第二十四話 失われた記憶
「もう、ミュリエルったら。
急に分けのわからないことを言っていなくなるんだから」
リュセットはちょっと気恥ずかしそうに言った。アランには、もうミュリエルが敵なのか味方なのか見当もつかない。
「そう、ですね。どうしたのやら」
しばらく沈黙が支配した。耐えきれなくなって、アランが口を開く。せっかくミュリエルが作ってくれた時間を無駄にするわけにもいかない。
「あの、リュセットさん。
この一ヶ月半、ろくに話しかけもせずごめんなさい」
リュセットは驚いた表情をしていたが、唇を尖らせてアランを非難した。
「そう、ですよ。
せっかくアランさんとはお友達に慣れたのに。
わたくしを避けるようにして。
それなのに、シルヴィとか言う子と、人目もはばからず、いちゃいちゃして」
いちゃいちゃしている気はなかったのだが、ミュリエルにもリュセットにもそう言われるということは、そう見えていたってことだ。アランは急に自分が恥ずかしくなってきた。
アランにとって、シルヴィは優秀な妹のようなものなのだが、周りはそうは見ていないようだ。
「わたくし、本当に寂しくて、悲しかったのですから……」
ミュリエルの灰色の瞳に涙が溢れてきた。アランはドキッとした。いつも気高く毅然としたリュセットが涙するなんて想像もしていなかったからだ。
アランは食堂で見たリュセットのとても悲しそうな瞳を思い出した。今目の前にいるリュセットはその時と同じ瞳をしていた。
「本当にごめんなさい」
アランは心の底から謝った。この子を傷つけてしまった、という自責の念が、胸いっぱいに湧き上がっていた。
「いえ、わたくしも悪かったのです。
アランさんが避けようとするのなら、
わたくしの方から、押しかけてでも話しかければ良かったのですから」
そうならなくて良かったとアランは胸を撫で下ろした。そうなる前に、ミュリエルが行動してくれて良かったと改めて感謝する。
「ですから、今後は学園内で周りを気にするのは止しましょう。
邪魔をするような無粋な人たちは、
ミュリエルにお仕置きしてもらいましょう」
リュセットはイタズラっぽく笑った。それはとても魅力的な笑みだった。多分、リュセットは本気でそうするつもりだろう。
「はい、そうしましょう」
アランもイラズラっぽく笑い返す。そうして二人は大笑いした。シロとルージュが食べていた肉から離れて何事かと二人を見る。
「なんでもないのよ、シロちゃん、ルージュ」
メインの肉の赤ワイン煮込みが運ばれてきた。ちょうどその時、ミュリエルも戻ってきた。アランとリュセットを二人きりのままにする気は、さらさらなかったようだ。
「リュセット様、失礼しました。
用事が済んだので戻ってまいりました」
「いえ、ありがとう、ミュリエル」
ミュリエルの退席の意図を察したリュセットが礼を言う。ミュリエルは何のことやらとしらばっくれた。
赤ワインの煮込みは、酸味はほとんどなく、肉はフォークで簡単に崩せるほどに柔らかく煮てあって、口に含むと肉が溶けるように広がる。香草も使ってあるのか、ほのかに香りもあった。
会話は再び竜の子供の世話の話に戻った。以前リュセットが言っていた、竜に詳しい教授のことも再び話題にあがり、近い内にその教授をお邪魔することになった。
最後にデザートとしてアイスクリームが運ばれてくる。ラズベリー味だ。甘酸っぱい。
「わたくし、今晩は本当に楽しかったです」
アルコールで軽く酔って、頬を紅くしたリュセットは、狂おしいほどに愛らしかった。
「僕もです。
誘ってくださってありがとうございます」
ミュリエルは丸く収まって良かった、と言いたげにうんうんと頷いている。
「では、おやすみなさい」
リュセットとミュリエルはお会計を済ませ、先に学園に戻った。アランはしばらく今晩の出来事を思い返していたが、万事うまく行ったことを認識すると、嬉しくなって笑みをこぼした。そして立ち上がると学園に戻った。
気付くとアランは夢の中にいた。
目の前を輝く亜麻色の髪の少女が走っている。アランはその少女と手をつないでいる。少女に引っ張られてアランも駆け足になっていた。
少女とアランは、竜神を祀る神殿に向かっていた。立入禁止とされている地区だが、少女は気にかける様子はない。
「ここは入っちゃダメだよ、ルーちゃん。
おかあさまが入っちゃダメって」
ルーちゃんと呼ばれた少女は気にした様子はない。
「だいじょうぶよ。こっちの方に何かいるの。
分かるの。わたしを呼んでいるの」
二人の子供は中庭を抜け、城内を抜け、神殿へと続く洞窟に入る。洞窟の入り口には柵が設けられていた。大人が入るのは無理だ。だが五歳ぐらいの子供だったら、何とか通り抜けられる柵だった。
「もうすこし、もうすこしよ」
暗い洞窟で怖くなったアランを少女は励まして進んでいく。遂に洞窟の奥に辿り着いた。
天井は大きく開いていてそこから、陽の光がわずかに差し込んでいる。雲にさえぎられて、光は完全には洞窟の中を照らしてはいなかった。
(ここに迷い込んだのは、どこのイタズラっ子かな?)
