第95話 府中動乱⑪
1つ、分かったことがある。
虹色ネイルの女の記憶消去の能力は、記録媒体には作用しない。
だからこそ虹色ネイルの女は機械制御の能力者を連れていた。記録されないように、記録により記憶に残ってしまわないように。
(あの施設が問い合わせ内容を全て記録するキッチリした場所でよかった。そのおかげで受付嬢は当時の記憶ではなく記録を記憶して話を聞き出すことが出来た)
記憶消去が神原に適応されない理由については分かっていないが、イレギュラーで記憶消去をすり抜けられることが分かっただけでも十分な収穫だ。
そして、同じく虹色ネイルの女のことを聞いていた枚戸とかいう警察官。
(その警察官が事前に聞いといてくれたおかげで俺も情報を得ることが出来た。俺が最初だったら記録を見てもらうというアクションを踏めなかった可能性もある。警察官ならそういうところにも気を回して受付嬢を誘導出来る。つまり、虹色ネイルの女の情報を与えさせていただいた…っていうこともあり得る。俺が来ることを想定していなかった…ってのは流石に楽観すぎるか)
ここまで手のひらで踊らされていることも否定出来ない。
(俺が行くところは先回りされていると見るべきか)
枚戸警視の目的が知りたい。
神原はスマートフォンを取り出して豊橋刑事に電話を掛ける。
「もしもし」
「お疲れ様です。神原です」
……
「枚戸警視か……」
「ご存知ですか?」
「知ってるも何も…県警本部の枚戸さんだろ。神奈川県警の中でも上から数えた方が早いバリバリのエリートさ。彼がわざわざ聞き込みに来た…、普通ではないよ」
「私も同意見です。警視って現場仕事じゃないですよね。テレビイメージですが、デスクワークだと思いますが…」
「んー、まあキャリアなんてすぐデスクワークになるからな。たまに現場好きな人もいないことはないが、枚戸警視はそれには該当しないだろう」
「会ったことがあるんですか?」
「何回かね。県警に出向くことも多少あるからね」
豊橋は刑事として優秀だ。そのため県警から表彰されることも少なくない。なんなら枚戸警視から表彰状を直接もらったこともある。
「印象としては、知的な方だ。物腰は丁寧で洞察力にも優れている。彼が敵側と考えると、ただただ厄介の言葉に尽きる」
(豊橋刑事をもってしても優秀の部類か。その階級が敵側と考えると敵は相当警察組織に深く入り込んでいる。それが県警だけなのか。警視庁とかの他の警察組織にも入り込んでいるのだろうか)
「そうなんですね」
「君も動いているようだが無理はしないようにな。本当は私がもっと動ければ良かったんだが…」
豊橋刑事は未成年連続失踪事件の捜査を担当している。失踪と虹色ネイルの女に繋がりがあるかもしれない。豊橋刑事は事件を、神原と麦島は女とドクターを探す二方面作戦が今取れる選択肢だ。
「いえ、豊橋刑事の立場は十分に理解しているつもりです。ところで祥菜の方は元気そうですか?麦島から目を覚ましたと連絡は受けましたが」
「あぁ、伊武先生の秘書と一悶着あったみたいだが問題はない。病院周囲にも怪しい人物の報告は受けていない」
「分かりました。私は館舟商店街の方をあたってみます」
「そうか…。そっちには女島がいるがどうする?」
「女島刑事も病み上がりでしょうから遠慮しておきます。豊橋刑事のことですから動かない仕事を振っているんでしょう?」
「女島には既に集めた監視カメラの映像を洗ってもらっている」
「ならそちらに集中してもらいます。あくまでも個人的に行くだけなので何か手掛かりを得られるとは思っていません」
