「そうやって一歩下がった位置から見てるだけじゃ誰かに奪われても文句を言えない。連れていかれそうになっててもお前が止めたところで説得力が無くなるんだ。いつも後ろにいるだけのストーカーが何を調子乗ってるんだ、ってな」

 だから形だけでもいいんだ。

 自信を持てないなら名乗るだけでも多少は変わる。

「それが嫌なら子守りでもしてるつもりでいればいいんだ。俺のとこにも同じくらいのやつがいるからどっちかといえばそっちがしっくりくるんだよな」

「! もしかしてあの、シオンという女性との子供か?」

「くくくっ! シオンはいつかは、って考えてるらしいけどな。子供じゃなくてペットだ。娘としてではなく、お嫁さんでもなく家族としての権利を得られる立場だ。あいつを自由にしてはやりたかったけど身寄りも無かったからな」

「あんた、色々と考えてるんだな」

 考えてはないさ。

 娘だと溺愛、嫁さんならエルが若すぎるから変態異常者呼ばわりして愛しい猫を愛でてやれなくなるからだ。

 その点、ペットなら度を超えなければ問題ない。

 たしかに自由にしてやるつもりで、というのも間違ってはないんだけどな。

「少しだけ考えておく」

「おう。似たもん同士なんだから相談しろ?」

「あ、あんたは少し過激なアドバイスしてきそうだから話し相手にはなってもらうけど相談はしない」

「とか言って着替えとか覗いてるんじゃねえのか?」

「?」

 なぜ首を傾げた。

 ああ、たしかに俺の言ってることがウォーグが大人しすぎて理解できなかった可能性もあるんだろうけど違和感はもっと別の考えを持っていた。

「着替えなら毎日俺がやっている。わざわざ覗く必要があるのか?」

「冗談だよな?」

「お嬢の世話は全て俺がやってるんだ。朝起こしてから着替えさせて食事を手伝い運んであげて身体を清めて眠るまでの全てだ」

「お前、よく発情しねえな」

 魔物ってもっと単純な生き物じゃなかったか?

 それこそ「雌を見つける=発情する」くらい簡単に発情してたくさん子供作ってる印象があったんだが……。

 あ、俺は別だぞ?

 魔物じゃないしエルはペットだから風呂に入れてやってても何とも思わない。

 まあ、成長してるなと実感するのは悪くないけどな。

「俺の想像してたより数倍はむっつりだったな」

「な、何のことだ! すぐにへんな解釈しないでもらいたい」

「別に悪く言ってるつもりはねえよ。お前がティナのことをそれだけ慕ってるなら最悪の選択はしないだろうし、俺としては安心してるんだよ」

 とまあ俺にできるのはここまでだ。

 あとは二人がどういう結論に至るか考えさせるだけ。それまでに争いが起きるようなら俺は全力で阻止する。

 それだけの価値がある二人だからな。


     2


 ──sideウォーグ。

 何時からだろう。

 遺跡が勝手にルインズという国になって、人間から隠れるようにして生活するようになり、お嬢が迷い込んでしまい、それを助けて同じ時間を生きて……。

 俺が人間と真っ向から顔を合わせたのはいつぶりだろう。

 お嬢とは違ってみんな俺を怖がっていた。

 しかし、シオンや俺と似た見た目をしてるファングという男が存在しているからか長くは続かなかった。

 警戒の目が、すぐに興味へと変わったんだ。

 魔物が言葉を話していることも然り。

 俺がお嬢という人間でありか弱い女性でもある存在を抱えていて、一向に襲う素振りを見せないことが不思議で、深く悩むより先に知りたいと考えたのだろう。

 でも答えてやる必要はない。

 俺たちより先に出たファングが言っていたが無理に答えてやらなくても自然と溶け込むことができた方が長く安寧の時を得られるというのだ。

 身体の弱いお嬢のためにも自然な方がいい。

「お嬢、どうかしたんですか?」

「いえ何でもないわ」

「少しでも辛かったら言ってくださいね。すぐに休める場所を探すんで」

 一応、俺が魔力を使って日の光と同じようなものを遺跡の中に作っていたから急に眩しく感じたり、慣れない空気になってしまったということはないはずだ。

 お嬢のほとんど抜けかけた記憶が原因かもしれない。

 そうだ、今は少しでも記憶を回復してもらわなきゃいけない。

 この国の根底を作り上げてしまったのがお嬢なら救うのも壊すのもお嬢にしかできない。

 どちらに転んでもお嬢一人は無事でいてほしいから、自分が何をしたのか、何をできるのかお嬢には思い出してもらわなければいけないとファングが言っていた。

 何も知らなければ、この時間を壊されるのを待つだけになる。

「ウォーグ、甘いものが食べたい」

「甘いものですか?」

 この国にはカフェと呼ばれる人間が飲み食いしている場所があるらしい。

 俺はそこへお嬢を連れていく。

 これだけで幸せだと言えよう。

「たくさんの人間に囲まれているけれど、怖くない?」

「お嬢がいれば何も怖くないです」

「私は今、とても怖い」

 珍しく震えている。

 お嬢が興味を示すことがあっても恐れることは珍しいことである。

「みんな私を恨んでいるように見えてしまう。初めて、いや会ったことはあるけれど話したことはないはずなのに、私のことを何か、憎んでいるように見えてしまうの」

「恨んでも恨まれることなんてしてないでしょう?」

「分からない。知らないうちに私は何かしてしまったのかもしれないわ」

 店に到着し、お嬢でも食べられそうなパンケーキを頼んではみたが覚えのない罪悪感からなのか緊張しているみたいで楽しそうではない。

「あんたら…………」

 知らない青年に声をかけられて驚いた。

「な、何かようか?」

「いや、その子に見覚えがあったから…………でも」

 知り合いなら普通に声をかければよかったものをなぜ迷っているのだろうか。

 そもそもお嬢を見たことある?

 いつ、どこで?

 お嬢を信じるならルインズに入ってすぐに貴族に捕まっているし、それから少しもしないで逃げ出して遺跡に入っているのだから目撃者も少ないはずだ。

 見たとして、覚えているものか?

 お嬢が俺と生活するようになってから今は…………?

 あれ、おかしいな。

 お嬢はたしかに俺とずっと一緒にいたけど本当に長い時間だったのだろうか。

 体感的には五年か、六年。子供が少しは大人びてくる時間と同じくらいだ。

 それが、一年未満とかだったのか?

