第81話 隠密暮らし
ヒュン
5人の男女が文京区にあるとあるアパートの室内に突如として現れた。
「ありがとう時雨ちゃん。1人でおうちに帰れるかい?」
鬼束零の優しい問いかけに時雨と呼ばれた小学校高学年くらいの女の子は黙って頷いた。
「何かあったらすぐに連絡するんだよ。瞬間移動出来ない時は迎えに行くからね」
女の子は再度頷くと一瞬でその場から姿を消した。
7月26日
ドクターから超能力と神原達襲撃の本当の目的を聞いた鬼束達一行。
ドクターは近い内に必ず起こる襲撃を一手に引き受けるためにアジトに残って鬼束達を守ることになった。
鬼束達はドクターとは別行動でこれから隠密生活を送らなければならない。
アパートに戻って来たのは休息のためではない。
神岐義晴にこのアパートの存在を知られてしまったからだ。早急にアパートから撤収しなければならない。
鬼束達4人はその作業を行なっていた。
「なあ零兄、アパートから痕跡を消すのは分かるけど、零兄の隠れ鬼があればあいつらには絶対見つからないだろ?この2日の間に大きな動きはあったのか?」
2日間眠り続けていた三男、鬼束丹愛は長兄に尋ねる。
「そうか、お前はずっと寝てたからまだ知らないのか。俺は今、隠れ鬼を使えない」
「使えない?なんで?」
「分からない。実録の回収をしてから目を閉じても奴等が見えなくなった。直視してないし見られてるはずもないから見えるはずなのに。おそらく強制的に超能力が解除されたみたいだ」
「解除って…。俺みたいに気絶したり自発的に解除してないんだろう?なら何で…」
「可能性があるとするならば……、俺の心理的な要因、もしくは、実録回収の際に神坂達から何かをされたか…。連中の中で超能力者は神坂だけだから神坂に何かされたんだろうな」
「白ウサギが弱くする能力…ではないにしてもそれほどのことが出来るか?零兄の超能力に干渉できるとは思えない」
実際に神坂と戦闘をした四男、鬼束実録は言う。
「神岐のケースみたいに俺らの前提条件が間違っている可能性もあるな」
「神原も未だ能力は不明だしな。あいつが一番謎い。自身に負荷をかける能力…代償能力。………分からん」
「結局明確になってるのは認識誘導がチート過ぎるってことだけだ。視覚×聴覚なんて出会ったら簡単に条件を満たせる。対処としては奴を見ない、または耳を塞ぐくらいだな。見えない、聞こえない距離から攻撃出来ればいいが、丹愛か市丸しかそれが出来る奴がいないな」
「そもそも、無理に戦わなくてもいいんだ。俺達はドクターの邪魔をする奴等を倒せばいい。神原達はドクターを探してるだけであってドクターの行動を妨害しようとしてるわけではないからな」
「敵の存在を仄めかせば協力してくれるんじゃないのか?連中、神原に接触したんだろ?」
ドクターが別れる前にそのようなことを言っていた。
「能登…だっけ?目的は分からないがな。俺が次に神原を見た時は病院に運ばれるところだった。救急車を呼んだのは麦島だとドクターが言っていたからその間に何かをした、はず。神原は会話が出来る状態じゃなかったらしいし…」
「けどドクターが自ら囮になってくれたんだ。俺達の任務は身を隠すこと。そして時雨ちゃんを心の傷を癒すことだ。次にいつドクターから連絡が来るのかは分からない。ここは俺達兄弟が一致団結して務めを果たすしかないな」
「神原達が探しに来るからな。隠れ鬼が使えない以上はとにかく奴等から遠くに行くしかない」
「それを言うなら東京から出ることだけどそうなると時雨ちゃんを守ることが出来ないぞ。時雨ちゃんの家に駆けつけられる場所にするべきだ」
「そうなると、時雨ちゃんは府中市に家があるから府中市内か」
「時雨ちゃんは仮面の集団とも遭遇していないからそもそも奴等に存在を認知されていない可能性が高い」
兄弟だからか意思の共有が容易だ。言い争うことも滅多にない。だが全員が間違った認識を持っていた場合それを修正してくれる人がいないことがデメリットではある。
(全会一致ほど危険、とは誰が言ったんだか。だがまあ意味は理解出来る)
