第二十八話 魔法ギルド
アランは魔法区の魔法本部前にいた。朝の冷え込みは強いが、空気は澄んでおり天気は良かった。シロはカバンの中で二度寝している。
アランから少しはなれたところに、ウジェーヌが立っている。今日は休日だが、二人は私闘の処罰を受けるために魔法ギルドまで来ていた。
両者は一言も発さず、お互い存在しないかのように振る舞っていた。傍目から見ても、空気が重いことが分かる。
二人はベルナール先生を待っていた。毎朝の稽古でベルナール先生が遅れることはまず無いので、アランは先生がわざと遅れているのではないかと勘ぐっていた。約束の時間から四半刻ほど経って、やっとベルナール先生が現れた。
「お前たち、待たせたな。
ん? お前さんたち、俺を待っている間ずっと、
そうやってお互いだんまりを決め込んでいたのか」
ベルナール先生は大きなため息ついた。
「凄腕の剣士さん方たちも、所詮はまだまだ子供か……。
まあ、良いだろう。いいか、昨日通知したとおり、
お前さんたちには私闘の処罰として、今日丸一日、
魔法ギルドで資料の整理の手伝いをしてもらう。
しっかり反省しながら、仕事に励むんだぞ」
「……承知致しました、先生」
「分かりました、ベルナール先生」
「よろしい。では、ついてこい」
二人の返事を満足そうに聞くと、ベルナール先生は本部に入っていく。ウジェーヌとアランも続いた。
魔法ギルドの本部は、石造りの高い建物で塔のような作りになっている。建物内は日の光がどの時間でも差し込むようになっていて、内部は想像していたよりも明るかった。
一階の待合室では、貴族や商人などの依頼人が数名、座って自分の番号を呼ばれるのを待っていた。本部に直接依頼を出すだけあって、豪華そうな身なりをした人しかいない。
ベルナール先生は受付の女性魔術師に挨拶すると、向こうも挨拶を返してきた。本日の要件は当然伝わっているようだ。先生はそのまま上階への階段を登って行く。アランたちも後に従った。
二階、三階と登って、四階でベルナール先生は登るのを止めて、二部屋あるうちの、階段近くの部屋に入っていく。階段の作りからあと一階は上にありそうだとアランは思った。
部屋は執務室になっていた。三十代半ばぐらいだろうか、落ち着いた雰囲気の女性魔術師が、何やら資料を読んで押印する作業を繰り返しているようだった。
「ああ、ベルナールかい。別件があるから、今晩は飲めそうにないよ」
魔術師は資料から目を離さずベルナール先生に声をかけた。雰囲気と異なる言葉遣いにアランは度肝を抜かれた。
「そいつは残念だ。だが今日来たのは飲みに誘うためじゃないぞ」
女性魔術師は初めて顔をあげた。アランとウジェーヌに目を向ける。彼女が眼鏡をかけていることに、このときアランは初めて気付いた。
「ああ、そう言えば、馬鹿をやらかした生徒が二人、
資料の整理を手伝ってくれるって話しだったね」
馬鹿呼ばわりされて、ウジェーヌの顔が若干歪む。
「私はフィオナ・デュラック。
魔法ギルドの副ギルドマスターを務めている者だ」
副ギルドマスターは立ち上がると、アランたちに自己紹介をする。歪んでいたウジェーヌの顔が驚きに変わった。
「フィオナ・デュラック……。
元『水聖』が、今は副ギルドマスターなのか……」
「ほう、私が『水聖』だったことを、坊やは知っているのかい。
ってことは、あんたがサフィール家の跡継ぎだね。
そっちの黒髪は、話題になっている竜の子連れの生徒か」
フィオナは、目ざとくアランのカバンの中にいるシロに気付く。
あっ、尻尾だけ出てる! シロのやつ、カバンの中で寝返りうったな。
「アラン・デュヴァルです」
「ウジェーヌ・ド・サフィールだ」
「じゃあ、あとは任せたからな、フィオナ。夕方になったら迎えに来る」
「何言ってんだい。あんたも手伝うんだよ!」
えっ、俺も? といった表情でベルナール先生はフィオナを見る。
「前回の飲み代、立替えてあげただろ。まだ返してもらってないわよね」
「お、おう。次の給料日には……」
「よし。じゃあ、三人とも隣の部屋に来てちょうだい」
なし崩し的にベルナール先生も手伝わされることになった。この強引さにミュリエルと通ずるものをアランは感じた。
