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第十一話 竜との戦い

 ミュリエルだけでも逃がそうと決意して、震える足を動かしたとき、隣に背の高い男が立っているのにアランは気付いた。


 無精髭。日に焼けた肌。四十歳ぐらいだろうか。黒い長髪は後ろで束ねられ、マントを羽織っている。


 こんな男、盗賊たちの中にいただろうか。


「おっと、こいつはヤバそうな状況だな。

 墓参りに帰って来ただけなんだが、ついてねえな」


 男は軽い口調で言った。こんな状況で何を言っているだとアランは言葉が出かけたが、男の目を見て口をつぐんだ。男の目は真剣だった。


光の(ピリエ・ド・)(リュミエール)


 男はぼそっと呟いた。


 突然、巨大な光の柱が空中に現れ、竜の右翼に突き刺さり、竜を地面に押さえつけた。バランスを崩した竜は、ミュリエルの方ではなく、空に向かって火炎を吐く。


 ミュリエルが驚いて僕らの方を振り向く。


「水使いの嬢ちゃん、加勢するぜ!

 そこのアツアツのお二人さんも、

 抱き合ってないで、嬢ちゃんに水でも渡してやんな」


 アランは左手でリュセットの肩を掴み、抱き寄せたままだった。


 すっかり忘れていたと、慌てて手を離し、腰にかけてあった水筒を外して、ミュリエルの方に投げる。


「ミュリエルさん! 水です!

 受けとってください!」


 状況が状況だけに恥ずかしがっている余裕はアランにもミュリエルにも無い。リュセットも同じように水筒を取り出し、アランに渡す。


「アランさん、これもミュリエルに」


「ミュリエルさん! こちらも!」


 受け取った水筒もミュリエルの方に投げる。ミュリエルは困惑しながらも、水筒を二本とも受け取った。


 竜は片翼を封じられて動きにくそうにしながらも、近くにいたラウル目掛けて左爪を振り下ろす。


岩の(バリエール)障壁(・ド・ロッシュ)


 男が再び呟いた。


 岩壁がラウルと竜の間に現れ、ラウルを竜の爪から守る。鋭い爪で岩壁は破壊されたが、ラウルは無傷だった。


「ぼうず! 魔法がなきゃ、竜には太刀打ちできない!

 そこは危ないから今すぐ下がるんだ!」


「だが……」


「大丈夫だ。俺と水使いの嬢ちゃんがいれば何とかなる」


 ラウルは渋々納得したようで、アランの方に走って戻ってきた。ラウルも腕の立つ剣士だけあって、剣で竜に歯が立たないことには気付いた。


 ラウルと入れ替えに男が前に出る。マントから魔法剣を取り出していた。


 その間、ミュリエルが水の矢で竜を撹乱して、ラウルが竜から離れる時間を稼いだ。


「あのおっさん、何者だ?」


 戻ってきたラウルが尋ねた。


「分からない……気づいたら側にいた」


 そう言ってリュセットの方を問いかけるように見る。


「ええ、わたくしも気付いたら、いつの間にか隣にいらしたという感じで」


「なんだ、そりゃ。

 まあ、俺達には手も足も出ない事は分かった。

 任せるしかないか」


 男はミュリエルの側まで行くと、隣に陣取って言った。


「嬢ちゃん、この竜は子供を盗られて我を失っているだけだ。殺しちゃダメだ」


「殺されない程度で善処はする!」


「親の気持ち分かれってのは、嬢ちゃんに無理かねえ。

 手加減してどうにかなる相手じゃないから仕方ないか」


「ごちゃごちゃ言ってないで、あなたも手伝って!」


 竜の爪の猛撃をかわし、水でいなしながらミュリエルが叫ぶ。援軍がきたことと、光の柱で竜の動きが鈍くなったことで、ミュリエルはいつもの調子を取り戻していた。


「ほいほい。若者はせっかちだな。

 光の(ピリエ・ド・)(リュミエール)


 再び巨大な光の柱が空中に現れ、竜の左翼目掛けて落とされるが、竜は翼を閉じてそれを交わす。


「なんと!」


「余裕かましているからよ!

 貫く(ロー・)水流!(トランスペルサン!)


 百はあるかと思われるぐらいの細い水の針が、竜の左翼に向けて放たれ、畳んだ翼に突き刺さった。鱗で覆われていない場所なので貫通できたようだ。


氷結!(グラセ!)


 突き刺さった水の針が一瞬で凍る。竜は翼を開こうとするが、びっしりと突き刺さった氷の針がそれを許さない。


「そんな感じだ、嬢ちゃん! 竜の動きを封じていくんだ!

 完全に身動き取れなくなったら、頭冷えて自分を取り戻すだろう」


「そう言っても、もうあまり水が残っていないわよ!」


「大丈夫だ、俺が左足を何とかする!

