1章 銀狼と猫
本当に無意味な人生だった。
すごい力を貰ったはずなのに、ただ働いて、稼いだ金で今日を食い繋いで、次の日も生きるために働く。
終わらない繰り返しの中を延々と続けていくだけのくだらない人生だった。
夢も、やりたいこともない。完全に力を持て余したものの末路を辿っていた。
それはもう、無意味としか言いようがない。一人この世界から消えても困らないみたいに、自分という歯車が抜けても世界は回り続ける。
だからこそ驚き、嘆き、騒いだ。
あの時は素直に喜ぶことも怒ることもできず、ただ慌てるしかなかったのだ。
現実から目を覚ましたばかりの自分には到底、理解しようもない一匹の人間が、誰からでもなく独りでに運ばれてきたのだ。
死を望んだからか。
力の意味を欲したからか。
ただつまらない人生に終止符を打つ何かを求めたからか。
理由も結論もない。
分かるのは、これが誰かの嫌がらせでもなく、神様が与えた好機でもなく、一匹の人間が自ら行動して変えた運命だということ。
「エ、エルをやしな…………………………飼ってください」
1
──一匹の人間と出会う前日。
「は? んな無茶な仕事あるか!」
大きな木箱を指定の場所に叩きつけながら俺、ファングは怒鳴った。
一応商品だから大切に、と慌てて駆け寄ってきた男は人間のレクセル。
このラプトという国の外で倒れていた俺を見つけ、投げ出すことなく回復するまで介抱してくれた物好きだ。大抵のやつなら声も掛けないで逃げ出してたはずなのに商人という職業柄か勇気がある。
というのも俺は、人間じゃない。
致命的だったのはラプトには一人も俺みたいなやつはいないらしい。
見た目が獣で二足歩行ならコボルトやタウロス、四足ならガルム等の魔物扱いをされるらしく、俺はコボルトにしてはガルムに近い見た目をしていたから新種かと思ったと言う。
実際に新種の魔物は騎士団に差し出すと多額の賞金が渡される。
「これなら騎士団に売り渡された方がましじゃねえか?」
「君が逃げ出せる自信があるのは分かったけど過ぎたことだよ。それに無茶な仕事とは言われても君以外に頼れなくてさ」
レクセルは木箱の中身を確認して安堵すると顔をあげる。
身体も細いし顔も怖いと思うやつは虫か鼠か程度の優男だ。これだけだと依頼はレクセルを馬鹿にした誰かが出したものと勘違いしそうだが否定しておこう。
こいつはラプト国内では右に出る者のいない商人だ。
どんな商品だろうとこいつが売れば価値が付くし、商売に関しては貪欲で、競争相手がどんなに強面なやつでも絶対に逃げたりしない。俺を拾った理由もレクセルの勇敢さがあったからと言っても過言ではないんだ。
つまり、こいつが依頼を突っぱねないのは成功する確証があるってことだ。
「君なら簡単だろ? 城に忍び込んで盗品を手に入れるくらい」
「隣街でパンを買ってきて感覚で言うな! お前は俺のこと友達扱いしてくれてるかもしれないけど他は違うんだぞ!」
「そんなことないよ。この前だって君を見た女の子が笑ってたじゃないか」
「あれは威嚇って言うんだよ。精一杯の『近寄らないでくださいオーラ』が分からないほど知識が無いのか?」
忘れもしないさ。
いつもみたいにレクセルの手伝いで接客を任された時に他国から来た客が不幸なことに女二人という組み合わせで、片方は意外と平気そうだったがもう片方は全然大丈夫じゃない。
ずっと俺の方を見ていたし目が合うとビクッと震えた。店を出るときには泣く始末だ。
もう俺は恋愛なんてできないと理解したね。
そんな簡単な話じゃない。人間と関わることすら細い糸一本で繋がった橋を渡るくらい危険な行為だと理解しなきゃいけないんだ。
レクセルが言ってることは間違ってないけど、俺は信じられない。
すぐに裏切る生き物だって、分かってるから。
「あれか、レクセルに迷惑掛けるくらいなら死ねるし丁度いい依頼かもな」