 いや、そんなはずはない。

 ルインズでは毎年決まってやってる祭りがある。俺が外に出て入ってくる人間がいないか探ってる時にちゃんと開催されてるのを見た。

 じゃあ、この青年は……。

「勘違いなら悪い。でも、あんた何年か前にこの国に来たよな。綺麗な声で歌いながら入ってきたから覚えてるんだ」

「…………」

「何で見た目も変わってないんだ? もしかして魔女と同じで既に──」

「お嬢を追い詰めるな……!」

 俺ってダメな奴だな。

 お嬢は何を言われても堪えるという顔をしていたのに先に俺が我慢できなくなって反論しちゃって、これで青年が反発して他にも色々と言ってきたらどうするつもりだったんだろ。

 いや、後なんて関係ないんだ。

 お嬢が今の一瞬何かを言われていることが俺には許すことができない。

 どんなことであろうと、お嬢が苛められることがあってはならないんだ。

「ウォーグ、いいの」

「お嬢……」

「その子が言ってることは間違ってないわ。私もほとんど覚えていなかったけど…………いや、覚えていたくなかったのかもしれないけど、この国に入ったのは何年か前だったと、そんな気はしていたの」

 お嬢、それは……。

「でもね、ウォーグと居ると忘れてしまえたの。ウォーグは年もとらないし見た目も変わらないから、私と永遠に側に居てくれるかもしれない、って細やかな安心感があったのよ」

「俺はあんたらに文句を言いたい訳じゃないんだ。けど、少しだけ理解してほしいことがある」

「なんだ?」

 青年は、言葉を選んでいる。

 根っからの性格なのだろう。態度には出さなくても相手を気遣える優しい心を持っているのは俺という存在にも痛いほど理解できた。

 つまり、そんな彼が俺に、お嬢に理解してほしいと言いたいのは、一人一人が気にすることじゃなく国単位で関わってきてることだろう。

 だから言い淀む。

 たかが人間一人と魔物一匹に背負わせるものではないと考えているから。

 青年、俺は間違ってないと思う。

 お嬢はずっと、記憶から消し去っていただけで背負い続けてきたものがあるんだ。

 それを軽くすることができるなら、俺は…………一瞬だけ、さっきそれですら堪えられないと言ったばかりだけど、そのためにならお嬢が辛い思いをするのを諦められる。

 この方を助けてあげられるなら……。

「既に誰かから聞いたかもしれない。自覚してほしいことがある、と。俺はその上であんたらに少しだけ、本当に余裕がないんだとしても一ミリでもいいから頭には残してほしいことがある」

「…………ウォーグ、私は平気」

「分かりました。気にしないで言ってください」

「そろそろ、楽にしてやってくれ。この国に生きてる連中を……自由にしてやってくれ」

 ああ、それじゃあファングが言っていたのは本当なのかもしれない。

 輪廻から外れるって言っていた。

 それは死なないという意味なのか。

 それとも、死んでも普通には人生をやり直せないということなのか。

 どちらにしても、人間にとって苦痛と言える状態が繰り返されてるのは青年の表情を見れば分かる。

「善意なのかもしれないけど、みんな苦しんでる。記憶から消えてるから普通に生活してるみたいに見えるけど、実際には残ってるんだ。寝てる時に急に、前の家族の名前を呼び出したり、唸ったりしてるやつが沢山いる」

「それを、私が……」

「大変だっ!」

 突然、外から慌てた声が聞こえたきた。

 俺はお嬢から目を離せないから耳だけを澄ませて外の様子を伺う。

 否、澄ませるまでもなかった。

「た、大量の化け物が攻めてきてる! このままじゃルインズはおしまいだ!」

「あいつの予想以上に最悪の状況かよ!」

「ウォーグ」

「何でしょう」

 青年までもが困った表情をしているなか、お嬢は声色ひとつ変えることなく言った。

「私を現場の近くまで連れていって?」


 ──sideファング。

「少し早かったな」

 俺の予想ではルインズの噂を聞いた人間が臆病が故に戦うことを決めてしまい、ルインズを恐れた国との戦争が始まってしまうものだと思っていた。

 それも、あと一年くらいは後になるはずだ、と。

 実際には今日来てしまった。

 しかも人間同士の戦争じゃなくて、誰が(たぶら)かしたのか分からない魔物がたくさん。

 この状況、誰かが企んだのは間違いない。

「ご主人、ごめんね」

「なんで謝る?」

「エルの想像、間違ってた。ルインズの子が操ってると思ってたけど、ちがったかも」

 大方、お前の予想は間違ってなかったんだ。

 魂の在り方を変えてしまうまでの力は俺とシオンには想像することもできなかった力で、それを言い当てたエルは謝るようなことをしてはいない。

 それに生物を操れるやつが別にいるのは、最初の時点で少しは考えていた。

 まあ、いずれにしても状況が起きてしまった以上はルインズには居ないんだろうし、そいつは俺たちにとっての敵となることは折り込むしかないんだろうけどな。

「で、私は本当に結界を張るだけでいいの?」

「ああ。戦闘面でもお前は役に立つけど守りに徹してもらわないと数が数だ。俺たちが捌ききれるとも限らない」

「エルも頑張る」

「そうしてくれ。自分を守るためじゃなく、自分の背後にあるものを守るために」

 エルは自分じゃなくて、自分より大切なものを守るためでないと本気を出せない。

 自分のために誰かが傷つくのを見たくないんだ。

 故に、俺やシオン、それ以前に国ひとつ守るためだと考えてもらっていた方が強い。

 そして、俺たちは何の合図も出さず戦闘を始める。

 相手は統率が取れているようで結局のところ集団なんて意識のない魔物。作戦なんて考えるより少しでも数を減らし、俺たちのことを脅威だと認識してもらった方が早い。

 こうして集まっているのは誰かからの指示。

 しかし、保身的になった魔物は危険な奴を真っ先に始末しようとする。

「一匹辺りの戦闘力が低いのが救いだな」

「ご主人、油断したらだめ」

「そんなの分かって──うおっ!」

「ゆだんしてた?」

 おいおい、何の冗談だ?

 俺とお前は友達になれたんじゃなかったのか?

「何でノルンがいるんだよ」

 しかも味方じゃなくて、敵として。

 ああ最初から仲間なんてものじゃないのは分かっていたが、いつかの朝にこいつが悪意から行動してる奴じゃないと思ったんだ。

 こいつから、友達だと言ってきたから、信じてもいいと思ったんだ。

 なのに、何で普通に戦いを挑んでくるんだ?