ショッピングモールに来たのも通った道から何かヒントを得られないかという目的だったが、超能力者が関与しているなら痕跡は消えているだろう。消しきれなかったのは女島刑事の方が見つける公算が高い。
(誰も想像の付かない選択肢って言っても、何も思いつかんな。自己暗示なんてなんの役にも立たないし)
川崎で出来ることはもうないだろう。
神原は電話で話した通りに館舟商店街へ向かうために南武線の電車に乗ろうと思い、川崎駅に向かったが……
「何だ、この混雑」
遅延か、事故か。人でごった返していた。
人の喧騒で耳が使い物にならないが、何とか駅員の拡声器の声と駅内アナウンスに耳を澄ませる。
……
「南多摩駅で車が線路に入り込んだ!?」
勇者過ぎる。馬鹿もそこまでいけば勲章ものだ。
それによって南武線全ての電車の運行を停止。線路に入った車は川崎方向へ直進中…
(くそっ、とんだヤク中がいたもんだ。これじゃあ館舟に帰れないじゃねーか!電車がダメならバスか……。殺到するだろうな。やっぱ縦の路線は必要だよマジで。館舟に発着する新路線の開発が急がれるな)
縦の路線建設の工事は進んでいるがそれも何年か経った後だ。
(バスは混雑するからいいや。最悪歩きでも行けない距離じゃない。運転再開するまで待つのもあるが、祥菜の病院からは少しでも離れた方がいい)
線路に入った馬鹿を脳内でなじりながら、川崎駅を後にする。
10分で館舟に戻るつもりであったが大幅な時間ロスになってしまった。
♢♢♢
『緊急停止信号です。しばらくお待ちください』
電車のアナウンス。車内の人達に動揺はない。電車が停止することなど日常茶飯事。日本人が海外の人と比べて地震に対して慌てる様子がないのも地震がしょっちゅう過ぎて慣れてしまっているからだ。
今回もそう…。
「南多摩駅の線路に車が入り込んだらしいぞ」
「えぇ…何それ?じゃあこっちに向かってるってことなの?」
「玉突きされるじゃん!せめて稲城長沼駅まで行って降ろしてくれればいいのに」
慣れていると言っても危機が迫れば話は別だ。
こうなった時の集団心理ってのは怖いもんだ。
最後尾の6号車の乗客が前の車両に雪崩れ込んで来た。6号車の誰か1人が後ろから車が迫っていることを知って慌てて移動したのだろう。おそらく「後ろから車が突っ込んでくるぞー」なんて馬鹿正直にペラペラと。
そうなれば後は流れだ。自分が助かりたいがために6号車の人間が前の車両を目指し出す。6から5、5から4。
萩原時雨は5号車に乗っていた。6号車から来る人々と4号車へと進もうとする流れに飲み込まれかけていた。
まだ時雨が人壁に押しつぶされていないのは彼女自身が4号車に逃げようとしていないからだろう。
座席に座って足を丸めて大軍に足を踏まれないように。座席から動かずモゾモゾと蠢く人の群れを眺めていた。
彼女だけはクレバーでいた。
(これ以上は巻き込めない…)
そんな余計な思考を考えていた。それは鬼束達を犠牲にしてしまったからか。これ以上は誰にも迷惑をかけてはいけないと思い願っている。
どれだけ逃げ切ることに徹してもどうしても頭に浮かんでしまう。
それが絶望的に致命的であるのだが、子供である萩原時雨にそれを理解しろというのは難しい話だ。
(連絡を……)
萩原時雨にはスマートフォンがある。こちらに向かっている車両は間違いなく神岐義晴の息がかかっている。これがただの偶発的な事故であるはずがない。となると、鬼束零は既に……。
(ドクターに、連絡するべき…?)