「おい! 簡単に死ぬなんて言うな。せめてイヤなことがあってこの世界から居なくなりたいなら僕に相談してからだ。知らないところで、死ぬなんて言うなよ」
「分かってるよ。家まで買わされたのに今さら死ねるかっての」
俺はレクセルの手から依頼書を奪い取って内容を確認する。
本当に死ねたら楽だったかもしれないが、簡単に死にたいと言えるほど、俺は何も知らないまま終われる気がしない。
この世界で俺だけがこの姿である理由を……………何故、記憶が失われていたのかを、知るまでは死ねない。
「対象は『獣狩りの剣』だと?」
「魔物の中でも特に野生感溢れる魔物を狩るのに用いられる剣だ。この近郊の森じゃ獣が少ないけど重宝されていた武具なんだ」
「何だってこんなものが盗品に?」
レクセルは椅子に座ると腕を組んで「そこが問題だ」と言う。
依頼を引き受けた本人が不可思議な部分をあやふやにしたまま引き受けたのだとしたら俺は手を引くべきだと即判断するぞ。
実際にはある程度想像はしていたようで、レクセルはいい意味で優秀だ。
嘘は吐けないし貪欲なまでに依頼や商品を詳しく調べる。
「この国では使われていないのにわざわざ他国から盗んできて城に献上した何者かがいる。目的は金か、身分かと考えたが微妙だったんだよ」
「価値はあるが献上して謝辞を受けとるくらいなら売った方が稼ぎがいい。身分だってその程度で上がらないってことか?」
「その通り。金が欲しいなら僕のような商人に売らせて一部を受けとればいいし、地位が欲しいなら猛威を奮ってる魔物を狩ればいい。そのどちらもしなかったということは目的がどちらでもないってことだ」
何が目的だ、なんて野暮なことは聞かない。
だってレクセルは全てお見通しとばかりに気持ち悪い笑みを見せているんだから。
「間違いなく誰かが君を殺したいんだろうね」
「全然面白くない冗談だ」
「大丈夫だよ。君が盗品を奪い返してくれれば『獣狩りの剣』は貴重な鉱石を使っただけの置物として販売するから」
こいつの相手を信じさせる言葉は巧みだ。
たとえ獣を狩るための剣でも高い鉱石が使われている、とか、厄除けの効果があるなんて言えば大抵の人間が信じる。レクセルの商人としての強みは商品に対する知識があるからこそできる信憑性なんだ。
だとしても、だろ。
自分を殺せる可能性のある武器に近寄りたいと思う奴がどこにいる?
破壊しろとかいう依頼なら遠慮なく暴れてもいいけど、持ってこいとなると難易度は格段に高くなる。
「もし捕まりそうになったら僕の名前を出したら即処刑は無いだろうから、いざとなったらそれも目処にいれてほしい」
「気が向いたらな」
実際そんなに簡単には友人を売れないさ。
レクセルは俺が嫌われてるなかで唯一、他とは違う扱いをしてくれた人間であって、それがある以上は俺の中では信頼がある。
つまり、そんな人間二度と現れないんだから大切にしたいってことだ。
とりあえず引き受けることにした俺はレクセルの店を出て暗くなり始めた外を歩く。
別にラプトの人間は嫌いじゃない。
けど、レクセル以外の人間が俺に向けているのは生物に向けるような目ではないとだけ断定することができる。
「ん? 随分と荒れてるね」
突然耳元で吐息と声が聞こえてくる。
「シオン! どこから出てくるんだお前は!」
すぐさま振り向くと手の届く範囲にはいなくて、少し離れた位置から俺のことを面白そうに見ている女がいる。
いかにもという帽子にローブ姿の魔女が。
「あなたの精神状況は分かりやすいね。今にも手当たり次第に人を殺して回りそうな雰囲気を感じたよ?」
「てめえを見たら余計にな」
「あなたのこと調べてあげてるのに嫌われる理由はないんじゃない?」
銀髪に魔女の装いをした女、シオンは納得できないのか不満げな顔をしながら背中を向ける。
いつも通りだ。
俺がシオンのことが嫌いだということを本人は知っているらしく、それを理解した上でからかってる。隙を見せて襲えるものなら襲ってみろ、と安い挑発だ。
当然、応えるつもりはないけど無視は難しい。
