第67話 はじめてのデート⑤
神原は圧迫されていた。
肉体では精神が。
誰かによってではなく自分の意思で。
汗が出る。呼吸が荒くなる。震えが止まらない。
だが、思考能力だけは平常に働いていた。
(祥菜はエスカレーターから降りた。どこへ逃げる?)
神原は伊武の行動を推察する。警察で言うところのプロファイリング。
(祥菜は脳筋じゃない。俺が助けに来ることを見越して動くはず。俺が助けに行けるように。だが、俺が分かるってことはナンパ男達にもバレてる可能性がある。相手側に頭のキレる奴がいたら厄介だ。こればっかりは向こうがアンポンタンズであることを期待するしかない)
神原は下りエスカレーターの前に立つ。
声を掛けてきた女はエレベーターに向かっていった。女が指示通りに動いてくれれば、勝機はある。
(俺が1番警戒しなきゃいけないのは相手に存在を知られないこと。祥菜の同行者であることは見られているとみていいだろう。ならば俺は祥菜を追う男達を躱しながら祥菜を探さなきゃならない。奴等より先に見つけなければならない。だが、俺が見つかって捕まりでもすれば祥菜を誘き寄せるエサにされるだろう。お互い見つかってもいけないし捕まってもいけないなんてめんどくさいな)
神原はエスカレーターを見下ろす。降りはせずただ前で立ってそこから見える風景を観察している。
(外には出てない。じゃあ何階にいるのか?祥菜がナンパ男達を撒いて映画館に戻って来ることが1番だがそれはない。4人も鬼がいるんだ。俺の存在が知られているのなら俺がいる5階に戻られることを警戒するはず。階層を移動させないように移動手段を封じるな。エスカレーター、エレベーター、階段。確かエスカレーターとエレベーターが2機ずつで階段が大きいのが1つだったな。合わせて5箇所。相手は4人と言っていたがあの場にはってだけで祥菜が逃げることを想定して他の階に忍ばせていることも否定出来ない。祥菜は1〜4階のどこかに留まるしかない)
焦りが奥底から込み上げてくるが神原は持ち前の精神力で抑えつける。
思考のためであり行動のためではない。
(3〜4階はない。祥菜はヒールだ。走るのは難しい。3.4階程度だと追っ手と距離を離すことが出来ないからな。逃げたってことは何か祥菜がアクションを起こしたんだろう。意表をつけたとしてもすぐに追われる。エスカレーターで全速力で降りて行って距離を取れるのは、1.2階に降りた時ぐらいだ。だが1階はない。最悪追い詰められた時に上下どちらにも逃げ道を作らなくてはならないからだ。1階だと外に出れない以上逃げる手段は上に登るだけだからな。2階なら1階にも3階にも移動出来る。1階なら捕まった時に強引に動かれたらあっという間に外に出られるからな)
よって祥菜は2階にいる。そう結論付けた。
ならば今取るべき行動は、
最速で2階に向かうこと。そして2階のどこにいるのかを突き止めることだ。
♢♢♢
(おかしい…)
そう伊武が感じるのも無理はない。
彼女は4人の男に追われている。だからこうしてお店の柱の影に隠れて他の客に紛れながら追跡を躱しているのだ。
だが、全くと言っていいほど男達が探しにくる様子がない。
施設の中をぐるぐる見回りに来ると思っていた伊武にとってそれは不気味なことだった。
(まだここまで探しにきていないのか、探すつもりがないのか。何で?何で来ないんだろう?)
祥菜はおそるおそる柱から自身が使ったエスカレーターがある方向を覗き見る。
顔を3分の1だけ出してコソコソと。
見たところ普通の客しかいない。
高校生くらいの女子。年配の夫婦。ベビーカーを押して進む若い女性。
若く血の気の多い男の気配はない。
ヒソヒソと内緒話をしている素振りがないことからもぐるぐる探し回っていないことを確信する。
(男1人で2階になんて来ない。なのにそれを見て気味悪がっているように見えない。てことはあの人達は2階にはいない?)
祥菜のいる場所からはエスカレーター自体を見ることが出来ない。
探しに来ないなら隠れる必要はあるのか?