執務室を出て隣の部屋に入ると、乱雑に積み重ねられた資料の山が多数出来上がっていた。ウジェーヌが露骨に嫌な顔をする。
「ギルドマスターに片付けろって、
言われてるんだけど、私は片付け苦手でね。
報告者別かつ、年代順で整理しておいてちょうだい。
頑張ったらベルナールが昼食おごってくれることになっているからね」
「おい、俺はそんなこと一言も……」
ベルナール先生が言い終わらないうちに、フィオナは執務室に戻ってい行った。
「先生、尻に敷かれてますね」
アランが感想をぽつりと述べた。
「うるせぇ! それにそもそも夫婦じゃねえ!」
ベルナール先生がアランとウジェーヌにそれぞれ資料の山を割り当てると、三人は作業に取り掛かかった。午前中いっぱい使って、やっと三分の一が終わったところだった。作業の間、アランとウジェーヌは一言も交わさなかった。
「ふう、飯にするか」
昼食は魔法ギルドの傍にある軽食屋で、白身魚と芋を揚げて味付けした料理を取った。
「オーダーメイドで剣を新調していてな。前払いだったので今は金が無いんだ」
そう言いつつも、ベルナール先生は二人におごってくれた。シロの分まで払ってもらうわけにはいかなかったので、近くの店で魚を安く譲ってもらった。
「すまんな、こんなもので。特にウジェーヌは口にあわないだろうが……」
ウジェーヌは、初めは嫌そうな顔をしていたが、流石に悪いと思ったのか、白身魚のフライを一口、口にした。その表情が驚きに変わる。
「これは、意外に悪くないですね……」
「おお! 口にあったか。良かったぞ」
正直意外な答えだった。庶民の料理などまずいと言って、手をつけないとアランは思っていたからだ。
「よし、作業に戻るか」
ド・ブレ
ベルナール先生は立ち上がった。午前中のアランとウジェーヌの様子を見て、二人の仲を取り持つ気は失せていたので、二人の会話を促すようなことはなかった。
「アランはそちらの資料を頼む、ウジェーヌはそっちだ」
アランが手をつけた資料は十二、三年前のものだった。アランは一枚の資料に興味を惹かれた。
七色の魔術師、オリヴィエ・ド・ブレによる竜の地の調査報告――
調査報告に二つ名を堂々と付けるなんて痛い人だな。
「七色の魔術師って大層な二つ名だなあ。そう思いません、ベルナール先生?」
「君は七色の魔術師も知らないか。平民は本当に何も知らないんだな」
ウジェーヌがここぞとばかりに、軽蔑した目線を送りながら、アランを馬鹿にしてくる。
「無知の極みの君に、仕方なく私が教えて差し上げよう」
聞いていないのに、ウジェーヌは自慢げに説明してきた。
「七色の魔術師オリヴィエ・ド・ブレは、
リュデルの古い名家の生まれで、
今から二十五年ほど前に活躍した魔法剣士だ。
四元素魔法に加え、扱いが難しいとされる光、闇魔法をマスターし、
さらに卓越した剣術の腕を持っていたため、七色の魔術師と呼ばれた」
光と闇魔法か。確かに、マティスさんが光魔法を使うのを見たきりで、他の人が使っていた記憶は無いし、闇魔法はそもそも一度も見たこと無いな、とアランは思い返した。
「残念ながら、彼は十年ほど前に姿を忽然と消し、
それ以降消息不明だが、私は生きていると信じている。
君もいやしくも魔法剣士を目指す者なら、
その足りない頭に、彼のことを叩き込んでおくのだな」
最後まで、ウジェーヌはアランに嫌味を言うのを忘れなかった。ただ話の内容自体には非常に興味をそそられた。その七色の魔術師には、もし生きているのなら会ってみたいとは思った。
それから残りの作業の間、ウジェーヌとアランが言葉を交わすことはなかった。
三人で一生懸命頑張って、作業が終わったのは夕暮れ時だった。ベルナール先生が手伝わされていなかったら、明日も引き続きこの作業をさせられて週末は潰れていただろう。済まないと思いつつもベルナール先生に感謝した。
「あんたたち、ありがとうね。助かったよ。
大変だったろ、これに懲りたら二度と馬鹿なことしでかすんじゃないよ」
帰り際、フィオナに諭されたが、相も変わらず仲の悪いアランとウジェーヌは、これに懲りず再び私闘をして処罰を受けることになる。それはまたしばらく後の話だ。