ドクターは自分から連絡すると言っていた。ヘルプコールを送りたいが、もしも、もしも連絡しないことがドクターの超能力に直結するとすれば、連絡するわけにはいかない。それに連絡する行為はドクターへの信頼の裏切りにもなる。かと言って事態は既に鬼束兄弟と萩原時雨で何とかなるレベルではない。鬼束零は仮面の集団が府中駅にいることを市丸を通して知った。しかし、零は時雨にそのことを伝えていない。神岐と仮面の集団が繋がっている可能性があるからだ。伝えたらより一層時雨の心のダメージが深くなってしまうことを危惧して敢えて伝えなかった。
彼女にとって敵は神岐のみに見えているが、認識誘導の威力を目の当たりにしている時雨では神岐が全てを引き起こしていると誤っていても仕方がない。
5号車には時雨しかいない。4号車では叫び声や雄叫びが入り混じっていた。足を踏まれた痛みや押し潰されたことでの呻き、早く3号車に行きたいという焦りと苛立ち。今が通勤ラッシュではなくても6両に分散して乗車した人間が1つの車両に全て収まり切れるはずがない。1号車に乗ろうする者と乗せまいと阻止する者で争いが発生する。
争いから最も離れた5号車に残ったことは正解なのかもしれない。6号車では突撃をモロに受けてしまう。電車の強度は知らないが6号車がペシャンコになっても5号車まで潰れることはないのではないかと考える。6号車が潰れるほどであればそこからは潰すよりも電車全体が前に押し進められる方があり得そうだ。停止していても車輪だ。強い力が加われば車輪は転がり始めるだろう。
先程も言ったが、今の彼女はクレバーだ。動かず待ちの姿勢。今の現状を冷静に整理する時間は十分にある。
(神岐の目的はドクターに会うこと。そのために私達に接触しようとしている。私達がドクターと別行動を取っていて零の隠れ鬼が使えないことも知っている。私達を捕まえてドクターの居場所を吐かせる。もしくはドクターへの連絡手段を手に入れて直接繋がりに行こうとしている)
はっ、と思わず息を呑む。
(もしかして….、私達が連絡をした時は神岐に操られていると判別するためにわざと電話を掛けさせないようにした?今までもスマホを通したやりとりはしていたのに急に止めるように言ったのはそのリスクがあるから。今更電波から情報を抜き取る超能力者がいましたなんて後出し過ぎる。その線はない。やはり電話をかける行為でジャッジを行うため……ヤバい!!)
この仮説が間違っていれば良い。ただ、もしもこの仮説が正しかった場合、神岐にこの仮説を読み取られてしまう。
(どうしよう…私が考えてしまったから、ドクターの策を潰しちゃったかも………)
だとすれば大戦犯だ。
(絶対に捕まるわけにはいかない!)
ではここからどうする?
電車から出る行為は時雨の考えるこれ以上迷惑をかけてはいけないに則している。神岐は時雨を電車の中に閉じ込めて逃げられなくしている。そのために線路に車を入らせて緊急停止させて全ての電車を止めた。
神岐は時雨がどの路線に乗っているかを掴んでいる。動きを止めて停止車両を調べていけば時雨に辿り着いてしまう。
(電車から出る…、出方を知らないし内側からこじ開けられるように出来ていないと思う。車が迫っていても動かしていないから車掌が開けるとは思えない。なら先頭車両まで行ってドアを開けてもらうことだけどそこに辿り着くことは不可能)
電車から出られたとしても時雨には足しか移動手段がない。向こうは車だ。逃げ切るのはかなり厳しい。車には通れない道を駆使しても時間稼ぎにしかならない。撒けたとしても神岐の追っ手は次々と来る。じっと潜伏してやり過ごすのは難しい。それが不可能だから是政駅から逃げようとした。
(残っても出ても危険、そもそも出方が分からない。残ってもやることがない)
手詰まり。何も出来やしない。これが神岐の狙い。捕まえるではなく逃がさない方式。
神岐はまだ時雨捕縛のために仕込みをしているがまだ発芽はしていない。
しかし、そう遠くない内に、芽吹くだろう。
絶対に逃がさない、それを最大限行動で表現したような絶望が……
♢♢♢
ピクッと体が何かに反応した。虫の知らせか、ただ3人は言いようもない何かを感じた。
それは血の繋がりがもたらす何かだったのだろうか。分からない、シンクロニシティのようなものかも。たまたまと言ってしまえばそれまでだしオカルトで片付けられてしまいそうだが、それでもこの直感は当たっているのだと体が理解した。
(((零兄がやられた!)))
追って来なかった仮面の人間か、神岐か。分かることは鬼束零は敵にやられたという感覚のみ。
零がやられたということは時雨の身が危ない。
(戻るか?)
