第二十九話 サン=ジョルジュ教授
霜月の二七の日。昼食を終えて自室で魔法の勉強をしていると、部屋をノックする音が聞こえた。
ん? 誰だ、休日のこんな時間に尋ねてくるのは? 心当たりなど全くない。ありそうなのは、シルヴィくらい。
「はいー、どちら様でしょう?」
ドアを開けると、そこにはリュセットが笑顔いっぱいでアランを待っていた。気のせいだろうか。少々めかしこんでいるような。肩には竜の子供ルージュが入ったカバンをかけている。
「リュセットさん! どうしたんですか、こんな休日の昼間に」
「竜を研究されている教授にお会いするお話、本日はいかがかと思いまして」
そこまで言うと頬を染めて、急いで付け加える。
「もともと教授とは今日お会いする予定でしたので、
アランさんもご一緒にどうかと」
「そうですね、せっかくですからご一緒させていただきます」
「良かった……。ありがとうございます」
「シロ、出かけるぞ!」
アランのベッドでピョンピョンはねて遊んでいたシロは、名前を呼ばれるとアランの足元に駆け寄ってきた。
リュセットはかがんでシロに挨拶する。
「こんにちは、シロちゃん。今日はルージュと遊んであげてね」
きゅーと鳴いてシロは返事をした。ルージュもぴーと鳴いて自分の存在をアピールする。アランは魔法剣ジョワユーズとカバンを取って外に出た。
竜に詳しい教授――サン=ジョルジュ教授の研究室は裏庭の外れにあるらしい。研究室に向かう途中で、何人かの生徒にすれ違ったが、皆驚いた様子だった。ここまで堂々とアランとリュセットが一緒にいるのは、学園では初めてだった。
学園で二人きりで行動するのも初めて……。ん、あれ?
「リュセットさん、今日、ミュリエルさんは?」
「用事を言い渡して城下町に行っています。
今日アランさんとご一緒なのは、
ミュリエルには言っていないので、
内緒にしておいてくださいね」
リュセットがいたずらっぽく笑う。
なんだって! 道理で急なお誘いだったわけだ。本人に二人きりでいたと知られたら、殺されそうだな。僕が。
「はい、絶対、黙っておきます!」
リュセットに先導されて、アランは中庭を抜け、裏庭に出た。サン=ジョルジュ教授の研究室は、小さな石造りの家だった。
「サン=ジョルジュ教授。リュセットです」
ドアをノックしながら、家の中に向けてリュセットが声をかける。ドアが空くと、高齢の老魔術師が扉を開けた。老眼鏡をかけていて、背はリュセットと同じぐらいだった。髪もひげも真っ白だった。
「これは、姫様。ようこそいらっしゃいました。
おや、そちらにいるのは?」
「以前お話しておりました、アランさんです。
竜の子供を連れたもうひとりの生徒です」
「ああ、姫様の想い人でしたかの?」
「ち、違います!
アランさんとはそんな関係ではありませんから!」
そんなに全力で否定しなくても……。アランは少し悲しい気持ちになった。
「まあまあ、そんなに怒りなさんな。
立ち話もなんですから、お入りください、姫様。
そちらのシャルルさんも」
名前はアランなのだが、リュセットの話、聞いていなかったようだ。
研究室内は見渡す限り書物の山だった。暖炉はなかったが、不思議と室内はとても暖かかった。アランとリュセットはカバンから竜の子供を出してあげると、二匹は一緒になって遊び始めた。
「今お茶を淹れますから、おかけになってお待ち下さい」
「いえ、教授こそお座りください。お茶はわたくしが淹れますから」
リュセットは貴族の令嬢とは思えない手際の良さで、お茶を用意し始めた。アランと教授はソファに座った。
「シャルルさんは、白い竜を連れておるのですな」
「あの、僕の名前はアランです」
「いいえ、あなたのお名前はシャルルですぞ」
微笑みながら教授は返答した。もうどっちでもいいや。アランは正しい名前を覚えてもらうのは諦めた。
「サン=ジョルジュ教授は、
竜の研究をされているとリュセットさんから伺っています」
「ほほっ。ネウストリア王国で、
竜研究の第一人者だと自負しておりますわい」