「マスターが、ファングとたたかえって。もくてきにじゃだから」

「ちっ! 足止めさせようってことか!?」

 本当にあの男は嫌な奴だな。

 はっきり言って一対一の邪魔が入らない状態ならノルンとの力量さなんてないし、遠距離と近距離関係なく捕食できる俺の方が優位ではある。

 一瞬でも隙を作れたら俺の勝ちは揺るがない。

 だが、今の状況はなかなかに厳しいと言える。

 俺はノルンの相手をしなきゃいけないが迫ってくる魔物も確実に減らしながら戦わないとエルの負担が背負いきれないほどになってしまうし、そうなって魔物がエル一人に狙いを定めたら助からない可能性がある。

 そうなればシオンに結界を解除させてでも助け出させないといけない。

 たぶん、ノルン……しいてはあの男の目的はそこにある。

 俺たちの手が塞がってる間にルインズを攻略し、その中でティナの力を奪うつもりだ。

 あいつの力は絶対に渡したらろくなことにならない。

「なあ、ノルンさんよ。これが終わったら好きなだけ交尾してやるから手伝ってくれねえか?」

「すきなだけ?」

「そうだ、好きなだけだ。一日中でもいいし毎日でもいい。お前が元気な子供を孕むまでだっていいんだぞ」

 おいおい、冗談のつもりで言ったのに意外と揺らいでるんじゃないか?

 この前の様子だと俺が()()()()()()()と思ったから恐れてた感じだが、実際には俺以上に()()()()()()()なのはノルンの方かもしれない。

 とはいえ、まったく攻撃が弱くなることはない。

 腕が元に戻っていることも然り、この前の《獣狩りの剣》がどこから出てきたのかも然り、油断していたら一瞬のうちに殺されてしまう。

「お前だって好きなんだろ、そういうの。気持ちよくなるのが好きって顔に書いてるぞ」

「……?」

 いや、顔に書いてあるっていうのは俺とそういうことがしたいって表情のことであって書いてある訳じゃないから。

 擦っても取れるわけがないだろ。

「わかったファング」

「っ!」

 急にノルンの攻撃が重くなった。

 たかが鉤爪を装備しただけの身体は俺の半分もない少女の攻撃は俺の爪を弾いてよろめかせる。

「ファングたおす。たおして、たくさんこうびする」

「笑えない冗談だ」

「ほんき。だってファングたおせばていこうしない。なんかいでも、こうびできるよ?」

 正真正銘の色情魔か、お前は。

 お前は倒れて動かなくなった俺のものを、どことは言わないけどそれを硬くして上に跨がってれば気持ちよくなれるからいいかもしれないけど俺としては全然面白くもなんともない。

 だって俺の意識ないの前提だろ、それ。

 どうせなら意識ある時に俺の手で泣かせてみたいんだが。

「ご主人? 大事な時に何の話?」

「ほ、本気なわけないだろ! エル、こういうのは冗談だから気にしたらだめだ!」

「本当に? ご主人のどこか元気になってない?」

 それは言ったらダメだ。

 エルには申し訳ないけど仕方ないってこともあるんだよ。

 ノルンは見た目こそ俺よりも人間に近いかもしれないが同じ狼の遺伝子でも組み込まれてるのか雌の匂いがすごくしてくるんだ。

 それに、幼児体型のくせに胸は大きいとか反則だろ。

「だから、よそみはだめ」

「随分と独占欲が強いんだ……なっ!」

「っ!」

 蹴りがクリーンヒットしてノルンは地面を滑るように後ろへ下がる。

 手加減しなくてもよさそうだな。

 女だからと甘く見ていると勝てないし、そもそもノルンも俺と同じで作られた存在だからかダメージはほとんど入ってなさそうだ。

「ねえ、ノルンとこうびする?」

「お前が大人しくできるならいいぞ?」

「だって、むこうおわるよ? ノルンとファングこうびしてもじゃましないはず」

 俺はノルンの言葉の意図を察してすぐにエルの方へ視線を向ける。

 まずい。魔物が完全に全部エルに狙いを定めた。

 たぶんどこかで見てるやつがノルンだけで俺を止めるには十分だと判断して魔物を全部エルを倒させることに集中させたんだ。

 このままじゃ運命すら壊せるエルでも厳しい。

 でも、俺がノルンをフリーにしたら後ろで結界を張ってるシオンが危険だ。

 どうする?

 俺はエルか、シオンを見捨てなきゃいけないのか?