(いや、ここで戻るということは仮面の人間も一緒に引き連れてしまう)
(ならばここで奴等の動きを止めて戻れば良い)
(時雨ちゃんを狙っているのが仮面の人間達でも神岐でも、再度顔を出せばこちらにも目を向けなきゃいけない)
(また引き付ければ時雨ちゃんを追う数を減らすことが出来る)
(こっちが最短で進んでいるのなら…)
(向こうも最短で追っている。つまり…)
(見えている追っ手が全部)
(全員倒せば俺達を追う者はいなくなる)
(((時雨ちゃんを助けに行ける!)))
3人の走る速度が次第に緩やかになっていく。やがて停止し、振り返る。
正面にはこちらを追う仮面の人間達。鬼束を捕まえようとする廃人共。
廃人の、さらに後ろにいる羽原ののも追跡対象の変化に気付いた。
(こっちを振り返った?反撃するのかしら?でもどうして今このタイミングなの?行き止まりでもないのに)
追跡対象はわざと存在を見せ続けることでこちらに意識を割かせている。捕まっては意味がないがここで止まるということは…、逃げる理由がなくなった。または逃げる以上の理由が出来たか。
(何かきっかけの出来事が府中で起こっているはず…)
ののは通話アプリを起動する。
全員と繋がった。今連絡が取れる全員だ。
「ハロー、むさ暑い中働いている皆々様」
府中にはいない女性が第一声だった。
「千羽、そう思うなら今だけは解除しなさいよ」
「無理ですよののさん。解除は簡単だけど再発動には時間がかかるんですよ私の激烈灼熱は」
「あれ?お嬢様はいないんだ?」
今通話状態になっているのは羽原のの、舟木真澄、九重那由多、久留間紗穂、能登八散、そして不破千羽の6名だ。彼女らがお嬢様と呼称する人物は通話には参加していない。
「お嬢様は超能力について新入りにレクチャーしてますよ。彼もずいぶん熱心に聞いてるみたいですね。余程神原奈津緒に対抗意識があるみたいですね」
(また神原奈津緒…)
舟木真澄の妙な抵抗意識を勘付く者はいない。
「それでののさん、何で連絡して来たんですか?捕まえたんですか?」
「いえ、まだよ。追っ手が府中に戻ろうとしてたからそっちで何かあったんじゃないかって確認したかったの」
「こちらは東京競馬場で真澄さんと飴奴隷を作っています。業君にはまだ会っていません」
「どれぐらい増やしたの?」
「私の甘魅了の生産スピードが追いつかないくらい。倍々に増えてくからもう100は軽く超えてるわね。数えた?」
「いーえ。ただまぁ、競馬場にいる人間を全員って考えれば、いずれ万は行くと思います」
1万を超える廃人。普通の人の方が少ないのではないか。
「ふーん、特に何もないのね。府中駅はどうなの紗穂?」
「こちらも来る人、出る人に業君はいませんね。というか出る人が急増してますね。おそらく飴奴隷を見て逃げようとしてるのかも?中心から見ると結構乱れてるのがよく分かりますよ」
戦争で後ろから戦況を見る指揮官のような、駅舎で張っていてもよく分かる。
府中全体の空気が悪くなっている。ただ、飴奴隷だけでこの空気感を作っているとは思えない。より別の何かが今この府中にはある、そんな感覚がある。
あくまで主観だからここで皆に言うことはないが、何か、何かヤバいかもしれない。
(隣に気が立っている八散がいるからかm………)
「それで、どうする?作戦は継続ってことで良いの?」
「お嬢様は何も言ってないので現状維持がベターなのでは?どうせ下手に作戦変更して業君を見つけられなかったら怒られそうですし」
「作戦続行で見つけられなくても怒られるしね」
「仮に作戦変更して成功したらそれはそれで怒りそうだし…」
「「「「…………」」」」
「「「「現状維持ね(ですね)」」」」
