第93話 府中動乱⑨
神岐義晴は鬼束零に勝利した。
勝利条件は神岐が勝手に定義したものであり、鬼束零が捕まったわけではない。
しかし、しばらくすれば捕まった報告を受けるのは確実。萩原時雨も直に……
そうすれば鬼束の三つ子も降伏させられる。
あとは時間が解決してくれる。
神岐が真っ先にやらなくてはならないのは、時間次第では解決出来ない問題に対してだ。
(暁美の馬鹿は俺のために府中本町駅を飛び出したらしい。行き先は目に見えて危険な場所。黒煙が出てるらしい府中駅前の通りに違いない)
行き先は決まった。
そして、是政橋から該当地点に行くためには、府中本町駅のそばを通る必要がある。
府中本町駅では催眠人間と飴奴隷が衝突している。飴奴隷は府中本町駅だけでなく府中駅から円状に広がっている。鬼束達を追っているし東京競馬場にもいる。
(となると、府中本町駅まで行く道中で必ずぶつかるな)
おそらく先程までいた是政駅にも後数分程で来襲するだろう。
(タイミングとしては良かったのか。もし飴奴隷が襲って来てたら是政橋に向かうなんて行動は起こせなかっただろうな)
萩原時雨を府中から出してしまったことで二重丸は貰えないだろうがまだ丸は貰えそうだ。
(東京競馬場も早急に何とかしたいが、それは暁美達を逃してからか……。逃がそうにも、府中本町駅はもう使えない。それ以外の駅も飴奴隷が来るだろう)
ピコンッ
神岐のスマートフォンの通知音が鳴る。
(これは……奏音と一緒にいる奴からか。遅えよ全く…)
………
(ヘリコプターか。大きくはなくても平地が必要だな。咄嗟に思い付いたのが東京競馬場か…。結局東京競馬場をどうにかしないと終わらないみたいだな)
最終地点は東京競馬場。
その過程で暁美と奏音と合流。
そして…何やら物騒なことも言っていた。
(神社で駅員を倒した人物か…。女どもの仲間なのか。それともマジの偽善者が暁美を助けたのか……。いや、ないか。だがその謎の人物にも注意を払う必要がありそうだ。少なくても奏音はまだ無事ではあるみたいだし)
暁美の安否についてはまだ掴めていない。
府中駅で待機している女を見張らせる人員はいる。しかし、彼らから黒煙の発生地点に女性が近付いたという報告はまだ上がっていない。
視力も高めているから性別くらいなら遠くからでも判別出来る。なのにだ。
(まだ着いていないのか。他の奴からも飴奴隷の報告が上がっているからそれらに巻き込まれた可能性。もしくは…)
謎の人物に連れ去られた可能性。しかしこの混沌の府中から飴奴隷や神岐の包囲網から脱出出来るとは思えない。
(その謎の人物がドクター…なのか?)
………
敵か味方かも分からない。
暁美を狙っているのか。ドクターを狙っているのか。俺を狙っているのか。
何一つ分からない。
しかし、この動乱の中で正常に動いている。駅員を倒している。普通ではない。普通ではないのなら……
(超能力者!)