「前を見ろ!」

「あん?」

「俺も手伝ってやるからあんたは前の奴に集中しろ、って言ったんだ!」

 ああ、そういうことね。

 俺は声で瞬時に理解して完全に俺と交尾できると思って油断していたノルンに重い拳を食らわせる。

「お嬢とやらはどうしたんだ?」

「立ってるだけなら平気だって言うからシオンの側においてきた! 急に現場に連れていけとか言うし、この状況を見たら助けに行けと言うもんだから俺も焦ったよ」

 なるほどね。

 自覚はしてなくても誰かを助けなければいけないなんて考えだけはあるみたいだな。

 これで形成は逆転した。

 ウォーグはA級以上に該当する魔物だしエルと協力すれば魔物の数になんか押されない。

 なら俺はノルンを倒すことに集中していてもいいはずだ。

「めすはなぐったら、だめ」

「俺としては殴ったくらいじゃ怯みもしない雌の方が好みなんだけだな。お前のマスターとやらが厄介な身体に作ってくれちゃったせいで弱い雌じゃ満足できないんだよ」

「じゃあノルンもほんきだす」

 ノルンは鉤爪同士を擦り合わせる。

 そこから火花が散ると何かに引火したのか鉤爪が燃え始め、ただでさえ直撃したら浅い傷じゃ済まなかったものが危険性を増した。

 出血量は減るが焼かれたら再生できない。

 俺の権能(ちから)はあくまで出てしまった血を他生物を捕食することで補充し、破損箇所を修復するというもの。完全な再生とは訳が違う。

 焼けた部分は破損箇所が塞がるわけで、俺の修復する権能と相性が悪い。

 削れた部分から治すのに塞がってしまったら埋められないのだ。

「あぶねっ!」

「ちゃんとうけて。うごけなくしないと」

「冗談きついぞ! そんなの受けたら治るもんも治んねえよ!」

 そういう問題じゃない。

 ノルンの攻撃が加速している。

 一撃も重くなっているし速度が増した分だけ受け流そうとすると体重に反して俺の方が()け反りそうになる。

 つまり、結局のところピンチに変わりがなかったってことだ。

 と、俺たちが戦闘を繰り広げていると後ろから妙なものが聞こえてきた。

 それは、俺の記憶が正しければ戦場で聞こえるはずもないもの。

 歌だ。

「誰が歌って……」

「お嬢?」

 魔物やノルンの攻撃も一時的なのか止まった。

 その場にいた全員がティナの透き通るような優しい声に注目していたのだ。

 戦場には背徳的だが、何故か惹かれる歌声。

 俺はそれに何の意味があるのか考えてすぐに魔物の方へ視線を向ける。

 今までの特定の誰かを攻撃しようとする意志が消えたのか行動がバラバラになっている。

「エル、ウォーグ! 魔物が無差別に暴れだしてる! 気を付けろ!」

「ご主人、何で急に?」

「あの歌だ! たぶんティナは歌で力を使うんだ!」

 歌の意味は分からないが声を聞いている限りだと祈りに近しい。優しい声なんだ。

 おそらく、何かとの契約をしているのだ。

「そう、あのこのちからはときをあやつる」

「時を?」

「あしをふみいれたとち、じかんをとめる。だからうごかないじかん、くにのにんげんとめつづける」

 それはあの男が吹き込んだのか?

 ノルンの言葉を信じるならルインズの人間は永遠の時間軸から外され、本来の人間が辿る時間を得られたわけだが、魔物が自由になった理由はなんだ。

 命令を出していた奴が歌に気を取られている?

 いや、ちがうな。

「うっ……」

 後ろで苦しそうな声が聞こえる。

 俺よりも先に反応したのはウォーグで突然叫ぶと戦場を放棄して戻っていく。

 まあ、エルも指揮能力の失われた魔物になら取り囲まれないはずだが、急に戻る必要なんて…………。

「お嬢! しっかりしてください!」

「ウォ…………グ?」

「こんな弓矢、どこから…………お嬢! 絶対に意識を強く保ってください! こんな、この程度の傷で死なせません!」

 俺の頭はすぐに状況に追い付く。

 魔物が自由になったのは指揮者が歌に惹かれたからではない。

 指揮を中断し、ティナを弓で狙っていたんだ。

「マスター?」

 ノルンすら掠れた声で現状の困惑を口にする。

「やくわりあるこ、たすけるって、そのためにるいんずからだしてあげるって、いってたのに」

 そんなわけない。

 あの男は俺やノルンを作った理由を言わないだけで、助けたいと思ってないのは明白だ。

 じゃなきゃノルンを危険にさらさない。

 俺に勝てるか分からないのに戦わせたりしない。

 つまり、あいつはティナを誘き出して殺すためだけにノルンと俺を戦わせ、魔物を集めてエルやシオンの手を塞ぎ、ウォーグをティナから離れさせた。

 あいつは、正真正銘のクズだ。

「エル、ここは頼んだぞ」

「ご主人?」

「ノルンはこっち側だ。俺はあいつを探す」

 騙されていたんだ。落ち込んで当然だろう。

 自分を、自分と同じような境遇の誰かを救うためだと言われて、それを信じて戦ってきたノルンには最悪の結末だ。

 だからさ、高みの見物なんてしてるんじゃねえよ。

 そこにいるんだろ。

「最低の傍観者さんよぉっ!」

「なっ!」

 結界には種類があるとシオンから聞いたことがある。

 魔力等の攻撃手段に使われるものを内側と外側で隔てる隔離の結界と、認識されないように気配や存在そのものを消し去る不可視の結界など。

 じゃあ、魔物を操ってた人間はどこにいる?