長男として三つ子の弟と心に傷を負った女の子をドクターの代わりに導かなくてはならない。
「なら決まりだ。俺達は府中市に潜伏する。出発にはあとどれくらいかかる?」
「今のペースなら20分で行ける」
「移動手段はどうするの?」
「電車で行く。金ならあるからとにかく夜の内に府中に行くぞ」
「時雨ちゃんへの連絡はどうするんだ?」
「潜伏先が決まってからでいいだろう」
「ドクターにはどうやって伝えるんだよ」
「ドクターのことだ。俺達が府中に向かうことは予想出来るだろう。俺達はドクターには連絡せずに俺達だけでやり過ごす。神原達に見つかるか仮面の集団に襲われるとかのドクターへの連絡が絶対に必要な場合だけに留める」
「「「分かった」」」
こうして鬼束兄弟は文京区の住処を片付けて、府中市へ向かった。
その日の内に人が近づかない空き家を見つけてそこに潜伏することにした。
翌日には萩原時雨に連絡をして今の住処を伝え、彼女の瞬間移動になるべく頼らないようにした。幸い時雨は小学生、今は夏休みに入っているため毎日のように萩原のメンタルケアに務めることが出来る。
と言っても萩原は廃人になったわけではない。
食事はするし睡眠もする。ただ、それ以外は何もしないボーっとしている。
目の前で人が操られ、暴れ、銃で撃たれ、のたうち回る。小学生にそんな過激の連鎖を受容出来る心があるはずがない。
言い方はよろしくないが、萩原を元に戻して戦闘に使えるようにする。それが鬼束兄弟の使命だ。
(本当なら、戦いとは無縁の生活を送らせてあげたいが、時雨ちゃんの超能力は優秀だ。逃げに徹したら仮面の集団も神岐達も俺達を捕まえることは出来なくなるだろう。ドクターの夢を叶えるためにも、やらなくちゃあならない)
♢♢♢
8月4日
府中市に潜伏してから約1週間
萩原時雨のメンタルは少しずつ良くなってきていた。
ドクターと別行動を取った時点ではコミュニケーションは首振りだけだったが、今は会話が出来るまで改善されている。
だが依然として心に傷は残っており、元気な姿は見受けられない。
瞬間移動も使えるようだが敵を目の前にして使えるかはまだ判断がつかない。
(隠れ鬼は解除されたが使えなくなったわけではない。神原達を監視出来なくなったが逆に時雨ちゃんの動向を見ることが出来るようになった。家では黙々と学校の宿題に取り組んでいるようだ)
今日は土曜日。時雨も鬼束達の潜伏場所に来ていた。家で1人でいるよりは落ち着くのだろう。この1週間、あの手この手で時雨を癒す努力をしてきた。
美味しい物を食べたり瞬間移動で景色の綺麗なところへ訪れたり。
そのおかげで時雨の調子は戻りつつあったが、まだ決め手に欠けている。
「時雨ちゃん。今時雨ちゃんがやりたいことって何かな?俺達が精一杯叶えるから遠慮なく言ってくれ」
今潜伏場所には零、時雨、丹愛、実録がいて市丸は買い出しに出掛けている。市丸ももうすぐ戻ってくるものと思われる。
「………特にない…」
零の問いかけに対して返ってきたのは反抗期の中学生のような反応だ。
「学校はどう?」と聞かれて「普通」と言われているような気分だ。
(特にないか…本人に好奇心がないのか本当にないのか)
時雨の超能力はテレポート、一度訪れたことのある場所ならばすぐに移動することが出来る。
ドクターと出会ってから過去に行ったことのある場所にはいつでも行けるようになった。
時雨の父親が転勤族であったことが幸いし、彼女は主要都市をテレポート出来るようになっていた。
(どこにも行けるから場所に関する希望はないか。食べ物もそれに類推するな。今時の小学生のやりたいことは正直分からん)
女の子の趣味はプリキュアかほっぺちゃん程度の知識しかない。
ドクターからの任務を仰せつかった時のみのビジネスパートナーという側面が強かったからむしろ今の方がコミュニケーションを取れている。
「食べたい物とかは…?府中に住んでから食べてない物とか」
「………」
時雨はすぐには返事しなかった。
