第十七話 黒騎士の影
「それじゃあな、アラン」
「ここまで付き添ってくれてありがとう、ラウル」
「次会う時、お前がどれほど強くなっているか、楽しみにしてるぞ」
ラウルがアランの肩を拳で軽く叩く。アランが無事合格したのを見届けたので、ラウルはこれからデュヴァル村に一人で帰ることになった。
明日の出発にしてはどうかと皆で引き止めたのだが、早めに両親に試験結果を伝えたいからとラウルは断った。
時間は昼過ぎ。アランたちは湖上に架けられた橋の前にいた。ラウルの足なら、急げば街道宿まで十分間に合う時間だ。
「あ、そうだ。これをクリスに」
アランは先程書店で購入した『初級魔法』をラウルに渡した。
「確かに受け取った。きっとあいつ喜ぶだろうな」
アランは妹のクリスが喜ぶ姿を思い出した。
「ラウルさん、今までお世話になりました」
「私からも礼を言うわ。
アランさんは私がみっちり鍛えて上げるから、
安心して帰ってちょうだい」
えっ? アランにとって寝耳に水だった。
「ああ。リュセットさん、ミュリエルさん。
おかげで楽しい旅ができた。
これからも俺の弟アランをよろしく頼む」
そう言って二人に深々と頭を下げるとラウルは旅立った。兄が頭を下げてまで、人に頼みごとをするのは、アランが覚えている限り初めてだった。
アランはリュセットたちと遅めの昼食を取った。商業区にある隠れ家的なレストランで『カシュカシュ』という名前だ。ここなら、噂の竜の子供を連れた少年と、王族の姫が一緒にいても目立たないからとのことだ。
「改めまして。アランさん、合格おめでとうございます」
「アランくん、合格おめでとー」
「ありがとうございます」
三人でブドウジュース片手に乾杯する。昼食の時間をだいぶ過ぎていたので、客はほとんどいなかった。今日の昼食は、貝の白ワイン蒸しと、白身魚のムニエルに柑橘系のソースをかけたものだ。リュセットのおごりで、シロは新鮮な魚をあてがわれていた。
「ところでルージュはどうしたんですか?」
気にはなっていたが、聞き出せずにいた疑問をぶつける。
「竜に詳しい教授に預けて、体調を見てもらっています。
今ではだいぶ元気なのですが、出会ったときの状態が状態でしたから、念の為ということで」
「そうですね、それが安全ですね」
「アランさんとシロちゃんのことを話したら、
教授はとても興味を持たれたようで、
今後遊びにいらっしゃいとおっしゃっていました」
「そのうちお邪魔するとしましょう」
竜に詳しい教授の話はアラン個人としても聞いてみたかった。
「アランさんは、明日寮に入るんだよね?
今日は和平の日で、学園の授業開始は葡萄月の四の日だから、
三日間の間に教科書や生活必需品を買わないとね」
葡萄月の一の日の午前に、学園前に集まるように合格者には案内されていた。
「そう考えるとあまり時間無いですね……」
「あ、ごめんだけど、
私とリュセット様は手伝えないから当てにしないでね。
リュセット様は王族だから、あまりフラフラするわけにはいかないのよね」
アランはうなずいた。ごもっともだ。何でもかんでも、この二人に助けてもらうわけにはいかない。
「だから、頼るのはどうしてもってときだけでお願いね」
「はい、それだけでも助かります」
「アランさん、ごめんなさいね」
それから、アランは二人に学園のことについて話を聞いた。授業のこと、寮のこと、期末試験や、魔法剣術科の武術大会、ダンスパ―ティなど。
「もっとお話していたいところですけれど、
そろそろルージュを迎えにいかないと」
リュセットが立ち上がり、ささやかなアランの合格祝いはお開きとなった。
彼女たちと別れ、アランは商業区をぶらぶらして、生活必需品を買うお店や、食料品店に目星をつけておく。寮に移った後に、買い物に手間取っている時間はなさそうだからだ。
程よく疲れて、宿に戻って来た時、必要な店の名前はアランの頭の中に入っていた。宿屋の女将さんには事情を説明して再び部屋を取った。試験に合格した安心感から、夕食も取らずにベッドに転がると、アランはあっという間に眠りに落ちた。
学園長室の扉をノックする音が響いた。