「ののは飴奴隷で応戦。彼等が府中に戻って来るならこのまま退いて紗穂達と合流。私と那由多はこのまま増やし続けて順次競馬場外へ散布していくわ。供給が間に合わないから一定数以上は暴れさせた方が効率が良いかも」
「分かった。合流した後は?」
「継続でいいんじゃない?他の駅は飴奴隷が見てるし、是政駅が遠くて配備に時間がかかってるけどこれだけ経っていれば配備は完了でしょう」
「のの、了解」
「那由多、了解」
「私はー?」
「激烈灼熱継続」
「千羽、了解」
「…………」
「…………」
「八散?紗穂?」
能登八散と久留間紗穂からの応答がない。
(電波障害?いや、でも府中駅のBGM?何かしらは聞こえてる。彼女達が喋っていない)
「八散、紗穂、返事は?」
「………」
「………ゴゴゴ」
スマホが大きく揺れたようなガタガタした音が聞こえる。
スマホを落としてしまったのかうっかりミュートにしてしまって設定し直したのか。と真澄は推測したがその予想は大きく外れてしまっていた。
一番恐れていた事態が彼女達を襲う。
「ゴゴ………」「ごきげんよう」
「「「「!!!」」」」
八散でも、紗穂でもない男性の声。この声、記憶にある。
「あぁ、安心してくれて良い。声だけでは催眠状態にならないから」
「「「「!!!」」」」
誰か分かった。ドクターは追跡対象だがこの男には逃走一択。
「comcom……神岐義晴ね」
代表してののが応対することにした。彼女の超能力は電話越しでは記憶出来てしまう。記憶に残らない能力はここでは使い道がない。それに、この手の折衝はののの役割だと昔から決まっている。
(俺の名前もcomcomであることも知ってる。どこかで飴奴隷に見られて調べられたか……)
「初めまして、えぇと、ののさんと言うのですね」
おそらく話したら画面の外枠が光る仕組みなのでそれで喋っている人物を特定しているのだろう。
「あなた達の飴奴隷のせいで身動きが取れないのですが、何とかしてくれませんかねぇ?」
(飴奴隷を知っている!?)
存在だけでなく名前も知っている。名前を知っているのは当時研究所にいた人間のみ…。神岐義晴は当時子供であり研究者でも実験動物でもない。それを知っているということは、研究者から聞いた。そんなことをする研究者は1人しかいない。
「業君と繋がっていたのね」
「業君?……あぁ、ドクターの名前か。業って言うのか。いや、ドクターとは敵対関係だ。けど、お前らの味方でもない。俺の邪魔をする奴は全員敵だ」
「邪魔?あなたが府中にいるのは想定外で最悪だけど、私達の狙いは業君と超常の扉であって、あなたと敵対する気はないわ」
「いーや、お前らがばら撒いた飴奴隷のせいで俺含めて知り合いが身動き取れないんだ。俺の行動を縛っているのは十分邪魔と言えるんじゃないのか?」
「……八散と紗穂は?」
神岐がスマホを取り上げて話しているのだろう。2人は一緒に行動していた。2人とも行動不能、神岐の能力下に置かれていると考えるのは自然。
「んー?さてね。死んじゃいないよ。情報を抜き取れるだけ抜き取るつもりだからね。ただまぁ、一先ずは………」
ガサガサと神岐が何かをしている。カメラはオンになっていないから神岐が何をしているのかはのの達には全く分からない。
のの達も「やめろー」とか言ったりはしない。神岐と遭遇したら即逃げだ。それだけ神岐の能力は危険なのだ。下手な刺激は八散や紗穂へとリターンされてしまう。
「名前と能力は?」
「……久留間紗穂。……能力は日帰り旅行。空間内の物体を別空間に移動させる」
「飴奴隷を府中に連れて来たのはお前だな?」
「はい」
(完全に操られている。これが神岐の能力…)
抵抗もなく名前も能力もペラペラと喋っている。いや、喋らされている。自白というべきか。