 不可視の結界は文字通り不可視にするから見えることはない。

 でも、お前の居場所を知ってる奴が一人いる。

 俺と戦ってて、さっきお前がティナを弓で射ったのを見て振り向いた奴が。

「俺らをバカにするのもいい加減にしたらどうだ?」

「バカにしてなどいないよ。ただ……」

 男は俺に殺されると考えているのか、それとも別のことを考えているのか苦笑いを浮かべながら、ぼそぼそと呟く。

「君を作ったのは間違いだった」


     3


 ──side????。

 彼は僕の最初の完成品だ。

 アンプルという卵の中で目を覚まし、その液体の中から出てきた時の彼はまだ幼い子供も同然だった。

「こ、こは……?」

「おはようフェンリル君。ここは僕の研究所。僕のことはマスターとでも呼んでほしい」

 作成段階で彼の頭に多少の知識を与えていたため、それがすぐに主従の類いだと判断したのか彼は戸惑いつつも頷いた。

 しかし僕はそんなつもりではない。

 彼の支配者(マスター)ではなく製作者(マスター)だ。

 僕は彼に自由な生活を与え、その中で僕の助手として研究の手伝いをさせていた。

 元はといえば一人で研究を続けるには無理があったため倫理観に縛られることのない者を助手にしたかったのだから従順ではなくともいいのだ。

 何より、彼自身も僕の研究対象。

 産まれた当初の彼は身長が僕の腰ほどまで、身体も大きいとは言えない未成熟な個体だった。

 故に恥じらいも少なく、データを取る上で面倒な衣服を着せずとも平気な顔をしていた。

 それでも知能は大人顔負けともいえるレベル。

 見た目は子供でも僕が与えていた少量の知識を自ら広げて一週間と経たず言語を理解し、本を読むようになる。

 一月後、僕は彼の部屋に入った。

「今日はお友だちを連れてきたよ」

「! お、お友だち?」

 一人でいさせるばかりでは知識は身に付いても現実とは結び付かないし僕とのコミュニケーションも途絶えてしまう可能性が浮上したため、研究の過程として一つ実験した。

 大きさ的には変わらないくらいの者を連れてきたのだ。

 興味を示してくれるかが問題であり、それ以上の結果は求めていないため声は出さない。話せない個体を連れてきたのである。

 フェンリルは少しだけ近づくと鼻を寄せて匂いを嗅ぐ。

 まだ生物というのが自分と僕しか存在しないと思い込んでいるのか異物でも見るような動きだ。

「甘い匂いするな。俺と違って獣の臭いしない。それにどこもかしこも柔らかい。硬い俺とは逆だ。真逆の存在か?」

「雌だよ。君も本を読んでいたなら学習しただろう」

「ああ、あれか。じゃあ俺と同じだけど違うんだな」

 理解しているのか疑問を覚える言葉遣いだが彼が理解していない状態で頷くことはないと考えるなら分かっている。

 おそらく種族は同じだけど性別が違うと言いたいのだろう。

 やはり本を読んだ程度の知識しか保有していないフェンリルは触ることに躊躇いがないし興味は持っていても知らないことの方が多いから遠慮もない。

 そこは少しずつ知ってもらうことにしよう。

「マスター、何でこいつは喋らないんだ?」

「君は特別なんだよ。なかなか言葉を話せる状態にするのは難しいからね。でも生きているし、ちゃんと反応はするよ。理解してるかは別だけどね」

「もらってもいいのか?」

「ん? ああ、構わないよ」

 ここはまだ勉強不足だ。

 本を読んだと言っても学術書のような知識だけが書かれたものであれば人間関係や他種族、異性との関わり方や呼び方は知る由もないのだろう。

 まあ、僕にとってのメインは彼だ。

 失敗作が彼の成長の糧として使われるのなら僕としても嬉しい限りだ。

 そう考え、失敗作である言葉を話せない個体をフェンリルに預けると彼は一日の間にほとんど調べ尽くしたらしい。

 自分と比べて異なる異性の身体について彼は驚くべき速度で理解したのだ。

 身長は低くなりやすく身体は柔らかく、胸は主に筋肉ではなく脂肪で膨らみ腰の辺りは丸みは帯びても突起はない。知性があるからこそ膨大な情報量でも容易になる。

 だが、部屋に行くと既に預けた個体の姿がなかった。

「どうしたんだマスター」

「あ、いや君の様子を見に来たんだよ」

 ストレートに聞いては期限を損ねるかも、と懸念して遠回しに様子を探ったが彼は眉一つ動かさない。

 まさかとは思った。

 知識を与えるには与えたが僕に対して隠蔽(いんぺい)までできるほどの知恵とは別物。そこまでの成長となると僕の想定を超えている。

 しかし、死体など転がっていない。

 フェンリルが自由に行動できるように部屋のパスワードは教えてあるが外に逃がしたとも思えない。確実に部屋のどこかにはいるはずなのだ。

 この()()()()()には。

「マスターに一つだけ聞きたいことがあるんだ」

「僕に?」

「あいつ大人しかったけど、何かしたのか」

「どういう意味だい?」

 質問に答えるように僕の前に壊れて元の形も分からなくなったものが投げられる。

 黒く、生物的ではないモノが。

「これは生き物が持つ器官じゃない。消化器官でも循環器官でもない異物だ。俺はこれをマスターのいる部屋で見たことがある」

「さすがに見つからないと思ったんだけどね」

「俺を監視してたのか? そのために、言葉も喋れない生き物を作ったのか?」

「君の体調や成長具合を確かめるためだ。君は途中からこの部屋でも見られていると気づいてしまったからね。まったく映らない日もあるから確認したかったんだよ」

 こういう「嘘」は半分以上の「本当」に隠すことで真実味を増す。

 濃いものは薄めても残るのと同じだ。必要な嘘は不要な本当と合わせてでも貫きたい。

 体調や成長なんてどうでもいい。

 僕は君が隠れて何をやっているか知りたいんだ。

 だって僕が作った完成品が勝手に何かしてる状況はマスターとして見過ごせない。僕の研究は君が動かしてはいけないものなんだ。

 そう、あくまで僕の掌の上でなければ意味がない。

「だから何をしていたか教えてくれないかな。それが分かれば僕もこういうことをする必要もないし」

「………………」

「疑ってるんだね。もし君が素直に話してくれたら君が()()()()()()ことは不問にするよ?」

 あれを、食べたんだろ?

 僕の目は誤魔化せない。些細な変化だって見逃さない「目」を持っているんだから君が何を隠したかなんてすぐに分かる。

 それこそ綺麗に洗い流したつもりだろうけど口回りは血が付着しているからね。

「………………に…………みが……」

「ん?」

「性に、興味が……」

「!」

 それが本当だとすれば嬉しい情報だ。

 彼は僕にとっての一体限りの完成品。同じ手順を踏もうと同じ材料を集めようと唯一無二は再現できない。

 彼に与えた才能は彼だけのもので、次に同じカタチで開花する可能性は万分の一にもありえない。

 しかし、そのフェンリル本人が繁殖を行ってくれるなら?