性格はアレでも身体はいい方だからな。
「どうせ魔物関連なら魔法に使えるとか考えてるんだろ?」
「もちろんだよ! あ、でもファングが不幸な事故で死んじゃったらの話であって今はちがうよ? じゃなきゃわざわざ調べたりしないよ」
「は? ありとあらゆる体液が必要だ~、とか言ってたけど本当に調べたのか?」
何のことかしら、とシオンは視線を逸らす。
誤魔化せる状況じゃないと分かっていない。何をされたのか俺自身が全部覚えているからだ。
「忘れたとは言わせねえよ。俺の舌引っ張って無理やり唾液を採取して、急にナイフで切りつけてきたと思ったら血液の採取されて挙げ句の果てに謝罪をさせてくれとか言うから家にあげてやったら如何わしいことして大事なモンも持ってっただろうが!」
まだ前二つは研究者の真似事だと許せた。
唾液は粘性や物を溶かす性質があるかを調べることで魔物寄りか人間寄りか調べられるし、血液からは他の生物との関係性を調べる上で重要になる。調べるとしたら真っ先に頭に浮かぶものだ。
だけど俺のアレは無関係だろ。調べる必要性がない。
「如何わしいって何よ! ファングも気持ちよくなれて私も研究成果得られたら問題ないじゃない!」
「たしかに気持ちよか…………って、研究成果?」
「はっ! ち、ちがうから! そ、そうだよ! あなたが子孫を残せるか調べてあげたんだよ!」
「余計なお世話だって……………………分かってるよなぁ?」
子孫を残す以前に俺と同じような見た目をした存在はいない。
存在していても似てるだけの魔物だ。魔物と番になって子供なんか拵えようものなら俺まで殺処分確定の逃亡生活が始まってしまう。
興味がないんじゃなくて許されないんだよ。
だからシオンのしたことは余計なこと。子供なんか望んじゃいけない身分の俺が子孫を残せるかどうかなんて関係ない。
「お前の身体で試してみるか? 相性はいいかもな?」
「う、嘘じゃないのに……!」
「………………………………」
泣きそうな顔をされても困る。
俺は調べてほしいなんて頼んでないし、仮にシオンの口から聞かされる研究結果が「不可」の二文字だったら本当に希望なんて無くなってしまう。
生きる自由どころか何も楽しみがない生涯だ。
これで、もしも俺が壊す以外に楽しみを見出だせなくなっても悪いのは俺自身と言われるんだろうな。
シオンは俺の少し悄気ている顔に気がついたのか申し訳なさそうに近寄ってくると顔を覗き込む。
顔立ちも身体に見合って悪くないもんだから間近に来られると少しは驚く。
「なっ、なんだよ!」
「別に私はファングのこと嫌いじゃないよ? だから、その……………ね?」
「?」
「試してもいいから、ね?」
何を言い出すかと思えば……。
「何も身体を売れなんて言ってねえよ。少しは俺の気持ちも考えろ、って言いたかっただけで……」
「ほんと、見た目に似合わず優しいよね」
「ひとこと余計だ!」
「あと普通の人間より過敏に反応するよね」
それは知らない。
シオンは涙を拭う素振りをすると「えへへ」とあざとい笑顔を見せた。
これがシオンのことが嫌いな理由だ。
普通は俺みたいな特殊なやつに愛想を振りまくこと自体、誰も考えないことなのにシオンは平気でやる。どんな相手にでもいい顔をしてると言えば大体あってる。
レクセルみたいに俺のことを友達感覚で呼び止めたりする分にはいいが一つだけ考えてほしいことがあるんだ。
お前は女だろ、と。
「ああ、そうだった。レクセルから依頼が入って城に入るから」
「城に、一人で、不法侵入?」
「言い方は悪いけど間違ってないな。戻ってくるのは明日の昼過ぎだから家に来ても居ないぞ」
ええ、と残念そうな声が聞こえる。
どれだけ懐かれても俺はお前の愛想に答えてやるつもりもなければ研究対象でいるつもりもない。
まあ、ただの友達ってんなら考えなくもないけどな……。
嫌いとは言ったけど悪いやつじゃないのは理解してる。
「絶対に無事で戻ってね。レクセルが泣いちゃうから」