神岐は世界に今何人超能力者がいるか知らない。
超常の扉の数も、そもそも敵が誰なのかも。
分からないなりに動く。分からないなら調べる。俺の認識誘導はそれに特化している。
仮に相手が超能力者なら、どんな超能力かは把握しておきたい。
神岐を乗せた車が高速道路の高架下を潜った所で気付いた。報告でも上がっていた。写真付きだからこれが全くの始めてではない。しかし、目の当たりにするとその仮面の異様さが際立つ。
気持ち悪い身のこなしで府中街道を南下していた。
(あれが飴奴隷…。飴玉で薬漬けにされた廃人か……)
悍ましいがなんとも似合う。仮面の下から何かが垂れている。唾液か。体が飴玉を欲してたまらなく、唾液の分泌腺が抑えきれなくなっている。
右手にある東京競馬場も飴奴隷が蔓延しているのだろう。悲鳴のような声は聞こえない。歓声だけが聞こえてくる。
飴奴隷達には車道と歩道の違いが分からないのか、とにかく自分たちの進みたい方向に一直線に走っている。漫画で見た奇行種に近いような動きだ。何故か後ろ向きに走っている奴もいる。まともな思考回路は持ち合わせていないことがよく分かる。
是政橋では多摩川方面への車が並んでいたが、府中街道を対面で走っている車はない。おそらくではあるが、飴奴隷が車道を通ったり無差別に襲って車を走らせる人がいないということだ。
(ならこの車も襲われそうだな)
こちらが飴奴隷を見ているのなら飴奴隷もまた神岐の乗っている車を見ていることになる。
(そうなると飴奴隷と催眠人間がぶつかってる府中本町駅はより凄惨なことになってそうだ。車で通れるかは怪しくなってきた)
府中本町駅を迂回しようにも今度は東京競馬場のそばを通ることになる。
(小国魂神社を突っ切るのが楽そうだが…流石に罰当たりすぎるな)
出来れば神様の怒りには触れたくない。
神岐を乗せた車がもうすぐ府中本町駅前を通る。今、府中本町駅はどうなっているのか……
♢♢♢
寿町三丁目交差点手前30メートル地点。
鬼束兄弟は引き続き逃走を続けていた。
途中で向こう側の歩道へ行ける歩道橋があったのだが、先ほどの特攻にも近い攻撃を警戒して今度は可能な限り距離を離していた。また車で来るかもしれない。今までよりは少し距離間隔を持たせた方が安全だ。
直進走行なら撒いてしまうこともない。真っ直ぐ走れば必ず見つかる。
1番安全に渡れる歩道橋を使わなかった。取れる選択肢は道路を横断するしかない。
この先には交差点がある。歩行者信号のタイミング次第だが渡るしかない。
(時雨ちゃんは…、逃げ切れただろうか)
兄と時雨がどのような状態になっているのか鬼束達は把握出来ない。上手くいっていると信じるしかない。
(いや、まだ油断は出来ない)
さっきは歩行者を犠牲にして難を逃れたが、さっきの衝突で明らかに空気が変わっている。仮面の集団の浮きっぷりが少し減少したくらいに、異常空間と化していた。
(逆に事故によって車通りが減るかもしれない。そうなれば向こう側に渡りやすくなる)
こう時間に追われると秒のズレでやきもきすることがある。
家を出る前にトイレに行ったから電車1本乗り過ごすように。ちょっとした選択で大きな悪を生み出すことがある。
たった道路一つ渡るだけ、タイミングを図るだけ。それだけだがそのちょっとがバタフライエフェクトのように作用してしまう。
(あ〜、面倒ね)
鬼束兄弟を追っている羽原ののだが、飽きが来ていた。純粋に飴奴隷の効率が悪いのもあるが、どんどんどんどん府中から引き離されているのが妙に不愉快だった。
(明らかに誘い込まれてるわよねこれ)
どかーんとデカいのぶっ放して彼等が止まってくれればいいが、超能力者となればそうもいかない。
(千羽ちゃんを連れて来れば良かったかしら?でも千羽ちゃんはお嬢様のお世話を含めて一杯一杯だろうし……)
人手が足りない。人でなければ手はあるが、生憎と募集の最低条件は人間であることだ。有象無象のゴミムシ達はスタートラインにすら立てていない。
(近付き過ぎると超能力で車を止められそうだから迂闊には近付けないわね。車なのに…)
法定速度以下をノロノロと走っている。車だからスピードを上げれば追い付くのは容易だが、試しに特攻させてみたら超能力を使われた。