 嬢ちゃんは火を吐くあの厄介な口をどうにかしてくれ!」


 火炎を避けながら男が叫ぶ。


「この水の量じゃどうしようも……」


「縄状にすれば何とかなるだろう!」


「縄……。その手があった!」


 ミュリエルは普段持ち歩いている縄を取り出して、残った水を染み込ませ始めた。


 一方、男は前に出て、竜の左爪の射程内に入る。男の予想通り、竜は大爪で男を切り刻もうと振り下ろしてくる。それを後ろにジャンプしてかわし、即座に魔法を唱える。


大地の(ピエージュ・ド・)(テール)


 男がいた場所に振り下ろされた爪は、泥沼になった地面に飲まれ捕らえられた。竜は素早く引き上げ、左足を自由にしようとする。


串刺し(アンブロシェ)


 地面から無数の串が生じ、逃れようとした左足を突き刺す。竜が苦痛で咆哮を上げる。


 凄い。この二人は凄すぎる。僕は何もできずにここに突っ立っていることしかできないのに。


 アランはそう痛感せざるを得なかった。


 右翼は光の柱、左翼は氷の針、左足は土の槍で串刺しにされ、竜は口と尻尾以外は動かせない状態になっていた。右足も地面に抑えつけられた右翼が蓋のような役割を果たしており、ほとんど動かすことができない。尻尾はこちら側までは届かないので脅威にはなり得ない。


「よし! シメだ、嬢ちゃん!」


 噛み殺そうとして開かれた竜の牙を避けながら男は言った。


 ミュリエルはたっぷり水を染み込ませた縄を華麗に操り、男を殺すつもりで閉じられた竜の口を何重にも縛った。


 竜は自由にしようとしばらくもがいていたが、どうにもならないことを悟ったようだ。地面に顎をつけて、こちらを恨めしそうに睨みつけている。


「終わった、か……

 嬢ちゃん良くやった」


「はぁ、はぁ、助かりました。

 あなたが来てくれなかったら、リュセット様を失うところでした」


 ミュリエルはこちらの方を見てリュセットの無事を確認すると、疲労を浮かべながらも、安心した表情で男に礼を言った。


「嬢ちゃんほどの魔法剣士がいたから助けに入れたんだ。

 俺一人じゃ竜には太刀打ちできないから逃げてたぜ」


 終わった。緊張の糸が切れて、全身の力が抜けた。


 気づいたら、アランはへなへなと地面に座り込んでいた。シロはカバンの中から顔を出して、大丈夫かと言いたそうにアランに向かってきゅーと鳴いた。


「あ、ああ、シロ、僕は大丈夫だよ。安心しただけだよ」


 ミュリエルも流石に疲れたようで後ろに手をついて座っている。


 リュセットも力が抜けたようでルージュを抱きながら、地面に座り込んでいた。


 唯一元気なラウルは、例の男の元に警戒しながら近寄って行った。


「助けてくれたことには感謝する。

 それで、おっさん何者だ?」


 男は竜に注意を払っていたが、ラウルの方に顔を向けた。


「おう、不躾なぼうずだな!」


「そりゃあ、俺達は盗賊たちに襲われてたんだ。

 おっさんが奴らの仲間じゃないって保証はない」


「確かにそうだな」


 男は少し考えて答えた。


「俺の名はマティス。

 魔法剣士として厄介事を片付けてまわるのが俺の仕事だ。

 今は休暇中で、故郷のリュデルに帰る途中でお前さんたちに出くわしたわけだ」


 ラウルが胡散臭そうにマティスを見ている。


「信用できないってのもしょうがないな」


「ラウルさん、その人は信用して大丈夫よ。私が保証する」


 ミュリエルにそう言われ、仕方なくラウルは引き下がった。


 何を思ったが、急に隣にいたリュセットが立ち上がり、ルージュを抱いたまま竜の元に走り寄っていく。


「リュセット様、危険です!」


 慌てて立ち上がり、ミュリエルはリュセットを止めようとしたが、マティスがそれを制する。


 リュセットは竜の前に立ち、竜がよく見えるようにルージュを抱き上げた。ルージュは親竜を見つめて寂しそうにぴーと鳴く。


「あなたの子供はここにいます!

 ですから、どうかお怒りを沈めてください!」


 透明感のある声を張り上げて竜に語りかける。竜は未だ興奮している様子だったが、幼竜を見ているうちに叙情にその瞳から怒りの色が消えていった。


 ルージュが身体をバタバタさせ始めて、リュセットの手から離れるようとする。リュセットがルージュを地面におろしてあげると、幼竜は親竜の元に駆け寄った。


 幼竜は嬉しそうに鳴きながら、親竜の顔に自分の顔をこすりつけている。親竜は先程の猛り狂った瞳が信じられないような優しい瞳で、我が子を見つめている。


 リュセットはそれを見ると、嬉しそうな表情を浮かべた。


「もう大丈夫そうだな」


 そう言ってマティスは光の柱と土の魔法を解いた。ミュリエルもマティスに習って、氷の針と縄を解く。しばらくすると、竜は身体を起こしリュセットの方を向いた。


(この子を見失い、どうやら私は我を失って暴れ回っていたようですね)


 頭の中に声が響く。マティス以外は驚いた様子でお互いの顔を見合わせる。


「念話だ。竜は人の言葉を話すことはできないから、

 魔力を使って人と意思疎通を取るんだ」


(そこの娘、どうやら我が子を救ってくれたようですね。感謝します)


 リュセットに向かって竜は語りかける。そこには先程まで恐怖の化身として暴れ回っていた姿は微塵も感じられない。


「いえ、わたくしは心が望むままに行動しただけですから」


 竜は納得したようだ。


(他の人間には済まないことをしました)


 周りで血を流して死んでいる盗賊たちに目を向けて竜は言う。


「こいつらはお前さんの子供をさらったんだろ?