リュセットが三人分のお茶を持ってきて、アランの隣に腰掛ける。リュセットとの距離の近さを感じて、アランはドキドキした。リュセットも近すぎることに気付いたのか、姿勢を正した際に、少しアランとの距離を開けた。教授はそんな二人を微笑ましそうに眺めていた。
「教授はもともとこの学園の学園長でしたのですけれど、
竜の研究に打ち込むために、
その役職をアンリ学園長に押し付けたそうです。
それぐらい、竜がお好きなのだと」
「かつて人と争い、人を滅ぼしかけた、強大な魔力を持つ生物。
興味は尽きないのう」
これはせっかくの機会だと思って、アランは長年ずっと疑問に思っていたことを、アランは教授にぶつけてみた。
「シロは僕が幼い頃から、全く成長していないのですが、
竜はどのぐらいで大人になるんですか?」
「大体、一五年ほどと言われているの。
ただし、人里で人と共に生活した竜は、
月日が経っても見た目は成長しないようの。
昔、学園にいた生徒の竜もそうじゃった」
「それは、不思議なことです」
「普通に成長してしまったら、人と共に生活できないからの。
環境に合わせておるのじゃろう」
「でも、それでシロは大丈夫なのでしょうか」
「心配せんでもよい。竜は他の生物とは異なる生き物。
成長していないように見えても、
その分の魔力はその身に貯め込んでおる」
そういうものなのか。長年疑問に思っていたことが解決し、シロにも得に問題なさそうなことが判明して、アランは一安心した。
「わたくしからも質問があります。
今までわたくしが出会った竜の子供は、
シロちゃんとルージュだけです。
それほどまでに竜の子供は少ないのでしょうか」
「そのとおりじゃ。
竜の子供の存在を感知できるほどの魔力を持つ姫様。
その姫様ですら今まで二匹しか会ったことがない事実が、
そのことを裏付けておる。そもそも竜自体の個体数が少ないからの」
「そう、なのですね」
「竜は月日の流れと共に、徐々に個体数を減らしておる。
この世界から消えていなくなるのも、時間の問題じゃろうて」
「そんな……」
思わずリュセットは声をあげる。アランも思いがけない事実に言葉がでなかった。
「わたくしたちで、どうにか止めることはできないのでしょうか?」
「僕もできることがあれば、何でもお手伝います!」
「希望は既に潰えた。もう無理じゃろう」
重々しい空気が流れた。楽しそうにじゃれ合うシロとルージュの鳴き声が聞こえる。
「これも自然の摂理。致し方ないことよ。
シャルルさん、他にわしに聞きたいことはあるか」
アランは一旦、事実から目を背け、別の質問を教授に投げた。シロたちがいなくなるって言っても、今日、明日の話ではない。遠い未来のことだと自分に言い聞かせて。
部屋の空気は再び明るくなり、好奇心に溢れた生徒二人が教授に質問して、教授がそれにわかりやすく回答する学びの場となった。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。ドアをノックする音でアランたちは既に外が暗くなっていることに気付いた。
「リュセット、迎えにきたわよ」
ミュリエルの声だ。アランとリュセットは顔を見合わせる。隠れる時間もなく、アランは観念した。それからしばらく、教授が微笑ましそうに見ている中で、アランとリュセットはミュリエルからお説教を受けることになった。
リュセット様は王族としての自覚が足りない――、
お目付け役の私に内緒で、男子生徒と会うなど言語道断――、
この悪い虫が――、
リュセット様に手を出したら、命だけじゃ済まさないわよ――、などなど。
最後は教授が場を収めて、アランたち教授の研究室を後にした。
「また、遊びにおいで」
そう言ったサン=ジョルジュ教授は、とても満ち足りた様子だった。
アランたちが去り寂しくなった研究室で、サン=ジョルジュ教授は物思いに耽っていた。
「あのシロと言う名の竜の子供。
シャルルの名を持つ少年が連れているということは、
竜神様はあの少年に希望を託した、ということかのう……。
じゃが、彼女はその後に起こったことを知らぬ。
いや、むしろそれで良かったのじゃろう。
希望が途絶えるのを見るのは辛いことゆえ……」