(ノータイム拒否ではなく一応考えてはくれている。大雑把にやりたいことは?と聞かれても選択肢の幅が広すぎて回答に困ってしまうのだろう。食べ物というジャンルに絞ればある程度の答えは導き出せるはずだ)
「……あれ、あれ食べたい。生クリームとかが乗ってるホットケーキ」
「生クリームの乗ったホットケーキ………。あっ、パンケーキのこと?」
時雨は自分が言い間違えていたことを恥ずかしいと思いながらも首を縦に振った。
「パンケーキかーー。俺ら食ったことあるっけなー実録」
「いや、ないな。母さんがいつもホットケーキ作ってくれてたからなぁ。外でそういうのは食わなかった気がする」
「はは、お前らは母さんのホットケーキ好きだったもんな。バスケで頑張った後にお前達が作ってくれとねだってたのを覚えてるよ」
「母さんは料理が上手だったからね。父さんが会社で散々自慢してたみたいで母さんと喧嘩してたのを覚えてる」
喧嘩と言えば聞こえは悪いがあの光景を見ていた4人にとってはただの夫婦のイチャイチャにしか見えなかった。思春期の子供の前でイチャつかないで欲しかった。が、今となっては大切な記憶だ。
「…零達のお父さんお母さんはどんな人だったの?」
家族事情を語る兄弟の話を聞いて時雨も興味が湧いて質問をする。
「んー。どんなって言われても上手く説明出来ないけど、俺達を大切に育ててくれたと思うぞ。三つ子で兄は私立大学だってのによく働いてくれたと思う。事故さえなければ俺達は幸せに暮らしてたと思うな」
「…そんな両親が死んじゃって辛くはなかったの?」
「……辛かった。すげぇ辛かった。弟達はバスケで優秀な成績を収めてスポーツ推薦で良い高校に行けてたのに、俺だって大学まで進学したのに。それが全部消えて無くなったからな。大学も残酷だったよ。金の払えない奴はいらないとばかりにさっさと辞めさせやがった。今思えば奨学金とかで通えたかもしれないがそんな冷静な判断が出来る状態じゃなかった」
零が当時を振り返る。奨学金で通えた可能性はあるが弟3人を育てるためにはやはり辞める以外の選択肢はなかっただろう。
「俺達もな、肉親が消えて何も考えることが出来なくなった。流れに身を任せて、零兄の導かれるままに操り人形のように動いてた気がする。バスケ部の顧問が励ましてくれなかったら立ち直れなかったかもしれないな」
「吉田先生。元気にしてっかな?お礼言いたいなー」
「私立はそうそう転勤はないからまだ八体大附属にいるかもな。府中からだと行けなくもない距離だが、俺達は身を隠しているんだから余計な接触は増やすべきじゃない。そもそも4年も前の在籍1週間程度の学生なんか覚えちゃいないよ」
「三つ子ってレアリティ高くね?」
「全員イケメンだったらな。モブ顔ならよくて星4だな」
「超能力あってもか?」
「ステータスも大事だが見た目も結構重要だぞ。見た目のコンセプトチームもあるしコレクターはルックスで判断する場合もある。ステータスが7と9でも7の方が可愛かったらそっちを使うだろ?」
「……確かに」
「三つ子も十分な付加価値だが、もう一押しだな」
「一体なんの話をしてるんだ。誰かモブ顔を否定しろよ」
買い出しに行っていた鬼束市丸が帰ってきた。会話が聞こえていたのだろう。求めるツッコミを誰も行わずに会話が進むので自らが行った次第だ。
「おかえり。考えてみろよ市丸兄。俺達がイケメンだったらホームレス暮らしの時にもっと注目されてたよ。『貧乏イケメントリプルスターズ』みたいな感じで」
「それはそれでなんかヤダな」
「イケメンって言えば…神岐、メチャクチャイケメンだったぞ。ユーツーブを顔出ししてないのが勿体無いくらいだ」
「そうなのか?俺と実録は知らないからな。時雨ちゃん。丹愛の言ってることはホント?」
「…カッコよかったよ。テレビの俳優さんみたいだった…」
「あー、言われてみればそうだな。監視しまくったせいでなんかそういうの分からなくなってたな」
「へぇ、興味あるな。前にテレビのインタビュー答えてた時も顔を隠してたしな」