ガンガン行こうぜ戦法を取ってもいいのだが、彼等の対応次第で自分の乗っている車が使い物にならなくなる可能性がある。移動手段を失うのは面倒だ。
(紗穂ちゃんの日帰り旅行を使ってればなぁ〜)
日帰り旅行の必ず元の場所に戻る能力仕様を利用する。
府中駅で羽原ののを府中駅から府中駅に呼び出す。移動は全くしていないから能力の無駄使用となるが、日帰り旅行は必ず元の場所に戻されるので、府中駅からどれだけ離れても能力で自動的に戻される。それならば往復の手間が掛からない。
(お嬢様が直接見てるわけではない所謂努力目標程度だろうけど…。律儀に守る必要はなかったわね)
日帰り旅行を使いたいところだが残念だが既に駅を離れてしまっている。もう遅い。
ここは大通りだからとにかく特攻させて超能力の分析をしてもいいかもしれない。
数で押し込んで他2人の超能力を見ることも大事だ。
超能力は完璧ではない。必ずウィークポイントは存在する。
神岐義晴の認識誘導ですら、好き勝手に操れるわけではなく視覚と聴覚を利用しなければならない。
(お嬢様の超能力さえも制約はあるものね…。まあ制約はあってないもんだけど…)
お嬢様に従い、守るのも人としてだけでなく超能力への畏怖がある。
(さてさて、何の成果も得られませんでしたーなんて言ってお嬢様を不機嫌にさせるわけにはいかないから必ずリターンは手に入れないとね)
♢♢♢
鬼束零は何とか車の特攻を凌いだ。しかし、まだ油断は出来ない。
(何とか凌いだ……だが…)
後方には車道から是政橋を突破しようとして失敗した車の運転手がいる。歩道から特攻してきた車には捕縛球で運転手は出る事すら敵わない。
後ろの催眠人間をどうにかしたいが…、歩道を通って是政橋を突破しようとする車が一台、こちらに迫って来ていた。
(息つく暇もないなホント)
同じ行動の繰り返しでもいいが、今回は違う。
鬼束は手に何も持っていない。つまり先程のような捕縛球を消費するというアクションを取る必要がない。
使いたい物を取り出して、使う。の他に行動を取ることができる。
(まぁ、ワンパターンに同じ道具を使ってたら枯渇しちまう。資源は有限なんだからバランスよく使わないと…。となるともう音響弾を出し渋る必要はないかもしれん)
神岐は後ろに引っ込んだ。今更正面に来ることはないだろう。
是政橋でのリードは奪った。いずれはジリ貧だろうが神岐が出てこないのなら早めに使っておくに越したことはない。1番最悪なのは変にキープしすぎたせいで最後まで使わないということだ。
『まもなく、2番線に、各駅停車、川崎行きが参ります。黄色い線の内側まで、お下がりください』
ここは南多摩駅。
萩原時雨は南多摩駅のホームにいた。
もう数十秒すれば電車に乗って府中を離れる。
(零、市丸、丹愛、実録)
彼等は自分を逃すための囮になった。正直に言えば助けに行きたい。
しかし、それは彼等の命懸けの努力を無に帰してしまう。彼女は逃げなくてはならない。例え昨日一緒に食卓を囲んだ仲間の屍であっても。
神岐は萩原時雨が南に逃げたと予想していた。そしてその予想は当たっている。
ただ、二重丸を上げられるかと言えば違う。萩原時雨は南多摩駅にいる。鬼束零は萩原時雨を守るために是政橋を封鎖している。しかし、鬼束零は萩原時雨が南多摩駅にいるということを知らない。
これが鬼束零が仕掛けた策。仮に自身が神岐に捕まってしまったとしても萩原時雨の居場所を絶対に吐かないようにするための小手先の回避術。
あのシチュエーションで是政駅を使えないのなら東か南に行くしかない。
どちらに行くのか。それを敢えて聞かない。神岐の認識誘導は秘密を全て丸裸にする。知っていればバレる。ならば、知らなければ良い。例えほぼ100%南多摩駅に向かっていると分かりきったとしても、自慢の認識誘導で肯定を得られなければそこに疑心が生まれる。どれだけ認識誘導で全てを喋らせても答えられるのは予想であり事実ではない。既に隠れ鬼の萩原時雨の監視は切っている。オフにしているのではなく定員の3名から外した。今指定しているのは市丸、神岐、そしてそこら辺にいた府中市民、名前も知らない全くの他人。再度萩原時雨を監視するには萩原時雨を直視しなくてはならない。そしてその萩原時雨がどこにいるかを鬼束零は知らない。故に捕まえられない。
(ごめんね。必ずドクターと一緒に助けに行くからね!)