いや、待ち伏せの可能性もある。
(エスカレーターやエレベーターで待ち伏せしてるのかもしれない。私と鬼ごっこするよりも私が根負けして出て来るのを待ってるかもしれない。閉店時間まで粘る気なのかも!閉店は21時だからそこまで長期戦になれば私はお店の人に外に出されちゃう。奈津緒君が秘密にするぐらいのことに関わってる人達だから私が来るまでずっと待機するのかもしれない。なんなら増援を呼ぶのかも!どうしよう。動いた方がいいのかな?いや、今来る様子がないのならメッセージを送れる。私の場所を教えれば奈津緒君と合流出来るかも!?)
祥菜はスマホを取り出す。ラインには神原からのメッセージ。チケットを買ったというメッセージが届いていた。メッセージは4分前に送られていた。
(奈津緒君…!!)
祥菜はすぐに返信をする。
まだ待っているのか。いないことに疑問を持って探し始めているかもしれない。追っ手がいないとはいえ長々と長文を送るわけにはいかない。
端的に分かりやすく、箇条書きでもいいから必要事項だけをフリックで入力する。
『2階 角 雑貨』
送信
♢♢♢
ブーン ブーン
神原は3階に降りた時に祥菜からのメッセージを受け取った。
連絡が来た時にすぐに対応出来るようにバイブレーション通知にしていた。
『2階 角 雑貨』
「祥菜ッ!」
ようやくの返信に思わず声が大きくなる。
周りの客が自分を見ているがそんなことを気にしている余裕はない。
(2階か、良かった。角ってのは角にあるお店、雑貨屋。的確なメッセージ。分かりやすい。メッセージが送れる。場所を指定したってことはその場所に潜伏しているということだ)
ひとまず捕まっていないことに安堵する。
これからそこに向かえば祥菜と合流出来る。
神原は『そのまま待機』とメッセージを送る。
これで雑貨屋に行ってハッピーエンド。
だが…
さあ降りるぞと2階に降りるエスカレーターの手摺りに手を乗せようとしたところで神原は行動を止める。
いや待てと。違和感を感じて。
(何故祥菜を追い詰めない?)
それが神原の感じた疑問。
(俺への攻撃手段として祥菜に危害を加えてるんじゃないのか?祥菜を捕まえて誘拐して俺に脅しをかけて協力を強制するなりすればいいはず。ドクターに関係した人間でなく本当にただの一般人のクズ野郎が祥菜の体目的に追っかけてるなら躍起になって祥菜を追いかけるだろう。最初と今で行動が違う。祥菜を得るために祥菜に声を掛けておいて今は祥菜を追ってない。なんだ。なんでだ?)
警戒が強まる。映画館で女に話しかけられて祥菜に何かがあったのだと気付いた時のように。
何か不可解な事態になっている。
エスカレーターから少し距離を取る。後ろの人の通行の邪魔をしてはいけない。
3階に祥菜がいないのならここにナンパ男達はいない。落ち着ける。
能力のせいで体は焦りで満ち満ちているが足を止めて頭を巡らせる。
祥菜を探していないのならここで足を止めても祥菜に被害は発生しないから。
ふぅ、と息を吐く。足は貧乏揺すりのように忙しなく動いている。
背中に汗が伝う。冷房が効いていても慌てれば汗は出る。
(相手がドクターの息がかかっているなら狙いは俺。ただのナンパ男なら狙いは祥菜。ドクター側なら手段として祥菜を脅しに使うはず。ナンパ男なら……手段として俺か。人質にして祥菜を)
だが神原は不思議に思う。拘りすぎだと。
(そこまでして祥菜に執着するのか?祥菜は可愛いがそれは一般人スケールでの話。芸能人と比べると彼氏として言いたくないが見劣りする。同い年の滝波夏帆と祥菜でどっちが可愛いかってアンケート取ったら普通に滝波夏帆が勝つぐらいに。祥菜は芸能活動なんてしてないし知名みたいなものもない。なのに何故祥菜を…。祥菜が目的じゃないのか?)
ここのモヤモヤが分からないことには迂闊に祥菜に会うわけには行かない。
(俺達が1箇所に集まるのを待っている?だったら映画館で声を掛ければいいはず。二手に分かれたところで声を掛けた。ナンパ目的なら彼氏持ちって分かるはず。ずっと見てたんだからな。そうなるとやはり祥菜が目的、のように感じるがそうではない。何でだ?何でこんなにゴチャゴチャするんだ?分からない。くそっ!)
