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第一話 少年と少女と黒騎士

 幼い女の子が目の前にいる。よく知っているはずの顔。何度も見たはずの顔。


 だけど、顔ははっきりとしない。目や鼻、唇の形も分からない。名前も知っていたような気がするが思い出せない。


 女の子はずっとこちらを見て微笑んでいる。それだけは分かった。


 どうやら僕は石でできた建物の中庭にいるようだ。日の光が中庭全体に降り注いでいる。目の前の女の子と僕以外はここには誰もいない。


 女の子に声をかけようとしてみる。だが、言葉は出なかった。


 僕が声をかけようとしていることに気付いて、女の子はこちらに手を差し伸ばしてきた。手をさし伸ばしながら、僕に何か話しかけているようだったが、彼女が何と言っているのかは聞きとれなかった。


 しばらくすると、女の子の姿がぼやけ始めた。周りの景色も一緒にどんどんぼやけていく。 このあと何が起こるかは分かっていた。嫌だ、続きは見たくないとおぼろげに思った。


 女の子の姿が完全に見えなくなって、急に場面が切り替わった。


 全身真っ黒な鎧を着た、巨大な騎士がこちらに向かって歩いてくるのが見える。手にした剣には黒い炎がまとわりついている。その炎が石造りの壁を煌煌と青く照らす。


 先程の場面と同じ建物の中のようだが、今は蝋燭がたくさん灯された広い部屋にいる。


 近くで何か巨大な生物の咆哮が轟いた。遠くで人々の叫び声が聞こえる。僕以外にもこの部屋には人がいるようだが、僕は黒い騎士から目を離せなかった。


 黒鎧の騎士は一歩、一歩、ゆっくりと僕の方に近づいてくる。


 僕の身体は金縛りにあったかのように動かない。やがて騎士は僕の眼前まで辿り着いた。黒い兜に覆われて騎士の顔は見えない。


 騎士は剣をゆっくりと振り上げる。


 殺される――そう思った。


 黒炎で煌めく刃が勢いよく振り下ろされる――




「……ちゃん、……いちゃん!……お兄ちゃん、起きて!」


「ん、ううん……」


 全身汗びっしょりだった。


 栗色の髪をした十二歳の少女が、心配そうな表情を浮かべてアランの顔をのぞき込んでいる。ゆさって起こしたのだろう、少女の両手は毛布を掴んでいた。


 アランが目を覚ましたことに気付くと、少女は急いで部屋から出ていき、コップ一杯の水を持って戻ってきた。


上体を起こして、渡された水をごくごくと一気に飲み干す。冷えた水が、悪夢で鈍ったアランの感覚を現実に呼び覚ました。落ち着きを取り戻すまでしばらく時間がかかった。


「あの夢、見たの? ひどくうなされてたよ。

 お父さんとお母さんにも夢見たこと伝える?」


 幼い頃、震えながらこの夢の話を両親に初めてしたとき、父親は一瞬ハッとした表情を見せたけれど、すぐに笑って、ただの夢だろう、怯える必要はないってアランを励ました。


 母親はとても悲しい顔をしたが、口をきつく結んで何も言わなかった。


 それからこの夢の話をするたびに、父親は笑って元気付け、母親は悲しい顔をする。いつしかアランは両親がこの夢の話を聞きたくないことを、子供心ながら悟った。


 またこの話をして、あえて二人を嫌な思いにさせる必要はないとアランは考えた。


「……いや、大丈夫。

 起こしてくれてありがとう。おはよう、クリス」


 アランは黒い髪をかき上げながら答えた。


「うん。おはよう、お兄ちゃん。もう大丈夫?」


 不安そうに妹のクリスが、母親譲りの緑色の瞳で問いかけてくる。


「ああ、もう大丈夫だよ」


「良かった! ラウル兄はもう起きて、外で稽古始めているよ」


 クリスは安心した表情を見せた。


「わかった。今日こそラウルをボコボコにしてやろう」


 本当はまだ恐怖が残っていたのだが、妹を心配させないように、アランは平静を装って冗談交じりに言う。


「お兄ちゃん、そう言っていつもラウル兄にボコボコにされてるよね」


 笑いながらクリスは冗談に反応する。


「それじゃあ、お兄ちゃんも起きたし、

 あたしはお母さんの朝食の手伝いに戻るね」


 そう言ってクリスはベッドから離れた。


 部屋を出ようとする際、隅にある木箱をチラッと見る。クリスは一瞬止まりかけたが、諦めてそのまま部屋を出ていった。


 アランは深呼吸をした。この夢を見るのは久しぶりだった。ここ最近はめったに見なくなっていた。


 彼は起き上がって、壁にかけてあったタオルを取り、汗を拭った。


 辺りを見回す。ベッドがあって、本が積み重なって置いてある机と椅子がある。部屋は広くはない。いつもどおりの自分の部屋。他にあるものは、壁に立てかけられた稽古用の木刀と、椅子にかけられた、ちょっと大きめの革製のカバン、それに部屋の隅にある木箱だけだ。