(今、目を瞑ることは出来ない。神岐は弟達を探しに行ったのか。弟達は無事なのか、確認は難しい)
車が来ている中で目を瞑る勇気も時間もない。まずは撒菱球を取り出して歩道に向けて投げる。
先ほどは時間がなくて出来なかったがこれでパンクによって速度の低下の車の制御を奪った。
後は同じ要領で緩衝球と捕縛球で一丁上がりだ。
それ以外にも手榴弾で車自体を爆発させることも可能だ。1番良いのは前方で車が歩道を塞いでくれることだ。そうすれば車道も歩道も通れなくなる。
と、ここまでの鬼束零の対応は完璧だ。
これであれば相手さん側が勝手に壁を作って通れなくしてくれる。鬼束自身も挟まれることになるが、最悪の手段として、右側の手すりからフライアウェイするのも最終手段だ。
これまで経過した時間であれば萩原時雨は間違いなく電車に乗っている。
車であれば強引に電車の追跡は可能であるが、歩きなら不可能。人の足で橋を渡るのにも時間はかかるしそこから誰かの車やバイクを奪ったって次の電車に乗るにしたって時間がかかる。
ここで車の通り道を潰したことは萩原時雨を逃す上で最善の手段であった。
しかし、神岐義晴も言っていたがそれではダメだ。認識誘導の認識を誤っている。
車道でムリ、ならば歩道。歩道でムリ、ならば詰み。
何故
何故
何故
それだけで終わりだと認識してしまうのか?
そう思ってしまうのも無理はない。
車が突進してくるかもしれない状況。他に意識を割けない。目の前のことへの対処で精一杯。簡単に言えばキャパオーバーだ。だから考え方も今のキャパシティの範囲内でしか考えていない。ふと周りを見れば気付くはず。
しかし、致命的かな。鬼束零は耳から情報を得ることが出来ない。神岐の認識誘導対策で耳が聞こえない状態にしている。
だから、気付けなかった。
三つ子達が耳栓をしたせいで特攻してくる車に気付くのが遅れたように。神岐への対策をすればするほど神岐以外から攻撃で後手に回ってしまう。
神岐に操られない対策は=神岐の超能力の攻略にはならない。
神岐の方向性が変わったと零自身が理解しているのに、その方向性転換がもたらす可能性を捨ててしまっていた。
気付いたのは2台目の特攻車を前方で停止させた後のことだった。
後ろは塞がった。前方もたった今塞いだ。歩道での特攻は不可能。捕縛球で車と前方の車左右の歩道の手すりを絡めているため3台目が突っ込んで来ても鬼束が車に轢かれる心配は無くなった。
前と後ろで憂慮すべきことがなくなったのなら、自然と左右を見るだろう。
右方は川だ。フライアウェイはしなくて済んだ。ならば、左だ。
気付いたのはその時。
だが、事象の目撃から事象の理解までには少々時間を要した。頭の中で咀嚼する時間だ。
(……………………………んぇ?)
