第三十六話 エスペランスの地へ
アランは学園の医務室で目が覚めた。ベッドの上に寝かされている。目を開けると、アランの予想どおり、リュセットがベッドの隣で椅子に座っていた。
「この状況は二回目ですね」
「アランさん、お目覚めになりましたか。
魔力を全て使い果たしたようですが、お身体は大丈夫ですか?」
アランは上半身を起こしながら答えた。
「全身倦怠感がひどいぐらいですね。大会はどうなりました?」
「アランさんは棄権扱いになり、
ウジェーヌ様が代わりに決勝まで進みました」
「ってことはあいつが優勝したのか……」
「確かにウジェーヌ様は決勝で勝利したのですが、
優勝は辞退されました。
自分は準々決勝で一度敗北しているから、
優勝の名誉を受け取るわけにはいかないと」
「そうですか。律儀なことで」
リュセットは、アランの優勝に執着のなさそうな口ぶりに疑問を思った。
「優勝を逃して……、悔しくはないのですか?」
「僕の目標は、はなから優勝なんかではなくて、
ウジェーヌに勝つことだけでしたから」
アランは満足そうな笑みを浮かべた。
「そうなのですね。
そう言えばアランさんがお休みになっている間に、
ウジェーヌ様がいらして言伝を頼まれました。
今回の真の優勝者は君だ、ただ次は私が勝つ――、と」
「望むところです。返り討ちにしてやりますよ」
「ふふっ、アランさんとウジェーヌ様は、
良いライバル関係と言ったところでしょうか」
「とんでもない! お互い毛嫌いしてるだけですよ」
「そういうことにしておきましょう」
リュセットは嬉しそうに微笑んだ。そして顔を少し紅くして付け加えた。
「アランさん。その……、
大会でのアランさんのご活躍、かっこ良かったです」
照れくさくなって、アランも顔を赤くした。
「あ、はい、その、ありがとうございます」
若い二人は恥ずかしがって、しばしの間、沈黙が医務室を支配した。ただ、そこに気まずさはなかった。
「ところで、アランさん。
わたくしからちょっとしたご提案があるのですが」
リュセットが沈黙を破る。
「はい、何でしょう?」
「夏休み、もしよろしければ家にいらっしゃいませんか?」
「家って言いますと……」
「エスペランス領の、エスペランス公爵邸ということです」
アランは、湖の竜にエスペランスにある大賢者の塔を訪れるように言われたことを思い出した。シロは大きくなっていないから、まだ早いだろうが。
「アランさんをお父様に紹介したくて」
えっ? それって、その、そういうこと?
アランの表情を見て、何を考えているかを悟ったリュセットは、再び顔を紅くして慌てて付け加える。
「お友だちとして」
アランは肩を落とした。それはそうだろう。そもそもウジェーヌが婚約者候補の一人である以上、アランの考えすぎだった。
「いかがでしょうか?」
リュセットは期待を込めて、灰色の瞳でアランを見つめる。
「大賢者の塔近くで見てみたいですし、
せっかくですからご一緒させていただきます」
安心した様子でリュセットは微笑んだ。
「そうと決まりましたら、いろいろと準備が必要ですね。
お父様にお手紙を書いて、大きめの馬車を手配して、
それから、それから……」
リュセットは楽しそうに旅の準備のことを話し始めたが、あっと声を上げると急に中断して、申し訳なさそうな顔をアランに向けた。
「わたくしとしたことが、
お話に夢中ですっかり忘れておりました。
今、学園のホールでは武術大会の打ち上げパーティが行われています。
アランさん、参加されたいですよね? 大会の主役のお一人ですし」
「いえ、ここでリュセットさんとお話している方が良いです」
「もう、アランさんったら。ミュリエルがアランさんを危険視するのも、
あながち間違っていないのかしら」
それから二人は、ミュリエルが迎えに来るまでおしゃべりを続けた。アランは知らなかったが、ミュリエルは気を利かせて、二人きりで話せるように都合をつけてくれていたのだった。リュセットがアランを招待するのを応援するためだ。
リュセットたちが医務室を後にすると、アランも自室へ戻った。今回は食堂に寄って、腹を空かしたシロにやる肉を貰うのを忘れなかった。
竜の地と呼ばれる大山脈地帯。そこにある隠し洞窟の奥深くで、一人の老魔術師が重要な知らせを持って黒騎士に謁見していた。
「エミリアン様。
例の少女の件ですが、身元が判明致しました。
エスペランス公の一人娘とのことです」
「エスペランス公の、か。
なるほど、並外れた魔力を持つ理由もうなずける」
「学園の夏季休暇で、エスペランス領に戻るとの
情報を掴んでおりますが、いかが致しましょう?」
「この機会を逃す手はない。
捕らえて、私のところまで連れて来い。
その娘は魔法剣デュランダルの贄として必要だ」
「承知致しました。
娘の侍女に『水聖』がおりますが、そちらはどうなさいますか?」
「『水聖』が娘の侍女をしているか。それは少々厄介だな」
黒騎士は口をつぐんだが、すぐ言葉をつなげた。
「魔術師たちを使え。
いくら『水聖』とて、数で攻めれば抑えられるだろう。
可能であれば『水聖』も捕らえて、
娘とともに私のもとまで連れて来い。
無理であれば『水聖』の方は殺して構わん」
「かしこまりました、エミリアン様」
老魔術師は一礼すると、エミリアンの前から立ち去った。
卒業式、そしてその後のパーティを持って、魔法学園の学年度は終わりを告げた。
アランは家族宛の手紙をしたためた。自身の近況と、夏休み中はエスペランス公にお世話になる旨を伝える手紙だ。
シルヴィは、夏休みに故郷のフォレ・ノワールに帰ることになっていた。
「夏休み中もしっかり魔法の勉強するんだよ」
見送りの際、シルヴィ先生はアランに釘を刺すのを忘れなかった。ちなみにアランはリュセットの家でお世話になることはシルヴィには伝えていなかった。リュセットから学園の生徒には言わないようにと頼まれていたからだ。
剣術の講師の仕事の方は夏休み中、お休みをいただくことにした。本来であればアランの仕事は、道場主ジェフの骨折が完治するまでの契約だった。だが、ジェフと道場生たちの強い要望があって、アランが学園在籍中は、講師の仕事を続ける契約に切り替わっていた。
「アランくん、出発するよ」
出発日は天気の良い清々しい朝だった。ミュリエルが手配した豪華な馬車に乗り込む。馬車内ではルージュを膝にのせてリュセットがくつろいでいた。アランはリュセットの隣に腰掛ける。
「ようこそ、アランさん、シロちゃん」
カバンの中から顔を出してシロがリュセットとルージュにぴーと挨拶をする。アランの後にミュリエルも乗り込んで来た。
「こら、アランくん! リュセット様の隣は私! アランくんは前!
でないと、アランくんの手がリュセット様に伸びた時、
私が引っ叩けないでしょ!」
ひどい言い分だと思いつつも、アランはミュリエルに席を譲った。そして目の前の少女二人に向き合う。
「リュセットさん、ミュリエルさん。
これからしばらくの間、よろしくお願い致します」
リュセットが優しく微笑んだ。
「では、出発するとしましょう」
リュセットの指示を受けて、ミュリエルが御者に合図を送る。馬車はゆっくりとエスペランス領へ向けて動き出した。そしてアランたちは学園を後にした。




