第十話 襲うもの
出発の朝、宿で軽食を取ってから、リュセットたちが宿泊しているホテルに向かった。
昨日の彼女たちと別れてから、リュセットと親しげに話していた貴族の青年のことが頭から離れない。
あいつは誰だ?
リュセットさんとどういう関係なんだろう?
答えのでない疑問がぐるぐる頭の中をまわる。
やがて、彼女たちが滞在しているホテルが見えてきた。ホテルの前でリュセットとミュリエルが待っていた。何故か大きな樽が二樽、ミュリエルの側に置いてある。
「リュセットさん、ミュリエルさん、おはようございます」
「アランさん、ラウルさん、おはようございます。
今日はよろしくおねがいしますね」
アランとリュセットが挨拶を交わしている間、ラウルはミュリエルの方に近寄って質問した。
「おい、一体この樽はなんなんだ?」
「決まってるでしょ。水よ、水!
あの程度の盗賊たちに水不足で不覚を取ることが二度とないようにね」
「お、おう、そうか」
ラウルは困惑しているようだ。
「さあ、ラウルさん、アランさん、樽を持ってちょうだい」
「って、おい! 俺たちがこの重そうな樽を持つのか!」
ミュリエルは何言っているのだという顔で答える。
「そうよ、あなた達以外いないでしょ?
分かりきったことじゃない」
いくらなんでも水がいっぱい詰まったこの樽を持つのはアランにもラウルにも無理だ。
「リュセットさん、ミュリエルさんは説得してください……」
「わたくしもお二人でも無理ですよと言ったのですが、聞いてくれなくて……」
彼らは三人で、道中水は補給できること、いざとなったら自分たちの水を分けることを約束しなんとかミュリエルを説得した。ミュリエルは樽ではなく水筒四本で妥協したが、結局その水筒を持つのはアランとラウルになった。
赤い幼竜ルージュはすっかり元気になり、シロとじゃれ合って遊んでいる。
ルージュが開放されてから二日経ったが、その間栄養をたくさん取ったのが効いたようだ。
「ルージュ、すっかり元気になりましたね。良かった」
「ええ、これもアランさんのおかげです。
あとはこの子の親を見つけてあげないと……」
リュセットは少し寂しそうに言う。ルージュに情が移ったのが見て取れた。
未だ祭りの熱気に包まれた、伝説を語り継ぐ町リュデルをアランたちは後にした。シロはいつもどおり、カバンの中に収まっている。リュセットはルージュを抱きかかえている。
ここから学園まで二日。今日は学園とリュデルの間にある街道宿まで進む予定だ。そこで一宿して、翌日の夕刻頃には魔法学園に着くことになる。
女性陣に配慮して、休憩を何度か取りながら街道を進んでいく予定だったが、ふたりとも健脚で、昼休憩を取るまで休憩を取ったのは一度だけだった。
昼休憩は森の中の街道を少し外れた場所で取った。森の中と言っても、木漏れ日がいたるところから注いでいて、緑の光に溢れた景色の良い場所だった。
昼食はリュデルで出発前に買っておいた干し肉やパンを食べた。休憩中、シロは例のごとく、窮屈なカバンから抜け出してルージュと遊んでいる。
それを優しそうな目でリュセットが見ていた。ラウルは少し離れた場所で剣の手入れをしている。ミュリエルは水を補給すると言ってどこかに消えていった。
「幸せです……全てのしがらみから開放されて、景色の良い場所を旅できて……」
リュセットがポツリと呟いた。その顔は憂いに満ちていた。
アランは少し意外に思った。
気高くて、いつも楽しそうな様子のリュセットがこんな表情を見せるなんて。