左は、今鬼束零が立っている場所のコピー。簡単に言ってしまえば対向車線だ。南多摩駅側から府中駅側へ向かう車道と歩道。問題は南多摩駅から府中駅への一方通行のはずなのに走っている車は府中駅から南多摩駅へと向かっていたからだ。
向こうが対向車線で通常とはありえない走りをしていたことに気付くのが遅れた。零の今立っている場所には車は走れる状態ではない。つまり、ここが府中駅から南多摩駅に向かう車道であることを意識から離してしまっていた。そうなれば無意識的に補完される。向こうが南多摩駅に向かう道なのだと。
(馬鹿な!逆走なんて車同士が正面衝突するに決まってる)
と、思うのが普通。実際ぶつかっている。
鬼束零の左後ろでは衝突が何回も行われていて煙や火だって上がっている。
それなのに今の今まで気付かなかったのは、矢継ぎ早に車が襲いかかって来るのと神岐に操られないように耳を潰したからだ。
既に、神岐の息が掛かった連中は橋を渡っている。
零はすぐさま追おうとしたが、前後は自らが塞いでしまった。
そして、零が対向車線に気付いたことをトリガーにしたかのように意図的なタイミングで…
催眠人間達が襲い掛かってきた。
それは撒菱でパンクした車の運転手、車の壁を越えて迫って来る人間。撒菱をものともせず車道を進む人間。
鬼束零にはもうどうすることも出来ない。抵抗するだけ結果は変わらない。
音響弾、閃光弾を使っても一時的なもので鬼束自身が動けない以上は結局変わらない。
それに良く見ると川を泳いでいる人間も何人かいる。
(泳いで逃げることも無理か)
結果は変わらない。しかしそれは鬼束零は、と言う話だ。
まだ、萩原時雨が捕まることが確定したわけではない。
抵抗は可能。しかし、抵抗よりも優先しなければならないことが出来た。
10メートルは離れている。大きく振りかぶって投げる頃にはもう………
(やるしかない!)
零はリュックサックの中から音響弾、閃光弾、手榴弾、ナイフを取り出す。これでリュックサックの中は捕縛球と撒菱球と黒煙球と緩衝球のみ。これで良い。
(手榴弾だけは手元に置いておきたい)
零は音響弾の安全ピンを抜いて飲み終わったペットボトルをポイ捨てするように自然的動作で地面に捨てる。
カランと固いもの同士がぶつかったような音が鳴る。
催眠人間はまもなく来る。が、音響弾の炸裂はそれよりも早い。
キィィィィィィィィィィィィン
悲鳴のような通常であれば反射的に耳を塞いでしまうほどの強烈な音。いくら任務遂行のために感情を殺されている催眠人間でも動きが鈍る。耳を塞ぐことはしない。しかし、意識せずとも起こっている体の異常には無意識でも体は反応してしまう。
この鈍化によって時間的猶予が出来た。
次は閃光弾の安全ピンを抜く。閃光弾はポイ捨てではなく自身の後ろに置く。前だと自身の視界も奪われてしまうからだ。
閃光弾を使った零は背負ったリュックサックを下ろす。肩にかけるベルト部分の上部を掴むように持ち帰る。
(この重量ならギリ届く!)
ベルトを強く掴む。そして両手でリュックサックを後ろに構える。
リュックサックを後ろから、前へ、その勢いのまま前後ろ前後ろと回していく。
ハンマー投げの要領で体を回転させる。遠心力で手に持っているリュックサックは常に外側に引っ張られる。
グルングルングルングルン
閃光弾が炸裂する瞬間だ。
(リリースが早すぎると視線がリュックサックに向いてしまう)
そうなれば閃光弾で視界を奪えない。今は鬼束捕獲のため鬼束の方を向いている。
閃光弾の場所は零からは背後だが催眠人間達からは正面に見えている。
閃光弾で視界を奪ってからリリース。しかし回転しているからタイミングによっては零自身の視界が奪われかねない。が、これまでも閃光弾は使っている。ピンを抜いてから何秒後に光が出てくるかは熟知している。ここでそんなミスはしない。