♢♢♢
祥菜は神原からのメッセージ通りに待機している。
しかし、待機と言われてから数分が経つのに神原が来る気配はない。
何か起こったのか?
起こったのなら周りの反応で分かる。しかし依然としてエスカレーターの方から人は流れてきている。刺青の男達が騒いでいるわけではないということ。
伊武はまたまた思考の迷路に陥る。
(刺青の人達は私を捕まえようとしてる。私は奈津緒君が隠してる秘密に関係してるから私をダシにして奈津緒君をどうにかしようとしてる、って考えてたけどあの人達は奈津緒君のことを知らなかった。ということは奈津緒君目的じゃない?何だろう。目的と行動が一致してない)
祥菜も神原と同じ考えに至る。
(もしも、奈津緒君の秘密とか全く関係なく私を付け狙ってるなら、女性冥利とも思いたくないけど。それでもここまでのことをするかな?人の目を集めてまで、こうして追っかけっこしてまで?)
そもそも、と。
(私を捕まえようとしてたのに今は捕まえていないのは何故?もしかして…ナンパ目的で私を手に入れるために彼氏の奈津緒君を捕まえようとしてる!?彼氏を待ってるって言っちゃってるから私がいなくなって奈津緒君が探しに来るのを狙って、奈津緒君を捕らえるつもりなんだ!奈津緒君が危ない!)
神原は動くなと言った。
だが神原は自分自身が狙われていることに気付いているのか?
狡猾だ。
伊武は思った。
男から女を掻っ攫うのではなく男を人質にして女が自らの足で歩を進めるのを狙って。
神原が狙いと言っても神原なしで伊武を捕まえることが出来れば向こうはそれでいいのだ。
最低限の労力で目標を達成する。
伊武と神原では神原の方が彼らに対抗出来る。
自分はここに留まって助けが来るのを待つ。
不用意に捕まりでもしたらそれこそこちらが人質として使われる。
(私が、奈津緒君を助ける!)
指示に背く形になろうとも。
座して待つほど弱いつもりはない。
伊武は決心を固めた。
捕まればアウト。見つかれば黄色信号。
神原は2階に向かっている。
こちらに来る様子がないのなら、出来ることもあるはずだ。
柱の影から再度顔を出す。
やはり追っ手はいない。
2方向の通路をくまなく見通す。
いない。増援が来ないとは限らない。じっとして時間をただ無駄に過ごすくらいなら…
♢♢♢
(2階に降りるしかない。何が起こるか分からない。顔を知られているがサングラスや帽子の変装は意味がない。何よりそんな時間はない。そんな金もない)
降りてしまえば後戻りは出来ない。
会えるか、会えないか。
敵が潜んでいると分かっていて乗り込む。
神原も増援が来ることは想定していた。
1人の女をここまで追いかけるということはドクターが絡んでいようと絡んでいなくても確実に達成したいってことだ。
応援を要請することも考えられる。
ならば短時間に終わらせなければならない。
(追いかけるってことは能力者ではないか…鬼束市丸の兄みたいな監視能力ではない。能力者なら映画館で既に祥菜は捕まってるだろうしな)
この前は能力者1人に能力者1人と非能力者1人でギリギリで勝てた。
今回は非能力者4人。そしてこっちは能力者1人と非能力者1人。
(同じだな。この前と)
鬼束市丸との戦い。
一緒にいた2人が途中で分かれる。
今回も同じだ。途中で分かれている。
ならばとジンクスを考えてしまう。
思い込みの能力のせいかそういう迷信を信じちゃいそうになるな。と神原はお正月のお祈り程度には縋りたくもなる。
(必ず会える!)
覚悟を決めた。
先程の寸前で止めた行為を繰り返す。
エスカレーターの手摺りに左手を乗せる。
「行くぞ」
口に出す。言霊を込めて。
エスカレーターに足を乗せる。
2階がどうなっているか。少なくても混乱はしていないだろう。
2階からここ3階に登ってくる人が全くいないわけじゃないから。上りではなく下りだけに警戒をしているなら話は違うが。
それならエレベーターで1階まで降りてから上りエスカレーターで2階に向かえば敵の隙を突けたかもしれないがそれで祥菜と合流出来ても結局は相対するのだ。
ならば祥菜に会う前に蹴りをつけた方がいい。
(祥菜にはこれ以上、荒々しいところは見せたくないから)
彼氏としての矜持か、一度がっかりしたような顔をさせてしまったトラウマか。
これは神原奈津緒の戦い。けど既に麦島迅疾を巻き込んでしまっている。
これ以上誰も巻き込むわけにはいかない。
体は動いていない。だが体は運ばれている。
エスカレーターからは2階の様子は見えない。
ナンパ野郎達は2階で神原を待っている。
(姫を攫うより姫を助けに来る騎士から潰した方が攫いやすい)
伊武を探している様子がないのはつまりそういうこと。
(狙いは俺!)