「やっぱり、貴族ってパーティだったり、義務だったり、体面だったり、大変なんですか?」
リュセットが憂いを帯びた表情のまま、アランを見る。
「そう、ですね。
わたくしは大変と思っているのかもしれないですね……」
ミュリエルが戻ってきたので、そこで会話は中断となり、出発することになった。
その後、進んでいく森の中を抜け、巨大な岩がたくさん転がっている山道に出た。
しばらく歩いていると、カバンの中で眠っていたシロが急に起きて、警戒するような鳴き声を立てる。ルージュもリュセットの腕の中で警戒した様子を見せている。
「どうした、シロ?」
そう言いながらアランとラウルは顔を見合わせる。
岩の影から男が一人、また一人と出てきた。全員で二十人ほどいるようだ。その中でとりわけ巨躯で、精悍な面構えをした男が前に出てきた。汚れた鎧に身を包み込み、手は腰の剣にかけている。
この集団のリーダーのようだ。
「よう、ガキども。
先日は俺の部下が世話になったな。
脱獄させるのには苦労したぞ。
まあ、祭りの最中だったから、やりやすかったがな」
凄みを利かせた声でこちらに話しかける。統制が取れているようで、その間に数人の部下が素早くアランたちの後ろに回り込んで逃げ道を塞いだ。
「さあ、そこの竜のガキ二匹をこちらに渡してもらおうか。
そうしたら、部下の件はチャラにして今回は見逃してやる」
「この子たちをあなた方に渡すわけにはいきません」
リュセットが勇敢にも前に出て、きっぱりと拒絶する。
「仕方ねえな。言っておくが、俺は女子供だからと言って加減はせんぞ」
巨躯の男は剣を抜いた。柄に豪華な宝石があしらわれている。
魔法剣だ。こいつは魔法剣士だ。
「やっぱり、竜の子供を取り返しに来たわね。
アランさん、ラウルさん、リュセット様の守りとザコの相手は任せるわよ」
ミュリエルが前に出て、盗賊のボスを睨みつける。左手には紐で水筒二つをぶら下げ、右手には魔法剣と持っている。
口にこそ出さなかったが、盗賊たちが牢から逃げ出したことから、彼らが再びルージュを奪還するために現れる可能性を考慮していた。
だから前回と異なり、今回はアランも覚悟はできていた。
ザコと呼ばれ、盗賊たちは殺気立っていた。
アランとラウルも剣を抜き、盗賊たちの動きに注意を向ける。
「お前らがリュデルに残ってくれてりゃ、
その必要もなかったんだがな。
まあ仕方ない、覚悟してもらう。
お前ら、かかれ!」
まず、盗賊たちが三人一組で前から襲いかかってくる。
後ろの奴らはラウルに任せて、アランはリュセットをかばうように前に出て、盗賊たちの剣を魔法剣ジョワユーズで受け止める。
あっさり受け止められたことに動揺したのか、盗賊たちは距離を取った。よく見ると先日会った盗賊も混じっていた。
「よく受け止めたなあ、クソガキ!
だが次はそう簡単にはいかねえぞお」
盗賊たちは三人で時間差攻撃を仕掛けてきた。
最初に剣を振り下ろしてきた盗賊の攻撃をジョワユーズでいなし、敵の勢いを利用して力任せに地面に叩きつける。
この程度の相手なら、手加減して対処できるから殺さずに済む。そう思ったアランは気が楽になった。
二番手として間髪を入れずに突っ込んできた盗賊は、先の盗賊があっさりと攻撃をかわされたのを見て、動転し大きなスキを見せていた。
その盗賊に向かって剣の腹で頭を打つ。盗賊は気絶して地面に倒れた。
三番手の盗賊は、先の二人があまりにも簡単に無力化されたのを見て、攻撃をせずに再び距離をとった。
「なんだあ、こいつらあ!