(………………今!)カッ
閃光弾が弾ける。眩い光が是政橋を覆う。ドクター印の閃光弾。今は夏の昼間の屋外であろうと関係なく、太陽光にも負けない真っ白い世界。
零はこの瞬間に目を瞑ってリュックサックを対向車線の橋に向けて放り投げた。
成人男性のハンマー投げだ。10メートルくらいは余裕で届いた。
敢えてファスナーを開きっぱなしにしていたリュックサックは向こうの道路へ落ちたと同時に内容物が周囲に散乱する。これが目的。
撒菱玉を道路に散布して反対車線から是政橋を渡らせないようにした。勢いのおかげか歩道にも撒菱球が拡がっている。
そして、催眠人間達は…防衛機能がないのが災いしたか。催眠人間の視界は完全に奪われた。
零を完全に見失った。リュックサックを投げたことも気付いてないし今どこにいるのかすら分からない。
そして零は光を影響を受けないようにしたため視界は確保されていた。光は全て出切った。
零は残りの手持ちは手榴弾とナイフ。零は次は手榴弾を取り出した。
安全ピンを外すとそれを川に向けて放った。
♢♢♢
タイミングはここだろう。3人は理解した。
反対側に渡る。歩道橋では間に合わない。
信号を待つ余裕はない。
先頭を走っている市丸がジェスチャーを出す。
親指で自らを指差し、そして何かを下に向けて投げるようなジェスチャー。
((市丸兄が黒煙球を使う‼︎))
即座に2人も理解する。
聴力が使えなくても意思疎通が可能な信頼関係、血縁関係の賜物。
市丸は零から受け取った黒煙玉を甲州街道に向けて思い切り投げ付けた。
アスファルトにぶつかった衝撃で黒煙球にヒビが入る。
そして、その球体積からでは考えられない量の真っ黒い煙がボワンと飛び出てきた。
甲州街道を走っている運転手は目の前の黒煙に思わず急ブレーキを踏む。
それは反対側の車線を走っている車もだ。煙の中を突っ込むことは出来ない。もしもこれが火の燃焼によって生じている煙だとしたら……?
流石に炎を轢き逃げする人間はいないだろう。車が走れない車道は車道ではない。黒煙によって一時的に歩行者天国を作り上げた。
市丸が1番に飛び出す。丹愛と実録も続く。
甲州街道は車通りが多い道だ。しかし今は止まっている車と騒ぎ立てる歩行者しかいない。車が停止したことで車による特攻は出来ない。
先頭車両が一般人の車で助かった。
こればかりは運が良かったと言うべきか。
市丸達は甲州街道を半分まで渡った。ここからは反対車線だが同じく車は停止している。
こちら側は黒煙の影響はないが、風向きが北で良かった。黒煙が北へ流れることで最初の停止車両は危険だと判断したのだろう。
先頭が止まれば後ろは止まるしかない。複数車線はあるが、日本人の『前に続けの精神』で皆が同じ指向性で行動する。
「黒煙。じゃあさっきのも彼等がやったのね」
羽原ののは車を停止させていた。前がつっかえていてこれ以上は進めない。さらに追跡対象は反対側へ走っていった。この渋滞ならば車では追えない。
「んー、そこそこやるわね。道具ありきで超能力を使わないあたり逃げながらでは発動しづらいタイプかしら?」
ならば攻撃を続けて道具が枯渇するのを狙うべきか……。
「あなた達ー、先頭車両を奪って追跡しなさい。あの煙は煙だけで燃焼はないわ」
配下の飴奴隷に命令する。鬼束達に使おうとした特攻車両も停止を余儀なくされた。強引に行こうにも車一台に10台近い車を動かす馬力はない。
ならば1番前の車を使えば良い。それも早ければ早いほど。
(渋滞が出来て右折出来るスペースがなくなったらいよいよ車での追跡は無理ね。小回りのきくバイクや自転車でも良いけど。私原付しかないのよね…)
こんな時に免許のことを気にしている場合ではないが、もしも使えるものが小型バイク、中型バイクなら…、正直乗りこなせる自信はない。