「泣くのはお前だろ?」
どう考えても涙脆いのはシオンだ。レクセルはたぶん怒る。
そもそも俺も死にたくないし無事で戻るつもりだ。
何より城に忍び込んで『獣狩りの剣』を回収してくるだけなら戦うわけじゃない。使われる前に盗んでしまえば足は俺の方が早いからな。
そう、これは危ない依頼なんかじゃないはずさ。
2
城と聞けばラプトにある王城をイメージしやすいが、依頼にあった城は貴族が個人所有している城だ。
国内に城を所有すると位置から高さまで色々と指定をされてしまうので金に裕福な貴族たちは自分たちの自由にできる国外に城を持つのである。
「随分と豪勢な生活してるじゃねえか」
きっと美味い食事をして好きな女と遊んで楽しんでるんだろうな、なんて考えながら俺は城を囲うように作られた水路へと降りる。
あえて直接橋を渡るようなことをしない理由はもちろん、リスクを避けるためだ。
基本的に国外に城を所有した貴族は自由主義で何をしても文句を言われないようにしている。
例をあげるなら犯罪に近しい行為だ。
ラプトでは奴隷を保有することが禁じられているため、愛玩用の奴隷を持つためだったり、凶器的なやつだと人を殺したいからなんて理由もありえる。
つまり無法地帯ってことだ。
それを考えると城の中に兵士を入れるなんてことはないし、それで守りが手薄になるというわけでもない。
侵入者用に生物探知型のトラップを仕掛けるのが常套手段だ。
しかも性格が悪いことに魔法関連のものなので俺には解除することができない。
「やっぱり仕掛けてあるな。イヤな臭いがする」
生物の焼ける臭いと血の臭いが混ざっている。
ここまで徹底するなら水路の水嵩も泳がないといけないくらい高くすればいいのにな。
水量としては足先が濡れるくらいだ。
そんな水路を円周上をなぞるように進んでいくと城内へと流れる場所があり、俺はそこに備えられていた鉄格子を掴む。
「防腐加工はしてあるけど細すぎて話にならねえな」
元はといえば侵入経路にされるなんて考えなかったのだろう。
そこから入り込んだ俺は地下通路へと上がり、そこであまり見たくはなかったものを見ることになった。
「生きてる、よな……」
もはや人としても扱われていない数人の女だ。
どれも薄汚れたボロボロの布切れを纏っているだけで裸も同然の状態。先ほど考えていた奴隷という身分より遥かにひどい扱いを受けている。
しかも年齢も体格もバラバラだ。
「ここの主様はくそ最悪な性癖をお持ちのようだな」
一番若いのだと十も生きてないのから十分大人びている者もいるし、細いやつから女って分かりやすい体型のやつも居る。
趣味とかそういうレベルじゃない。どこかから連れ去ってきちかそういうレベルで集められたんだ。
しかし、俺には助けてやることもできない。
こいつらは心が死んでるから外に出してやると言っても虚ろに顔を上げるだけだ。ここから出たところで住むところも知り合いも居ない。
へたに手を出した方が地獄を見せる可能性があるんだ。
俺は心苦しかったが鎖に繋がれた奴隷をその場に放置して階段を上がっていく。
すると手前の木製の扉の裏から何か作業をしている音が聞こえてきて小さく隙間を作って様子を見る。
「!」
そこでの様子を見て俺はすぐに理解した。
先ほど見た女と同じような布切れを纏った幼い少女が床を拭いているのである。
下にいる連中は使い古された奴隷だ。使い物にならないと判断して捨てた奴隷が下で自然と息絶え、腐っていっていたのだ。
正真正銘のくず野郎だな。
堪えきれなくなり俺は扉を普通に開けて中に入った。
「だ、だれです?」
音で気がついたのか少女は俺に視線を向ける。驚きこそしていないが震えていた。
「何してるんだ?」
「そ、そうじです。ご主人様が綺麗にしろ、と」
「従う必要はあるのか?」
「…………」
なぜ黙る。
まだ幼いのに痩せこけているし服も渡されず裸同然で掃除をさせられて、それが普通だとでも言えるのか?