 その木箱の中にはシロがいる。アランが物心ついた頃からずっと一緒にいる相棒だ。


 既に十年以上共に過ごしているが、シロの方は未だに子犬ぐらいの大きさしかない。目が大きくて全身鱗に覆われている。


 全身真っ白だからシロ。


 我ながら素晴らしい名前だとアランは常日頃思っているが、シロを人に紹介すると笑わることは多い。


 いくらまだ幼いからといって、大昔に人と戦争し人を滅ぼしかけた竜につける名前かって。


 藁がたっぷり敷かれた木箱に近づき、中をのぞいてみると、シロは体を丸めたまま、まだ眠っていた。角と角の間の頭の部分をつついてみる。シロは体をビクッとさせると、片目をあけた。


「おはよう、シロ」


 シロの前足を両手で持って高く抱き上げた。眠そうな大きな両目がアランを見ている。眠りを邪魔するなと言いたげにシロはきゅーと鳴く。


 あまりの愛くるしさに、先程からアランを捕らえていた恐怖感は完全に吹き飛んだ。


 クリスはシロを溺愛している。シロが起きていたら、クリスは部屋を出ずにシロと戯れていただろうなとぼんやり思った。


 シロを住処の木箱に戻して、壁に立てかけてあった木刀を手に取る。アランが子供の頃から愛用している自慢の業物だ。


 「よし!」


 アランは両手で頬を叩き気合を入れた。


 階段を駆け下りて一階に向かう。アランの母は台所で朝食の用意をしていて、妹のクリスが手伝っていた。


「おはよう、母さん」


「おはよう、アラン。今日はクリスに起こされてお寝坊さんね。

 お父さんもラウルも朝の稽古始めているわよ」


 母親はゆったりとした声で答えた。


「わかってるよ」


 ドアを開けて外に出ると、夏の朝の心地よい涼しさが全身を包み込む。


 朝の靄のカーテンを透かしてはるか向こうに、天高くそびえる巨大な塔がうっすらと見える。


 大賢者の塔だ。この塔は、はるか昔、大賢者が建てたと伝説で言われている。


 塔から目線を戸口の右脇に向けると、水で満たされた桶が置いてあった。毎朝井戸から水を組んでくるのが兄ラウルの日課だ。本人曰く訓練も兼ねているとのこと。


 冷たい水で顔を洗って庭に向かうと、風を切る音が聞こえた。長身で筋骨隆々としたアランの父親アルマンと、その父親を二十歳ぐらい若くした姿の兄ラウルが素振りをしていた。


 父アルマンの動きには全く無駄がない。若い頃は、それなりに腕の立つ魔法剣士だったとアランは両親から聞いていた。


 魔法剣士というのは、剣術と魔法を極めたエリート、剣士と魔術師を兼ねた者のことだ。一般的には貴族の子弟が多く、平民出の魔法剣士は少ない。


 そんな魔法剣士だった父アルマンは地位を捨てて、この村の村長の娘だった母と出会って婿入りした。


 それから魔法でこの村を豊かにして、今では村長を務めている。そんな父親曰く、魔法は苦手で次第点だったとのこと。と言っても、ここらで一番の魔法の使い手はアルマンなので、実際のところ、それが事実かどうかはアランにはよく分からなかった。


 アランが住むデュヴァル村は街からずっと離れていて、魔法の恩恵を受けることができず、長い間貧乏な生活を強いられてきた。そんな村にとってアルマンは救い主のような存在だった。


 アルマンは村人から多大な尊敬を受けていて、アランも父親を尊敬していた。


「おはよう、父さん、ラウル」


「よう、アラン。今日は珍しく遅いじゃないか」


 父親が渋い声で答えた。


「ついついシロと遊ぶのに夢中になってしまって」


 アルマンは呆れた表情をしている。クリスに言ったとおり、夢のことは話さなかった。


「アラン、準備運動が終わったら早速相手になってくれ」


 ラウルがアランに声をかける。


「了解!」


 よし、今日こそラウルを倒すぞ! と意気込んだが、結局負けたのはアランの方だった。




 竜の地と呼ばれる大山脈地帯。そこで汚れた鎧で身を包んだ大男が歩いていた。精悍な面構えをしている。


 男は騎士と呼ぶにはあまりにも身体中汚れており、賊と呼ぶには身につけている装備は質の良いものだった。


 大男はしばらく歩いていたが、やがて大岩の前で立ち止まると、周囲を見渡し人がいないことを確認した。そして、大岩を力を込めて横にずらした。洞窟が現れ、暗い道が奥まで続いている。


 大男は躊躇なく洞窟の中に入っていた。


 進むにつれて、道はどんどん広くなっていく。ほどなくして巨大な空間に出た。頭上から朝の光が差し込んでおり、空間の中にいる巨大な生物の黒い鱗を淡く照らしていた。


 巨大生物の前で、大男はひざまずいた。


「エミリアン様」


 巨大な生物の側から、漆黒の鎧で全身をまとった男が現れた。


「状況はどうだ」


「部下の一人が竜の親子を見つけました」


「良くやった。

 予定通り、頃合いを見計らって

 竜の子供をさらい、リュデルに運べ」


 黒騎士の声は満足そうだった。表情は黒い兜に遮られて見えない。


「かしこまりました、エミリアン様」


 そう言うと大男は踵を返して、来た道を戻って行った。


 部下の男が去るのを見届けると、黒騎士は黒い鱗で覆われた巨大な生物に語りかけた。


「あれから十年……長かったが、

 今回の作戦が成功すれば計画は大きく前進する。

 もう少しだ、黒竜。もう少しで私達の目的に到達できる……」

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