第二十七話 私闘の代償
アランは学園の医務室で目が覚めた。ベッドの上に寝かされているようだ。遠くで何やら話し声が聞こえる。
目を開けると、アランの顔を見下ろしていた綺麗な灰色の瞳と目が合う。
近い。
そう思ったが、吸い込まれるようなリュセットの瞳から目が話せなかった。しばらく二人は見つめ合った。初めて合ったときの強烈な印象が蘇ってくる。何か、遥か昔の出来事を思い出しそうな気がした。
あともう少しで――というところで、リュセットは今の状況を認識したのか、急に顔を赤らめて目をそらした。
「アランさん、お目覚めになりましたか?」
恥じらいを隠すかのように、リュセットは目を伏せている。
「一体、僕は……」
アランは上半身を起こす。窓から見える景色は既に暗くなっていた。
「ウジェーヌ様と喧嘩をして、気絶されたのですよ」
今日の記憶がまざまざと蘇ってくる。そうだ。僕はあの高慢な貴族にコテンパンにされたんだった……。
「大変な騒ぎだったのですよ。
ウジェーヌ様が入学して間もない生徒と決闘をしていると。
一体何があったか話していただけませんか」
「あいつに、リュセットさんに近づくなと言われて、
家族も馬鹿にされて、それで……」
今思うと子供らしい理由に思えてきた。あのときは腹が立って仕様が無かったのに。
「アランさんは、ウジェーヌ様に相当嫌われているようですね。
何かされたのですか?」
「何もしていないはずなのですが」
アランには何故あれほどまで嫌悪されるのか、全く思い当たる理由がなかった。
「リュセット様、アランさん起きました?」
ミュリエルがとなりの部屋から顔を出す。アランと目が合うとウインクしてきた。まるでリュセットと二人きりで話せて良かったねと言いたげに。
「ええ、もう大丈夫のようです」
その返事を聞くと、ミュリエルと学園長アンリ、ベルナール先生、デュボワ先生が入ってきた。学園長とデュボワ先生の表情は強張っていたが、ベルナール先生の表情はどことなく嬉しそうだ。
「アラン君、怪我は大丈夫かね?」
学園長は表情を変えずにアランに問いかけた。
「はい。まだ身体の節々が痛みますが、それ以外は大丈夫そうです」
「そうか、それは安心した。
今回の件に関してだが、学園側も重く受け止めていてね」
学園長はちらりとベルナール先生、デュボワ先生の方を見る。
「貴族の生徒と、平民の生徒の間に溝があるのは、
仕方のないことだと看過していた。
だが、ここまでの大事になるのは今回が初めてだ。
他の生徒への示しもあるので、君とウジェーヌ君には、
処罰を受けて貰うことになる」
当然だと、冷静になった今は理解できる。罰と聞いて、リュセットは心配そうな表情を浮かべる。
「処罰の内容は後日、ベルナールから連絡が来る」
「処罰って言っても仕事のようなものだ。心配する必要は無い」
ベルナール先生は相変わらず嬉しそうだ。ひょっとして罰を与えるのが好きなのかと思ってアランは恐ろしくなった。その表情を見て、デュボワ先生は少し強めの口調になる。
「ベルナール先生、不謹慎ですよ。
一歩間違えれば、この子は大怪我をしていたかも知れません。
それにサフィール家の跡取りが、このような不祥事をしでかしたとなれば……」
ベルナール先生は、学園長とデュボワ先生に向き合って反論する。
「こう言っちゃ失礼だが、学園長もデュボワ先生も生粋の魔術師、
剣士のことは何一つ分かっちゃいねえ。
今回の件は、ウジェーヌにとっても、アランにとっても、
大きな契機になるはずだ。魔法剣士科のゴーティエ先生も同じ意見だろう」
どうやらアランが気絶している間に、先生方の間で一悶着あったようだ。
「私としても、そうであることを願う。
ベルナール、アラン君を自室まで送ってやってくれ。
リュセット様も、もう遅いですので御自室にお戻りください」
「分かりましたわ、学園長。アランさん、お大事に」
リュセットはミュリエルを伴って、病室を出ていった。続いて学園長とデュボワ先生も退出する。ベルナールはベッドに近づいて、アランに肩を差し出した。
「ベルナール先生、ありがとうございます。
でも大丈夫です。自分で立てます」
「そうか」