俺は少女の薄汚れた布切れを掴んでもう一度確認する。
「本当に、従う必要はあるのか? 顔色が悪いし睡眠もまともに与えられてないだろ。育ち盛りにしては細すぎるし、服だって俺が掴んだだけで腹が出るくらい惨めなものだ。そんなものしか与えない奴が本当に主なのか?」
「……………………」
「今すぐ城を出ていけ。入り口に仕掛けてある罠は外側からしか発動しないようになってる。城を出たら真っ直ぐ歩けばラプトに行けるから」
俺は少女から手を離すと逃がした。
おそらく、過去に逆らおうとして痛い目にあったのだ。微かに男の匂いが少女の身体からしていたし、きっと怖い思いをしたんだろう。
でも、俺が理由を与えた。
人間じゃない。クズな主人よりももっと怖い化け物が逃げなければいけない理由を与えたんだ。逃げたところで責められることはないし、少女も気に病まずに済む。
彼女が出ていったのを確認した俺は次にどう行動するべきか考えた。
ここの主は確実に殺す。それは確定としてどこを探せば見つかるのか分からない。
「侵入者?」
背後から小さな声が聞こえた。
すぐに振り向いたが既にそこには姿がない。シオンよりも明らかに早い移動速度だ。
だが相手が悪かった。
俺はほぼ獣に近いから嗅覚が鋭いから視力を奪われたとしても探すことは易い。
「そこだっ!」
「にゃっ!? は、早い……!」
そういうお前も十分早いさ。
一度俺を飛び越えて背後を取ったから攻撃しようとしていたらしいが、そこに俺の足が飛んできて咄嗟に回避した。たぶん普通の人間なら直撃する軌道だったはずだ。
つまり、そうとうな手練れである。
でも俺としては気になることが他にあった。
「女、だよな」
「手加減、無用。死にたくないなら、帰って」
「はいそうですかっていかないんだよな」
たしかに動きが早いが力が弱いし匂いが分かりやすいので位置がすぐに分かる。
次にそいつが俺の首横をナイフを持って通り抜けようとした所を何かを掴んで捕まえた。
「ぎにゃっ!」
殺し屋とかなら気配と殺気は消さなければいけないのはもちろんだが捕まれる可能性のあるものを身に付けるのは危険だと分かっているはずだが……?
「尻尾?」
「は、離して! 痛い! 尻尾、痛い!」
「分かったから暴れるな」
別に命を狙ってきた女なんだからどこ掴んでも文句を言われる筋合いは無かったはずだが、さすがに俺も尻尾を捕まれて吊り下げられたら千切れそうなくらい痛いのが分かるので離してやる。
もちろん逃がすわけではなく両手を掴んで拘束した。
そうしてやっと殺し屋の姿をはっきりと見ることができた訳だが、親近感がある気がした。
頭には三角の耳があるしお尻には尻尾がある。
先ほど掴んだから偽物ではないことは明確で、そうなるとこいつが人間ではないということでもある。
「さっきのやつと歳は変わらないくらいだよな……」
「ふにゃ…………不覚」
「ここの貴族の娘ではないな。でも、着てる服はいいものは上質な物か。奴隷は布切れの下は裸だったのにこいつちゃんと穿いてるし贔屓されてるのか?」
疑問はいくつか浮かんでくる。
いや、まず何より俺に立ち向かってきたことと素早い立ち回りについてが気になるところだ。
「お前はなんだ?」
「にゃ?」
「さっきまで人間の言葉で話してただろうが! 今さら猫のフリしても無駄だぞ」
ほんとに変なやつだな。
まあ動作とか何を見ても猫にしか見えないので猫と呼ぶことにしよう。
猫は両手を使えない状態にあるため、俺の期限を損ねることは何の利益にもならないと理解して一応、質問に対する答えとしては正しい言葉を返してくる。
「雇われた。でも、負けたから用済み」
「つまり侵入者があったら死ぬ気で戦えと? 年端もいかない女を雇ったのか?」
「あの人そういうの気にしない。幼女好き。だから幼女でも性的な奉仕させる。数年で捨てる」
雇われた側に散々な言われ方をするくらい最低な人間だってのは十二分に分かったよ。
さっきの少女も使われる側。あと一、二年で地下の連中のように捨てられたかもしれない。
それ以前に猫も捨てられるという話だ。
俺は抵抗できない猫の頬を指でつついたり匂いを嗅いだりして色々と確認する。
「なるほどな。で、あとは言っておきたいこととかあるのか?」
「………………………………って」
「わりぃ。耳は悪くない方だけど聞き取れなかったからもう一回言ってくれるか?」
何か躊躇っているのかすごい小さい声だった。
猫は俺の返答に顔を赤くしてもう一度、今度は何度も深呼吸して大切な言葉のように絞り出す。
「エ、エルをやしな…………………………飼ってください」
「はい?」
唐突すぎて理解に苦しむ。
話の流れからしてエルというのは猫の名前なのだろうが、その後の言葉がいまいち俺の頭じゃピンとこないんだよな。
養う、とか、飼う、とかどういう意味だ?