「ユーツーブのチャンネル登録者、日本5位だもんな。6位に転落した『ハリキリブラザーズ』のシュンペイが納得いかないとか言ってたなそういや」
ユーツーバー特有の動画テンションだったかは知らないがだいぶご立腹ではあった。運営に問い合わせてみたが突っぱねられたとも。
「まあ超能力ありきだったからな。野球動画やる前は中堅ぐらいだったんだろ?動画1つであんなにバズるんだ。超能力も戦闘以外で使い所沢山あるみたいだな」
「俺らだってチマチマ小遣い稼ぎしてたじゃん」
「真っ当な手段ではなかったけどな」
いわゆるディープな連中から金を巻き上げて鬼束達は生活してきた。ドクターとしても資金源が確保出来たことにより短時間で2本目の超常の扉を製造することが出来たのだ。
真っ当な手段ではないと丹愛は言っていたがあれは本当に正当とは程遠いものであっただろう。
実録の氷鬼で相手の動きを封じてその隙に財布を盗む。
高鬼や色鬼で相手を奇襲してその隙に金品を巻き上げる。
対象者は人間のクズばかりだったので心は大して痛まなかったし銀行を襲うなどの犯罪行為はドクターに止められていたため行わなかった。
行わなくて正解だったと思う。隠れ鬼で相手がクレジットカードの暗証番号を入力する瞬間やネット銀行のパスワードを盗み見るだけで大金をくすねることが出来るのだから。
これらの行為は金の流れを追跡される恐れがあるため実行されることはなかったが実行していれば億単位の金を手に入れることが出来た。
強奪しても時雨の瞬間移動があれば逃走も容易だし仮に足がついてもアリバイ工作も余裕で偽装出来る。
「ま、顔を隠すのは正解だろ。ユーツーバーとしてのプライバシーもあるしまだ大学生だろ?に加えて超能力者だからな」
「迂闊な事はしない冷静さとチート級のアビル。これは切り崩すのが厳しいぞ」
「他2人の方がまだマシな方なのか。いや、神坂はとんでもなかったぞ」
「いやいや、神原の覚悟の強さも————」
彼らは気付いていない。
心にダメージを負った萩原時雨に対して最も効果的なメンタルケアは、この、暖かさ。
パンケーキを所望したのも食べたい気持ちの他にみんなで一緒に作ってみたかったからだ。
彼らの境遇は知っている。両親を失ってホームレスのような生活を送っていたと。
だからなのか仕方ないことなのか。欲を満たすことでQOLが満たされると思っている節がある。
時雨にとっては綺麗な景色を見ることよりもテレビで取り上げられるほどの食べ物を食べるでもない、何気ない日常。気軽なコミュニケーションに温かさを感じてしまう。
(これを言ったら気張って変な会話になっちゃうから言わないでおこう)
まだ丹愛が神岐に操られて超能力を暴発されかけた衝撃は忘れられない。
また神岐と対面することがあれば超能力を使える自信はない。
だがこの何気ない日常が、確実に自身の心のヒビを修復してくれていることだけは確信していた。
「ねぇ」
4人が時雨の声に反応する。
「超能力を使ってパンケーキ作ってみない?」
鬼束零
能力名:隠れ鬼
能力詳細:設定した人間を3人まで随時監視することが出来る
鬼束市丸
能力名:色鬼
能力詳細:指定した色を大量に含む物体を1分間操作出来る
鬼束丹愛
能力名:高鬼
能力詳細:自身より高い位置まで移動させた物体を操作する
鬼束実録
能力名:氷鬼
能力詳細:触れた対象を次に瞬きするまで動きを止める
萩原時雨
能力名:瞬間移動
能力詳細:一度行ったことのある場所に移動出来る
料理の結果はあえて書きません
番外編で書いてもいいけど
調理器具を瞬間移動で取りに行ったり、調味料を高鬼で上から操作しながらふりかけたり
みたいな?
間違いなく零と実録は使い物にならないですねw
さあ、次回は神原サイドです
病院に入院中の祥菜
それを警護する麦島
ドクター探し、虹色ネイルの女を探す神原
神原達に協力する豊橋刑事
祥菜の父親
秘書2人
豊橋に協力する民間警備会社
最高に入り乱れてますね
神原サイドの8月5日の様子をお見せします