元スアーブ王国兵士のこの俺たちが手も足もでねえ」
ラウルの方も後ろから襲ってきた盗賊たちを手早く倒したようだ。他の盗賊たちは躊躇したのか、次の攻撃はない。
「お前ら、ガキ共相手に手間取ってるんじゃねえ」
ミュリエルの出方をうかがっていた盗賊のボスは、このままではまずいと感じて、手を剣にかざし呪文を唱えようとする。
「風の…」
その時だった。
突然上空から怒り狂った何か巨大な生き物の咆哮が轟いた。その場にいた全員が驚き、その咆哮のけたたましさに身動きが取れなくなる。
全員が視線を上空に向けると、巨大な赤い竜が抑えきれない怒りを瞳に宿してこちらを睨みつけている。そして、凄まじいスピードでアランたちのいる方に急降下してきた。
ちょうど盗賊のボスがいる後ろあたりに着陸し、その凄まじい衝撃でその場にいた盗賊たち数人が吹き飛ぶ。
「うわああああああああああああああっ」
「ぎゃああああああああっ」
右手で剣を地面に突き立て、左手でリュセットの肩を抱いて引き寄せ、アランはかろうじて衝撃を耐えた。
ラウル、ミュリエル、盗賊のボスも、剣を支えになんとか衝撃をやり過ごす。
他の盗賊たちは皆衝撃で吹き飛ばされていた。岩に身体をぶつけて血を流し、動かなくなったものも少なくなかった。
「何だ、これは!?
まさか竜のガキの親が今ここに来てしまったというのか!」
「あの竜がルージュの親なのですね。ですが様子が……」
子供が危険に陥った時、親竜は理性を失って、地の果てまででも追ってきて暴れまわる――子供の頃からよく聞かされた話をアランは思い出した。目の前の竜は理性を失っている!
再び竜が咆哮を轟かせる。
驚きと突然の出来事で麻痺していた感覚が、圧倒的恐怖に支配される。空気が張るように肌を突き刺す。本当は目をそらして逃げ出したいのに、本能が歯止めをかけるのか、竜から目が離せなかった。
想像していたよりも遥かに巨大で、威圧的で恐ろしかった。竜の口からは燃えたぎる炎が溢れでている。恐怖に捕らえられて身体は動かない。
アランはこれとよく似た感覚を知っていた。夢で見る黒騎士と同じだ。
左手で抱いていたリュセットが震えるのを感じる。アランも激しく震えていた。リュセットの腕の中のルージュが親竜に向かってぴーと鳴いたが、親竜に聞こえている様子はない。
顔をぐいっと上げたかと思うと、巨大な赤い竜は一番近くにいた盗賊のボス目掛けて爆炎を吐いた。
一瞬だった。
鎧で身を固めていた大男は消えていなくなっていた。
カランッ、と男が持っていた魔法剣が地面に落ちる。彼が存在した痕跡を残すのはその魔法剣だけだった。
「アランさん、リュセット様を連れて逃げて!
ここは私が足止めする。
私でも足止めするのが精一杯だろうから!
だから早く逃げて!!」
眼前の存在の危険性をはっきりと認識したミュリエルは、悲痛そうな声で叫んだ。いつもの余裕は消え失せていた。
「アラン、行け! 俺もここでミュリエルと共に足止めする!」
ラウルがアランの側を駆け抜けた際、そう言葉をかけてきた。そのままラウルはミュリエルの方に向かう。
「やめろ、ラウル! 僕たちが敵う相手じゃない! 逃げるぞ!」
「お前を魔法学園に送り届けるって、母さんに約束したからな」
振り向きざまにラウルは言った。
馬鹿野郎! こんな時にかっこつけてるんじゃない!
「ミュリエル、一体何をするつもりです!
いくらあなたでも無茶です!
一緒に逃げましょう!」
ミュリエルから返事はなかった。既に水筒を二本とも開けて呪文を唱えていた。
幾本もの水の矢が勢いよく竜に向かって放たれる。
だが、半分は竜が吐いた炎で瞬く間に蒸発した。数本が刺さって竜がうめき声を上げるが、痛みを与える程度でとてもじゃないが、抑えきれそうにはない。
攻撃されたことに反応して、竜は前足の巨大な爪でミュリエルを引き裂こうとするが、ラウルがその前足を素早く切りつけて竜を怯ませる。
「水が、いくらなんでも水が足りなすぎるよ……。
リュセット、お願いだから、あなたは、あなただけは逃げて!
お願い……」
絞り出すように発せされたミュリエルの声は、絶望に満ちていた。
その声でアランは決心した。このままでは全滅だ。リュセットだけでも、命に変えても逃がそうと。そう決意した。