「エル、負けた。用済みになる。それだとたぶん、エルも気持ち悪い人、遊ばれる」
「もっと分かりやすく言ってくれないか?」
「殺し屋として役に立たない。だから今度は玩具にされる」
つまり?
たったの一回負けただけで契約が破棄されて奴隷のように雑用を押し付けられて夜にはベッドの上で好きでもないやつに抱かれることになると、そういう意味か?
俺は顎下のやや長い毛を撫でながら考える。
はっきり言って猫の主人は殺すのが確定しているし、それで契約が破棄されていようと猫は自由になれるのだから誰かに媚びを売る必要はないはずだ。
なのにわざわざ俺にかってもらう必要性は?
「こんな見た目だから嫌われる。すぐ、捨てられる。飼ってくれるなら、何でもする」
「………………………………」
おかしいな、情が湧いてしまった。
猫は俺と同じで普通じゃない見た目をしているから性格とか何も考えずに化け物扱いを受けて放り出されてきたんだ。こに雇われたのも人手が欲しかっただけ。
つまり、どんな扱いをされる場所でもしがみつかなければ猫には居場所がないんだ。
俺も同じだった。
きっとレクセルが俺のことを友達として歓迎してくれなかったらどこにも居場所は無かったし、今の生活もない。余裕が無くなったら今の俺もいない。
誰かが猫の支えになってやらないと一人で死んでいくだけの人生になる。
俺は猫の不安そうな目を真っ正面から見据えて最後の確認に質問する。
「養うじゃなくて、飼うでいいのか?」
「それでいい。生活できる場所があれば。あと同じ境遇っぽい人、エルを可愛がってもいい」
「さ、さすがに自分より身体が小さいやつを使う気にはなれねえよ。まあ、お前が飼われるでいいなら飼ってやる。大切にはしてやるから安心しろ」
「ん」
猫は俺の答えを聞いて満足したのか喉を鳴らす。
さっきまで襲ってきたとは思えないほど今は猫が大人しすぎて可愛らしくさえ思えてきた。
と、話してる場合ではない。
俺の任務は『獣狩りの剣』を回収し、理由は何れにしても犯罪紛いのことを重ねてきた貴族の命をちょうだいするまでが内容だ。
「じゃあ、お前の所有権を譲ってもらうから先に外で待っててくれ」
「寒いから、早く」
まったく、と悪態を付きながら俺は城主がいるであろう上の階にある大きな部屋を探しに行った。
3
「さあ、こっちへおいで」
部屋は見つけたんだが中でのやりとりが気になって俺は入るタイミングを逃していた。
俺が来る少し前に相も変わらずぼろ布を纏った女が部屋の中へと入るのを目撃してしまい、巻き込みたくないのと何で呼ばれたのか気になって入り損ねたのだ。
ほら、現行犯って言うだろ?
確実な証拠がないのに殺したら俺自身がただの快楽殺人者とか不名誉な肩書きをもらうことになるからさ。
下心とかじゃないぞ?