「入れ」
机の上の書類に目を通していた男は、扉に向かって声をかけた。その男は若くして学園の長にまで登り詰めた優秀な魔術師だった。髪にはところどころ白いものも混じって入るが、彼はまだまだ若かった。
部屋主の許可が降りて扉が開く。無精髭を生やした長身の男が部屋に入ってくる。男は黒く長い髪を束ねていた。
「マティスか。
リュセット様とミュリエルから簡単な報告は受けている。
彼女たちを助けたのはお前なのだろう?」
「そうみたいだな。
俺はただ墓参りでリュデルに向かう途中だったんだが、
怪しい奴らを見かけてな。職業病ってやつか、
ついつい気になっちまって顔を突っ込んだってわけだ」
「だがそれが結果としてリュセット様のお命を救うことにつながった。感謝する」
「この命にしがみついただけの価値はあったみたいで何よりだ」
「……」
マティスの過去を知っている学園長アンリには、返す言葉が見当たらなかった。
「それはそれとしてだ。これを見てくれ」
そう言ってマティスはマントから一振りの剣を取り出して、学園長の机に無造作に置いた。
「調べてみたら、こいつは帝国製の魔法剣だった。
盗賊の頭が持っていたものが、だ。
そもそも魔法剣士が盗賊をやっていること自体、普通じゃない」
さらにマティスは続ける。
「生き残った盗賊にも吐かせた。
その魔法剣士は数年前に盗賊たちの前に現れ、
その後、実力で頭まで上り詰めたそうだ。
そして今回、リュデルにいる物好きが竜の子供を
大金で買い取るという話をそいつが持ってきたらしい。どう思う?」
学園長アンリは立ち上がると、部屋を右に左に歩きながらブツブツ言い始めた。彼が考えごとをするときの癖だった。
「竜の子供を高額で買い取るという話……。
盗賊団が竜の子供をさらった……。
その盗賊たちはリュデルの近くにいた……。
リュデルは祭りが始まる前だった……。
親竜は子供を探し出し、見つけると暴れ回った……。
盗賊の頭は帝国の魔法剣士だった……」
学園長は突然歩みを止めて、マティスの方を向く。
「竜の子供を欲しがる物好きというのは作り話だろう。
どうやら、その帝国の魔法剣士の目的は、
祭りで活気のあるリュデルを竜に襲わせることだったのだろう」
「一体何のために?」
「分からん」
学園長は下を向いて考え込んでいる。
「昨今、竜の目撃情報が増えている。それも関係あるのか?」
「可能性はあるな」
「それに黒い鎧の騎士を見かけたという話も、ちらほら聞くようになった」
学園長エリックはゆっくり顔を上げてマティスを見る。
「エミリアン・ル・ドラゴン・シュヴァリエ」
「誰だ、それは?」
その名を発した学園長アンリの瞳は虚ろになっていた。学園長のそのような表情を見るのはマティスは始めてだった。
「おそらく、世界で最も力のある魔法剣士だ」
「俺はそいつの名前を聞いたことがないぞ」
「無理もない。十年ほど前に一度現れただけだからな。
その後帝国の騎士になったと、帝国に放った密偵からは報告を受けている」
「帝国騎士か……。
そいつも一枚噛んでいるかも知れないってわけか」
「ああ。その黒騎士がエミリアンかどうかは定かではないが、
放って置くわけにはいかんな」
学園長は改まってマティスに言い放った。
「魔法ギルドのギルドマスターとして、
魔法剣士マティスに竜の目撃情報と黒騎士の調査を命ずる。
油断はするな。相手がエミリアンなら、
いくら七色の魔術師と呼ばれたお前でも無事では済むまい。
お前が受け持っていた仕事は他の魔術師に回す。この件を最優先で頼む」
「ああ、分かった」
任務を承諾すると、マティスはマントを翻して部屋を出て行った。
この件は陛下にも報告する必要があるな、と学園長は考えていると、ふと思い当たることがあった。
「アルマンからの突然の手紙。
竜の子を連れたアルマンの息子。
竜の目撃情報の増加。
黒騎士エミリアンが現れた兆し。
リュセット様が竜の子供を託されたこと。
これらは果たして全て偶然なのか?」
学園長アンリは何かとてつもない出来事が動き始めているような気がして、思わず身震いをした。