ののは車を降りて歩き出す。
「車の運転が出来るものは車を奪って追いなさい。出来ないものは自分の足を使いなさい」
甲州街道を渡り切った。
寿町三丁目交差点に差し掛かってそのまま横断歩道を渡って右折する。
このまま直進すれば北府中駅に辿り着ける。
後ろを見るとやはり同じように飴奴隷達は車道を横断していた。だが動きが鈍い。車と車の隙間を通らなければならないため1人ずつ通らなければならないからだ。
(さて、とりあえず関門は突破した)
後は北上し、そこから西へ西へ八王子方向へと引き付けながら逃げて行く。
神岐へと対策から飴奴隷へと対象が変わってしまっている。今神岐がどこにいるか分からない。結託したと思っているが2つが別々だった場合は神岐は全くのフリー状態となる。
(いや、それは零兄を信じるしかない)
命懸けの兄を信じたい。しかし…何だろう。悪い予感がする。敵サイドは2。と単純計算してはいけないような。そんな気がする。
この方法が最適解なのか。このまま逃げ続けることが、正しいのだろうかと迷いが生じている。
ドクターは、何も語らない。
アジトでの説明をした時も全てを語ったとは思えない。
(まだ、俺達が想像していない敵の可能性)
いや、これはドクターも想定していない敵がいるかもしれない。
(…………)
ドクターは今どこにいるのか。神岐がどこにいるのか。敵は全て出尽くしたのか。全てが分からない。
知らないのは怖いことだ。右も左も分からないのはあの頃だけで十分なのに……
♢♢♢
ドブォァァァァァァァァァァァァァァァン
爆発音が響く。
水中での爆発で大きな水飛沫が是政橋の高さまで白い柱となって昇っていた。
多摩川から南多摩駅に向かっていた催眠人間達は爆発によって発生した強力な水圧によって意識を失った。
爆発から火を想像して水の中なら大丈夫と思われるかもしれないが、爆発によって生まれた衝撃、水圧は人間の許容を簡単に超える。内臓が押し潰されることもあり得る。
手榴弾への対処は単純に伏せるのが一番マシなのかもしれない。
川の催眠人間は始末した。
反対車線は使えなくした。
そして零がいるこの橋にいる催眠人間達はと言うと……
全員が川に向かって飛び込み始めた。
気が狂ったのではない。目も耳も麻痺させられた中、目の前に捕獲対象の鬼束零はいない。確認出来たのは大きな音と川から昇った白い水柱。
こう考えるのではないか?
『鬼束零は多摩川に飛び込んだ』と。
橋にいなければ橋以外にいる。橋以外は川しかない。
鬼束零は川に飛び込んで逃走を図ろうとしている。追って捕まえなくてはならない。
鬼束零は撒菱がない車道を渡って車道側の橋の端の手すりにぶら下がってあたかも橋の上から消えたように見せかけていた。
ちゃんと探せば見つかったかもしれない。しかし突然消えた事実と水柱を見れば飛び込んだと錯覚されることは難しい話ではなかった。
手すりをよじ登って再び橋に足を着ける。
(結局は川を泳いで渡られてしまうが、これは問題ない。橋の上の撒菱だってアスファルトに食い込んでいるとはいえ人間が抜けない引っこ抜けないレベルではないが、時間がかかる)
目的である萩原時雨を逃すための時間稼ぎは全てやり尽くした。
残りは手持ちのナイフで如何に橋の上に残っている催眠人間を始末するかだ。
付近の人間はいないが、まだ府中駅側からこちらに来るだろう。人の走ってくる音は聞こえないが、視界に何やら動き影が見えた。
(何台かは南多摩駅に行っちまったかもな…)
しかしもう神岐達に出来ることはない。
と、また鬼束零は結論付けてしまった。
超能力の無限大の可能性をまだ考えられていない。
「橋は完全に潰されたか…。後は泳ぎと徒歩だな」