「なら…、今すぐ日帰り旅行を解除しろ」
「「「「!!!!」」」」
「はい、分かりました」
「待って紗穂ちゃん!」
那由多が口を開いたが口だけではどうにも出来ない。
ゴゴゴゴゴ
地震のような、しかし地面が揺れているわけではない。
ののと真澄、那由多は鳴動のような揺れ現象を観測していた。
近くにいる飴奴隷が揺れている。彼等の地面がではなく、彼等がバイブレーションのように微細運動を行っている。
「まずい、日帰り旅行が解除されるわ!」
仮面を付けた人間達が揺れる。そして、跡形もなくその場から消えていなくなった。
「ふん、けどあんたら相当用心深いな。全員日帰り旅行で府中に来てたら俺の勝ちだったのに。電車で来たことで強制退場出来なかった」
(……なるほど、お嬢様は神岐が来ることを想定してたわけね。こりゃお土産はもう一個増やさなきゃね)
女達はギリギリのところでリタイアを防いだ。
しかし、飴奴隷の2割ほどが消えてしまった。
数で言えばまだまだ優勢だ。しかし、府中で作った飴奴隷では中毒状態が足りずパフォーマンスもその人依存になっている。戦力は大幅にダウンしたと言っても良い。
「さて、どうする?数では負けても練度では飴奴隷には負けないが?」
「……」
神岐は能力を使って飴奴隷のような操り人形を作っている。数は多くないみたいだが紗穂の状態を複数で複雑な命令が出せるとなると今の人員では絶対に勝てない。
(業君と神岐をくっ付けてしまったら手が付けられない。かと言ってここで退くことは出来ない。彼は府中駅にいる。甘魅了に近い能力。操り具合から真澄よりも操作の精度は高いわね。彼の能力の発動条件は動画越しでも有効だからおそらく見たら発動するタイプ。絶対に対面してはいけない)
同じ土俵に上がってはいけない。しかしおめおめと引き下がるわけにもいかない。
「…分かったわ。貴方と貴方の知り合いには手を出さない。その代わり紗穂と八散に危害を加えないでちょうだい」
「………」
神岐は何も言わない。
(くっ、時間がかかればかかるほど不利になるのはこっち。神岐の操り人形がどこにいるのかを把握しなきゃいけないのに確実に条件を釣り上げる気ね。どっちに転んでも神岐は損にならない)
「ま、真澄さん、あれ?」
那由多が隣にいるであろう真澄に何か言ってるのがスマホ越しに聞こえる。
「な、何あれ?あの数、反対側から来てる!?」
真澄達は東京競馬場の北側のコンコースにいた。既に競馬場の中に入って中の人達を捕まえて飴玉を食わせてを繰り返していた。
競馬場から抜け出せないように全ての出入り口に飴奴隷を配備して警備員などの交戦能力の高い者達から優先的に飴玉を食べさせた。交戦能力が高ければ飴奴隷にされた後の戦闘能力も高くなる。一般人ではなす術もない。
しかし、南側の出入口からぞろぞろと人が入り込んで来た。この現状で外に行かず中に入ろうとするのは、明らかに普通の人間ではない。
「俺の催眠人間達だ。是政駅で量産した。府中本町駅も制圧したし次は西からも来るぞ。ちなみに、絶望させるが飴を作る能力…甘魅了かな?は俺の認識誘導で操れるから気を付けろよ。中毒状態が浅ければ記憶と感覚器官を弄って飴を食べなかった状態にも戻せる。つまりアンタらの手駒を減らすことが出来る」
「!」
(私の能力だけでなくののの能力も出来るのね。完全に上位互換。お嬢様の超能力でも対抗出来るかどうか……)
ピロン
「おっ?………、どうやらあんたらが追っかけてる3人組が府中に戻ろうとしてるみたいだな」
(諜報能力も優秀、真澄さんの飴奴隷も出来ないことはないけど仕込みに時間がかかるし彼等自身の脳が壊れているから外れを引かされることも少なくない。それをリアルタイムで、しかも正確に…!)