声が頭の中に響く。アランはビクッと驚くと尻餅をついた。その拍子に繋いでいた手が離れる。
「あなたがわたしを呼んでいたの?」
怯えた様子を見せず、少女は問う。
(ん? 君は、そうか。
その人とは思えないほどの強い魔力。ロイックの子供だね)
「ちがうよ。パパのおなまえは、イザーク、よ」
(ふふっ、そうかい、そうかい。
イザークっていうんだね、エスペランスの末裔さん。君のお名前は?)
「リュセット」
(そうか。君はリュセットと言うんだね。
そちらの君は?)
「ん、僕のこと?」
アランは怖がっておどおどと尋ねる。
「あなたしかいないじゃない」
「僕はシャルル」
(そう。君はここの子供なんだね?
君たちは不思議な組み合わせだね。
これは運命のいたずらかな?
だったら私もちょっとそれにのってみようかな。
こんな機会は二度とないだろうから。
それに、多分、これが私達にとっての最後の機会になるだろうから)
陽の光をさえぎっていた雲が流れ、洞窟に強い光が拡散して差し込んでくる。その光を反射して白銀に光るものがあった。巨大な白銀の竜がアラン達の前にいた。
だが、アランはもう怖いとは思わなかった。目の前の竜は恐ろしい見た目をしているけれど、どこか儚げで消えてしまいそうだったからだ。
(リュセット、君を呼んでいたのは私の子供だ。
もう少し近づいてごらん。卵があるから)
アランは強く興味を惹かれて前にでる。リュセットもアランに続いた。竜の足元にはアランの背の半分ぐらいの大きさの卵が置いてあった。触ってみると命の鼓動を感じる。
(私の残りの魔力を全て使って、
これからその子に世界に生まれる力を与える。
シャルル、君にはその子の面倒を見て欲しい。できるね)
「うん」
アランは元気よく返事をした。
白銀の竜はアランとリュセットの前でどんどん薄くなり、やがて光の玉となった。
そして卵の方まで降りていき、卵と触れ合った瞬間、ピキッと割れる音が洞窟に響き渡る。卵のヒビは徐々に大きくなる。一枚、一枚と殻が弾け飛んでいく。
ほどなくして、幼い竜の頭が見えてきた。全身真っ白だ。大きな目でアランとリュセットを交互に見ている。
(私の子供を頼んだよ。
エスペランスの末裔に、私の最愛の友の末裔よ)
最後にその言葉が頭の中に響き渡り木霊すると、徐々に消えていった。
「ルーちゃん、どうしよう?」
「わたしたちがこの子をそだてるの!
おなまえを決めないと!」
そして少女はその小さな頭を悩ませて、一つ名前を絞り出した。
「エレオノーラ! この子はエレオノーラ」
「長いよ。それに多分この子は男の子だよ。
シロにしようよ! 全身真っ白だからシロ!」
「なにそれー、見たまんまじゃない。
だーめ。この子はエレオノーラ!」
アランは少女の気迫に押されて、これ以上反論できなかった。
でもこの子は男の子だという確信がアランにはあった。アランは少女が何と言おうと、この竜の名前はシロにしようと心に決めた。
竜の子供は、言い合う二人を大きな目で見つめていた。