神岐は徒歩組に鬼束零の捕獲。対向車線の橋側と泳ぎ組には萩原時雨の追跡を命じる。
(対向車線を走る仰天さで判断能力を狂わせてから前後から挟み撃ちする方式だったが…。音と光か。明らかに俺を意識した武器…。俺がいないところで使ったのを見るにもう手札はなさそうだな。手榴弾は何の用途だったかは知らんが…)
時間はかかってしまったが結局のところ鬼束零には武器という武器はもうない。後は苦し紛れに抵抗するしかないだろう。隠れ鬼では普通の人間すらどうこうすることは出来ない。
(三つ子達は甲州街道を渡って北上中。黒煙も俺対策で視界を奪うためか…。飴奴隷が追跡中。こっちは順調に逃げられているみたいだな)
特攻車の件を聞いた時は大丈夫かと思ったが鬼束実録の氷鬼で何とかなったらしい。
(面白い能力だ。近付かれたら俺自身もやられかねないな)
そして東京競馬場は………
(着実に地獄になろうとしてるな。ヘリからの脱出のためには絶対に押さえておきたいが…)
まずは暁美と奏音と合流するのが先だ。
だがまずは……
府中本町駅では催眠人間と飴奴隷のぶつかり合いが激化していた。
お互いに倫理も理性も失ったもの同士。単純明快な暴力のぶつかり合い。
まだ死人は出てないが、首を絞める行為や鋏で体を滅多刺しにしているモノもいる。まだ誰も死んでないのが不思議なくらいだ。
どうしたものか、と神岐は考える。
ここに介入すれば暁美や奏音との合流が遅れる。しかしここで事態を収束させればここの人員を先に東京競馬場に回して先遣隊にすることが出来る。どちらが長い目で見て得策なのかを神岐は天秤に掛けていた。
(是政駅の人員は既に東京競馬場に向かわせている。向こうは量産出来るがこっちの生産ラインは一旦止まってる状態。速攻で終われば良いが…)
府中本町駅のこの現状が東京競馬場でこれから起こる地獄の慣らし。
(仮面付きが所謂古参。仮面なしが新参。一見すると古参の方が出来るかもしれないが、あの廃人ぶりからして新参の方がフレッシュに行動出来るかもしれない)
府中本町駅で拮抗なら、東京競馬場ではどう転ぶかが分からないということ。
(府中駅の待機要員を人質に使う方が早いかぁ?)
府中駅には飴奴隷を召喚した女がいる。その女に能力を解除させれば飴奴隷の召喚が解除されるかもしれない。
「最短で行け。邪魔する奴は轢いても構わん」
「承知致しました」
府中本町駅はとりあえず必要最低限でいいだろう。車での進行が困難な場合、明らかに介入しなければならない場合に限定する。そこから府中駅で召喚女と帯同者を無力化して暁美奏音と合流して東京競馬場の飴女と帯同者、飴奴隷共の無力化。
(………気が滅入る)
ドクターに会うためには随分と試練が多い。
現在の状況
神岐義晴
車に乗って府中本町駅に差し掛かる
平原暁美
不明
戸瀬奏音
府中駅前の黒煙を目指す
鬼束市丸・丹愛・実録
北府中駅方面へ逃走中
鬼束零
是政橋で抵抗中
萩原時雨
南多摩駅を出発
羽原のの
鬼束三つ子を追跡中
能登八散・久留間紗穂
府中駅で待機
舟木真澄・九重那由多
東京競馬場で飴奴隷の量産中
ドクター
???
萩原時雨が久しぶりに登場です
電車は出発したみたいですね良かった良かった
けど安心してはいけない。神岐の猛追は終わらないよ
府中動乱編の最終地点は東京競馬場になりそうです
三つ子達と羽原ののの追いかけっこは三つ子が優勢といったところでしょうか?
暁美が神岐の網に引っかからないのも謎ですね
一番謎なのは駅員を倒した人物
一体誰なのか?正体は明らかになるでしょうか?
そして、ドクター
お前マジでどこにいんのさ!?お仲間が捕まっちゃうよん!
次回も府中動乱です
第4章を終わらせるために、巻きに巻くぞ
府中本町駅と府中駅
三つ子達の鬼ごっこ
暁美の所在
ここら辺を書こうと思います