「ののさん」
府中におらずじっと能力を行使し続けることが任務の千羽が口を開く。
「彼の望む物を差し上げましょう。彼が何故府中にいるのか。そこから逆算していけば彼の弱点が見えてくるはずです」
失う物も大きいが得られる物も大きい。のの達にとって神岐の動向は全く読めない。味方ではない。敵かと言われたら敵だが敵対しているわけではない。要は何も分かっていない。何故府中にいるのか。八散と紗穂を手中に収めて何をする気なのか。分からないなら調べれば良い。
向こうの言う通りにして相手の傾向を掴む。
「…ふぅん。ま、それでも揺るがないか」
神岐も企みには気付いた。しかしここで守りに入っても得られる物はない。思考パターンや欲しがっている物から逆算した撒き餌など多少なりとも不利になってしまうかもしれないが、再び超能力者である彼女達を捕えられるかと言えばそうではない。たまたま同じ場所にいたから出来たこと。次に期待してはいけない。今やれる事は今しか出来ないと思って行動しなくてはならない。
(既に認識誘導を見せてしまっている。知られたところでどうにも出来ないから損にはならないが…。ギブアンドテイクとしては釣り合ってあるか。千羽さんとやら、府中駅にいなかったからドクター抹殺よりも優先度の高い任務を任されていると見て良いだろう)
「俺が欲しいのは情報だ。ドクター、お前らの言う業君に超能力者にされた被害者なんでな。力の根源を知りたい。そこから何故俺を超能力者にしたのかやドクターの敵であるお前らのことも知っておきたい。どっちかに組するのが得か。両方を敵に回した方がいいかの判断が出来る」
両方敵に回す。無謀だが神岐にはそれが出来ると彼女達は理解した。
(神岐は浮動票。こちら側に傾けたいけど第一印象は最悪。お嬢様のためにもいずれは処理しなくてはならないが最優先事項は業君と超常の扉。超常の扉で能力者を量産して神岐メタの超能力者が発生するまでガチャるのが安牌か…。お嬢様以外で神岐に対抗出来る能力者はこっちにはいない)
「…情報が欲しいならそこにいる八散や紗穂から聞けるだけを聞きなさい。私達の持っている情報に差異はないから、それで良いでしょ?」
「差異はないだろうが齟齬はあるだろう。能力を正しく伝えていなければな。紗穂さん、八散さんには本当の能力を教えていないってことがないとどうして言い切れる?」
「……それもそうね。なら個々の超能力に関しては私達自身がそれぞれ言えば良いのかしら?それが本当か確認出来ないのに?」
神岐は声だけでは操れないと言っていた。電話越しでは操って真実を聞き出すことは出来ない。
「問題ない。あなた方から聞いた後に2人に聞くよ。差異があればあなた達が嘘を付いたことになる。仮に本当の事を言っていたとしても2人の口から出た言葉と差異があればこの2人は正しい情報を教えられる立場にないとみなしてここで処分する。モブ要員なら殺しても構わないだろう?」
(!変に煙に巻こうとすれば認識齟齬が出てアウト。私達が紗穂と八散にどう能力を説明したかどうかのチェックも兼ねてる。特定個人にのみ違う内容を伝えていた場合を想定して、つまり真の仲間であるかの確認。情報の精度と人間関係の把握。卑屈というか後ろ向きな思考ね。能力で性悪説に飲み込まれてるみたいね。けどこっちは嘘を付けなくなった。厄介な男ね…)
「分かったわ。私達は変な隠し事なんてないし超能力も正直に伝えている。10年前に教え合っているんだから、1番心配なのは単純に2人が忘れてるって事だけね」
「……成立だな。まずは東京競馬場にいる2人からだ」
(私と那由多がいることも知られている、認識誘導で操っている人間か!南から来た連中以外にも神岐の息が掛かった人間がいる!…探しても見つからないわよね。飴奴隷の中に紛れている可能性がある以上ここにいる全てが容疑者。逆に探ろうとする動きを神岐に知られてしまうのは非常にまずい)
「…名前は舟木真澄。能力は甘魅了。依存性の強い飴玉を手のひらから作り出せる。食べさせた人間を中毒状態にして文字通り飴と鞭で使役させる。こんなところかしら?」
「九重那由多です。能力名は心地良い刺激。電気を生み出して機械を操作したり人間に対してスタンガンのようにして使います」
「ありがとうございます。丁度これからそっちに行かなきゃいけないので、操られたくなかったらそこから撤退した方がいいですよ?」