 研究による分裂(コピー)と生殖行為による繁殖では劣化の有無がある。

 今までは彼を破壊したら二度とできないことがあるから手を出せずにいた項目が多かったが増やしてもらえるのなら好都合というもの。

 是非とも興味を実行に移してもらおう。

「それで隠れていた理由は?」

「み、見られてたら恥ずかしいだろ! だからマスターに見えてないとこで、な」

「なるほどね。その興味は正しいよ。君はまだ若いけど興味が出てきたなら経験するのも悪くないと思うよ」

 興味が出てきて言動から察するに生殖は可能な状態になっている。

 子供扱いしていたけど身体は順調に成長していたんだ。

 見た目も大きくなっている。これは可能性ではなく、確実な現状だ。

「近々だけど用意してあげるから少しだけ我慢してほしい」

「それなんだけど、服が欲しい」

「服?」

 理由はすぐに察した。

「見えているのが恥ずかしいんだね?」

「マスターだって着てるだろ? それにどの本を読んでもずっと全裸のやつはいなかった。だから、ダメじゃないならほしいんだ」

 そういうことなら、と僕はその日のうちに提供した。

 彼が別のことを意図しているなんて思いもしなかったんだ。


 ──約半年後。

 あんなことを言っても僕は彼の番になることができるだろう作品を作るのに半年を費やしてしまった。

 結論を言うと彼の遺伝子を劣化させたくない。

 つまり、彼の遺伝子が色濃く残るように「雌」側の遺伝子が弱くなくてはならないが、肝心の生殖行為に耐えうる「雌」を用意しなければ繁殖すらできない。

 つまり、その調整に手こずったのだ。

 最強とか最弱よりも半端を作る方が難しいと初めて自覚したよ。

 ちなみにフェンリルは既に僕よりも大きくなっていた。

 とても産まれて一年未満には見えない。

「あっ、マスターじゃねえか。どうしたんだ?」

「あはは、君との約束を守ろうとね」

「ん、約束なんてしたっけ」

「忘れていても仕方ないね。半年も待たせたし……。ほら、君が希望していたモノだよ」

 部屋の前に一匹の「狼」を立たせる。

 ああ、半分は言葉通りで半分は比喩(ひゆ)だ。

 彼の遺伝子と身体を受け入れられるように近しい遺伝子構造を持っていなければいけないが純粋な生き物ではない彼に近づけるとどうしてもこうなる。

 獣と人間の中間、獣人だ。

「すごく、いい匂いがする……! 雌か?」

「そうだよ。君の意思も考慮して研究所内部に設置されたモニターは全て停止している。どこでも君の好きなところで()()するといい」

「それは楽しみだ♪」

 本当に無邪気に成長したものだ。

 僕はその「狼」を残して部屋に戻る前にアンプルが並べられている部屋に寄ることにした。

「【悪夢の魔猫(キャス)】……」

 僕は恵まれているよ。

 最初の完成品であるフェンリルが繁殖を考え始め、第二の完成品である君の目覚めも近い。

 暴食の狼と破壊の猫。

 あとは君たちの力が証明されれば僕は目標に一歩だけ近づくことができる。

 期待という感情を圧し殺すように表情を消し去り僕は研究室へと戻る。

 別に僕は研究所内部に()()()()()モニターは全て停止したとしか言ってない。

 小型で見つかりにくい生物の視界をモニターに繋げるなんて簡単なことだ。

 そんなことも知らずに彼は始めるのだろう。

「僕の手で作られていても自然生殖が可能な生き物だということを証明してもらおうか…………ん?」

 起動すれば秒読みする間には映像が転送されてくるはずだが映し出される気配がない。

 自動追跡は稼働していたはずだが逃げられたのだろうか。

 そして、僕が違和感を感じると同時に警報器が騒がしく鳴り響いた。

 明らかに狙った行動だ。

 僕がフェンリルの警戒を解くために映像を切ったタイミングを狙って侵入してきた何者かがいるのかもしれないし、偶然タイミングが悪かったのかもしれない。

 さすがに約束した手前、モニターを映すのは危険だ。

 フェンリルは約束を忘れていたようで記憶にしっかり残していたのか、僕の「約束」の二文字にきちんと耳という過敏な部位が反応していた。侵入者があったとしても彼にとっては他人事なのだから約束を破ったことを重要視されてしまえば僕の信頼が落ちてしまう。

 警報が鳴った場所の位置は専用の機器に表示される。

 僕は自分の目で現状を確認することにした。

 それにしても少し前までいたフェンリルの部屋で警報がなるなんてどうなっているのだろう。

 答えは単純ではない。

「なっ! こ、これはフェンリルの血液なのか!?」

 現場は凄惨だった。

 あちこちに尋常ではない血の飛び散った跡があり、これが本人の血液なら到底、無事では済まないと理解できる範囲の出血量だった。

 しかし、彼の姿がない。

 危険を感じて逃げたのだろうか。

「いや、これは彼自身がやったのか」

 ふと思い出したように部屋の死角になっていた場所を確認しにいった僕は確信を持ってフェンリルの犯行だと言い切った。

 彼に与えた「狼」の死体が転がっているのだ。

 それを発見すると同時に今度は別の場所でも警報器が鳴り始め、研究室にしか表示する機器がないので確認しに戻るか少し迷いが生じた。

 だが、その必要はないとも内心、感じていた。

 嫌な予感がしたのだ。

 一人で危険な目に遭うこともある場所にいると危機察知能力というか、何かが起きるかもしれないという可能性を少しばかり考えるようになる。

 フェンリルにこれだけのことをさせたのは少し予想が甘かったかもしれないが……。

 僕が急いで予感の場所へ向かうとたしかにフェンリルはそこにいた。

 あえて予想が外れたことがあるとすれば彼自身もかなり深傷を負っていることだ。

 それに彼はキャスをアンプルから出したのかお姫様のように抱えている。

「何をする気なのかな。交尾のために与えたモノも殺してしまっているし君の重傷の理由も些か理解できないところがある。今から彼女をその場に置いて僕に事情を説明するならそれなりの配慮はするよ?」

「マスター…………いや、外道か。あんたなら知ってると思ったんだけどな。こう見えて俺が敏感なことくらい」

「…………脇腹や腹部のくすぐりに弱いことかい? それとも耳と尻尾、それから性器はどこを触っても同じ反応をすることかな」

「冗談はいらねえ」

 本当のことなんだけどな。

 君は極端にくすぐりに弱いし耳と尻尾は触っただけで女のようにビクッと震える。彼の性器を興味本意でつついた時も同様の反応が見られた。

 いや、それを否定するということは感覚の方か。

「もしかして触れられたことではなく言葉なども肌で感じるなんて言うつもりかい?」

「俺の耳は確実に言葉の違和感を聞いていた。俺の嗅覚は信じてもらえるか分からない不安から流れるお前の皮脂の匂いを確実に嗅ぎ分けていた」

「…………」

「本当は交尾もしたかった。どんな感覚なのか知りたかったし一人でするより断然気持ちいいだろうことは想像できてたから楽しみにしてたんだよ。でも、あんたが嘘を吐いてることが分かって嫌になった」

 だからって殺す必要はない。

 僕の前でするのが嫌ならば許可さえ求めてくれれば研究所から一時的に外へ出ることを許したのに、と僕はそこまで考えて彼がしなかった理由を理解した。

 僕が嘘を吐いたなら許可を求めても何をするか分からない。

 そう、最初から彼は信頼してくれてなかったのだ。

 正しいといえば正しいが僕にとっては目障りな話である。

「それに俺の身体にへんなもん埋め込んでやがったな。取り出すのすごい痛かったんだぞ」

「は、心臓付近に内蔵した発信器を壊すためだけに自分で怪我をしたのか!?」

「当たり前だ。俺は産まれた時からあんたを信じちゃいない。あんたの目的にだってあの日、初めて見た景色だけで十分に理解したからな」

 ここまでくると想定外なんて話ではない。

 もう彼は僕の考えうる以上のことをしている。

 いわば、僕にすら化け物のように感じているんだ。

「俺が力を発現したら、殺すつもりだったんだろ」

「どうしてそう──」

「思うんじゃない。絶対だ。ここにある膨大な数のアンプルが俺が無用になった時の次がいるって証明だろ! この雌だってそうだ!」

 あはは、そうか……。

「俺と同じように扱うつもりだったんだろ!」

 君は本当に……。

「挙げ句、雌なのをいいことに何度でも孕ませて産ませてお前のいいようにできる実験台を──」

 目障りな存在だよ。

「どこへでも消えればいい。僕は君を手放したくないけど君が望むなら仕方がない」

「は?」

「でもね、どうせ君は化け物なんだ。誰も受け入れはしないし、その見た目じゃ二度と交尾をしてくれる雌が見つかるなんてチャンスはない。君はここで生きる機会も、優しくしてもらえる機会も、愛される機会も捨てることになる」