ベルナール先生に付き添われてアランは学園の廊下を歩き、自室に向かう。身体中が痛んだ。
ここ数日の間に、ミュリエルに根性を叩き直され、ウジェーヌにコテンパンにされたので、アランの身体は悲鳴をあげている。回復魔法をかけてもらって、身体の治癒力が高まっているのを感じるが、痛みが完全にとれるまで数日はかかりそうだ。
「お前さんはすごいやつだ」
唐突にベルナール先生がアランを褒めた。
「俺だけじゃなく、あのウジェーヌにも火を付けやがった」
ベルナール先生が楽しそうに言った。先程から、何がそれほどまで彼を喜ばせているのか、アランにはさっぱり分からなかった。
「ベルナール先生は何故そんなに嬉しそうなのですか?」
ベルナール先生はギロリとアランの方を見た。
「これが嬉しくなくて、何が嬉しいってんだ。
実はな、俺はお前たちの戦いを始めから見ていたんだ」
教師なのに止めなかったのか、と思ったが、アランは口には出さなかった。
「ここだけの話だが、ウジェーヌは伸び悩んでいたんだ。
剣術は既に俺と同じレベルに達している。
あいつは魔法も得意で、上級魔法もマスター済みだ。
もう魔法剣士としては十分な腕前を持っているんだ」
相も変わらず、ウジェーヌは他人からの評価が高いようだ。全く理解できない。
「だからこそ、あいつは目指すものを失っていた。
そんな状況でだ。お前さんは使えるのは初級魔法だけ。
他はすべて剣術でカバーして、
ウジェーヌにあそこまで食らいついてみせた。
あれほど本気になったウジェーヌは、俺も初めてみたぜ」
「でしたら、彼はミュリエルさんを目指せばよかったのでは」
「馬鹿言え。ミュリエル様は『水聖』で、
水魔法に特化した魔法剣士だから少々毛色が違う。
それに、そもそも強さの次元が違う。目標にすると心が折れるだけだ」
確かにこれから数十年修行しても、アランがミュリエルに勝てそうなイメージはいっさい持てなかった。
「とにかく、だ。
俺はお前さんたちの成長が楽しみでしょうが無いのさ。
アランだって、ウジェーヌには負けたくないだろう?」
実際、アランは悔しくてたまらなかった。ウジェーヌに散々馬鹿にされた上に、喧嘩では全く刃が立たなく、挙句の果てには、リュセットにその場面を見られ目の前で気絶してしまうなんて。カッコ悪すぎる。本当はカッコいいところを見せたいのに。
「あいつはいつか、ボッコボコにしてやります!」
ベルナール先生は豪快に笑った。
「そうだ、その意気だ」
部屋に戻ったら、シロがカンカンに怒っていた。アランを見るなり、体当たりして抗議してくる。結果として、夕方から今までずっと放置したことになり、夕食も与えていないので、怒っているのも無理はなかった。
「ごめん、シロ。とりあえず今日はこれで勘弁してくれ」
クローゼットの中から、買ったばかりの非常食の干し肉を取り出してシロに与えると、アランはベッドに倒れ込んだ。そして一気に眠りに落ちた。
シロは驚いてアランの傍に駆け寄ったが、眠っただけと分かると、口に肉を咥えたまま、自分の巣に戻ろうとする。その際、クローゼットが開きっぱなしになっているのに、シロは気付いた。
翌朝、アランは非常用の干し肉が全て無くなっていることに驚愕した。
「アラン、昨日の怪我は大丈夫?」
翌日、教室に入ると朝一番にシルヴィに心配された。
「回復魔法をかけてもらったみたいだから、大丈夫だよ。
まだ身体中、痛むけどね」
「あたしがアランをけしかけたから、
あんなことになっちゃって……」
シルヴィは頭をたれて、しゅんとした表情をした。
「あいつの挑発にのったのは僕だから、シルヴィは悪くないよ」
「あのウジェーヌってやつ、ぜえったい、許さない!
いつかあたしがやっつけるよ!」
しゅんとしていたかと思うと、今度は顔を怒りに染めて、シルヴィは腕を振り回す。シルヴィには申し訳ないが、怖いというより可愛いとアランは思ってしまった。小動物みたいだ。思わず微笑んでしまう。
「なんでアラン笑ってるの! あたしは本気だよ!」
午後の授業が終わって部屋に戻ると、ベルナール先生から処罰の内容の通知が届いていた。今週末、魔法ギルドに向かい、資料の整理を手伝うようにとのことだ。ウジェーヌと一緒に。