「それは…どうい「返事だけしてさっさとお友達連れて離れろ」
有無を言わさない。YES以外の回答は全て敵対発言と見做される。
「……のの」
「……業君が既に東京競馬場にいれば真澄達はここまで動けていないはずだからいないのは間違いないわ。飴奴隷の生産は一旦中止してそこから離れてちょうだい。今は天秤が紗穂達の安全に傾いている。神岐自身も天秤が反対に行くほどの要求はしないでしょう。comcomだと知られていることの意味を神岐はよく分かっているはずよ」
「……やりづらいなぁ」
(なるほど、能力にかまけた馬鹿ではないってことね。ドクターが時間をかけて対抗しようとするのも頷ける)
「分かったわ。那由多、行きましょう。通話は切っていいわよね?」
「…どうぞご自由に」
真澄と那由多の通話が切れる。これから増やしに増やした飴奴隷を外に導かなくてはならない。通話しながらでは困難であろう。神岐は催眠人間を使って2人の動向は常に監視出来る。真澄と那由多もそれを分かっているから余計な事はしないはず。
「では、次どちらかお願いします」
「じゃあ私から、これ以上通話する必要もないと思うし、名前は不破千羽。能力は激烈灼熱。常に天候を晴れにし続ける能力よ」
「……最近の異常気象はあんたのせいか?」
「そうよ。とある命令を受けててね。そこら辺は紗穂ちゃん達も知ってるからそっちに聞いて。じゃあ私は能力に集中するから」
千羽の通話も切れた。
残りは3人、だが実質神岐と羽原の2人のみだ。
「…羽原のの。能力は一時の邂逅。能力発動中の私を見ると、記憶に残らない。私という存在を記憶から消す能力よ。直接触れれば私を認識していた間の全ての記憶を消すことが出来るわ」
「見ると、ってことはこれは記憶出来るんだな」
「えぇ、ただあなたは私の顔を見てないでしょう?一時の邂逅は能力発動前に私を見たことがない人に適応される。逆に発動前に私を見たことがあればその人に一時の邂逅は効かないわ」
「…難しいが、見知らぬ他人でい続けられるって感じか。通り魔に向いてるな」
「やめてよそんな野蛮な事はしないわ…って、こっちの能力は話したわ。約束、守るんでしょうね」
「……あぁ、守るよ。能力の無駄遣いはしない主義なんだ。俺と俺の知り合いが府中から脱出してから2人の居場所を連絡する」
「そ、それでいいわ。じゃあ私も通話を「待て、通話は切るな」
「どうして?」
「今、この状況はあんた達が全員孤立している」
「孤立……、っ!!」
(紗穂と八散は神岐に捕まった。千羽ちゃんはアジト。私を通話出来ない状態にすれば真澄や那由多と連絡が取れない…)
「通話を切った後に個人チャットで作戦会議をするつもりだったんだろうが、そうはさせない。スマホは耳に当てたまま動かすな。お前も俺の監視下にあるんだからな。府中から出るまで何もするな」
「…分かったわ」
八散の通話が切れて紗穂のスマホがミュートになった。
(これで神岐が退くまで何も出来なくなった。真澄と那由多の動向も掴めないし彼女達は飴奴隷を動かすので手一杯。お嬢様の言う通り神岐には逃げの一手しかないってことね。流石に千羽ちゃんがお嬢様に連絡しているでしょうから、何かしら指示は来るでしょう。今はその時を待てば良い)
現在の状況
神岐義晴
府中駅で能登八散と久留間紗穂を捕獲。
平原暁美・戸瀬奏音
東京競馬場に向かっている
鬼束市丸・丹愛・実録
府中駅に戻ろうとしている
鬼束零
捕獲済み
萩原時雨
電車の中に閉じ込められる
羽原のの
鬼束三つ子を追跡中。飴奴隷を失って1人
久留間紗穂・能登八散
府中駅で神岐に捕獲される
舟木真澄・九重那由多
東京競馬場から離れる途中
久しぶりの神原奈津緒の登場です
線路が同じでなければ間違いなく登場してなかったでしょう
さあ、謎の女達の能力が判明しました
臼木の予想通り異常気象は超能力によるものでした
府中駅での一悶着が終わりました
後書くとするならば、
1人ぼっちの羽原ののvs鬼束三つ子
謎の男の正体
萩原時雨と電車
最終地点:東京競馬場
まだドクターは出て来ませんね
そもそも府中にいないという可能性すらあります
でも彼女達は府中にいるからこそ来たわけですから府中にはいると思うんですけどね
さて、次回も府中動乱
鬼束三つ子達の逃走劇です