エスカレーターが階段から平坦な道に変わる。
もうすぐ2階に着く。
神原がいる場所から2階の開けた空間が一望出来る。
(女性のものが多いフロアか。偶然だろうが祥菜は良い場所に逃げたな。男がキョロキョロ探し回ってたら変質者扱いされかねないな)
そして、エスカレーターの根元、下り口のそばにあるゴミ箱。
ゴミ箱に寄りかかっている男が1人。
怪しいところはない。休憩をしているのだろう。
ただ、エスカレーターの乗客をじっと見つめていなければ。
端から見れば待ち人をまだまだかと待ちわびている。そう見えるだろう。
(監視が露骨過ぎる。となるとドクターの線は限りなく薄くなったな。ただのナンパ男なら祥菜を人質にされなければどうとでもなる)
神原が2階に降りた。銀色の格子のステップに下りるとゴミ箱に体を預けていた男がこちらに近付いて来た。
「お兄さん」
「…はい」
(気付いたか…?)
あからさまな警戒は自己紹介してるようなものだ。
ここは急に知らない人に話しかけられた体を装う。挙動不審になってはいけない。
「彼女さんとデート?」
(ん?俺の顔を見ても反応なし?俺が彼氏だって気付いてないのか?)
てっきり顔を見ているものだと思った神原だが祥菜が1人になったところで声を掛けているから神原の顔を見てなかったのかと納得する。
(ドクターの線は消えたな。ただのナンパ男達。だったら強引な奴等だ。彼氏がいるって言ってる女を連れ出そうとするんだから)
その場に居合わせたわけではないので知り得ないが祥菜ならナンパを退けるためにそう言うだろうという妙な直感。
彼氏だとバレていないことが分かったのは大きい。バレていないのならここさえ切り抜ければ問題はないはずだ。力で4人を倒す強行策しかなかったがこれなら合流も出来るしバレれば大問題だが従業員口から1階に下りる方法も使える。
ここでバレるわけにはいかない。
「いえ、カードショップに行っただけですけど?あの、何か?」
「……いや、悪いな変な事聞いて」
大変、誠に悲しいことだが、普通の人から見て神原と伊武は付き合っているとは見えないだろう。
神原はどちらかと言うと陰の方に分類される。伊武はその容姿から見ても陽に分類される。
この2人がカップルであると信じる人は少ない。
付き合った当時も館舟の特に上級生の間ではやっかみを言う輩が何人かいたぐらいだ。
目の前の男が自分達が追っている女の彼氏とは質問をしている男自身思っていなかった。
ただ若い男の1人客を手当たり次第声を掛けろと新入りに言われたからそうしているだけだ。
「もういいですか?」
「ああ、ごめんね。手間取らせちゃって——あ、もしもし」
(電話、刺青の男か?胸ポケットにスマホを入れるなんて変な奴だな。まあいい、早くここを離れなくちゃな)
そのまま2階のフロアの中でも男性が入っても問題ないお店に足を進める。
真っ直ぐ雑貨屋に行けば疑われてしまうからだ。
だがそれはしなくて済んだ。
「そうか。赤いハイヒールの女を車に乗せt————」
電話の男がそれ以上口を動かすことはなかった。
それよりも、体も動くことはなかった。
神原が男の左脇腹に蹴りを入れて昏倒させたからだ。
その男、田所は呻き声を発することなく横蹴りをくらってその場に倒れた。
意識を刈り取ることに特化したような鋭い蹴りだった。
神原奈津緒
能力名:自己暗示
能力詳細:自身に都合の悪い暗示をかける
伊武祥菜
能力なし
強烈な蹴りが炸裂!
早くも1人ノックダウン
残りは3人
神原は伊武に会えるのか!?
次回、デート編完結