 当然の報いだろうよ」


 マティスの言葉には棘々しさがあった。


 盗賊たちは竜に殺されたか、生き残った者もマティスとミュリエルが戦っている間に逃げたのだろう。彼ら以外に生きている者の存在はなかった。


「それよりこちらもお前さんを痛めつけてすまなかった」


(私に殺されないためだったのですから、仕方ないでしょう。それに傷はすぐ癒えます)


(そこの人の子よ、その竜の子は)


 突然話しかけられ驚く。竜はアランとシロの方を向いて尋ねていた。


「幼い頃から一緒にいます。名前はシロです。」


(そうですか……それが彼女の選択の結果。ならば私も、私の選択をせねばなりませんね)


 今度はリュセットの方に向き直る。


(そこの娘よ、名は)


「わたくしはリュセットと申します。

 リュセット・ド・レスペランスです」


 レスペランスと聞いてアランはハッとした。


(そう、あなたはエスペランスの末裔なのですね。これも彼女の意志が成した必然なのでしょう。リュセット・ド・レスペランス、あなたに私の子供を託します)


「ですが、せっかく親子が再開できましたのに。なぜ……」


 リュセットは突然の申し出に混乱していた。


(これは彼女の示した道標、希望。私の娘を頼みましたよ。エスペランスの末裔、リュセット)


 そう言うと、竜は子供の方を向いた。何か会話をしているようだ。ルージュはぴーぴー鳴いていたが、やがて納得したようで、走ってリュセットの元に駆け寄った。


 リュセットはルージュを抱き上げる。


 それを見て親竜は満足した様子を見せると、巨大な翼を大きくはためかせて、空中に飛び上がるとあっという間に大空の彼方へと飛んでいった。既に日は暮れかけていた。


「こいつは驚いたな。

 まさか竜子託しの場に居合わせることになるとは。

 それにリュセット殿下にもお会いできるとは」


 マティスは心底驚いているようだった。


「リュセットさんが殿下? 一体どういうことなんだ」


 ラウルが頭を抱えている。


「それに関しては私から説明するね。

 リュセット様は現エスペランス公であらせられる

 イザーク様の一人娘です。エスペランス公は代々、

 王弟に与えられる称号で、英雄ロイックがもともと王弟で、

 エスペランスの地を支配していたことに由来します」


「つまり、リュセットさんは伝説の英雄の子孫で、王族ってことか……」


 ラウルが青ざめた顔で答えた。


「はい。御二人にはお伝えしておらず、申し訳ありませんでした。

 無用な厄介事を避けるため、旅の間はエスペランスの生まれであることを隠しているのです」


「驚いた。リュセット殿下、知らなかったとはいえ、今までの非礼、深くお詫び申し上げます」


 アランは深く頭を下げてそう詫びた。


「アランさん!」


 リュセットは口を尖らせた。


「今まで通りで大丈夫です。余所余所しくされると……悲しいです」


 最後の方は心の底から寂しそうな、呟くような声だった。


「か、かしこま、いえ、はい、わかりました。

 正直王族との接し方は全く分からないので、その方が僕も助かります」


「おしゃべりも良いが、のんびりしていると、街道宿に着く前に日が暮れるぞ」


 マティスの指摘で、皆ハッとして、各々荷物をまとめて出発の準備をする。マティスは盗賊のボスの遺品である魔法剣を回収していた。


「それ、どうするの?」


 ミュリエルが尋ねる。


「ん? ああ、何か手掛かりになるかと思ってな」


「確かにそうね」


 ミュリエルが納得して頷いた。


「それで、あなたはこれからどうするの?」


「竜との戦いで疲れたからな。

 今日は街道宿まで戻って、明日の朝リュデルに向かうことにするよ」


 ということで、マティスと一緒に街道宿まで向かうことになった。皆疲れ切っていて、道中会話はほとんどなかった。


 アランは重い頭で、先程の出来事を振り返っていた。結局あの戦いで何もできなかった。恐怖に捕らわれていただけだった。


 ラウルはあの竜相手に剣一本で立ち向かった。魔法使えないのに。


 ミュリエルさんとマティスさんはあの竜相手に戦って一歩も遅れをとらず、竜を抑えつけることに成功した。


 リュセットさんは、あの恐ろしい竜の怒りを沈めてみせた。


 僕だけが何もできなかった。


 そのことがアランの頭の中で反復し続けた。その考えから開放されたのは街道宿に着いたときだった。辺りは既に真っ暗になっていた。

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