 これで戻ってくると言ったなら拘束してしまおう。

 壊してもいいつもりで、子供を産ませてからやるつもりだった実験を全て、彼の身体を使ってやってしまおう。

 そう、考えていた。

 でも命懸けで反抗した彼が従うはずもない。

「一人でもいい! あんたなんかに利用されるために産まれたなら俺はここにいたくない!」

 彼はキャスを抱えて走り始めた。

 そうか、君は自ら死ぬことを選ぶのか。

「あえて心臓付近に発信器を忍ばせた理由までは気がつかなかったんだね」

 君は、この研究所から一定距離を出た時点で爆破する仕掛けを抱えているんだよ?

 これで終わり。新しく作らなければいけない、と僕は考えていた。

 しかし、それは甘かったんだ。


 ──現在、sideファング。

 あの状態から攻撃をかわした?

 こいつも大抵人間をやめているような気がする。

「まさか認識遮断障壁を見破るなんて……」

「お前に爆破されて生き残った俺だぞ?」

「化け物に拍車がかかると自ら化け物だと名乗るらしいね」

 あの時と同じだ。

 俄然俺が有利な状況にあるはずなのにまったく安心できない。

 それどころか身の危険すら感じている。

「お前の目的はなんだ! 何故ティナを殺そうとした!」

「ティナ…………ああ、あそこにいる【運命転化の女神(スクルド)】のことか」

「スク、ルド?」

「君は大量の本を読み漁っていたし知っているはずだよ?」

 たしかに記憶にはある。

 いつ、読んだ本なのかも覚えていないし、そもそもこいつに爆破されたという記憶すら急に戻ってきた記憶の一つだ。

 えっと、つまり爆破か何かの拍子に忘れたのか?

「運命、もしくは時の女神と呼ばれる存在だよ。さきほどの歌はルインズに固定していた人間の魂を永遠という時間軸から解放し、同時に君たちを襲っていた魔物を僕が操る前に戻したんだろうね」

「!」

「君は自分を殺すつもりなのか、と聞いていたね」

 それは、いつの話だ?

 爆破されるよりも、もっと前なのか?

「僕は権能を発現した者を殺し、その権能を回収するのが目的だよ。ほら、何とかしないとスクルドも死んで時を操る力が僕のものになってしまうよ?」

「シオンッ!」

 俺は後ろを向き治療魔法が一番得意な魔女を呼ぶ。

 一瞬のことだったがシオンはすぐに状況を理解し判断を決意したのか結界を張るのは中断し、すぐさまティナの元へ走る。

 俺はそれを確認し男の方を向き直す。

 しかし、姿がない。

 俺を殺すタイミングはあったはずなのに撤退した?

 いや、そめそも俺の再生能力は傷が侵食していくタイプの攻撃か一撃で消し炭にするような魔法でもないと破れない。

 そのため再生を止めることができるスクルドの権能を狙っていたのだろうが治されたら回収できないと判断して撤退したのかもしれない。

 なら、俺も戻るべきだ。

 シオンは俺が戻ると既に治療を完了していたらしく頷いていて、ウォーグは泣きじゃくりながら弱々しく目を開いたティナを抱きしめていた。

「お嬢! 何で先にいなくなろうとしてるんですか!」

「だって、みんなを困らせたら……責任はとらないと……」

「その必要はないさ。お前のしたことは戸惑いこそ与えたんだろうが悪いことじゃない。それに、何も分からないお前に誰かが入れ知恵したんだろう。歌えば誰も死ななくなる、と」

「でも私、何も覚えていないの……」

 そりゃあ覚えてないのも無理はないだろう。

 国一つに永遠に魂を繋ぎ止めるだけの力を使えば意識は途絶えるだろうし後遺症として負担は残るはずだ。

 今回は記憶だけで済んだだけましだと考えるべき。

「これでお前らのことは解決したな」

 あとは、と言って俺は口を閉じる。

 やはりノルンの姿が消えていて、俺はマスターと慕っていた男に裏切られて絶望していたあいつのことが気になってしまった。

 大丈夫、だよな?


     4


 その後、ルインズでは不可解な生まれ変わりは終結し、平等な死と、新たな命の芽生えが始まり、エレクにはティナ本人と、それをサポートするために寄り添うウォーグから説明が為された。

 魔物の襲撃は俺たちが食い止めたことになり、その後ルインズで開催される祭りでは歓迎されてエルも俺に自由にしていいと許可を受けてはしゃいでいた。

 まあ、俺はそう簡単にはいかないけどな。

 少しだけ記憶が戻ったこともあって化け物だった自覚がいつも以上にあるんだ。

 とても皆と騒げる気分じゃない。

 だから遺跡周辺から離れていて誰も人のいない所の木の下に寝そべって一人で溜め息を吐いていた。

「ファングさん」

 突如気配を感じて俺は振り向く。

「ティナか。ウォーグが泣いて暴れまわるかもしれないぞ?」

「大丈夫よ。俺はお嬢の側にいるだけの召し使い以下の存在だからお嬢が他の男性と居ても気にしないですから、とか言ってましたし。それに好きな男性ができたら捨ててもいいと言っていたから」