とか何とか誰に対してか分からないまま言い訳をしていると中では動きがあった。
「ふむ、なかなか悪くない反応だ。今日は君が楽しませてくれると信じているよ」
「だぁぁ! 堂々と卑猥な話するんじゃねえ!」
「な、なんだ君は!」
なんだ、じゃない。
俺が扉を蹴破って入ってみれば既に女はぼろ布を剥がれてるし、殺そうと考えていた男も準備万端とばかりの状態になってたんだ。
未経験者としては目の前で始められたら負けた気になるから嫌なんだよ。
まあ、何がとは言わないけど勝ってることは勝ってるけどな。
「くっ! 仕事をしたまえエルピス!」
「エルピスって猫のことか? あいつなら今頃ここから出てるはずだぜ?」
「使えない女だ。貴様を片付けたら雌としての教育が必要なようだな」
やっぱりか。
少なくとも奴隷のことを大切に思ってるやつではないだろうと考えていたが、まさかただの性処理道具としか見てないなんて男として認めたくないな。
そんなやつに飼わせるには惜しい猫だ。
「悪いけど猫は俺がもらうわ」
「ふざけているのか? あいつは私が大枚はたいて買った殺し専門の女だぞ」
「何でも金で解決すると思うなよ?」
俺の威圧に男は言葉を詰まらせる。
「たしかに殺し屋としても優秀。雇うという考えは猫に仕事を与える意味でも正しい。けどな? 雇うのと道具みたいに扱って切り捨てるのはちょいとちがうんじゃねえか?」
「ふっ、化け物風情が。何が言いたい」
金持さんよ…………あんたは言っちゃダメなことといいことくらい分かる男だと思ってたよ。
控えめに言って大嫌いだよ、あんたのこと。
「残念だけど殺し屋も奴隷も生き物なんだよ。しかも言葉は話せるし、意思がある生き物だ」
「売り買いされている者に意思も何もあるまい」
「そうか、分からないなら教えてやるまでもねえな。許可をとるまでもない。猫は俺がもらう。そして、あんたの命ももらってくことにした」
俺もとんだお人好しだよな。
何回も殺すと言っておきながら結局のところ何回も相手にチャンスを与えて、それで勝手に絶望してる。
でも、もうお前にゃチャンスを与えられない。
雇われてるとはいっても猫には心が残ってるから他の奴隷が自分と明らかに差のある扱いを受けているのを見て不安を募らせてたんだよ。
自分もいつ同じになるか分からないって。
俺は男が側に置いてあった銃を拾って突きつけてくる前に距離を一気に詰めて胸ぐらを掴み持ち上げた。
なんて軽い命なんだろうな、貴族さんよ。
「わわ、分かった! エルピスはくれてやるから許してくれ!」
「生憎と俺は貪欲なんでね。猫ももらうしあんたがどっかの国から盗んできた『獣狩りの剣』ももらっていくし、グズで迷惑な生き物の命も欲しいんだ」
こんな人間の骨なんて簡単に砕ける。
俺は拳を握ってせめて、一瞬で意識が飛ぶように頭蓋を粉砕した。
幼女を奴隷にした上に保有し、人間として扱わず、他国から武器を盗み、簡単に命を切り捨てた。罪を数えたらキリがないから死んで正解だと思う。
と、俺は一つだけ忘れ物に気がつく。
「そういえば『獣狩りの剣』はどこにあるんだ?」
こんだけ広い城から探すとなると一日費やしてしまう。
「ご主人、こっち」
「猫! 何でまだ居るんだ」
猫は潤んだ瞳で俺を見上げる。
なるほど、一人だと外は本当に寒くて耐えられないから戻ってきた、って顔だな。
仕方ないというか、都合がいいので猫に案内してもらい、その間に話をした。
ちゃんと所有権をもらったこと。
俺はちゃんと飼ってやるという意思表示とかも。
「ご主人、エルは猫じゃない。エルって呼んでほしい」
「エルピスじゃダメなのか?」
「……………………ご主人は特別。エルの大事な大事なご主人。だからご主人はエルって呼んでほしい」
ああ、そういうことか。
主従関係というか、俺に飼われる立場になったから少なくとも他の誰かよりは信頼していて、特別視したいのか。
たしかに愛称で呼んでやるくらいはいいかもしれない。
「エル」
「にゃっ!?」
「呼べって言ったやつが何でビックリしてんだよ」
ちがう、とエルは首を左右に揺らす。
何が、と聞こうとしたらか細い声でエルが先に答えたが俺もそれを聞いて少し恥ずかしいと感じた。
「ご主人、エルって呼んでくれたから。嬉しくてざわざわする」
急に甘えてくるやつがいると変な気分だった、
でも、そんなエルが可愛くて、きっと俺は今後も手放せなくなってしまうんだろう。
その後、俺とエルは宝物庫の中から『獣狩りの剣』を見つけ出すと城に残っていた奴隷たちを解放し、それからラプトへと出発した。
当初の予定通り昼頃には戻れるだろう。
新しい家族を連れて…………。