「それはちょっと」

「まあ、ファングさんが好きとは言いませんが」

「おい……」

 期待はしてないが言われると傷つくんだよ。

「感謝はしているわ。あなたのおかげでウォーグと居ても何も言われないし、自分の過ちに気づくことができた」

 そうかい、と俺は興味なさげに返事をした。

 だって俺はほとんどなにもしてないし変わろうと思ったのはティナ本人であり、それを考えると俺よりかは側にいたウォーグに感謝した方がいいと思う。

 何より今回はすごい頑張っていたからな。

「それでね、私……ウォーグと付き合おうかと思ってるの」

「あっそ。って魔物だぞ!?」

 俺とシオンが言えた義理ではないが人間と魔物が仲良くする分には批判もないだろうが付き合ったり、ましてや子供なんか作ろうもんなら間違いなく罰せられるだろう。

 だが俺の焦りは杞憂だったのかティナは落ち着いている。

 既に大丈夫という確証があるのだろう。

「ファングさんが別の遠い国から来た方だからそういう種族がいるのかも~、ってみんなも気にしてなかったわ」

「まじかよ」

「それにウォーグって魔物にしては大人しいでしょ? いつも私の着替えや湯浴みを手伝ってくれるけれど、その時に私の裸を見たり、触ったりしても平然としていて、それが許せないのよ」

「興味ねえのか~、ってことか?」

「そういうことよ! いくら召し使い以下だからって何か考えてくれないと私に何の魅力もないみたいでいやなの!」

 お嬢様として扱われるのも大変なんだな~、と他人事のように思う。

 まあ、付き合い始めたら少しは意識するだろ。

 普通は恋人の身体を見たり触ったりしたら少しくらいは意識するはずだ。

 そういうことだから、とティナは手を振ってふらふらしながら祭りの会場へと戻っていく。

 相変わらず身体は弱いままなんだな。

「とうっ!」

「うぐ!」

 何で一人になりたい時に一人にしてくれないんだ?

 いや、たしかに会いたいとは思ってたけどな…………ノルン、お前には。

 大丈夫とか聞いたら考えさせちゃうよな。

 こういう時って逆になんて言ってやればいいのか分からない自分がもどかしい。

 いっそのこと空気なんか全部ぶち壊して「急に腹の上に落ちてくるな!」って怒鳴るか?

「こうびする?」

「はっ?」

 そういえば執拗に交尾を迫ってくるから思い出したけど俺はノルンを以前にも、爆破されるよりも前に見たことがあるかもしれないことを思い出した。

 それこそ、俺がこの牙で喉笛を引き裂いた記憶がある。

 なんで殺してしまったのかは覚えていないが、その前には俺が交尾をする予定だった相手として連れてこられた所までは覚えている。

 なんで、今も俺に執着するんだろう。

 俺と同じで死体とあれこれ混ぜ合わせて作られたなら記憶が残っていたのかもしれないけど、だとしたらなおさら俺のことは軽蔑してもいいはずなのに。

「ノルン、ころされたことおぼえてる」

「っ!」

「あ、まって。おぼえてるけど、うらんでない」

 俺が振り払って逃げようとするとノルンは慌てて止めてきた。

 恨んでない?

「マスター……いや、あのひとにつれてこられたノルンにファングはりようされてるっていった」

「…………」

「おまえも、おれとおなじでいのちにぎられてる、って」

 ああ、なんとなく見えてきた。

 俺を爆破させたのと同じような装置がノルンの身体にも入れられていたのかもしれない、と俺は当時の記憶を思い出しながら聞いていた。

 それで、爆破されて醜い姿になるのは可哀想で、せめて、綺麗な顔のままで……と。

「ノルン、うれしかった。こうびしてこども、ふやすだけのノルンきれいだから、きれいなまま、どうぐじゃなくてひととしてしね、っていわれたの、うれしかった」

「……………………」

「あのひとにうらぎられたのは、とてもつらい。でも、ファングすきなのおもいだせた。もう、したがわなくていいから、ファングとすきにしていいから、つらくない」

 それは俺としても答えてやらないといけないわけだ。

 もうあいつに利用される心配はない。

 ノルンが爆破されることもなければ、こいつの望み通りにしてやれる。

そう考えたら知らないはずなのに身体が勝手に動いた。

 いつの間にかノルンと唇を重ねていて、舌を絡めていて、違和感なんてなかった。

 ノルンの身体に触れることに抵抗はなかったし、ノルンが俺の服を脱がして交尾を始めようとすることに何の躊躇もなく、あとは繋がるだけだった。

 と、そう上手くは事も運ばない。

「あっ、ご主人!」

 厄介なことに飼い猫が祭りに飽きたのか俺の所に来てしまった。

 もう俺も下を脱がされていたし気分が乗っていたこともあり慌てて止める素振りはできず、ノルンもそのつもりでいたから困惑して固まってしまった。

 あと一秒で交尾が始まる、そんな状態で俺たちは硬直していた。

「交尾? ねえ、見ててもいい?」

「だぁぁ! どっかいけバカ猫ぉ!」

「続けてもいいよ? ご主人の顔見てる。ノルンちゃんの声聞くから」

 そういう問題じゃない。

 飼い猫に見られててできるほど俺は肝が据わってるわけでも露出狂なわけでもない。

 俺はそんなことも分からない間抜けな猫の首根っこを掴むとどんな高さで、どれほどの速度で投げても着地できるとことを知っていたから祭りの騒ぎのある方へ全力で投げた。

 この飛距離ならこちらに戻ってこようなんて思わないだろ。

「ノルン」

「………………」

 ノルンの目が思いっきり潤んでいる。

 一度は残酷な死を遂げてやっと想いを遂げようという時に邪魔が入ったのだから泣きたくなるのは分からなくもない。

 俺としても一度くらい経験しておきたかった。

 何よりノルンを少しでも慰めてやるつもりだったのに。

「こ、こんど俺とデートしよう」

「で、デート?」

「そうだ、デートだ。今回は邪魔が入っちゃったし、お前も今のままじゃ納得いかないだろうから誰にも邪魔が入らない時に誰も居ないとこにデートしよう。つ、続きはそこで、な?」

「わかった。ノルン、ラプタにいるからすきなときにでも」

 まったく、少しは元気になったけどどっかのバカ猫のせいで余計な気を使わせたじゃないか。

「ファング~?」

 って、今度はシオンかよ。

「なな、なんだよ!」

「さっき女の子がいなかった?」

「い、いねえよ? 一人になりたくてここに居たんだし」

「まあいっか。さっきエルちゃんが空を飛んでたから何かあったのかと思ってね」

 あれが飛んでるのを見つけたのか。

 俺は思わず笑ってしまい、シオンが何があったのか問い質そうとしてきたがノルンのため内緒にしておいた。

 もちろん、このあと口が軽いバカ猫はシオンに目撃したことを報告しようとしていたので口止めしておいた。

 美味しいご飯お預けほどエルが恐れることはないからな。

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